オーバー・フェンス

本作を広島市内のサロンシネマにて鑑賞してきました。どうも最近出演する作品がなってないオダギリジョー主演作品です。わたしとしては名作「ゆれる」での快演以来、心情的に応援している男優なのですが、どうも最近の主演ではこける作品が続き、チョイ役が多くなっている印象があり、やや心配しての修行に入りました。

 

本作は故佐藤泰志原作の函館三部作の最終章となる作品です。三部作という言葉はなかなかいい響きです。夏目漱石の三部作はいうに及ばず、映画の世界でも大林宣彦監督の尾道三部作は新尾道三部作も含めて素晴らしい作品群です。とくに新尾道三部作の一作目の「ふたり」は映画館で観ると、それぞれのシーン(特に花火のシーンはしびれました)がうっとりするぐらいの素晴らしい作品であり、かつて映画館で観て感動した後、自宅で再度観てみると・・・あれっ・・?この程度の感動だったかな?と思ったりしたことが懐かしいです。

やはり映画というのは映画館で観ることが前提で作られているんだな・・と思い知らされ、現在もなるべくこのブログで取り上げている作品はすべて映画館で観ているわけです。

 

さて本作ですが、久々オダギリジョーのあのぬぼーっとした独特な雰囲気がいい味となっており、相方の蒼井優の狂気をはらむ役柄も相まって、日常になにげなくありそうな、怠惰でいつまでも続きそうな時間と空間を切り取っています。オダギリジョーも久々好演の作品になりました。

 

みんなそれぞれがそれぞれの目の前にある人生の現実の前で、なんということもなく過ごしたり、ときにはあがいたりしている生活の重し。そんなどこにでもあるような当たり前の事実を函館という街の退屈で美しい風景に溶け込む人間の営みや業を感じさせてくれる作品です。

心をえぐったり、感動させてくれるという要素は特にないのですが、誰にもある人生の川の流れのなかでの一瞬の後悔や陶酔、そして微かな希望への光や想いの雫がいたるところに零れ落ちています。

タイトルである「オーバー・フェンス」もいいです。人生に付き物の生活のしがらみやどうにもならない空気の流れを乗り越えていきたいというぼんやりとしながらも切ない想いが溢れており、ラストシーンに繋がる、白球の空虚ながらも軽やかであっけらかんとした情景が映画的風情としても絶品です。本作の記憶をこれからの人生で思い出すときに、必ず切なく愛おしくなるだろうな・・・、そんなことを観終ったあとに思わされる作品でした。

 

なんやかんや言いながらも、芥川賞に5回もノミネートされながら、日の目をみることもなく逝った作家、佐藤泰志の心がこぼれ漂っている作品だと思います。こういう世界は個人的には大好きで、愛着のある作品ですが、この良さを共有できる時空間はいまのわたしの生活のなかではなかなかないかな~なんて思いながら、東広島への帰路へ着きました。

 

わたしにしても本作で表現された人々のように近頃はなにかと雑事や重しに追いかけられるような、あっという間に日々が過ぎゆく生活を送っており、広島市内への映画修行は日ごとに減りつつあります。ぜひ本作や「永い言い訳」など、ちょっと心にしみる佳作を地元の映画館T-Joyでも普通に上映して欲しいものです。

 

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コメント: 1
  • #1

    シネ丸 (火曜日, 15 11月 2016 10:42)

    函館三部作の前作「そこのみにて光輝く」は2年前の私の邦画No1だったので,「オーバー・フェンス」も期待に胸膨らませ映画館へと足を運びました。 原作者は同じでも映画のスタッフは違うので若干テーストは違いますが,傷ついた二人が希望を見出していく
    姿は両作に共通しています。 佐藤泰志の原作を大事に映像化しようとする映画人は誰しもが,最後に託された微かな未来への光を観客にみせてくれるのでしょうね。