【 四季の心(こころ)クリニックへようこそ 】

四季のこころクリニックは、平成25年4月、東広島市西条町御薗宇において開院した心療内科、漢方内科、精神科を専門としたクリニックです。

当クリニックでは、複雑になりつつある社会のなかで心身のバランスの乱れを機に生じた心と体のさまざまな症状に対して適切な専門的かつ医学的知見に基づいた治療を常に提供します。

 

日常の生活リズムの崩れから起こりやすい不眠症や頭痛、気分の沈み込み、疲労感の持続、子育ての場面や仕事場や家庭における不安感や焦燥感(いらいら感)の高まり,思春期のこころの健康相談、働き盛りの方のストレスをきっかけにしたうつ病、適応障害、心身症,今までのつらい体験などを契機とすることが多い不安障害、パニック障害、身体表現性障害、強迫性障害から、物忘れを中心とした認知症のお年寄りまでと、幅広く老若男女、世代を超え、思春期の方からお年寄りまで、こころやストレスの問題から発生するさまざまな問題を相談できる、元気で親しみの持てるクリニックを目指していますので、気軽にこころやからだの変調や悩みを相談してください。

 

クリニックの基本方針としては、保険医療機関ですので、こころの診療とともに、適切なお薬の処方ということがまず手始めの治療の選択肢となります。もちろん、必要最低限の処方を心がけ、症状やご希望によっては、より副作用の少ない漢方薬を処方する場合も多々あります。 最近のお薬の進歩はめざましく、副作用もかつてに比べれば少なくなり、少量飲んだだけでこころやからだや気分の変調が快方に向かうというこころやからだのビタミン剤のようなよいお薬も開発され、わたしが医師になりたての頃はなかなか治らなかったこころやからだの病や症状が早期に治癒寛解することが多くなりました。「素晴らしい時代になった」とひとりの医師としてしみじみ思ったりすることもあります。そしてわたし自身が実感するこうした医療の進歩の実りを、日々さまざまな症状に困られているみなさんの快復につなげたいと思い、日々の診療に誠心誠意取り組んでいます。

 

その一方ですべてをお薬で解決するという考えはとらず、十分にみなさんのお話をお聞きしたうえで、症状によっては薬物療法を避け、ストレスの捉え方の工夫をはじめとした精神療法やストレスを克服する運動療法、ときには自律神経を整える呼吸法の指導等を織り交ぜながら、症状の改善を目指すこともあります。

 

四季のこころクリニックでは、必要最低限の適切な薬物療法と精神療法を総合的に組み合わせて、症状に困って来院された方のこころやからだが快方や癒しに向かうよう、常にもっとも効果的な方策をこころがけて診療に取り組んでいきますのでよろしくお願いいたします。

 

2023年

9月

01日

キングダム 運命の炎

本作を夏の終わりの気配がやっと見えてきた休日のお昼にT-Joy東広島にて鑑賞してきました。 早いもので映画劇場版の3作目です。

 

原作漫画においては69巻に到達し、あのキャラ立ちの激しい「〇〇」もついに冥界入りとなり、物語全体としてはいよいよ中盤に入ったという展開ですが、映画版では王毅と信、政(後の始皇帝)の過去の悲しきエピソードから現在の中国統一を目指すという気持ちに至るまでの経緯が素晴らしい映像とともに、大画面いっぱいに展開されます。 信の命の恩人役の杏さんも素敵でした。わたしなどエンドロールが流れるまで杏さんが出演しているということに気づかないほど自分を殺して役になりきっていました。

 

キングダムについては、前回2作目の欄で熱く語ったので、今回はあっさりと行こうとは思いますが、相変わらず実写版素晴らしいです。 やはり絵ではどうしても物語のスケール感やリアル感が表現しにくい部分があるのですが、映画版はそれをしっかり補完でき、それによりまた原作を読むと想像の翼がパタパタとはためくといった具合で、次回も次々回作もいまから楽しみな出来でした。

 

小柄すぎると感じていた大澤・王毅についても、もはやこれでいいのではないか・・というド迫力であり、他の配役もますますしっかりはまってきました。 3作目の新配役は今回も新たに、佐藤浩市、山本耕史、玉木宏、杏・・・と豪華絢爛であり、まるで日本の才能豊かな俳優陣をすべて配役していくのかというラインナップであり、これから登場してくる人物にしても、誰が〇〇、誰が△△を演じるのか想像するのも楽しく、その点でも興味がつきません。 なんやかんやで楽しく壮大でわくわくする作品になってきました。今後の展開に目が離せないのは言うまでもなく、本作が続く限りしっかりわたしも付いていくので、原作の原先生、佐藤伸介監督をはじめとした制作陣の方におかれましては、健康に留意して素敵な作品を作り続けてほしいものです。

 

P.S.煌めくような群雄割拠の登場人物たちのなかで選ぶとすれば個人的には蒙恬が好きですが、実写版での活躍は次回以降になりそうですが、蒙恬を誰が演じるのかも含めて彼の活躍も楽しみです。

2023年

8月

01日

君たちはどう生きるか

本作を夏休みで子どもたちの元気な声が朝からさわやかに響く一方で、日中は太陽の光が痛いほど肌を突き刺す真夏の昼下がりにT-Joy東広島にて鑑賞してきました。

 

わたしだけでなく全国民待望のスタジオジブリの長編作であり、加えて宮崎駿監督作品であり、避けて通ることのできない本作です。

 

本作のタイトルは昭和12年発売のベストセラー「君たちはどう生きるか」とまったく同じであり、ほんの5年ほど前に漫画化や再構成化されて巷でヒットしていただけに、その昭和作品のコペルくんを主人公とする物語のアニメ化なのだろうか?・・それともまったく別のオリジナル作品なのだろうか?・・・という疑問が自然に生じるわけなのですが、本作の前情報はアオサギがめいっぱい描かれている不思議なポスター以外宣伝文句やコピーがまったくと言っていいほど行われず、宮崎監督から「なんの先入観を持たずにこの作品を観て感じてほしい」とのメッセージを逆にひしひしと感じながらの修行となりました。

 

そして暗闇の映画館のなかでは素晴らしい映画体験の時間が待っていました。まず冒頭の疑問は完全に後者でした。 宮崎監督が自分のいま頭のなかにあるイメージを一筆書きのように自由闊達に描いたオリジナル・ファンタジーになっていました。

 

まず一番素晴らしいのは、やはりアニメ化された絵そのものの力であり、今回はその絵がまた一段と魅力的で、今まで宮崎監督が関わったジブリ作品のオマージュのような場面が、いちいち挙げるには多すぎるほど全編にわたって、これでもかというぐらい出てきます。 例えば真人が疎開する壮麗な屋敷も「千と千尋」で観たようなお屋敷であり、そんな屋敷に住んだことのないはずのわたしがその屋敷の絵そのものに懐かしさを感じてしまいました。ついでにわたしの大好きな「耳をすませば」のバロンの冒険の洞窟のラピスラズリ鉱石の輝きもありました。他にもまだまだ盛沢山であり、絵の力そのものがさすがの宮崎節です。

 

おそらく我々観客はそれらのシーンを観ながら、かつてのジブリ体験のタイムトラベルをするような懐かしさとデ・ジャブ感にとらわれ、「これあの映画のあの場面だよねー」とか「なんだか懐かしい感じがある」と映画館でにんまりしたりホンワカしながらの方が多かったのではないでしょうか?

 

映画の内容自体は、いつもの宮崎作品らしくさまざまなメタファーと隠されたメッセージが散りばめられているのですが、これまでの作品と異なるのは、監督はあえてさまざまなメタファーの意味を絞り切ることをせずある程度の幅を持たせ、結果物語全体がひとつの明確な方向性をとらず、観る人にとって焦点や方向性が異なり、観客それぞれのこころにさまざまな残光を残すということです。 まるでこころの中で乱反射するかのように・・・。

 

そういう意味では本作は観る人によって賛否が分かれる作品になるでしょうが、そこが宮崎監督の目指したところでしょうし、これまでの作品がある程度熟考を重ね表現したい内容に狙いを絞った熟練者の工芸品としたら,本作はまさに観る人が自由に鑑賞に浸れるものの、観る人のもつ情報や感性にかなり多くの部分をゆだねる芸術作品と言えるのかもしれません。

 

もちろんわたしのこころのなかでも本作はプリズムのように分光し、こころの内側を照射してくれています。 それらすべてを挙げることはもちろんできませんので、以下に一部印象に残った点を書き残そうと思います。

 

まずやはりタイトルとの関係です。物語の中盤で、主人公の真人が、彼のためにと母が残した単行本「君たちはどう生きるか」を読むというエピソードが出てきます。この本を読んで涙して以来、それまで反抗的で悪いこころ(学友たちからのけ者にされ自ら頭部を傷つけたり、出された食事を一言『まずいっ』ですから・・)を持っているのでは?とも見える真人のこころが清らかに浄化され大きく成長したかのように変わっていきます。 とくに継母となる夏子への態度と言葉の変革は顕著です。そして夏子が消えた「別世界」へ夏子を取り戻す勇気の旅に出かけます。つまりその単行本を読んだ前後で人格の変化というか成長が大きく見られるのです。 そうした点でこのタイトルは意外と効いています。 ついでに宮崎監督から「君たちも人生を変えてくれるような素晴らしい本に巡り合うんだよ」と言われているように感じたりしました。

 

そして真人が行く「向こう側の世界」ですが、これはもう死後の世界でもあり、現世界を下から支えている世界ともとれる世界です。わたしもいい歳になり、この世界を離れたらどんな世界が待っているのだろう?ということをときに考えたりする年頃になりましたが、宮崎監督なりの死後の世界についての諧謔的答えと暗示がこの世界では豊富に提示されています。 無数のワラワラが現生に転生するために上昇していく際にペリカンに食べられ間引かれていくシーンはまさに無数の精子が受精卵にたどり着く前に間引かれていくようですし、ペリカンたち(庶民)が王様(専制君主またはそれに類する者)の下その世界を日々支えているのは現世界とも相似しています。

 

神道的世界のオマージュもあります。男子である真人を後継者にしたいと考えている「向こう側の世界」の創造者である大伯父さんは男系にこだわるのか、真人がだめならば、夏子に男の子を産ませるための儀式のなかに誘っているかのようです。

 

そして後継者への誘いに、すでにどう生きていくかという問題に対して目覚めている真人ははっきりと拒否を示し、もうすぐ本土敗戦という歴史上初であり想像を絶する滅びが訪れる予定の穢れた現世界に戻り、他者と協力して世界を再構築していくことを目指すことを表明します。 この辺りの件(くだり)はジブリというより庵野監督のエヴァのラストにいけるシンジのこころのような世界ですが、まあ広い意味で宮崎監督からすると、庵野監督も自分の仲間(もしくは弟子みたいな)ということなんでしょう。

 

なかなか意味深なのは、作品後半に大伯父が「わたしは3日ごとに13個の穢れていない石を積み上げて世界のバランスをとってきた。この世界を引き継いでほしい」と真人に懇願するものの、真人はあっさりとその申し出を断るシーン。 ちなみに大伯父はジブリを担ってきた宮崎監督自身であり、それと同時に真人自身も宮崎監督の分身と捉えられます。 その証拠に、偶然か必然か「13」という数字は宮崎監督が監督または脚本家として関わったジブリでの長編作品の数「13」とまったく一致しており、別世界での3日は現世界での3年に相当すると勝手に仮定すると、「自分は世界のバランスをとるために3年ごとに穢れなき13個もこころを解き放つ長編作品をこの世界に向けて作ってきたんだよ」との自負もありつつ、一方で自らの分身である真人(父親が戦闘機の風防を作っている会社社長の息子という設定は、宮崎監督の伯父さんがまさにそうした戦闘機会社の社長で監督自身はその甥だったそうで、小さい頃実際に戦闘機の風防を目にする機会もあり、真人に若いころの自分を重ねているのはほぼ確定です)によって、この大伯父(監督自身)の作り上げてきた浄化された世界の永続への望みを絶たせるということは、「 もう誰も自分の後を継がなくても大丈夫。丹精にコツコツと作り上げてきた穢れなきジブリワールドだったけれど、この先ぼくがいなくなったあとは一代かぎりの終わりでいいんだよ 」ということではないでしょうか?

 

そして物語の最期を迎え、さまざまな苦難を乗り越えて、夏子とともに現世界に帰還した真人は、アオサギから「さようならー、友だちー!!」との言葉をもらい、彼との永遠の別れを迎えます。 疎開地に来たころ、まったくこころの拠り所もなく友もおらず憎々しく孤独だった真人・・。 そんな真人がいつの間にかさまざまな体験や苦悩や決意を経て、こころの友だち・同志ができていることがこの物語の一番の見どころであり、真人の人間としての成長や苦悩の克服を感じさせられます。

 

そんなこんなでついに物語は大団円を迎えますが、ラストのラストで印象的なのは、いつもジブリ作品には必ずあるあの 「 お わ り 」 がありません。これはおそらくこの物語は本作を観たことによって「おわり」といった形で完結するのではなく、本作を観た後にこそ、現実世界のなかで観客の我々自身が、作品を観ただけに終わらず、本作を観たことに影響を受けて未来に向かってどう生きていくかの続きを営んでほしいとの監督の願いではないでしょうか?

 

「 ぼくはこんな形で幼少時からの苦悩や悪いこころを乗り越えて、こころの同志を得て作品を通してこころを表現しながら生きてきたけれど、これからの未来を背負っていく君たちはどう生きていくの? 」という人生の命題をしっかり考えて生きていってほしい・・との監督からの伝言のように感じました。 

 これらはもちろんわたし自身にも投げかけられている問いであり、これからの時間、宮崎監督からの伝言を胸にしっかり悔いのない生き方をしていかねば・・・なーんて柄にもなく思っているわたしでした。

 

いずれにせよ、再度の修行が必要な作品であることは間違いなさそうです。 宮崎監督、素敵かつイマジナリーな万華鏡的作品をありがとうございました。

 

2023年

7月

01日

怪物

本作を梅雨のうっとしい雨が降りしきる夜にT-Joy東広島にて観てきました。

 

「怪物だ~れだっ?」というセリフを抱いた印象的な予告編とともに、小津安二郎的文学的映画体験を現代に創作できる、是枝裕和監督による新作でもあり、個人的に必見の作品でした。

 

こころにぽっかりと開いている夜の穴のような存在の諏訪湖に臨む街の片隅、子ども同士のけんかに端を発した教室での他愛もない事件が、さまざまな怪物的人物の言動により、徐々に大きくなっていき、当事者である小5の生徒、その母親、級友、担任、校長たちの日常を破壊し人生さえも変革していってしまう・・という恐怖感とともに否応なしに強く興味をそそる物語。 そしてその事件に携わったそれぞれの人物の立場から、事件が現場検証されるかのように事件の前後の時間を行ったり来たりしながら、事件とそれをめぐる人々の内面と日々の行動が重層的に表現されていきます。

 

この手法はかつての黒沢監督による「羅生門」的手法とも言えますが、わたしにとっては、ジャンルが異なる漫画なのですが、竹宮恵子「変奏曲」的手法と呼びたいと思います。

 

異なる文化や国、家族背景を背負い、偶然に出会いながら、それぞれ音楽という魂を捧げる対象を通して、かけがえのない共有された時間をそれぞれの登場人物の立場から重層的に表現された物語は当時まだ十代だったわたしのこころの奥底にぐさりぐさりと強烈に突き刺さり、「一見偶然に発生する事象や人の迎合には常にそれぞれの必然性と異なる視点が複数同時に存在し、光のプリズムのごとくそれら光の交錯により一瞬のきらめきがときに発生することがあり、それら残光の連続が人生を彩っていくものなのだ」・・という言葉にすれば、何てことなさそうながら、そんな人生観というか哲学というべきか、その未完ながら壮大な物語を通して、言外に感じさせてくれた作品が「変奏曲」であり、その後のわたしの人生に大きく影響を与えてくれたことは言うまでもありません。

 

本作「怪物」は映画ながら、久々に十代のころの「変奏曲」体験を思い出させてくれました。 それぞれの立場からのファンタジー(客観的事実を越えた、当事者にとってそう感じられたり、そう映ったり、そう体験したという想い込みと勘違いを伴う主観的体験)と言える万華鏡的観方を通して、事実を表現していくとそこに関わる人々はすべて怪物のごとくふるまい怪物になっていく・・・というファンタジーをわたし自身感じながら映画館でゾクゾクするような時間を過ごさせてもらいました。まさに映画的カタルシスの嵐です。

 

そのなかで、さすが是枝監督とうならせたのは、そうした大人を中心としたファンタジー的体験の混沌の嵐からの隠れ場所として、子どもたちだけのパラダイスをそっと添えてくれたことです。トンネルを抜けた誰も踏み入れない山の中に佇む「銀河鉄道の夜」から抜け出てきたような電車の廃墟。そのなかに作られていく子どもだけの夢の聖域。 大人には絶対に踏み込まれない世界がそこにはあります。わたしに限らず、子どもの頃にそうした聖域を隠し持っていた人たちのこころを鷲づかみにする映画的幻想シーンが映画のなかに散りばめられており、本作の大きな魅力のひとつになっています。

 

基本的にイノセントでありながら残酷なまでに気まぐれで率直なこども時代の揺れ動くこころや感性。ときにはひとを傷つけるようなひどい嘘や移り気もそこにはあります。 そんな怪物ともいえる子どものこころや感性が投入されたこの秘密の隠れ場所にはぐっと来るものがありました。誰もがいまもこころにその隠れ場所の欠片を抱えながら生きていることをいまさらながらに思い起こさせてくれた、まさに至福の映画体験時間でした。

 

ラストで子どもらの魂は山や光の風景を抜けてどこかへ旅立っていくというイメージが提出されますが、子どものこころを捨てずにどこまでもその魂たちがまた次の世界へ元気に進んでいってほしいと願うとともに、よく考えてみれば、本作を観る我々の現在の魂のありようこそが本作に登場してきた子どもの魂が変転(メタモルフォーゼ)した成れの果てであるのではないか?・・・というわたしなりのファンタジーを抱いての帰路となりました。

 

まだまだ観る人の数だけ切り口や語り口が存在する作品である本作は映画館的幻想体験の醍醐味を凝縮したような作品であり、映像幻影文学としての是枝節がしっかりとしみ込んだ快作でした。 カンヌ国際映画脚本賞をとるのも納得であり、ぜひみなさんも映画館にて魅惑の映画的ファンタジー体験をしてみてくださいね。

 

2023年

6月

03日

懐かしい再会の夜

令和5年5月27日(土)の夜に懐かしい人たちと再会し、離れていた年月を乗り越えてそれぞれが歩んできた営みの道のりをささやかにお祝いしました。

 

4月のブログでも書きましたように、四季の心クリニックが10周年を迎えたこともそれはそれでめでたいのですが、そんなことよりも初代薬局長の小西くんが努力奮闘の末、この春に某公立医科大学を卒業し、医師国家試験にも見事合格し、医者という生業の入り口にたったのですから、お祝いしないわけにはいきませんでした。実はちょこまかと内輪のお祝い会などはすでにやっていたのですが、この小西くんを迎えるお祝い会が終わらないとわたしもクリニックも先へは進めないぐらいに感じていたほどです。

 

そして待ったこの日、この春からわが故郷である愛知県において研修医を頑張っている小西くんは、なんと前夜に当直をこなした後に新幹線で東広島まで遠路来てくれました。加えて、当時小西くんの上司であった竹村さんも忙しいなか福岡から駆けつけてくれました。もちろんわたしが東広島駅までの送迎をしたのですが、少し時間があったので車中談笑しながら懐かしい東広島の街をアテンドしてみました。わたしも来訪初めてである昨年秋にオープンした「道の駅のんたの酒蔵」を通り過ぎたり、新しくできた「ゆめモール」にも寄ったりしました。

 

その後ついに午後7時から西条駅前の焼き鳥屋さんにて宴は開かれたのですが、小西くんのいつもと変わらない優しい物腰と笑顔、竹村さんの寛いだ表情、スタッフの華やいだ笑顔の数々やつっこみ、小西くんへのお祝い物の贈呈などなど印象的でもうこの先二度とないかもしれないという貴重な時間が過ぎ、お酒が進むにつれてわたしの脳髄は心地よい酔いとともに嬉しさと懐かしさも混ざり合い、ゆらゆらと揺れながら夢のなかで踊り続けるような状態になっていました。

 

それでも楽しい時間というのはあっという間とはよく言ったもので、いろいろな話に花が咲いたり、驚いたり笑い合ったりした結果、夜7時に始まった集いは気づけば11時30分をゆうに回っているという時刻になりやっと一次会はお開きとなり、有志(もちろん小西くんと竹村さんも)と二次会の西条駅前岡町の「Bar enishi」へと移りここでも熱い会話を閉店まで交わしつつ、気づけばわたしが帰宅したのは朝の3時前でした。コロナの影響もありここ3年すっかりなかった活動時間帯であり、わたしの心身活動限界(?)はとうに限界を過ぎていましたが、特別の日であり気持ちでなんとか乗り切ることができました。

 

談笑のなかで、医者になることを考え始めた時期、その決断に至った経緯や現在の心境、今後の展望などいろいろ熱く聞かせてもらいましたが、10年前にお互いに初の院長、初の薬局長として役割を担い初々しく出会ったときとほとんど変わらないはにかむような笑顔や相手を思いやる丁寧な振る舞いは医者になった今もほとんど何も変わっておらず、わたしのお酒に浸されたこころにもしみじみと浸透してくるような彼の表現は健在でした。

 

わたしにしても自分が医者を目指し広島の地に来訪したときのことに想いを馳せながら、楽しく寛ぎながら彼の医者にたどり着くまでの旅の話を心地よく聞かせてもらい、もうこれ以上の幸いな出来事はあるかというほどでした。これから先のことは誰にもわからないけれど、場所は離れていてもともに歩みを進めていきたいものだと酔っ払いながら思いを新たにさせてもらいました。

 

また彼の上司であった竹村さんも「そうごうメディカル」という大会社のなかで、さまざまなストレスを感じながらも元気に精一杯やっていることもうれしかったです。何よりも忙しいなかかつて部下だった小西くんのお祝いの会に九州から駆けつけてくださり、本当にありがたかったです。いつか小西くんともどもこのお返しは何かの形でする決意でいます。

 

もちろんクリニックのスタッフも開業時の5人のうち4人が10年たった現在もいまだに健在であり、新たにこの10年の間に加わったスタッフも元気で明るく前向き率直なスタッフが集まっており、本当に感謝に堪えません。お互いにときにはミスがあってもそれさえも笑顔で前向きに乗り越えていける環境になっており、前にも書いたかもしれませんが、いまのスタッフの雰囲気が一番わたしは好きです。

 

そんなこんなでなんとかハレの日の夜は無事終幕しました。 わたしも思い重すぎる荷物をなんとか担ぎおろせた夜になったような気がします。 この先何年いまのこの生業が続けれるかはわかりませんが、とりあえずは15周年のお祝い会ができるようまた日々精進していきたいと感じています。日々の事象はいろいろとあり、想定外で難儀な日もあれば、想定通りで軽快な日もあったり、予期せぬ嵐の日もあるのですが、こうしたハレの日を迎えれるよう日々の診療に精進していくことを決意した夜でした。

 

2023年

5月

15日

京都再訪

先日、久しぶりに仕事で京都を再訪してきました。保育園から小中高校まで同じ道をたどった竹馬の友や高校の同級生数人が京都大学に進学していた関係で、京都は若い頃から数えきれないほど訪れている麗しの街です。

 

わたしにもかつて若き思春期のころがありました。その時期わたしにとって京大は憧れの大学であり、高一の春、日帰りで同じく京大好きだった竹馬の友と青春18きっぷで京大見学(愛知から往復200キロを超える京都への道程は高一のふたりにとっては結構な冒険でした)に訪れたり、高校の友人から勧められて「吉田寮」(彼はその後京大に進学し「熊野寮」に入寮します)での生活を基にした実話を描いた岩波新書「紅もゆる」を読んでからは、その世界に憧れ「いつか京都で学生生活ができれば、どんなに素晴らしいだろう」なんて夢想したこと数百回ありました。しかし残念ながら縁がなかったようで、京都の学生として学生時代を過ごすことはかないませんでした。それでもその当時京都で知り合った友人のなかにはいまだ京都在住の方もいたりするので、距離的には遠くてもこころのレベルではいつも近くにある街です。

 

そんな個人的思いの強い街でコロナも落ち着きをみせて久々仕事のセミナーで京都を訪れることになったのです。宿泊ホテルは京都駅直結のグランビアホテル。お約束のローマのスペイン坂のごとくイルミネーションに映える長い階段も昇ってきました。そして朝、世界的にはとっくにコロナ終結している影響か朝食のビュッフェは白人だらけの会場にやや戸惑いながら「さすが世界的観光地京都だな~」と感心し、セミナー会場はホテルオークラ京都(ここは長州藩邸跡で桂小五郎の像も玄関脇にありました)でした。 無事しっかり仕事を終え、このまま京都駅に直行し、帰広すると思いきや、ささやかな郷愁に誘われて、美味しい京都ラーメンも食べたくなり、2条の「麺や 高倉二条」での腹ごしらえを皮切りに、街角の品ぞろえの素敵な本屋さん「レティシア書房」に寄ったり、本能寺に寄ったりしながら、気づけば桂川の三条大橋に出て、そのまま西の河原(今回の写真です)に降りて三条から五条大橋(国道一号線)までを歩き、その後南西に向かい、高瀬川沿いを伝い歩き、七条まで降りて、スタッフから推薦されていた京都タワー登頂初体験を経て、無事京都駅にたどり着き、帰ってきました。

 

もちろんもう何度も何度も歩いたことのある既知のコースなのですが、そこで見かける人々はつねに異なり、歩くわたし自身も以前の心境とはもうまったく異なった視点をもってしまっており、いつも不思議と楽しめるのです。この日もしっかり京都の風景に抱かれながらの散策を満喫させてもらいました。初めて京都の街を友人とふたりで訪れたあの高一の春からいったいどれぐらいの年月がたったと考えると、「思えば遠くへ来たもんだ~」と鼻歌でも歌いたくなりつつ、これから自分に残された時間をどのように充実したものにしていこうかという思案にもふけったりしながら、気づけばJR京都駅に着いていました。

 

広島に帰れば、また日常の仕事が待っていますが、それも捉えようであり、次の京都を訪れるまで日々懸命に生業をこなせば、また今日のようなご褒美の時間もやってくると信じ、スタッフや家族へのお土産を買いこみ、新幹線での帰路に着きました。

 

ありがとう、京都。また来させてください。