【 四季の心(こころ)クリニックへようこそ 】

四季のこころクリニックは、平成25年4月、東広島市西条町御薗宇において開院した心療内科、漢方内科、精神科を専門としたクリニックです。

当クリニックでは、複雑になりつつある社会のなかで心身のバランスの乱れを機に生じた心と体のさまざまな症状に対して適切な専門的かつ医学的知見に基づいた治療を常に提供します。

 

日常の生活リズムの崩れから起こりやすい不眠症や頭痛、気分の沈み込み、疲労感の持続、子育ての場面や仕事場や家庭における不安感や焦燥感(いらいら感)の高まり,思春期のこころの健康相談、働き盛りの方のストレスをきっかけにしたうつ病、適応障害、心身症,今までのつらい体験などを契機とすることが多い不安障害、パニック障害、身体表現性障害、強迫性障害から、物忘れを中心とした認知症のお年寄りまでと、幅広く老若男女、世代を超え、思春期の方からお年寄りまで、こころやストレスの問題から発生するさまざまな問題を相談できる、元気で親しみの持てるクリニックを目指していますので、気軽にこころやからだの変調や悩みを相談してください。

 

クリニックの基本方針としては、保険医療機関ですので、こころの診療とともに、適切なお薬の処方ということがまず手始めの治療の選択肢となります。もちろん、必要最低限の処方を心がけ、症状やご希望によっては、より副作用の少ない漢方薬を処方する場合も多々あります。 最近のお薬の進歩はめざましく、副作用もかつてに比べれば少なくなり、少量飲んだだけでこころやからだや気分の変調が快方に向かうというこころやからだのビタミン剤のようなよいお薬も開発され、わたしが医師になりたての頃はなかなか治らなかったこころやからだの病や症状が早期に治癒寛解することが多くなりました。「素晴らしい時代になった」とひとりの医師としてしみじみ思ったりすることもあります。そしてわたし自身が実感するこうした医療の進歩の実りを、日々さまざまな症状に困られているみなさんの快復につなげたいと思い、日々の診療に誠心誠意取り組んでいます。

 

その一方ですべてをお薬で解決するという考えはとらず、十分にみなさんのお話をお聞きしたうえで、症状によっては薬物療法を避け、ストレスの捉え方の工夫をはじめとした精神療法やストレスを克服する運動療法、ときには自律神経を整える呼吸法の指導等を織り交ぜながら、症状の改善を目指すこともあります。

 

四季のこころクリニックでは、必要最低限の適切な薬物療法と精神療法を総合的に組み合わせて、症状に困って来院された方のこころやからだが快方や癒しに向かうよう、常にもっとも効果的な方策をこころがけて診療に取り組んでいきますのでよろしくお願いいたします。

 

2023年

4月

20日

ボブディラン日本公演

令和5年4月15日(土)、有明の東京ガーデンシアターで行われたボブディラン日本公演に参加してきました。通算3回目となります。前回は2014年の福岡公演でしたので9年ぶりです。

 

白状すると、元々ビートルズフリークだったわたしは高校卒業後に何か哲学的というか文学的な香りに惹かれて遅まきながらボブディランデビューを飾りました。もう60年代どころか70年代のディランも終わった80年代のことです。

 

最初に聴いたアルバムは「ボブディラン・グレイテスト・ヒット」。あの「雨の日の女」で始まり、「女のごとく」に終わる初期の煌びやかな楽曲たちに溢れたアルバムです。これを買ったのではなく、当時流行りのレンタルレコード屋さんで借りてそのままカセットに吹き込み、AIWA製の擬ウォークマンを通して大学に通学する電車のなかで、繰り返し飽きもせず聴いていました(何故かモーツアルトのピアノ協奏曲や交響曲体験もこの時期でした。モーツアルトにも何かを感じていたようです)。 当時はビートルズやサイモン&ガーファンクルのようにメロディの素晴らしさはないけれど、ディランには何かがある予感がありました。本能的にとでもいうように感じていたのです。

 

わたし自身は個人的レベルにおいては「とにかく大学には寄り道なく入らないといけない。かつ国公立大学の選択のみ。そして浪人は絶対に許されない・・」という運命というか生活の掟のような重荷を背中にずっと背負い、やっとこさ大学に入ったもののおかげで世界のことは何も知らずです。受験勉強は一生懸命に励んだものの、世界のことをまったく何も知らない状態。 おぼこさ満点18歳の大学生活の始まりであり、なんとか大学では今後の生きていくための糧というか哲学というか精神的支柱を見つけなければならない・・という想いが強くありました。時代的にそういうムードがあり、まだ「反体制」とか「左翼」とか「右翼」とかいう言葉が生きており「朝日ジャーナル」などが元気な時代でした。そのなかで「ボブディランというアメリカ人はなにか人生の大切なことを唄っているように思えるし、きっと何かが見つかるに違いない。何としてでもそれを探らないと」・・という思い込みで聴きはじめたような記憶があります。

 

当初、根っからのポップ好き(今もです)で、小学校からずっとビートルズファンのわたしにはディランの一聴めは比較的ポップな「I Want You」以外はまったく耳に引っ掛からなかったものです。それでも何百回と繰り返し聞くうちに詩の内容も把握するうちに耳になじみ自然と自分の生活の中でなくてはならない音というか概念になっていきました。とくに20歳前後のわたしはまさに高校時代までの窮屈な生活の反動もあって「Like A Rolling Stone」状態であり、激しく忙しいバイトの嵐の合間に学校に通うというような本末転倒の、まるで陽の光から遠ざかり「地下で憂鬱」に暮らすかのような、そして小金が貯まるとふらふらと貧乏ひとり旅に出てまさに「風に吹かれて」いるような生活でありました。いつも間にか、ボブの唄うホーボー感覚の枯れた、雨の日の地下室のその狭い小さな窓から空をにらんで歌い続けるような孤独な歌声はつねにそんな自分に喝を入れてくれるような音楽になっていきました。

 

もちろんベストアルバムでとどまることはなく、それからアルバムごとに驚くべき衝撃の変化が続く初期のオリジナルアルバムを次々と聴いていきます。とくに「ブロンドオンブロンド」まではまさに奇跡のような展開です。そしてモーターバイク事故後のウッドストックにての小休止があり、70年代の「血の轍」にも衝撃を受けました。「Like A Rolling Stone」もそうなんですが、音楽でこういう感覚を表現できるんだ・・とあらためて思い知らされました。

 

ディランの曲は無骨で伴奏にもあまり工夫なくそっけなく歌わるので一聴しただけではなかなかこころを捉えないのですが、それらが素晴らしい楽曲であることは、ほどなく知ることになったディランの最も良きカバーバンドのザ・バーズを知ることで、確かなものなっていきました。また同じ時期に強く感銘と影響を受けた佐野元春さんもディランフリークであったことも大きかったです。DJとしての佐野さんの音楽紹介は本当に素晴らしくディランはじめさまざまなロックジャイアントの音楽を教えてもらいました。そうこうして洋楽的には「ビートルズ~バーズ~ディラン」がわたしのこころの3本の矢に育っていきました。

 

正直ビートルズもなかなか深いものがあるのですが、ディランの言葉の深さときたらもう潜りがいがありすぎて、わたしのようなこころの肺活量の少ない者にとってはこころの深海で窒息しそうなほどでした。当然豊富な楽曲はその後のわたしの人生とも密接にかかわりあっていくのですが、これを表現すると一遍の物語となってしまうので、それはまた別の機会にさせてください。

 

そんな若き時代からはや数十年がたち、さまざまなディランの音楽を聴いてきましたが、正直21世紀に入ってからのディランのしゃがれて老成した歌声に対しては、どうも違和感があり、ニューアルバムは必ず購入するものの、一週間ぐらい聴いたらあとはお蔵入りという感じで同時に発売されているブートレグシリーズの方に熱狂するという少し捻じれた有り様でした。

 

そんなやや不遜なディランファンのわたしですが、9年ぶり福岡Zepp以来の迎合になるので、時間を縫って新作「ラフ&ロウディ・ウェイズ」を何とか聴きこんで、今回のライブに臨みました。

 

81歳になったディラン。どんな声になってしまったの?という不安と期待の入り混じったライブでしたが、しゃがれた声ではなく、穏やかで深みのある大人の声になっていました。東京公演では客電が消灯しなかったことと事前に曲のセットリストが判明していたこともあり、アルバムの歌詞カード持参で参加したところ、しっかり読める状態だったので、リアルタイムでディランの生声に耳を傾けながら直接言葉の意味内容が入ってくる体験ができました。それらを通してディランのいま感じていることをわたしなりに受け止めました。

 

ディランの魂は現在、生と死の挟間を行ったり来たりしながら、「まだもう少しこちらでやることがあるから、Black Riderよ、まだ迎えはいい」と歌いながら、「自分はもう長く生き過ぎた。わたしは自分の人生よりもすでに長生きしてしまっている。わたしは身軽な旅をしている、ゆっくりとふるさとに向かっている」とも語るように歌い、死に近づきつつある身を顧みたりするフレーズも印象的でライブのなかで魂を彷徨させていることがよくわかりました。

 

おそらくディランは1990年代のネバーエンディングツアーを開始した頃から、音楽ツアーそのものを人生を営む場と見定め、世界中の至るところを我が家のごとく訪れ、夜になると生きて食事をするようにステージに立ち自らの魂と自分を通り過ぎあの世へ行ってしまった出会った魂たちの開放を唄うことを営みつづける人生を選び、その進んでいく時間のなかで徐々に衰えていく肉体を自覚しながら、魂だけはライブという営みを通して毎夜甦りを繰り返すという時間を過ごしているのだろうとほぼ確信する夜になりました。

 

そしてやはり特筆すべきは前回に比べても明らかに声がかなり元気に出ており、一時期のしゃがれて枯れきった声というよりも温かく深みのある優しい声となっていました。さすがにギターを持って歌うことはなく、ほとんどをピアノの前に座りながらの演奏でしたが、バンドと共鳴し、ジャズのようなリリシズムもありながら、ロックのダイナミズムまでも併せ持つまさにジャンルを超越したディラン・ミュージックとなっていました。この瞬間はつねに一期一会なんだということをディランの奏でる音は雄弁に語っていました。

 

 また会場であるガーデンシアターが素晴らしく、4階席まであるスタンドの客電が降り注ぐ星たちのようで、ディランもステージから星の子たちに歌いかけるような気分で気持ちよくライブできたのでは・・?と思い、そういう箱を作った日本人職人に感謝をしつつ、ディランも「さすが日本は何度きてもBeautiful Worldだわい」と感じてくれたのでは・・と想像したりもしました。

 

いずれにせよ、今回の素晴らしいライブ体験を通して「21世紀のディラン」をもう一度探索してみる気になりました。彼の魂の軌跡は、自作曲だけでも700曲近くにもなり、わたしにとってもひとりの人間がたどった魂の軌跡として今後もしっかりその曲を味わい楽しみ鑑賞していく決意を固めました。ノーベル賞もとるぐらいなので作品の量も質も深くひろ過ぎていくらでも時間がかかりそうですが、わたしも診療という生きていく糧であり旅の日々を縫いながら、時々ディランの世界に向き合い、魂を磨いていく行程を深めていきたいものです。

 

今回のライブ、もしやディランとの今生の別れかもしれませんが、「キーウェスト」への旅の途中また日本に寄られる際は必ず馳せ参じる決意を固めてのしばしの別れとなりました。

そしてわたしもディランと同じ人類のひとりとして、広島に戻れば日々の営みが待っており、ディランにまでは及ばぬとも、今後生きていく営みもしくは大切な場所として診療に取り組んでいくこととします。

2023年

4月

08日

開院10年

ついに春がやってきました。 そして令和5年4月四季の心クリニックはおかげさまで満10年を迎えました。

 

本当にあっという間の10年間でした。開院したころはいつまで続けれるだろうか?という不安と気楽な気分を感じながらの船出でしたが、さまざまな人の支持と援助があり、よちよち歩きだったクリニックも10年という区切りを迎えました。

 

クリニックに関わってくれたすべての人に感謝を伝えたいです。いつも見守ってくださり誠にありがとうございます。

 

我ながらこの間いろいろな人と出会い、別れの時間を共有できたように思います。過ぎ去ればすべては美しく儚い時間であり一瞬一瞬がすべてであり素敵な経験でした。そこでは病院勤務のときとは一味違う人たちとの出会いや治療が10年続いてきたわけですが、これらの時間を通してあらためて気づいたことやわかってきたことが積み重ねられてきており、わたしもスタッフも開院時よりもさまざまな点で少しは成長しているような気もします。しかしこれらはクリニックではなく地域でともに生きる人たちとの共有財産であり、今後も日々の診療を通して着実に積み重ねていきたいものです。

 

何よりうれしいのは、クリニック開院当初のスターティングスタッフ5人のうちいまも4人が元気でともに働けていることです。みんなそれぞれ当時より10歳年を取り、20代のスタッフは30代に、30代のスタッフは40代になりました。現在は新たに3人スタッフが増えていますが、これまた古参のスタッフと良い雰囲気で交わり働けています。いまが一番いいと自信を持って言える状態であり、来るべき15年後も同じことを言えるよう日々精進していきたいと思っています。

 

ともに10年を迎えた「そうごう薬局御薗宇店」も、常に必要最小限の薬物療法を目指すクリニックを温かく見守り支えてくれておりこれも感謝です。薬局長は10年のうちに4代めを数えていますが、ここでひとつ特筆すべきことがあります。初代薬局長の小西さんが薬局卒業後某公立大学医学部に入り直しなんとこの春に正式に医師になり研修生活に入りました。どんなお医者さんになるか今から楽しみですが、5月にはその彼を迎えてこの地で祝宴をやれることも望外の慶びであります。

 

そうは言ってもまだ10年。されど10年であります。この先もこころを探求する、長く曲がりくねり不透明な道が続いていきます。わたしはもちろんクリニックに携わる者がその路上で謙虚に精進し、来院される患者さんに対していつまでも誠実に親切に明るく接することができるクリニックでありたいものです。

 

安易にこの先10年頑張るなんと言ったら、来年にも終わるかもしれません。時代は着実に確実に変化しつつあり、我々もつねにそれらを敏感に感じ取りながら、来院された患者さんに対して、初心を喪うことなく適切な医療的ケアを施しつづけることを目指していきます。

 

なんだかんだ言いながらとりあえず15年の誕生日を笑顔で迎えることができるようまた少しずつ歩みを進めていきます。いろいろといまだ未熟な部分もありますが、11年目に歩み始めた四季の心クリニックを今後ともよろしくお願いいたします。

 

P.S. いつものことながら、支えてくださる人たちから今年はとくにありがたいお祝いの気持ちを多数頂きました。本当に本当にありがとうございます。ここで地域の人たちのためにこころの医療ケアを誠心誠意実行していくことでお礼に変えさせてください。個人的なレベルにおいてはついにコロナ騒ぎも5月には実質終結しますので、そうなったら飲みに行かせてくださいね。

 

*ちなみに今回の写真はクリニックから歩いて10分のところにある西条を流れる黒瀬川の土手の桜です。この土手もなかなか素敵な桜の散歩道に成長しています。最近ウォーキングを精力的にするようになりその際に撮ってきました。

 

2023年

3月

17日

シン・仮面ライダー

本作を令和5年3月、桜の便りがそろそろ届きそうな春の夜にT-Joy東広島1番シアターにて劇場体験してきました。

 

本作は「待望」という言葉がぴったりの庵野監督による「シン」シリーズの最新作です。わたしは庵野監督よりも半世代ほど下になりますが、石森章太郎先生による「仮面ライダー」のテレビ初放映が始まったときはちょうど小学生になったばかりの頃であり、それはもう衝撃をくらったまさに初期ライダーど真ん中の世代です。当時こどもたちのこころに大旋風を巻き起こし、社会問題にさえなった仮面ライダーカード(カルビーのスナックのおまけですが、おそらく40代以下の方にとってはそれなに?という代物ではないでしょうか)を遮二無二集めた過去もあり、当時幼かった小学生のこころを何故日常でのしんどさや苦難を忘れるほどあれほど鷲づかみにして熱狂させてもらったのか未だに謎であり、本作を観ることによってその答えが少しは解きほぐされるのでは・・との期待を抱いて映画館へ馳せ参じました。

 

なのでライダーについては何時間でも熱く語れるほどのかつてのファンであり、さまざまな想念が潜在意識の領域からマグマのように噴出してくる故思いつくまま書き連ねますので、以前のシン・エヴァンゲリオンについてのブログと同じように訳のわからないまとまりのない文章になってしまう恐れがあり、以下の文章は軽く読み飛ばすか、ご笑読するかされてくださいね。

 

さて庵野監督の「シン」シリーズのすべてに言えることなのですが、本作においても時代を越えて現代でも通用する舞台設定をしっかり導入しており、とくに悪の組織SHOCKERについてもそのロゴの複雑な言葉遊び(当てはめ)も含めて彼らなりの役割と目的を与えており、監督はいつものようによほど元作のことを読み込んだうえで、愛をこめて「シン」化させているのだと感じ、真っ暗な画面でニヤリとしてしまいました。

 

映画の冒頭でいきなりライダーの拳の打撃による激しいグロテスクな血が吹き飛ぶアクションシーンがあります。まさに「ライダーパンチ」です。このパンチにより敵の胸は張り裂け血が乱れ飛ぶ残酷なシーンに正直身震いします。ライダーってこんなだっけ?という想いも少し湧きます。しかし考えてみれば、ライダーの武器って「ライダーパンチ」か「ライダーキック」ぐらいしかないのです。素手で敵を打ち倒すにはこれほどの衝撃のある身体に改造されたということをグロテスクなシーンで再認識させようという監督の意図に早くもうんうん当然そうなるよな・・と納得です。

 

考えてみれば、放映当時はあまり意識しなかったのですが、仮面ライダーもショッカーも基本的に刀や拳銃などの外からの物質的武器を使わず、あくまでも自分の肉体に備わった能力のみで勝負しており、この素と素の身体のぶつかり合いがとても魅力だったのかもしれません。「漢と漢は武器など持たず、素手で勝負~」ってな感じです。これなら幼くてお金もなにも持たない小学生たちでも変身ポーズひとつでライダーになることができ、パンチやキックを繰り出すという「ライダーごっこ」に興じれたのもこういうわけだったのかもしれません。(その点、Xライダーではバトンのような武器を使用しており、そのころからわたしはライダーを徐々に卒業していったことに今回気づかされました)

 

唯一ライダーが使用する武器とも言えるのが「サイクロン号」と呼ばれるバイクなのですが、これは武器というよりは、ライダーとともに戦い、ときには助けてくれる仲間または下僕(しもべ)のような役割になっており、当時の高度成長期70年代の子供たちは共に居てくれるペットを飼うことに憧れていました(わたしもポチと名付けた犬を飼っていました)が、このしもべとのコラボレーション、助け合いもグッとくる要素でした。正義の味方の定番です。 わたしもライダーだけでなく「人造人間キカイダー」、「バビル2世」、「勇者ライディーン」などにならって、しもべとしてマイ自転車に「〇〇号」と名前を付けていたことをふと思い出しました。 後年中型バイクの免許を取得することになりますが、おそらくバイク乗りになったこともそうした影響を受けていたような気がします。

 

バイクというのは人間の独力では達成不可能なスピードでこころとからだを未知の世界へ誘ってくれる頼れる相棒であり、風を切って人馬一体となり風景をどんどん置いていく爽快さがスリルとともに素晴らしいのですが、その当然の結果として 「ふと気づけば相棒とひとりぼっち、人が訪れることもない岬の先・・」というような寂しさが常につきまといます。 本作はその寂しさや孤独感も本郷猛というキャラクターを通して表現されており、加えてトンネルでの爆走シーンが典型ですが、バイクのもたらす爽快感やスリルも画面いっぱいに余すことなく表現されており、仮面ライダーの一番の表の本質がしっかり押さえられていると思いました。

 

そして何と言ってもライダーの底を流れる隠れた魅力は人間世界の不条理です。本郷猛もある日突然気づいたらバッタと人間のあいの子に改造されているという不条理な体験を背負いながら、悪のショッカーと孤独に戦い続けていくのですが、本作では本郷自身はもちろん、敵のチョウオーグ(仮面ライダー零号)自身にも過去に目の前で親を喪うという強大な不条理があったという映画ならではエピソードを加えており、さすがは庵野監督でした。

 

本作で意外であり結構驚いたのはライダーシステムの科学的考証に「プラーナ」の概念を入れてきたことです。「プラーナ」は中村天風師は言うに及ばず、最近では秋山弁護士をはじめ「不食」成功者のみなさんが提唱したりもする、元々はヨガで唱えられている空気中に漂う生命エネルギーの源でもあり、現在我々のような医療に携わるものでさえ気になる生命の源となる概念なのですが、その「プラーナ」をライダーの強さの秘密に導入してくるとはいやはやなんとも現実と虚構の交錯に頭がクラクラしてきました。

 

一方でさすが庵野監督、「プラーナ」のことまでもよくご存知なんだな~という畏敬の念も本作を通して新たに感じたりもしてわたしも日々こころとからだの深い不透明な世界をこれからも探求していくという気持ちにさせられました。

 

本作中では、政府側の味方の苗字があの本郷猛をつねに見守り支援していた「おっちゃん」の「東郷」であったり、その後「仮面ライダーV3」に登場し「ライダーマン」に変身することになる「滝」であったり、人工AIの完成品としてやはり石森先生原作の「ロボット刑事K」も登場させていたり、ラストシーン山口県の角島大橋を滑走する2号ライダーのヘルメットが当時の少年ライダー隊のカラーリングにひっそりと変更になっていたり・・・などなど当時を体験していたファンの心をくすぐる隠し小ネタ満載だったのもオーそう来たか~と楽しませてもらいました。

 

以上ライダー映画ごときを観ていい大人が一体なにを言っているのだと言われるような内容であり、笑読していただければ幸いです。仕事の場では決して見せないわたしの一面です(笑)。それだけに、本作は庵野監督にしては、ライダーという作品に忠実なあまり、映画としては全般的に暗い内容になっており、爽快感やカタルシスも足りていません。わたしのように初期の暗いライダーがデフォルトであり、本来の姿である・・と認識している世代にはうけるかもしれませんが、平成以降の比較的明るいライダーの世界観に慣れている方たちにはあまりうけないのでは・・?とうい一抹の不安も感じたりはしました。

 

それでも仮面ライダーについては泉のようにさまざまな思い出があり、例えば、「仮面ライダー」がなぜ令和にまで延々と繋がるシリーズ化になったかという、2号ライダー誕生エピソード等々面白い逸話諸々満載なのですが、その話はいつかお酒を飲みながらの四方山話でさせてください。

 

最後に、仮面ライダーの魅力はその長い歴史ゆえ誰もが自分の体験したライダーを楽しく語れることではないでしょうか。 どんな大人になっても目をキラキラさせながら自分の好きだったものやを語れる大人になりたいものです。 さすがに本作の展開であれば、庵野監督による「シン・仮面ライダー」の続編はないでしょうが、この先の時代、日本が続く限り仮面ライダーは永遠であり続けるはずであり、仮面ライダーのようなヒーローたちに励まされながら、幼きこころを育て現在も正義を愛する大人になってしまったわたしもショッカーを倒すほどのプラーナ・パワーはないものの、地域の皆さんのお役に少しはたてるよう日々プラーナを増やすべく精進することをこころに秘めて映画館を後にしました。

 

石森先生、庵野監督、作品に携わった多くの方々に「ありがとう」を言わせてください。日本のこどもとして昭和の時代に少年時代を送らせてもらったわたしは本当に幸運でした。

 

P.S.庵野監督、こうなれば実現困難なのは重々承知ですが、「シン・マジンガーZ」もしくは「シン・ゲッターロボ」制作の検討をよろしくお願いいたします。楽しみにしております。

 

2023年

1月

03日

令和5年を迎えて

明けましておめでとうございます。

 

令和もはや5年めを迎えました。クリニックも本年4月で満10年を迎えます。この間、地域のさまざまな方々とこころの医療を通して触れあい、ともに生きてこれてきたように感じています。この日々のさまざまな出会いと季節の移り変わりには感謝しかありません。

 

ちなみに今年の年末年始は「クリスマス寒波に負けない正月寒波がやってくる」との天気予報(見事にはずれましたが)もあり、スタッドレスタイヤ(オールシーズンタイヤではあります)でない自家用車のことも考慮して、2年ぶりに帰省なしの元旦を淡々と迎えました。 昨年の伊勢湾台風並みの台風の襲来との予報も見事にはずれましたが、この頃の予報や観測は常に悪い面を強調しすぎており、今回もまたまたそれに翻弄された形となってしまいました。

 

地域を越えて日本全体のころを思うと、この3年間は残念ながらコロナ騒動に振り回されつづけた我が国ですが、ワールドカップなどのマスクなしの熱狂からも明らかなように世界の大部分においては昨年じゅうにすでにコロナのトンネルを脱け出したようです。そして我が日本でも世界からは大きく遅れながらもついに出口がほのかに見えてきたようで、春にはすっきりマスクのない笑顔で皆さんと触れ合い語り合えそうな予感です。

 

そんなこんなで今年も明るく元気で前向きなスタッフとともに微力ながらこころの医療を通して地域の皆さんの力になれるよう精進努力していく所存ですので、四季の心クリニックともどもご愛顧のほどよろしくお願いいたします。

 

本年もよろしくお願いいたします。

 

2022年

12月

24日

THE FIRST SLUM DUNK

暮もいよいよ押し迫った休日の昼に本作をT-Joy東広島にて鑑賞してきました。 日本スポーツ漫画史上5本の傑作に入る原作漫画を基に、原作者井上雄彦さん自身が監督を担った作品であり、かつてテレビアニメ化された本作ですが、ややつなない作画であり、根強いファンからするともっと素晴らしい作品にできるはずなのにという想いを募らせていただけに、今回の井上監督自身による作画、映画化はそういった面での不満を吹き飛ばすどころか、さらなる飛躍が期待できそうであり、かなり期待しての鑑賞になりました。

 

冒頭の登場人物らが登場するシーンからして、監督自らがペンをとった線であることはほぼ明らかであり、バスケットの試合を本当に観ているかのような錯覚にとらわれるほど描きこまれており、まずは作画に大満足。 

 

さらに物語の内容そのものも,漫画での最終戦となる山王工業戦を縦軸に、宮城リョータの生い立ちとバスケットに懸ける秘めた想いを横軸に、念入りに編み込まれたタペストリーのような作品として原作を基にしながらさらに広く深い新たな世界が表現されており、全編にわたって、「さすが井上雄彦だな~」と嬉しさとともに嘆息が出るほど素晴らしい作品でした。

 

本作については、巷でも指摘されているように(わたしは同じ漫画やスポーツ好きの親友から指摘を受けました)、スポーツ漫画のもうひとつの名作ドカベン31巻(複数の登場人物の少年時代の逸話をすべて収録したこともあり31巻のみ異様にぶ厚い本となっていました)の影響があるようです。山田、里中らが新2年生の春の甲子園での土佐丸戦での、山田、里中、岩城、殿馬らの明らかにされる過去の逸話が挿入されながら、これまでで最強のライバル犬神と対峙しながら進行していく決勝戦。そして最後に殿馬の秘打「別れ」による勝利。今回のリョータの逸話をはさみながらの物語の進行はまさにドカベン31巻を踏襲するかのようにシンクロしており、まるでドカベンへのオマージュとなっているようです。

 

どうやら井上雄彦さん自身も「ドカベンを読んだことが漫画家を志すきっかけになった」と語っておられるほどドカベンファンであり、またそのなかでも分厚い31巻に対する思い入れが強いようです。そういえば原作コミック「スラムダンク」の最終巻はなんと31巻でした。

 

わたしも個人的に「ドカベン」をリアルタイムに読んでスポーツの素晴らしさに目覚めた世代であり、これはうれしい発見でした。また「ドカベン」もアニメ化に関しては線の細い貧弱な作画が残念であったアニメ作品であり、できれば亡き水島新司先生の遺志を継ぎ、どなたかが(井上雄彦先生なら最高です)再度迫力あるアニメ作品としてリメイク(もちろん春の土佐丸戦も良いのですが、いわき東高校戦なども物語としては泣けます)してほしいなんていう叶わぬ夢を本作を観てこころに描いたりしました。

 

また本作品ではまだまだリョータの逸話しか挿入されておらず、ドカベン31巻での多数の登場人物の逸話には数としては遠く及ばずであり、一ファンとして今後、桜木はもちろんゴリさん、流川、仙道、メガネくんらの逸話をサイドに挿入しながら、さらなる「THE SECOND SLUM DUNK」「THE THIRD ・・」といった感じで新作映画版を期待したいものですが、これはさすがに儚い夢ということにしておきましょう(笑)。