いねむり先生

今回、初めてブログで本の話題をとりあげてみることにしました。わたしもみなさんと同じように仕事以外のこころの拠りどころとして、映画や読書、スポーツ観戦、美術展めぐり、音楽会鑑賞、おいしいもの食べ歩きなどの世界にこころとからだをあそばせることで、日ごろのストレスをためないようにしています。そのなかで映画感想はこのブログの主題といえるほど展開していたのですが、これからは徐々にこのブログでも映画以外の活動を反映して話題の幅を広げていきたいと思いますのでよろしくお願いします。ご笑読していただければさいわいです。

ちなみに映画については、しっかり自分のスケジュールを上映時間に合わせる手間もあり、クリニック開業後はずいぶん鑑賞本数が減ってしまいました。勤務医のころ映画館での鑑賞が年間100本に迫ることがあっただけに、これはさびしい限りなのですが、逆にいえば本数が限られるのを逆手にとりクリニック開業後に観た映画についてはすべてこのブログに乗せようと頑張ってきました。

読書については、そういう意味では細切れ時間で常時並行して10冊ほどは読んでいる濫読人間なので、映画のように読んだものを全冊紹介するというわけにはいきませんが、本好きとしてこれは素晴らしいな~と感じた本のみ紹介していこうと思っています。

さて晴れの第一作は伊集院静作「いねむり先生」です。これはある人からすすめられ半年前に買ってはいたもの、積読状態となっているのを先日ふと何を思ったか仕事が終わった後の秋の夜長に読み始め、あまりのおもしろさに3日ほどで一気に読んでしまった作品です。わたしが購入した時分にはドラマ化、マンガ化もされた直後だったため一時期どの書店にも平積みとなっていましたので読まれた方も多いと思います。本作は伊集院氏が2番目の妻であった夏目雅子と死に別れ絶望の末にふぬけ状態であった時期に、ある先生(いねむり先生こと色川武大、またの名を阿佐田哲也)と出会い、その潜在的な魂の類似性の共鳴(シンクロニシティ)により、ともに全国を賭博行脚しながら、徐々に再生していく物語です。この主題を軸に先生の奇矯な行動ややさしい心配りやナイーブさが、抒情に走り過ぎず、豊かな想いに対して適切な距離をとり、一見淡々としていながら、先生への熱い友情と深い尊崇の念が糸のごとく折り合う素晴らしい筆致で表現されています。物語はロードムービー的構成となっており、わたしの故郷・愛知県の繊維街である一宮の古びた町(わたしも小学校のころ古いマンガ本を探しに自転車で足しげく通った街です)やかつて訪れた懐かしい松山や青森などを舞台に賭博と食道楽、ときどき仕事に興じながら、絶望した魂が再生していくのを読み進めることはわくわくするような悦楽です。またこの先生のような生き方・・・。賭博や旅や大食漢やいねむりや文学や精神の狂気などさまざまな要素が危うさを伴いながら、綱渡りのような絶妙なバランスで絡み合っていく人生。そんな人生が実際にほんの数年前に現実に存在したという事実は「自由な生き方は百通りだってある」というあの浜田省吾的テーゼを日々の多忙な生活で忘れそうになるわたしには克を入れられるとともに勇気を与えられ、この点が一番この作品を紹介したいと思った動機になりました。あと50ページぐらいになったときにはあと500ページぐらい続かないかな~と思ったほどの作品でした。わたしも精神のバランスという点ぐらいには自信を持っているので、いつか医者という立場にこだわらず、こんな危ない綱渡りの世界に身を投じてみたい・・なんて思ったりしましたよ。おすすめの作品なので、よかったらぜひに。

P.S. この後、わたしは色川武大さんの作品「怪しい来客簿」「離婚」「百」「生家へ」「狂人日記」などを大人買いし、読み進めています。ちょっとしたマイブームといえます(笑)。