映画 妖怪ウォッチ誕生の秘密だニャン

年末慌ただしいなか、いま話題の「妖怪ウォッチ」を観てきました。ゲラゲラ・ポーッです。子どもたちのこころ鷲づかみ。いまやテレビのCMでも見ない日はない、10年に一度と言われる、久々の大型ヒットコンテンツの映画版です。わたしもやはりこれは早めに修行せねば・・と思い、封切間近のクリニックの休日、T-Joy東広島1番シアターに馳せ参じました。子どもにダークニャン・メダルプレゼントというのも大きいようで、映画館入口は子どもたちでごった返しています。あまりの人気に当日の座席はほとんど前列一列目か二列目しか残っていないという状況で、わたしも公開初日のその状況を察知して、鑑賞前日までに子どもとほどよい座席を予約しての鑑賞となりました。

なんとか鑑賞を終え、まず印象に残ったのは音響でした。大音響の連続技で、あまりの音の激しさにわたしの脆弱な自律神経はそれを遮断しようと動いたのか、皮肉にも眠くなってしまうほどの迫力でした。アニメーションに比べて、音響や音楽が圧倒的なのです。話そのものはシンプルなもので、主人公が祖先(おじいちゃん)とともに、かつてのケマモト村(もちろん熊本県のメタファー)にタイムスリップし、悪巧みを図る一部の妖怪(おばあちゃんたち)を協力して倒すというものです。いたるところで、くまモンを始めとした有名キャラのパロディを散りばめてさまざまな妖怪が活躍します。作品そのものがパロディやギャグ満載で、マスターニャーダが「フォースを使うのじゃ~」といったら、当然わたしのようなおじさんには「おっ、スターウォーズのフォースね」と思ったら、水道ホース(フォース)を使ったり・・といったずっこけギャグ満載なのですが、おそらくそんな製作者の細かな配慮は子どもたちにはまったく関係なく、じばにゃん、フユニャンを始めとしたさまざまな妖怪の活躍そのものが子どもたちには圧倒的に面白く、大人はそこかしこに散りばめられたパロディやギャグを楽しむという二重構造ができているような気がしました。わたしだって、こどもの頃楽しんだ「妖怪げげげの鬼太郎」にしてもそこに潜む社会批判などは感じず、単純に鬼太郎と妖怪そのものの活躍を楽しんでいたわけで、歴史は繰り返すわけです。

本作を観て最終的に感じたことは、妖怪ウォッチという作品において、映画はその劇中世界を補完する一部であり、テレビアニメーションや漫画、3DS、メダルやウォッチ等の玩具(わたしも幼少時代には仮面ライダーカードの収集には熱狂したものです)、音楽といった要素も同時に複合的に楽しんで、初めてその醍醐味がダイナミックに把握でき、楽しめるコンテンツなんだろうな~と感じながら、じばにゃんやフユニャンって文句なくかわいいし、こんな総合コンテンツを同時に楽しめるいまの子どもってなかなか素敵だな~と感じながら、年の瀬の人がごった返すフジグラン東広島を背に帰路に着きました。