インサイド・ヘッド

今夜は映画修行をしようと決めた夜に本作の上映時間がちょうど都合がよかった作品のうち、本作を選んで観てきました。

なんでも「カールじいさんの空飛ぶ家」の監督が手掛けたピクサーの新作だとか。「カールじいさん」はなかなかの傑作だったので、今作もそれなりの期待をもって修行に入りました。


さて作品ですが、ライリーという11才のアメリカの女の子が、お父さんの仕事の都合で、故郷のミネソタからサンフランシスコへ引っ越しとなり、仲の良かった友達と別れ、新たな学校や級友との出会いという外界の激変状態に陥ります。それに合わせて脳内の5つの感情を5人のキャラクターととらえ、脳内でドタバタ劇が展開し、外界と脳内世界との物語が同時並行に進んでいく物語です。

こう書くと、わたしの敬愛する村上春樹さんの「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」的世界のようですが、もちろんアニメですから、物語そのものはもっと単純です。


「喜び」、「哀しみ」、「怒り」、「ビビり(恐れ)」、「ムカムカ(嫌悪)」という感情を代表する5人のキャラクターが頭のなかの司令塔に陣取り、外界での出来事に合わせて、島という人格を作りながら、成長していき現実と折り合っていくのです。

慣れた環境を離れて、見知らぬ世界に移るということは11才の女の子にはとてもストレスが大きく、これまでのようにはいかず、大きな成長が要求されます。それに合わせて脳内でも、成長の前兆として、「喜び」と「哀しみ」が脳の司令塔から落っこち、「喜び」と「哀しみ」のふたりが脳の司令塔に何とか戻ろうとする形であたまのなかの物語は進行していきます。

観客にはいつもネガティブにふるまうブルーな「哀しみ」にじれったいという想いが当然出てくるのですが、実は「哀しみ」がいなければ「喜び」だって生まれないということがわかっていくという、とても教訓的な展開になり、物語はライリーの人間的な成長で幕を迎えます。


日頃、みなさんのこころと向き合っている心療内科医からすると、この物語を観れば、感情を客観的に捉える、いいレッスンになるな~と感じました。日々の診療では、感情(気分)が不安定な状態となった方を診察する機会が多いのですが、病に陥りかけている人というのは、感情の不安定さがそのまま生活や人生に直接結びついて、まるで世界がすべて悲観的に見えてしまい、世界は感情がすべてで、感情に人の存在自体が支配されているような状態になってしまいがちです。


でも実は、感情や気分というのは、人間の存在全体からみれば、その一部分にすぎなくて、感情は所詮、人間全体からみれば下僕もしくはパーツであり、支配されるものではなくて支配する種のもので、気分的には落ち込んでいても、意志の力を利用して行動や表情を明るくし、笑顔で人と接することはできるし、そうすれば気分も明るい言動についてきやすく好転することもあったりするのです。

本作が感情(気分)という怪物を飼い馴らすいいきっかけになればこんな素敵なことはないと感じてしまったわたしでした。

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コメント: 4
  • #1

    tomiyasu motoharu (水曜日, 24 2月 2016 09:45)

    かなしみよ、こんにちわとかかなしみよ、さようならとかいうセリフがありましたが、感情は友だちのようにわたしは感じております。なかまですかね。
    かなしいときは、かなしみよ、こんにちは
    癒えてきたときには

    かなしみよ、さようなら

  • #2

    Darlene Ogilvie (木曜日, 02 2月 2017)


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  • #3

    Devorah Oates (金曜日, 03 2月 2017 14:32)


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  • #4

    Daniele Sinner (土曜日, 04 2月 2017 04:47)


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