グラスホッパー

封切間近に本作をT-Joy東広島にて観てきました。前のブログにも書きましたが、現代を代表する作家ふたりの映画バトルというのは大げさかもしれませんが、ちょうどいいタイミングの鑑賞になりました。


グラスホッパーというのは殿様バッタという意味で、「殿様バッタはあまりにもごみごみした密集のなかで育つと体が黒くなる」という性質をモチーフに、人間を虫に例えて、人が密集して生きる東京には心も体も黒くなったバッタのような人間が社会の裏側に蠢き生きており、そんな悪人たちが繰り広げる物語。


映画自体は平凡な中学校の理科教師であった生田斗真演ずる「鈴木」が、ハロウィンの夜の婚約者の不幸な死をきっかけにそんな闇社会に引きずられ、命を狙われるはめに陥り、逃げて逃げて逃げまくりながら、結果的に裏社会のドンを破滅に追いやり、恋人の仇をうつという展開を軸に、自殺や「鯨」とナイフ使い「蝉」との運命的な対決がからみ、スピード感豊かに映像が展開されていきます。「鯨」と「蝉」の活躍を大画面で堪能できるのは、映画的悦楽を十分に満たしており、わたしもドキドキハラハラする時間をしっかり過ごさせてもらいました。


東野圭吾さんの「天空の蜂」と比べると、東野作品は社会的かつ情緒的で物語を味わったあとに少し考えさせられたり、ほろりとする部分はあるのですが、伊坂さんの本作はいつものとおり情緒や社会性などくそくらえで、不条理な動機、異常な能力をもつ登場人物たちがナンセンスに縦横無尽に活躍し、まさに伊坂作品の面目躍如の作品になっていました。これは「鴨とアヒルのコインロッカー」「フィッシュストーリー」の時代からまったく変わっておらず、本作は間違いなく伊坂印の作品です。


映画の物語的にはなかなか親切な展開で、主人公「鈴木」の動静が何者かにじつは操られているというムードを劇中しっかり漂わせながら、最後にしっかりそのことを登場人物に解説させるというのは、ややベタな展開かな?と思ったりしました。


こうしたナンセンスストーリーに因果性を求めてはいけないのでしょうが、最後のエピソードとして提示される、「恋人が死をもって助けていた子どもが実はもうひとつの闇社会の家族の一員だった」というのは映像でみると、うーん・・??この偶然はちょっとできすぎなのでは?と思ったりしました。いずれにせよ、映像的にスピード感あふれ、一瞬一瞬にドキドキするような物語を、しっかり文章として表現できる伊坂幸太郎という作家の筆力はたいしたものだな~と感嘆し、原作小説を読んでみたくなったりもしました。


そしておそらく本作の隠れたテーマ「人はあまりに密集して生きると黒くなってしまうから田舎に住むことも悪くないよ・・」。

作者の伊坂さんは仙台在住の方ですが、わたしも田園都市であるここ東広島に住んでいますが、人と人との空間がゆったりあり、自然に恵まれている環境というのは普段の生活の場としては適切だと思ったりしており、このテーマには共感を覚えます。しかし一方で、密集した都会も刺激的で、人が密集していないと存在できない生業や輝きが確かにそこにはあり、ときどきは蛾のようにそこに魅かれて往来している自分(来週も友達に会いに上京する予定だったりします)もいたりして、人生というのはそれらのバランスがとても重要なのかな・・と感じつつ季節が過ぎていく今日この頃です。


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コメント: 1
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    tomiyasu motoharu (月曜日, 07 3月 2016 08:50)

    最近のわかいひとの過疎地域への移住をたのしく感じております。
    さとり世代のひとたってなかなかやるじゃんという思いがします。
    イケダハヤトのブログ塾というのもおもしろく拝見しています。
    ごみごみして、うごめく世界のほうがわたしにはあこがれます。雑居というのがすきです。いまでも居候の身でして。これがなかなかいいもんです。