桜小学校クラス会

11月3日、名古屋市内のホテルにおいて、わが母校桜小学校の同窓会に行ってきました。

 

このブログにも以前に書きましたが、2年ほど前に広大医学部の同窓会に参加して以来の同窓会です。以前書きましたように大学同窓会は久々に会ってもあまり容貌や境遇に変化なく驚きという点ではやや面白みに欠ける面があるのですが、その点小学校時代の同級生はさまざまな異なる人生を送っており、驚きの変化や成長を遂げている級友もいてとても刺激になり、5年に一度の開催なのですが、今年の最大級のビッグイベントと言えるぐらい楽しみにしていた会です。

 

当日は正午から始まって、一次会、二次会と順調に進み、三次会では仲のいい野郎のみ6人となり、名駅の地下街にある名古屋人のソウルフードである寿がきやラーメンを食べて、それから近鉄に乗ってわが故郷・弥富に戻って、我々にとっては母なる河川である木曽川のほとりで、川の流れと近鉄とJRが並行して走る電車の列と木曽川にかかる鉄橋が奏でるあの耳に慣れたガタンゴトンガタンゴトン・・・・という独特の金属音を酒の肴に、小学校時代から途切れることなく付き合っている竹馬の友ふたりと三人でワインとチーズ片手に堤防をテーブル代わりに尾張大橋を眺めながらの4次会(写真がその会場です)と相成りました。ここでの歓談にも飽き足らず、地元にある居酒屋「昭和食堂」に繰り出し5次会を行い、散会したころには日付を超えていました。

 

ここまでほぼ12時間かかっており、さぞ堪能したと思われるでしょうが、わたしにとってはあっという間であり、参加していた50人弱の同級生たちの数人としか話もできなかったことに加えて、小学校時代のマドンナであった女の子とはなんと一言も言葉を交わすこともなく終わってしまい、これでまた5年後か~という感慨が残るものになりました。

 

しかし一方では、前回、前々回と違い、温かい満足感もあります。会話は交わさなくても元気な顔を拝めただけでも十分で、今属する世界は想像を絶するほど互いに異なっているはずで、その穴埋めというかお互いの境遇の理解は5年ぶりの短い時間の会話ぐらいではできるはずもないこともこころの片隅では承知しており、小学校の同窓会も3回めとなり(恥ずかしながら、一回目の同窓会ではそうした時間の壁や境遇の違いなんぞ会って顔を突き合せれば軽く乗り越えられるぐらいの幻想を持っていました)、そういう同級生らとの距離感みたいなものが定着というか現存していることを是非もなく実感しました。

 

実は参加する前は、現在、仕事的にクリニックの受付スタッフふたりがほぼ同時に産休に入ったりして、総替えという状態でありなにかと事務的な次元で調整や苦労が多いことなど・・そんな日頃の仕事の話もうだうだできたら・・・なんて思っていましたが、そもそも医療関係に属している級友もほんの数人であり、そんな世界には興味のないのが当たり前であり、そうした話はのどの奥深くにひっそりと飲み込みました。

 

いずれにせよ、この故郷のなかで同級生らとの迎合を通して、幼かったわたしは運よく道を大きく踏み外さず育ち、それなりの成長もして、さまざまな時間と経験と紆余曲折を経ながら今の場所に辿り着いているわけで、木曽川の流れや故郷弥富の金魚池(いまはそれらはずいぶん住宅地に変わりはてましたが)が多い、見通しが良い水郷の風景は常に心の底にあり、広島にいてもアイデンティティはかの地にあり、そこで出会った級友たちには今も感謝の気持ちしかありません。

 

そんなこんなでさまざまな想いを抱えながら、名残惜しくも、翌朝にはとんぼ返りで自家用車で広島に戻り、また翌日からこの東広島の地で日々の診療に全力を尽くしていく道がわたしには続いています。同窓会でのかつての級友たちの笑顔や姿はわたしにとっては心の栄養・・というか光のきらめくプリズム・・・のようなものであり、今後もその光の粒を胸に秘めながら、いま目の前に続くこの道を駆け抜けていく決意を新たにさせてもらいました。5年後も楽しみです。

 

P.S.束の間のセンチメンタルジャーニーを5年ぶりに経験したばかりなのですが、いつか同窓会という立派な会でなく、ざっくばらんな飲み会を地元で気の置けない小学校の級友らとしたいものです。