新解釈・三國志

いよいよ暮も押し迫った冷え込む夜に、T-Joy東広島にて本作を修行してきました。

 

三國志と言えば、わたしも少年の頃、原典そのものでないのですが、吉川英治版で、その壮大な人の営み、絆、世界の広さと温かさと残酷さ、無常さに酔いしれ、読書の楽しみを教わった記憶があります。本作でも取り上げられた赤壁の戦い周辺はその三國志の世界のなかでも大きなクライマックスのシーンと言えます。

 

魏軍80万人 VS 呉・蜀連合軍3万人。こんな圧倒的な兵力差がどのようにひっくり返されたのか、新解釈を楽しみにしての鑑賞となりました。

 

観終わって感じたことは、とても笑わせてもらいました。本作の売りである、登場人物らの新たな人間像の構築は、「そう来たか~」という感じで確かに斬新に感じました。そのなかでも本作で表現された劉備の無責任ぶりと臆病さ、情けなさはすこぶる出色です。

 

当時三國志を読んでいた際も、劉備玄徳に対する素朴な疑問は常につきまとっていましたからです。とくに彼の出自に関して、あの漢帝国を築いた劉邦の末裔という自己脚色は本当かな?という疑念を越えて、たぶんはったり?とも感じられ、かなり胡散臭く感じたものでした。戦にての彼本人の弱さも特筆すべきで、英雄というよりはその愛嬌やキャラクター(もちろんそれも素晴らしい才能ですが)で老若男女から愛される大酒飲みのあんちゃんだったのではないか?とよく思ったものです。それが大画面いっぱいに表現されているのですから、観ていて痛快でした。

 

関羽ら部下の武将に関しては関羽をはじめそれほど大きな改変はなかったです。かろうじて趙雲が義に生きるという面もありながら、実はナルシスト(自己陶酔型人間)であったのでは?というところですが、その可能性は十分あります。

 

また諸葛孔明に関しては度肝を抜かれるほど思い切った改変です。聡明な妻が実はブレインで、はったりだけはあるものの無策で知恵もない孔明。なんと彼は困ったら、妻からアイデアを聞きそれを自分のアイデアであるかのように実行していたというくだりは、さすがにやりすぎかな~という感じはありました(汗)。孔明に関しては、以前から中国出身でない異人説も有力(もちろん呂布もですが)であり、そちらからの切り口でも面白かったのでは?なんて思ったりもしました。

 

そして赤壁の戦いです。周瑜の孔明への意地悪に端を発した10万本の矢獲得作戦は霧のなかの映像も幻想的で、映画ならでは大きな仕掛けで鮮やかに表現されていました。また勝敗の決め手ともなった、赤壁の戦いでは絶対に外すことができないであろう重要な「連環の計」も表現されていましたが、そのアイデアの源泉であり、伝達役も担った龐統(当時のわたしにとって孔明より推しメンでした)の存在と、計を見破りながらあえて見逃がした曹操軍側の徐庶の劇的エピソードは省かれていました。ここはシリアスな場面であり、あまり奇抜な変革はしにくかったのか、表現するには上映時間が足りなかったのか、個人的には少し残念なところでした。

 

それにしても主役の大泉洋。素晴らしかったです。コミカルでもありながらも同時に真面目な役を演じられる二面性を持つ深みのある役者に成長しつつあります。「探偵はBarにいる」でもそれらは十分発揮されているのですが、情けなくも人望のある劉備玄徳をしっかり演じ切っていました。彼がいるだけで、場を温かくリラックスさせる空気が醸成されているような気さえします。友達になりたくなるようなチャーミングさです。

 

いろいろ思うままに綴りましたが、なんやかんや言って面白く、味わい深く鑑賞させてもらいました。数年前に中国で制作された「レッドクリフ(赤壁)」よりもエンターテイメントとしては出来がいいのではないでしょうか?

 

本作の続編として、赤壁後の魏呉蜀による三国時代の完成を続編として描いてもらいたい気もしますが、関羽が死んだり、劉備も死んだりと悲劇的側面がかなり出てくるので、さすがにコミカルに描くのは至難の業であり、難しいかもしれませんね。