ドライブマイカー

遅まきながら、アカデミー賞外国作品ならびに脚本賞を受賞した本作をT-Joy東広島にて鑑賞してきました。さすがにもう一日一回上映となっており、いつ上映終了になるかわからない不安ななかでなんとか間に合いました。

 

以前のブログで書いたように、わたしは大の村上春樹好きであり、初期三部作の頃からもう30年以上もの間、発表された全作品を購入し読んでいる身であり、本作も映画館で見ないわけにはいかないという作品でありました。

 

何と言っても本作は3時間の長尺であり、仕事のある平日の鑑賞はなかなか難しく休日しか選択がないわけなのですが、休日もいろいろとやるべきことが入ったりしていたのです。本作を通して日々の生活のなかで3時間を確保することが意外に難しいことを痛感しました。

 

しかし観終わってまず思ったことは3時間があっという間でまったく長く感じなかったということです。しかもおそらく終映間近にもかかわらず、映画館には若い方から年配の方まで幅広く多くの観客が詰めかけ、平日の昼間というのに8割もの席が埋まっていたことにうれしい驚きにこころが包まれました。

 

さて作品ですが、何と言ってもまず最初の興味は、原作は「女のいない男たち」という短編連作集のなかのたった60ページ足らずの小品であり、それをどうやって3時間もある長尺の映画に拡大し表現できたのだろうかというものでしたが、上映が始まりすぐにその謎は解明されました。

 

本作は、連作集のなかにある「シェラザード」や「木野」からの引用、いやいやそれだけでなく、村上春樹作品全作からの引用やオマージュに満ち溢れていました。つまり濱口監督は、村上ワールドを壊さない程度に自身の想像力の翼で物語を改変&脚色し、原作から近からず遠からずという具合に、脚本や物語の構成を大胆に創作したのだということが、映画前半のなかの、主人公の妻である家福音による「空き巣する女子高生の話」をベッドのなかで物語るシーンからだけでもすぐに判明しました。

 

妻の浮気を知りながら知らぬふりをしそのこころの暗闇を最後まで知らされずに妻を喪った中年男の家福。母親からほぼ虐待と言えるような育てられ方のなかで、それ故に自動車の運転が巧みになり、事故をきっかけに故郷と母親を捨てて広島に流れてきた23歳(家福夫妻の亡くなった娘さんが生きていれば23歳という設定)のみさき。

 

ふたりの魂がSAAB900という北欧生まれの車をドライブするという行為を通して交流し、短くて長い時の旅を経て喪われたものに対する理解と共鳴を得ていきます。それだけで十分素晴らしい物語となっているのですが、一方の主人公のみさきはさらなる旅に出て行き着いた先は・・・という作品でした。原作はあくまでも家福が主人公なのですが、映画ではふたりが主人公(ラストを重くとらえると、みさきの魂の浄化と飛翔の物語?)と言えそうな作品でした。

 

本作はすべての村上作品がそうであるように、その世界を感じた人それぞれのこころのなかで万華鏡のごとく様々な光の波紋を描くように、印象的なセリフ、間、光と影、情景、音(劇中に気づくと流れているベートーベンのリリシズム溢れるピアノの音色は特に印象的でした)が散りばめてあり、それらが物語全体をゆっくりと重くテーマを暗示しながらこころの底層を流れる和音となっています。このことが音と映像で表現する映画である本作の一番の魅力だと思われました。

 

百者百通りの語り口が作れる本作ですが、最後の最期、主人公(みさき)がラストに行き着いた場所は村上原作にはまったくなく、これは完全に濱口監督の創作であり、もっとも賛否が分かれるところだとは思います。

 

ここでないどこかを探し求めた結果、日本ではないもっと広く大きな大陸にたどり着いたと解釈してもいいし、劇中で触れた温かい魂を持つ人々の出身の地にたどり着いたという考えもあるし、家福との旅を通して心の中で再び迎合できた母親の故郷がもしやそこであり、母親の魂を追い求めた結果という考えもあってもいいし、観る者の裁量に任される部分だとは思います。

 

そんなこんなでいい映画は人のこころに共鳴し、人それぞれに異なるさまざまな素敵な響きを奏でるわけで、そういった点で本作は文句なしの傑作でありました。これまでの村上春樹原作の映画のなかでは最もその本質に近づいた作品と言っても過言ではないような気がします。もちろん現時点で・・・ですが。

 

あと広島県民として特筆すべきは、ほぼ50%はよく見慣れた広島の風景で撮影がなされたということです。わが街東広島市が誇るまだ若い劇場「くらら」で劇中劇「ワーニャ伯父さん」のシーンは撮影され、学生時代の下宿(千田町)から1キロほどの南西にある広島市中区の「吉島のゴミ処理センター」とその海岸公園、同じく500mほど北西にある平和公園の「広島国際会議場」、県民の浜での毎年の海水浴の際必ず渡る蒲刈の「安芸灘大橋」、その先にある大崎下島は御手洗地区の宿「閑月庵」、広島湾に浮かぶ流麗でネオンの夜景が美しい海田大橋やクレアラインなどの架橋群など挙げだしたらきりがないほどの広島盛りだくさんでこの点でも大満足と言えるものがありました。

 

最後に、村上春樹作品のなかには常に「死は常に生と隣り合わせであり、人と人は生きるための道具を使ってなんとか交わることはできるけれど、本当に理解しあうことは不可能であり、世界はそういった魂たちのやるせない哀しみに満ち溢れているのだ・・・」というテーマがあります。

本作のテーマはこの村上作品のテーマと同心円を描いており、なかなか大きいものがあり、これからもまたわたしの小さなこころをときどき占拠しそうな予感がもう今からしていますが、映画館で観れてよかったと思える作品になりました。