死刑に至る病

本作を春の終わりの夜更けにT-Joy東広島にて鑑賞してきました。

この世の中の人間の狂気、凶悪さを映像で表現させたら、おそらく現在日本一であろう白石和彌監督の最新作です。

 

いやはや本作においても残酷で狂気に溢れた世界がこれでもかというほど開示されておりましたが、白石監督もメジャーになってきており、残酷無比な実際の主人公による子供たちへの虐殺拷問という残虐シーンを冷酷にありのまま表現することはかなり抑制されており、こんな怖い人物が現実にいるかもしれないというあくまで観る者の想像力を刺激する形での表現であり、映像としては少しずつマイルドになってきているのかな?と少し安心?しての修行となりました。

 

こころの医者として本作を観て感じたのは、阿部サダヲ演ずる犯人の心性です。幼いころから、乳児院に入れられ、そこで虐待されるような生い立ちを経て、育っていくなかで、どうしようもなく肥大化してしまった「他者への操作性」のことです。この操作性の究極の形が誘拐、殺害という形となるのでしょうが、それらの凶悪さが画面いっぱいに繰り広げられるのですが、日常の診療でも人が抱える大きなストレス要因の主な原因は対人関係であり、その関係のなかでも他者をどうしても操ろうとする操作性が大きな問題となることがよくあるのです。

 

この他者への操作性という欲望から人は離れて、自分の仕事と他者の仕事を区別し、人の仕事には立ち入らずに生きていくということが対人ストレスを貯めない重要な方策のひとつなのですが、本作の主人公は他者への操作性に執着し、その終わりなき救われない営みにより、人に自らの価値や存在感を他者に知らしめることでしか自己の存在の実感を得られないという無限ループに陥っており、ラストシーンでそのことを監督はダメを押すように告げており、最後にがつーんと頭を殴られる、白石監督らしいひとひねりのある作品でした。作品全体としては、本主人公が人生を原因論的に捉えすぎているような印象を受けましたが、人生の不条理が画面いっぱいに大きく展開されていました。

 

結局、マイルドどころか、深いところでさらに白石監督の作品世界はますます凶悪で先鋭的になっているのかもしれません。さあ白石監督、次はどう来るかな~なんて考えながら、夏が近づきつつある春の終わりの気配漂うなか、夜の街を駆け抜け帰宅の途に就きました。