シン・ウルトラマン

梅雨が近づきつつある夜の帳のなか、本作をわが街の映画館T-Joy東広島にて鑑賞してきました。

 

ただし今回のブログはシン・エヴァンゲリオンの回と同様狭く深い話になってしまっており、ウルトラマンを当時のテレビ放映で経験していない方にとっては、まったく何のことを話しているのだろう?という内容になっており、スルーしてやってください。いずれにせよ幼い頃にウルトラマンや仮面ライダーといったヒーロー物語の洗礼を受けた世代のひとりの戯れ言です。

 

言わずと知れた庵野秀明監督プロデュース(本作では監督はしていません)による、シン・ゴジラ、シン・エヴァンゲリオンに続く「シン」シリーズ3作目。シン・ゴジラでは、ゴジラが主役であるものの、それに対抗する自衛隊や政府のシステムを独特の音響を交えながら、科学的考証を基にかなりリアルに活写されており、観ていて「そう来たか~」としびれるほどの作品になっていました。さらに庵野監督自身、漫画「アオイホノオ」(庵野監督の大阪芸大時代に同級生だった漫画家島本和彦さんが当時をリアルに振り返る青春漫画グラフィティ)によると、リアルタイムでかなりのウルトラマンフリークであり、大学時代の自作フィルムでも自らウルトラマン役を演じていたというエピソードも載っていることから、かなりのマニアであることは容易に推測ができ、本作にも自然に期待のボルテージが上がっての修行と相成りました。

 

無事観終わってこの文章を綴っているわけですが、さすがの作品となっていました。

庵野監督らしく「禍威獣(カイジュウ)」や「禍特対(カトクタイ)」などの漢字の造語にも凝っており、もし現代にウルトラマンが登場したなら・・という仮定を基に科学的考証を駆使してぎりぎり矛盾のないウルトラ世界を表現していました。

 

また映画のなかでのウルトラマン初登場シーンやゼットンの宇宙空間での待機シーンなどは、まるでエヴァンゲリオンでかつて観たシーンと完全に相似となっているので、そのデジャブ感に思わずニヤリと口元が緩んでしまいました。

 

ウルトラマン登場からメフィラス星人の来訪を経て、ゼットンとの最終決戦に至るウルトラマン世界をたったの2時間で表現したのですから、すごい力技です。

 

とくにメフィラス星人に関しては、ウルトラセブンで登場するメトロン星人のセンス(さすがにちゃぶ台返しは登場しませんでしたが)が加味されており、メフィラスを演じた山本耕史さんが「人間に扮する宇宙人キャラ」として最適化し表情にしても演技にしもはまりまくっており「ウルトラマン、ここは割り勘でいいよな」という居酒屋でのセリフなどは、日常と諧謔が入り混じるウルトラマンワールドの本質を見事なまでに表現していたように思われました。

 

ゼットンエピソードについては、意表をついてなんと仲間のはずのゾフィーが最大の敵ゼットンを連れてくるというアクロバティックな発想でしたが、結局ウルトラマン自身が地球人への友情の表現として自己犠牲的に命を投げ出す(まるで仏教に通じる利他のこころ)という原作に帰結する方向でしっかり収束しており、これも観る者を絶妙の間合いでぎりぎり納得させる展開に落ち着かせており、さすがだな~と感心しきりでした。

 

しかしこの終わり方だと、「シン・ウルトラセブン」につなげるには難しすぎ、続きはさすがにないかな~と思ってしまいました。個人的に、ウルトラマンは小学校に上がる前の放映であり、なんとなく観ていたような感覚はあるものの、ほぼ再放送という追体験でなんとか理解した世代であり、ウルトラセブンについては小学校低学年でなんとかリアルタイムでハラハラドキドキした世代(まあそれでもセブンの深淵かつ不条理のあまり涙が出るような悲しき世界を子どもとして当時はまったく理解していなかったのですが)なので、いつか「シン・ウルトラセブン」も観たいと思ったりもしました。

 

本作で惜しむらくは、例によってかなりの情報や蘊蓄を2時間にぎゅーっと凝縮しており、おそらくさまざまなしがらみがあり仕方がないのでしょうが、「シン・エヴァ」のように思い切って3時間作品ぐらいに拡大して、もっとさまざまな素敵なエピソード(ジャミラとかシーボーズとかいいですよね)を庵野監督の表現で観たいと痛切に思いました。

 

まあいずれにせよ、今回も豊富な情報や蘊蓄を一回では味わいきれないので、また何回も映画館へ修行に行かなければならない羽目になりそうです。それもまた楽しみのひとつではあり、そんな素敵な作品をいつもありがとうございます。

 

庵野監督、いよいよ次の「シン・仮面ライダー」も期待しています。さらに「シン・ガッチャマン」「シン・キカイダー」「シン・マジンガーZ]「シン・ゲッターロボ」「シン・イナズマン」なども妄想しながら待っています(笑)。