トップガン マーヴェリック

本作を遅ればせながら、もう夏が訪れる季節になり、ようやくT-Joy東広島にて体験してきました。前作からはや35年がたち、主演のトムクルーズも同じ年をとっているはずであり、前作のような華麗なスカイアクションができるかどうかが注目の本作になりました。

 

前作「トップガン」については言うまでもないかもしれませんが、未鑑賞の若い方のためにあえて綴ると、まだソ連とアメリカとの冷戦時代のさなか、アメリカ海軍のエリート飛行隊をモデルにした作品でした。

 

 迫力ある飛行影像、壮麗でロックな劇中歌、アメリカを背負うエリートの矜持、劇的で切ない恋、かけがえのない友人の死・・・等々80年代にアメリカができる戦闘エンタテインメントのエッセンスをすべて詰め込んだような作品であり、映画とともに音楽も大ヒットし、全世界で社会現象にもなった作品であり、もしやソビエト連邦の崩壊を早めたのではないか?・・と妄想さえしてしまう伝説の名作であり、その続編となると、こけるわけにはいかないので、トムクルーズ自身が映画続編の権利を買い取り、満を持して制作に入ったといういわくつきの作品です。

 

また個人的には小学高学年から中学時代にかけてジェット戦闘機のプラモデル制作にはまった経験があり、プラ塗装のために狭い部屋にてラッカーやシンナー塗れになり、アメリカ空軍のファントム艦載機、スカイホーク、F14、F15、F16、英国の誇る垂直離着陸機ホーカー・シドレーハリアー(この機体はとくに個人的愛着がありました)、ソ連のミグ25なども制作していたのです。当時子供心にも戦闘機の空を滑空するための無駄のない形状、それゆえの比類のない美しさに魅せられていたものでした。

 

もちろん戦闘機は戦争に使われることも多々あり、今となっては不謹慎の誹りを免れないのですが、当時の子供心としては戦争に対する反発もさることながら、機体そのものの造形の美しさへの興味と憧れが上回っていたような気がします。

前作はそれらがまさに現役の時代であり、画面いっぱいに大活躍するのですからわくわくドキドキの作品であり、今回の続編は少しそんな過去のイノセントな少年時代の郷愁を誘うものもあります。

 

続編の本作はもうソ連はないものの、いまだロシアをはじめとした戦争により領土を広げようとする国は存在しており、コロナ禍で2020年に完成していたものの、2年待ったらしいですが、その間、ロシアによるウクライナ侵攻が現実のものとなり、ある意味絶妙のタイミングでの公開となりました。

 

この続編は、トム自ら企画しただけあって、映像は前作より進化しており、実際の飛行シーンは大迫力でした。音楽については前作の主題歌が素晴らしかったので、今回はそれには届かないものの、作品全体に寄り添い、いい感じでムードを盛り上げていました。物語としても、前作の続編という形で、喪った親友の息子との交流が印象的です。最初は敵対と反目から激しい訓練や困難なミッションを通して理解と信頼へ拡がっていく様がドラマティックに表現されていました。

 

そして主人公のマーベリックのお約束の恋もつまみに添えて、物語は順調に終局に向かい現代の飛行機乗り達のミッションはとりあえず一段落に向かいます。

 

やや気になったのは、今作の劇中の飛行機は最新鋭のものでなく、あえて旧式のF18(いろいろ事情があり、最新鋭機での撮影は難しかったとのことですが)でした。しかしあえて旧式の戦闘機で、敵の最新鋭機を倒すというのもヒーロー物語としては十分にはまっており、結果オーライとも考えられました。 

 

それでも前作の主力機F14トムキャットは大きな可変翼を持つ人を包み込むような大きくて優美な機体であり、それが物語をさらに美しくかたどっていた記憶もあります。その点、F18ホーネットはもちろん悪くはないのですが、F14よりはやや小型でありお世辞にも優美とは言い難い機体であり、飛行機好きには評価が分かれるところではあります。(ちなみに同時代のF15Aイーグルも抜群の美しさでしたね)

 

もし気になる方は前作での飛行シーンを鑑賞して機種の違いを味わってみることをおすすめします。

 

映画のラスト、お約束のラストシーン、夕陽を浴びてのバイクでのノーヘル・恋人を乗せたタンデム走行は前作同様格別にいかしており、かつてバイク乗りであったわたしも一度はしたいもののいまだ実現していないシチュエーションであり、惚れ惚れします。

 

結局、飛行機の恰好良さはやや衰えたものの、トムクルーズの格好良さは35年の時を経ても衰えることなく永遠なのだということを再認識しての帰路となりました。いずれにせよ素晴らしいエンタテインメント作品でした。そして現実には世界ではまだ戦争をしている地域があり、我が国だって隣の半島や南の島の問題をきっかけにいつ戦禍に巻き込まれるかわかったものではありません。そんな切ない微妙な時代をわたしたちはなんとか不安を抱きながら生き抜いているのですが、いつの日にか「国と国が戦っていた愚かな時代があったんだよ」などと笑って話せる時代がいつの日か来ることを祈願して筆を置こうと思います。