福山の夜に思ったこと

令和5年も年の瀬となり、わたしもクリニックの休診日に診察にいっている「ゼノ」少年牧場のなかでも特に懇意にしているスタッフたちとの忘年会に参加しました。 コロナ渦もあったり、縄手前理事長が突然に亡くなられたりしたこともあり、ずいぶんと久しぶり(なんと8年ぶり)の各々の逢瀬となりました。

 

いつも「ゼノ」診療所というわたしを含めてスタッフ数人の小さな部署で発達障害を持つ子どもたち(成長された大人の方もいます)の診療に、四季の心クリニック開業前から携わっており、かなり多くの子らを診療するので、着いたらすぐに診療開始で夜までその連続なので、みんなとゆっくり語り合う時間はほぼない勤務時間なのです。そんな診療の日々が振り返ればはや今年の10月で満20年になりました。わたしだけでなく、みんながその分歳を取ったわけで、不思議な心境です。赴任当時まだ30代の若造の医師がいまや50代になったわけですが、自身外面的にはずいぶんと太ったものの、内面的には少しは成長もあったりするものの、魂の根本部分はあまり変わっていないことに我ながら驚いたりしています。

 

福山というわが家からは片道60キロ以上ある場所への隔週の診療ですので、最初は急場をしのぐピンチヒッターみたいなもので勤務は長くて5年ほどだろうと思っていたのもつかの間、気づけば20年。 山陽道・西条ー福山西インターの往復も500回はゆうに超えてしまいました。 「ゼノ」少年牧場は県内有数の発達障害関連の大きな組織であり、その診療を支える「ゼノ」診療所の医師の責務は当然ながら大きく、当初から自分で本当にいいのだろうか?という一抹の不安を抱きながらの診療が20年も続いているのだから不思議なものです。

 

しかしおかげさまでこの20年の間に福山・尾道を中心とした、驚くほどたくさんの方々の知り合うことができました。もちろん去る人もいれば、出会う人も盛沢山いました。これらの日々やさまざまな出会いと別れは本当に人生の財産であり、わたしの魂はここ東広島と福山の2か所で元気に活動を続けてこれたわけです。通常の倍の経験をはぐくんでくれたような気さえしています。実際、福山診療に携わっていなかったら気づかなかったであろうこころやからだの事象も多々あります。福山の街にもずいぶんと詳しくなりました。とくにラーメン屋については福山在住の方より詳しいのでは?と自負しております。そんななのでクリニック開業の際も福山も候補地として考えていたほどです。

 

いろいろ思いつくままに福山への想いを綴ってみましたが、いずれにせよ東広島でも福山でもつくづく運のよい歩みだったと今更ながらに思っています。 こうした身に余る二足の草鞋状態ですが、今後も自分の魂とこころとからだが続く限りなんとか微力ながら継続していきたいと思っています。

 

そんな「ゼノ」の普段はなかなかゆっくりと話せないスタッフ(診療所、事務所、やまびこ学園、作業所、グループホーム等々さまざまな職場から集まりました・・)らと気兼ねなくお酒を酌み交わす平和な年末に感謝です。

 

また来年も日々の仕事で接することはなかなかなくとも「ゼノ」の理念を胸に各部署でしっかりと働き、一年に一度ぐらいは無礼講で羽目を外して語らい合いましょう。