本作を暮れも迫りつつある休日に、広島市内のヴァルド11にて鑑賞してきました。 最近はなにかと情報に疎くなりつつある自分ですが、大学時代の友人からの情報もあり、なんとか上映に間に合いました。( いつも貴重な情報を伝えてくれる大分のMくん本当にありがとうございます )
ブルース・スプリングスティーン(長いので、以下ブルースとよばせてください)、この名前は名前の長さだけでなく、わが人生になかなか大きな影響を与えてくれた存在です。 もちろん以前に書いたように自分にとっての三大洋楽アーティストはいまも昔もビートルズ、バーズ、ボブディランであり、それは変わることはないのですが、彼らはリアルタイム体験というよりはほぼ全部追体験によって勝手に好きになり師事した人たち( 40代以降のディランはリアル体験ですが )であります。 一方でブルースは彼の全盛時代の後半からリアルタイムで経験でき、ともに成長してきたアーティストということもあり、わたしの青春の想い出や人生体験も彼の楽曲に対峙してときに強く共鳴してきました。
それらを綴ろうと思うと長く濃くなりすぎるので、いつものように思いつくまま徒然に筆を進めてこの論考を終えようと思います。
ブルースを初めて意識的に聴いたのは1984年発表のアルバム「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」だったように思います。当時ロックミュージックに目覚めつつあった10代後半、無事に大学入学でき受験三昧の生活から解き放たれ、時間に余裕のできたおかげもあり、以前からしたいと念願していた、ロックミュージックや世界の文学や哲学の探検に意気揚々と乗り出していました。
その過程のなかでは、ビートルズやディランだけにとどまらず、ビートルズ周辺の英国ミュージシャン( とくに探求したのはキンクス、フー、マンフレッドマン、ホリーズ、ハーマンズハ‐ミッツなどなど・・・ )、米国ミュージシャン( バーズを筆頭にグラスルーツ、PFスローン、S&G、CSN&Y、モンキーズが主な対象でした )という主に60年代の音楽にのめりこんでいました。 そんな私的レベルですが60年代文化に没入時の80年代初頭に発表されたこのアルバムは、タイトルソングはもちろん、他にも「ダンシング・イン・ザ・ダーク」( 本作のMVでの女性ファンを舞台に上げて一緒に踊るというシーンは、当時浜田省吾さんも影響を受けてコンサートで実際に行っていた記憶があります )、「マイホームタウン」( この詩のコンセプトはいま思えば、浜田省吾さんの「ダディーズ・タウン」ともろにシンクロしています )といった粒揃いの楽曲が当時流行り始めていたMTVにも乗り、巷にも流れ、大学生だったわたしの目や耳にも大いに届きました。
80年代というのはポップスやロック花盛りで、マドンナ、マイケルジャクソン、シンディローパー、カルチャークラブ、ワムなど当時流行っていた音楽もなかなか素敵だったのですが、ブルースの音楽にはその底に流れる得も言われぬ湿った情感というか肌触りが他とは明らかに違っていました。 一見派手で明るく激しいロックビートの底に流れるやや暗くウェットとさえ言える内省がそこにはありました。
そうした要素は、これからこころの奥の大海原を探求していこうと決めていた10代のわたしのこころの底に重たい錨のようにずしりと突き刺さり興味を持たざるを得ないという感じでした。
すでに名盤と言われていた「明日なき暴走」を聴いたところ、ラストの楽曲「ジャングルランド」は当時すでに大ファンになっていた佐野元春さんの「R&Rナイト」とほぼ同コンセプトかつテンションも相似しており、佐野さんのルーツというか種元を見つけたという驚きもあったりしました。
また竹間の友である親友の京大熊野寮の部屋で、汗ぐるしい初夏の夜に、アルバム「リバー」の楽曲たちを隣部屋を気にすることなく大音響で聴いていた際に耳に留まった「ハングリーハート」。 これもなんと佐野さんの名曲「サムデイ」とほぼ相似形・・。 他にも尾崎豊さんの楽曲にも多々ブルースとの相似形( 「Crush On You」と「Bow!」はメロディがやはり相似形です )がてんこ盛りということに否が応にも気づいていきました。
ブルースの音楽を聴き込んでいく過程で、自分が影響を受けてきた浜田さんや佐野さん、尾崎さんらの源流を発見したときは金鉱脈を見つけたような嬉しさや誇らしさと同時に何とも言われぬもやもやした当時の甘酸っぱい気持ちはいまも記憶に残っています。
このようにブルースは80年代に勃興し当時の若者のこころを鷲づかみにした和製ロックの源流だったわけです。 もちろんブルースはアメリカのアーティストなので、コンサートなどで直接それらを味わうことはできなかったのですが、浜田さん、佐野さん、尾崎さんを通して、日本の文化と日本語を通して解釈されたブルースのエッセンスを味わい共感していたわけです。
80年代以降はブルースはもちろん、その日本版解釈&紹介者ともいえる浜田さん、佐野さん、尾崎さんらの音楽を耳にしながらともに人生を歩んだとも言え、先に挙げたビートルズやディランらがお父さんとしたら、ブルースはちょっと先を歩く「兄貴」といった存在だったのです。 ( ブルースとのその後の展開は長くなるので今後気が向いたときに少しずつ書き足していこうと思います )
さて前置きが長くなりました。 そのブルースの半生を描いたのが本作です。 今までさまざまなライブ映像( とくにニューヨークのスリーマイル島原発事故の後に行われたNo Nukesコンサートでのパフォーマンスは圧巻です )を無数に目にしていたものの、彼の実際の生活や故郷の映像はあくまでイメージでしかなく、やはり映画館での大画面で素晴らしい音響とともにプルース(仮想ですが)の動く姿をリアルに観ることができるのは、やはり特別な体験でした。 彼の育ったニュージャージーの家、父親に連れていかれた大農園に佇む一軒の理想かつ幻の家、父親との幼い日々に受けた虐待とその後の葛藤、そしてもちろん愛する故郷・アズベリーパークも映画のなかで活写され、それらを大スクリーンで観れたことはとてもありがたかったです。 正直もうこれだけで本作を鑑賞する価値を十分にあるように思いました。
そのなかで印象的なシーンがいくつかあります。 アルバム「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」の前作であるアルバム「ネブラスカ」の録音をめぐるエピソードです。「ネブラスカ」制作時にはすでにその後に発表され、明暗分かれるともいえる大作「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」が出来ていたのです。 その事実は当然伝記本などで知っているのですが、映像でそれを見せられると、よりリアリティが出てきます。 そして「ネブラスカ」制作のなかで、あえて録音状態の悪いカセットテープでの録音の方が魂の琴線に触れると言い張り、設備の整ったスタジオでの録音を主張するマネージャー兼プロデューサーのジョン・ランドゥと喧嘩に近い状態になりながら魂に響くサウンドへのへのこだわりには心打たれました。 さすがブルースです。
また晩年ブルースは実はこの時期うつ病( 精神科医のわたしに言わせると躁うつ病と考えられますが )を患っていたと吐露していますが、この録音での陰影だけでなく、連綿と続く膨大な作品群で印象的なのは交互に明暗、ポップ・非ポップのアルバムが猫の目のごと反転することです。 激しくポップな「明日なき暴走」の後に暗くスローな「闇に吠える街」、壮大で明るめの「リバー」のなかの曲による陰影の強さ、その次には内省的で暗い「ネブラスカ」、その次は大ブレークとなる「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」・・・こんな感じで、ブルースにはまるで躁鬱の病相のような光と影の交錯が続いていきます。 わたしなどはそれら楽曲のポップさに潜む陰影の深さに常に引き寄せられてきたような気がします。
さらに映画のなかで表現されている、「明日なき暴走」「リバー」などのアルバムとしては大ヒットをすでに達成していた彼がまだ地元を根城に生活し、成功で手に入れたスポーツカーを乗り回しながら、小さなパブの小さなステージで夜な夜な地元バンドでギター伴奏したり、地元の女性と恋愛に陥っていたことは驚きであり、ブルースの故郷に根付く魂と地元愛を強く感じました。 そして映画では表現されていませんが、「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」の大ヒット後の現実生活のなかで美人モデルとの結婚やその破局、その後のバンドの仲間との再婚などもいちファンとしてよく知っているだけに、わたし自身の人生とも重ね合わせながら、ともによくここまで歩きながらなんとか辿り着いてきた・・・と今更ながらに感慨深く過去に横たわる時や出会った人々たちに想いを馳せました。
いろいろ書いたものの、ブルースに対する想いの1割ぐらいしか表現できていないような気がします。わが筆力の足りなさ加減にあきれつつ、この歯がゆさをこれからの時間で少しは補っていきたいものです。
なんやかんや徒然なるがままに記してきましたが、ブルースの素晴らしさは彼の人生そのままではなく、その楽曲の表現するロマンティックな共感的世界やメロディ、サウンドの素晴らしさであります。
この駄文を読まれた方で、ブルースに興味を持たれながらまで一度もその楽曲を聴いたことがない方がいましたら、初期7枚のアルバムはどれも奇跡的なまでに輝いており素晴らしいのですが、あえて5枚目「リバー」をおすすめします。ブルースが目指した『 フィルスペクターのようなサウンドで、ディランのごとく魂を表現し、ロイ・オービスンのように唯一無二の唄い方で唄う 』という彼の理想に一番近い出来となっています。 本アルバムには、先ほども書きましたように80年代以降の日本のストリートロックのエッセンスがすべてぎっしり詰まっているような気がいつもしています。
いずれにせよこの映画によってこれからもブルースのいちファンとして、今後も作品のみならず、さまざまな媒体(結構、自伝や伝記ものも出ています)を通して彼の人生をなぞりながらわが魂の深みを覗いていきたいという決意を新たにさせてもらいました。
本作だけに限らず大スクリーンで他者と共有する映画鑑賞という体験は本当に素晴らしく、この20世紀から21世紀にかけ繁栄した文明の利器に対しては感謝につきません。映画館という形態がいつまで続くか正直わかりませんが、いつまでも末永くあってほしいものです。 これからもよろしくお願いいたします。
P.S.可能なら「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」の空前絶後の成功後の結婚・離婚、Eストリートバンドとの別れを含むアフターストーリーも映画というフィルターを通して感じてみたいものです。