そして父になる

こんばんは。いま午後7時半。診療を終え、ひとりクリニックに残り、このブログを書いています。先日、いま注目のカンヌ映画祭審査員特別賞(この作品はカンヌではパルムドール、グランプリに続き、3番目に価値のある賞です。グランプリは2番なんて紛らわしいですね。さすがフランスというべきかも)受賞作品「そして父になる」を観てきました。
初夏のあたりから、受賞報告が届き、よく報道されていたので、待望の封切というべきですね。福山くんの授賞式での涙の意味を知るべく行ってきました。

観終わって、最初の感想ですが、是枝監督らしい映画文学作品でした。「歩いても歩いても」もそうでしたが、複雑になった現代のなかで家族の形というものを模索する映画。主人公はふたつの対称的な家族といえますが、彼らが互いに、住む家、持つ車、住む町、着る服、つく仕事、過ごす時間を映像および言語的にこれでもかというぐらいに対比させて、彫刻的に刻んでいく手法は、もうすでに是枝節といえる次元に達している感があります。もしや人によっては、ねらいすぎと感じて、あざとさを感じるのでは?と心配するほどです。(わたしなどはもともと小津作品の大ファンなので、こういうのはいくらくどくどしても大丈夫という口です)

福山くんの硬さとリリーのふにゃふにゃぶりもまさに素敵なコントラスト。映画全般がそういう対称性を底面においた、幾何学的作品でした。いたるところに挿入される、グールドの雫のようなピアノの調べも彫刻的に響き、これにシンクロしており、素敵でした。これなら西洋人による評価も納得です。

子どもの取り違え。その行為自体も人間のささいな嫉妬による作為。そんな人間にも、また守るべき家族がいる。血の繋がっていない息子との6年間の時間。血の繋がっている息子との埋めようのない違和感。見えてくる夫婦の積み重ねられた想いの相克の表面化。相容れない他人との困難な協調を通して、新たな未来を築いていく柔らかな意志。

つれづれに思い浮かぶまま、書き連ねましたが、この作品にはこんなさまざまなテーマが文学的にまぶしてあり、素敵な文学的映像となっていました。

そして、ラストがまた微妙。

慶多は良多のもとへ戻るのか? 「ミッションはもう終わったんだ」の意味は?

これをしばし考えるだけで、この映画を観た意味は十分にあると思います。

映像および音楽的バランスとセンスに満ち溢れた作品。こんな作品を福山ファンにだけ独占させておくのは勿体ないので、ぜひみなさんも映画館でご覧になって、わたしのたわ言が本当かどうか確認してください。

 

P.S. この映画の結末の解釈が気になったわたしは近所の本屋で、監督自身による原作小説をしばし立ち読みしました。

するとラストは誰の父親とか誰の父親ではないというような概念を超え、これからともに生きていくことをやんわりと決意していく主人公の姿が。う~ん、わたしのお兄さん世代のあこがれた懐かしいコミューン的センス。確かにぎすぎすした現代にはこうしたコミューン的概念を再評価してはいいのでは?なんて考えたりしながら、監督本とは関係ない本を購入し本屋をあとにしました。

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コメント: 2
  • #1

    シン丸 (火曜日, 22 10月 2013 10:01)

     映画ラストの作り、色々な考えが浮かび余韻を残します。 ただ実話にインスパイアされたこの映画ですが、予告編や宣伝番組で前知識が多すぎてあまりサプライズが無かったのも事実。 実際はそんな生易しい事じゃないとの当事者のコメントを読みました。でも映画として十分楽しめましたし、大ヒットしてますので未見の方は是非劇場へ! ふにゃふにゃ父ちゃん好演のリリー・フランキー,「凶悪」のおっかないおやじは凄いよ(ー_ー)!!

  • #2

    fourseasons-clinic (土曜日, 02 11月 2013 17:13)

    わたしもあれから興味を持ち、いろいろ読みましたが、実話は女の子どうしの取り違えなんですよね。しかも、もう彼女らは30歳過ぎの立派な大人になり、なんでも最近ふたりの家族が新婦ふたりの合同結婚式をあげたとか・・・。現実は小説・映画より奇なり。でも素敵なハッピーエンド(まだまだふたりの人生が続くわけですが)ですよね。