2021年

4月

01日

シンエヴァンゲリオン

申し訳ありません・・・。映画のコメントについては、普段はその映画を観たことのない方を想定して、なるだけディープな内容は避け、あっさりとその映画の良さに言及するよう心がけているのですが、今回のブログはわたしの25年間の積み重なった魂の欠片の暴発となってしまっています。なので、今まで一度もエヴァンゲリオンを観たことのない人にとっては、一体何のことを書いているのだろう???・・・ということになること必定なので、本稿は読み飛ばすか、無視してくださいね。それにしても四半世紀にわたったとはさすが新世紀(しはんせいき)エヴァンゲリオンと名付けられただけあります(笑)。

 

 

コロナのおかげで、一年近くも上映が遅れた本作をT-Joy東広島にてついに鑑賞してきました。思えば、本作の最初のアニメはまだ20世紀の1990年代でもあり、かれこれ25年の付き合いになります。わたしを含めてエヴァを追いかけてきた人たちもこの間等しく年を重ねたわけであり、今回の終幕は感慨深いものがあります。

 

実は1997年発表(いまからもう24年前です)の前回の劇場版「Air まごころを、君に」も当時としては発想(「地球幼年期の終わり」的センスをアニメで大々的に表現したことはいま思い出しても素晴らしい偉業です)は並はずれ、示唆に富んだ素晴らしい出来であり、悪くない結末であったものの、やはりあのアスカの「気持ちワルイ・・」という拒絶的終幕では庵野秀明監督も納得いかなかったのか、2007年から新劇場版が開始され、今年2021年(当初の予定ではキリの良い2020年でしたが)、本作はついにフィナーレを迎えました。

 

わたしもなんやかんや言って、まだ若いころからのいろいろと思い入れのある作品でもあり、語りだしたらきりがないのですが、観終わって思ったことは、この終わり方しかないのでは?というぐらい納得のいく素晴らしい結末でした。

 

本作の映像や音楽、物語の展開はすべてが強烈で鮮明であるのですが、やはり一番印象に残ったのは、永遠の子どもとして終わりそうだったシンジが、映画終幕間際で大人になり、庵野監督の故郷である宇部駅をガールフレンド(なんと相手は同じくエヴァの呪縛を脱し、成長を再開したマリ・・・彼女は元々はシンジの父親、碇ゲンドウと京大冬月教室での同窓と推測され、一世代降りてのシンジとの関わりであり、なかなか興味深い存在ですが、彼女への論考だけでひとつの長文ができてしまうので、本稿ではあえてスルーします)とともにまるで庵野監督の分身のように飛び出していくというラストです。

 

我々観るものにとっては否応なしにさまざまな想像(妄想?)を膨らませてしまいます。

 

今さら言うまでもないのかもしれませんが、本作は監督自身のこころの成長の物語であり、終幕に至り、ついに25年続いたエヴァからの旅立ちとなるのですが、監督自身、1997年の劇場版終幕において「もしや自分はシンジのように永遠の少年であり続け、大人にならずに、アスカのような厳しく現実と向き合っている女の子からは”気持ちワルイ”と罵倒されながらも、人生という河を少年のこころのまま孤高の存在として流れていくのかもしれない」という想いから、その後監督自身、日本全国を放浪したり、実写映画を撮ったり、俳優として他監督の作品に出演したりするなかで、「心身ともに大人への成長を遂げていく」という体験をした結果、本作が出来上がったのでは?という印象を抱きました。

 

ひとつの例として、エヴァは宇宙戦艦ヤマトや機動戦士ガンダムというSFアニメの系譜としては第三世代であり、メカニックアクションを中心にあくまでもSFという空想科学の範疇の物語であったわけですが、最終幕となる本作では、かつての級友(トウジやケンスケ、ヒカリら)との14年ぶりの再会とその後の共同生活が強くこころに残ります。

 

ニアーサードインパクト後の避難生活(この間現実世界で実際に起こった東北大震災後の避難地域を連想させます)のなかで苦難を乗り越え、現実と向き合いながらリアルに生活している中学時代の級友たちとのこの再会はシンジにもアスカにも大きなこころの再生と成長を促します。そんななかで、なんとレイはそこで赤ん坊を抱きかかえあやしたり、田んぼに入り田植えまでするという従来のSFとはかけ離れた現実的な生業も出てきます。こうした体験を通して彼らが徐々に再生していくという下りは,軽い驚きを最初は伴ったものの、エヴァの世界がSFというフィールドを越えて、実在の世界にもコミットしシンクロしていくという、視聴する我々にとっても感慨深い体験となりました。

 

シンジもアスカもレイも常に科学の最先端であるエヴァのパイロットとネルフでの無機質な生活(特にレイは究極でした)にスマートに取り囲まれていましたが、日本の田舎という有機的な生活にもまれるなかで、再生を果たしていく。さすが庵野監督と思わず唸りました。

 

監督は、この間に日本で起こった災害も含めたさまざまな事象や放浪経験(監督はエヴァのテレビ版制作を終えた直後、しばらくの間、まるで廃人のように国内放浪したそうです)を経て、地に足のついた大人という心性を持つに至り、このたび、こうしたリアルな土地に根差した生活のなかに、自ら生み出したキャラクターを投げ込み、自身の行動が引き起こした事態の大きさにショックのあまりほぼ失語症に陥っていたシンジはそこから再生して、自分が信じ希望を持てる世界の扉(結局A-Tフィールドを取り去った自己と他者の区別も肉体も持たない永遠の世界でなく、他者との葛藤をあえて残し、肉体も捨てない境界のある世界)を開けていくというこころの物語をメタファーとして、本作をラストまで運んだような気がしてしまいました。

 

かく言うこのわたしもエヴァシリーズが始まったころは子どもの心性しか持たない無茶な若者でしたが、いまや少しだけ大人の分別とこころを持つ人物(これがいいことなのか否かはわかりませんが)になったような気さえしています。

 

そして今までエヴァを観ながら成長してきた我々にも、本作は、現実のリアルな世界での旅立ちを求めているようにわたしは感じました。

 

上記の想いは今までエヴァを観てきた一ファンとして、感じたこころのメインテーマのようなものであり、本作はそないな小難しい心象的次元だけではなく、もっと直接的かつ圧倒的に素晴らしい魅力に満ち満ちています。

 

例えば、アニメならではの映像の構図、鮮やかな色彩と大胆なカット割り、初見では目で追えないほどのスピード感、思わず魂が踊りだす軽快なメカの動きとテンポ、劇場を揺るがす効果音、情景に忍び寄るはっとするような挿入音楽(とくに童謡や昔の歌謡曲の挿入のセンスは舌を巻きます)、どこかで見たような懐かしい直筆手書きの絵、わたしたちが日常なにげなく目にする実写等々・・の膨大な情報をこれでもかというぐらい豊かに提供してくれています。これら圧倒的な情報が絶妙なバランスをとりながら物語として破綻することなく統合していることは意外にすごいことだと思われます。これら情報の集積のバランス感こそがエヴァであり、庵野監督の真骨頂であるように思います。

 

こうしたわけで、例によっていつものエヴァと同様にまたまた情報過多の本作もこれまでのエヴァと同じく、映画館に3回ほどは通わないととても自分のからだやこころにしっくりと入りそうもありません。

 

こんな長い駄文を書き連ねても、実はエヴァに対する夢想の十分の一も表現できていないのですが(特に加持リョウジ、渚カオル・・については、言及しだしたらこの長文をはるかに超えてしまいそうです)、きりがないのでもうここら辺で筆を置くこととさせてください。いつかエヴァ好きの友と心ゆくまで語り合いたいものですが、その日が来るのも夢想しておくこととします(笑)。

 

いずれにせよ、本作は少し時間をおいて、また映画館の暗闇へ修行にでかけることになりそうです。

そしてなんやかんや言っても、庵野秀明監督をはじめとしてエヴァの制作に関わられたすべての人たちに感謝です。しばらく今回終幕を迎えたエヴァへの夢想(妄想?)だけで楽しい日々が続きそうです。その一方で、人生にはこころの旅とも言える現実に向き合った大切な日々が待っています。本作はそんな旅の輝く道標という存在です。素晴らしい終幕まで導いてくださり、ありがとうございました。

 

庵野監督におかれましては、次作「シン・ウルトラマン」を期待しております。

わたしも明日からまたA-Tフィールドという境界の存在する人生という旅の道程に戻りますが、本作をこころの奥に携えながら歩いていく所存です。

 

P.S.本文を書いてから実はすでに3回目の修行を終えました。まさかの4回目もあるかもしれません。3回目の予告編で知ったのですが、なんと「シン・仮面ライダー」も制作されるとのこと。わたしももちろんライダー世代であり、どんな作品になるか期待しています。

2021年

3月

15日

すばらしき世界

本作を春の訪れを感じる月曜の夜に、T-Joy東広島にて鑑賞してきました。広島出身の西川美和監督の作品です。常にハズレなしの作品群であり、今回も大いに期待しての鑑賞となりました。

 

偶然にも前ブログでもヤクザ映画へのコメントでしたが、今回もヤクザという生き方になってしまったひとりの男が、旭川刑務所で刑期を終えるところから映画は始まります。これから二度と服役などしなくても済む人生を歩むことを心に誓った三上という男の生きざまが彼の人生の終幕まで素晴らしいタッチで描かれています。

 

前回の「ヤクザと家族」でもそうだったのですが、犯してしまった過ちを背負いながら、人生をやり直していけるかというメインテーマに、観る人それぞれ歩んできた人生によって、さまざまな見方が生まれる多角的な作品になっていました。いつもの西川監督の作品どおりです。

 

しかし、今回は西川監督の創作ではなく、実話を基にした作品というところが重いです。本作の主人公の三上は実際に存在して、懸命に生きて死んでいきます。三上の目を通しても、世界にはさまざまな価値観を持つ人であふれており、よき人もいれば悪しき人もいます。その人々が罪を犯した人物の社会復帰というフィルターを通して彼と出会い、そして別れていく。

 

わたしも日々、さまざまな人生や想いと触れ合う仕事をしていますが、人々を取り囲む世界や束の間の時に棲む人生というのはいったいどのように構成されているのだろう・・?とあらためて考えさせられる作品となっていました。

 

三上が死ぬ最後の日に、彼が懸命に選びとった行動にはそれまでの彼らしくないところがありながら、さまざまな人からの薫陶を経て、あえてとった行動であり、新たな可能性を感じさせるものでした。その結果には是非もないのですが、言いようのない複雑で深い想念が生まれたことだけは確かであり、これだから西川監督の作品は必見だなと確認した夜となりました。

 

P.S. 西川監督の最初期の作品「ゆれる」は邦画史上5本の指に入る傑作であり、まだ未見の方はビデオでいいので、一度鑑賞されることをお勧めします。

2021年

3月

04日

ヤクザと家族

本作を2月末の春の気配漂う月曜の夜にT-Joy東広島にて鑑賞してきました。これは観とかないと勿体ない・・との評判を聞きつけ、なんとか間に合いました。

 

観終わって、いやはやなんというカタルシスの強烈さでしょう。自分がまるで映画の登場人物になったかのような錯覚を久々起こしました。

 

かつての漢気を磨くという昔ながらのヤクザの世界から、暴対法という時代の風を受けて、変質していくヤクザ世界。そのなかで、ヤクザの世界から足を洗っても、付きまとってくるヤクザであったという過去の穢れ。

 

ヤクザの世界を求めたわけではなく、こころの通う家族の世界をそこに見つけ、彼なりに懸命に生きてきた山本。その山本が求めた世界は14年の刑務所生活のなかで、消えかかっており、父親と慕った親分(舘ひろしが演じていますが、これがまた渋くて素晴らしいです)も癌に侵され、命も風前の灯火。その親分からもヤクザの世界から足を洗うことを諭され、かたぎの世界で懸命に生きていこうとする山本。

 

しかし彼を待っていたのは容赦のない社会の鉄槌。かつての仲間からの裏切りや支援を受けながら、なんとか仕事にもつき、かつての恋人と娘との再会を果たしながら、思わぬところから崩れていく温かくも砂のような家族の楼閣。

 

過去のしがらみや因習に彼なりのけじめをつけながら、どこにも行けない山本。そして衝撃のラストシーンが訪れます。問題のラストシーン・・・。(実は映画のファーストシーンにも繋がっているのですが)わたしも「まじですか、そう来ましたか~」と唸り、その後さまざまな回想シーンへこころが運ばれていくような作品でした。

 

見どころの多い作品ですが、本作の一番の肝は主人公・山本を演ずる綾野剛の目です。彼の目がセリフなしでも思いを雄弁に物語っており、怒りや優しさ、無念さ、悟りなどさまざまなシーンで彼の目が積極的に物語を動かしており、わかってはいたことですが、いまさらながらに、すごい俳優だな~と感心しました。

 

そして物語の暗転に、意外に大きな要因となるSNSという現代における凶器の存在です。すべてをやり直し、幸せに生きていこうとする山本や仲間たちの生活を崩していくその狂暴性は切ないほど強力で無慈悲です。かつて物理的な暴力を武器に社会を蹂躙していたヤクザが、新たな時代の代名詞というべきSNSという暴力によって人生を破壊されていくわけであり、なにかの啓示のように重くのしかかるテーマも内包していました。

 

さまざまなテーマを抱える本作は評判どおりの傑作であり、もっと話題にされてもいいと言える作品でした。綾野剛さん、藤井道人監督には今後も注目せざるを得ないなとこころに決めて春の近づく真夜中の風を感じながら帰路に着きました。

 

2021年

2月

23日

ファーストラブ

本作を偶然みかけた印象的な予告編につられて、春遠からじの2月中旬にT-Joy東広島にて修行してきました。「動機はそちらで見つけてください」と語った、父親殺しのアナウンサー志望の女子大生の娘の投げやりなセリフ。このセリフだけでいったい何が本作には隠されているのだろう?という気持ちになり、広告コピーとしても出色の出来だと感じていました。

 

物語は、公認心理士の主人公とその義弟となるイケメン弁護士の過去にも遡りながら、徐々に事件の真相を暴いていきます。ラストはなるほどそう来たか~という終幕を迎えますが、事件の発端となった女子大生のトラウマはかなり独特のものであり、「人はそれぞれのこころとからだと価値観をもつ」というのは、わたしのような仕事に従ずるものにとっては、常に心掛けなければならない命題ですが、まさに本作はそれを表現していたような気がします。

 

有り体の家族ではないが故の、母親による、夫に対するひけめを伴った娘への無理解、傲慢さがこの物語の多くを占めていましたが、謎を追う心理士の過去にも親に対する重大な闇があり、それらが事件の犯人?の女子大生の心象とかぶってきます。

 

上出来の心理サスペンスを観させてもらいました。それにしても、親の不用意かつ身勝手な言動というのは、いかに子どもに影響をもたらし、ときには子どもたちの未来さえ変えてしまうことを本作は警告しており、わたしもしっかりそのメッセージを受け取らねば・・なんて思いながら春の気配が匂いつつある闇のなかを家路に向かいました。

2021年

2月

12日

花束のような恋をした

本作を2月に入った月曜の夜に体験してきました。テレビドラマの傑作「カルテット」(テレビドラマを普段見ることのないわたしも偶然人から勧められ見させてもらいました)の土井裕泰監督と脚本家の坂元裕さんのタッグによる恋愛映画です。

 

大学生時代のある夜、偶然終電に同時に乗り遅れたことから知り合ってお酒でも飲みながら話してみたら、好みや考え方、価値観が驚くほど一致して、必然的に恋に落ち、多摩川を見下ろす古いお洒落なマンションでの同棲生活に突入するふたり。

その後、大学を卒業したものの、ともに過ごす時間を大切にするため、定職につかずフリーター的生活を実行したふたり。

しかし、世間体を重んずる親や周囲からの圧力もあり、ともに寄り添う生活をいつまでも末永く続けるために、あえてお互い定職に就くことを選択したふたり。

その後の帰結として、就職を機に互いに仕事の多忙さに絡まれていくなかで、互いにすれ違う時間が多くなり、まだまだ愛し理解しあいながら、それゆえに自分たちの立ち位置を十分に了解し、別れていくふたりを時系列に描くという物語です。

 

偶然の出会いから別れまでの5年間の軌跡を時系列に沿いながら淡々とどちらかと言えば穏やかな空気感で描いた作品なのですが、そのときどきのお互いのセリフや態度の変遷からふたりのこころ、興味の方向や生活スタイル、人生の行方が微妙にずれていく様や心の遷り変わりを落ち着いた筆致で一筆書きのように描かれています。

 

また本作は隠し味として、ふたりの好きなサブカルチャーが劇中にふんだんに登場します。「押井守」(本人が出演していたのもちょっとしたサプライズ)をはじめとして、かなり具体的にマニアックに提示されており、これがまたリアリティを高めており、わたしのようなものでも、サブカルやこれらの若き日に出会う記号を通して、人生の若き日の一時期にこのふたりの関係と相似形のような関係を持った覚えがあり、若き日のひとつの典型的心象風景として、本作は出色の出来だと思いました。

 

ふたりで訪れた老夫婦が営む手作りパン屋さん、疲れ果てながら勉強したり語り合ったりした深夜のファミレス、便利が悪いながらも目の前には公園のような河川敷をのぞめる絶景のベランダを持つマンション・・・。どれもいつかどこかで自分も似たような体験をした温かさ、懐かしさの感触がありました。

 

観ていて、なんだか訳もなくほろりと涙が落ちてくるような、こころの奥にしまった倉庫のドアをノックしてくれた本作は、こころにそっとしまっておく大事な一品となりました。

 

2021年

2月

01日

約束のネバーランド

本作を遅まきがら、やっとタイミングがあい、T-Joy東広島にて鑑賞してきました。予告編をみるだけで、不気味で強烈に怖い世界が待っているという印象にかられる本作は、週刊少年ジャンプにてすでにコミック累計2500万部の大ヒットを誇る原作の映画化ということであり、どんな物語なんだろうと興味を持ちながらの修行となりました。

 

観終わって思ったのは、本作においてはおそらく「わたしを離さないで」と「進撃の巨人」という名作の先達にインスパイアされた世界が展開されていました。一見平和で慈悲深い環境で暮らす少年少女たちを待ち構えている不条理と暴力に溢れる残酷な世界・・・。もちろん孤児院も壁も出てきます。

 

そんなデジャブ感のある世界でしたが、やはりその世界からの脱出物語はとても楽しめました。とくに孤児院の広大な森、輝くような緑と子どもたちがたわむれる映像は、映画ならではの大画面ではうっとりするほど透明感のある緑色が映えており幻想的で素晴らしい出来でした。

 

ただ本作はやっと壁を越えた少年少女たちというところで終わっており、「進撃の巨人」ならばここからがやっと本番であり、あのマーレの世界が待っているはずであり、もしや原作漫画にはそれがたっぷりと表現されているのかもしれませんが、原作漫画を読んでいない自分のような不束者には、映画だけではその点がまったく不明なので、やや未消化に終わってしまった感覚が残りました。続編も含め、今後に期待の作品でした。

2021年

1月

20日

スタンドバイミー2

コロナで上映がのびのびになっていた本作をやっと体験してこれました。前作「スタンドバイミー」はその手があったかというようなディズニー顔負けのマリオネーションアニメに、ドラえもんのなかでも一番泣けてくるエピソードを複数組み合わせて挿入し、何回観ても泣けるという作品だっただけに、今回の「2」にも期待が否応なしに高まりながらの鑑賞となりました。

 

内容的には、前回の続きともいえる、未来でののび太としずかちゃんとの結婚式の日のドタバタです。のび太がなぜか会場に現れない・・・。その非常事態を子どもののび太とドラえもんがなんとかしようとタイムマシンでおばあちゃんのところにまで行き、おばあちゃんの願いをもかなえて、なんとかふたりが無事未来へと歩みだすという物語になっています。相変わらず近未来の日本を美しいCGで見せてくれており、こんな街に住んでみたいなんて夢想してしまいそうです。

 

物語の内容としては、今作は起承転結で言えば、「承」という印象を持ちました。物語的にはやや地味ではあります。しかしあくまで本作は完結しておらず、しずかちゃんと結婚したのび太がこれからどう彼女をいかに幸せにしていくかに必然的に興味が向かいます。失敗ばかりだけれど、こころの優しいのび太君を選んだしずかちゃん。とてもめでたい展開ながらも観るものとしては、のび太&しずかのカップルのこの先が少々心配ではあります。観終わったばかりなのに、できればすぐにこの先の展開を観たくてたまらなくなりました。

 

実はそうした少年時代の主人公たちの未来を描いた作品が藤子不二雄先生にはあります。映像化はされていないのですが、かつて藤子先生のもう一つの名作「オバQ」の世界には、その後、「劇画・オバQ」という形で、未来のオバQ、大人になった正太、よっちゃん、ゴジラを描いており、シュールな現実ながらも素晴らしく示唆に富んだ作品でした。

 

この未来作品のドラえもん版を映画という形で、のび太くんやしずかちゃん、ジャイアンらの成長を観ることができるのならこんなうれしいことはありません。

 

というわけで、ぜひ、このマリオネーション・ドラえもんはシリーズ化して、行くところまで行ってほしいものです。わたしもどんなに年をとっても映画館に観に行くつもりですのでよろしくお願いします。

2021年

1月

08日

令和3年を迎えて

明けましておめでとうございます。本年も四季のこころクリニックともどもよろしくお願いいたします。

 

コロナ禍のなか、当院も1月4日に無事今年の仕事初めを迎えました。

 

今年の年末年始は異例でした。毎年の帰省も今年はやむなく中止とし、ここ東広島にてゆっくり過ごしました。普段は愛知までの往復に2日ほど費やすだけにそれがなくなるとずい分時間に余裕が出き、普段はゆっくり観れない映画やアニメなど自宅にて鑑賞三昧の時間を過ごしました。おかげで、「新劇場版エヴァンゲリオン」「アオイホノオ」の復習、「進撃の巨人アニメシリーズ」の初体験等々を一気に終えました。

 

そうしたゆったりした時間の一方で、コロナ騒ぎは収束の気配すらありません。コロナウィルス自体は新型と言っても、すでに7世代めの風邪ウィルスの仲間であり、感染力はそこそこ強くても、季節性インフルエンザの死者(毎年10000人)と比べてもさほど多くないのに、この騒ぎ。それらの結果、自粛の嵐は吹きすさび経済は止まってしまいそうです。とくに飲食業や旅行業に携わる人たちのことが心配です。

 

また土地柄、通院する大学生の方もまずまずおられますが、状況を伺うと、今年は大学卒業後の謝恩会はほぼ中止、卒業旅行さえも自粛の対象ということであり、社会に出る前の最期の休みなのに本当にさえない事態です。

  

これら自粛の嵐の一要因として、行政はコロナをもっとも凶悪な1-2類指定感染症相当と指定していることが挙げられます。まるでエボラ出血熱か鳥インフルエンザのような取り扱いを要求しているため、実際に対応する医療現場は宇宙服のような防護服で対応したり等々常にシビアな対応を迫られ、とても疲弊しています。こうした事態を医療崩壊の危機だと煽るため、余計に自粛に歯止めがかからなくなっています。

 

またウィルスに対する免疫力の人種差や国ごとの衛生観念の差異もまったく無視して、グローバリズムの追い風に乗り、イギリスやフランス、アメリカ等世界で起こっている惨状は等しく日本でも起こると仮定して、被害の想定を安易に早期に発表し、人々を煽り続けている学者や医者も非常に問題のように思えます。そうした学者たちが出世し、注目され、メディアでも持ち上げられているのは嘆かわしい限りです。

 

せめてそうした状況の打開策として、現実に即した感染症5類指定へおろすことができないものでしょうか?これはもう一行政ではなく、政府もしくは菅総理大臣の勇気ある決断が必要です。実は安倍前首相が昨夏の時点で5類への是正の必要性に言及していたのですが、その後実行に至る前に体調不良で辞任され、結局あいまいになり霧散してしまいました。

 

柄にもなくいろいろ案じたりしました。しかし上記のことなどはわたしがどうのこうのできる案件ではなく、結局わたしのできることは目の前に来られるこころがしんどくなった患者さんと誠実に対峙し、もしその症状がこころの病に関するものであれば、医療的に癒していくことしかできないわけで、今後もその道の研鑽を積んでいく心積もりです。

 

今年も本ブログにおいて、いろいろざっくばらんに考えたり、思ったり、感じたことをときどき発信していきますので、ときどき覗いてみてやってください。よろしくお願いいたします。

 

P.S.今年会えなかった幼馴染のみんなへ。来年は必ず故郷にて再会できることを祈っています。

 

2020年

12月

24日

新解釈・三國志

いよいよ暮も押し迫った冷え込む夜に、T-Joy東広島にて本作を修行してきました。

 

三國志と言えば、わたしも少年の頃、原典そのものでないのですが、吉川英治版で、その壮大な人の営み、絆、世界の広さと温かさと残酷さ、無常さに酔いしれ、読書の楽しみを教わった記憶があります。本作でも取り上げられた赤壁の戦い周辺はその三國志の世界のなかでも大きなクライマックスのシーンと言えます。

 

魏軍80万人 VS 呉・蜀連合軍3万人。こんな圧倒的な兵力差がどのようにひっくり返されたのか、新解釈を楽しみにしての鑑賞となりました。

 

観終わって感じたことは、とても笑わせてもらいました。本作の売りである、登場人物らの新たな人間像の構築は、「そう来たか~」という感じで確かに斬新に感じました。そのなかでも本作で表現された劉備の無責任ぶりと臆病さ、情けなさはすこぶる出色です。

 

当時三國志を読んでいた際も、劉備玄徳に対する素朴な疑問は常につきまとっていましたからです。とくに彼の出自に関して、あの漢帝国を築いた劉邦の末裔という自己脚色は本当かな?という疑念を越えて、たぶんはったり?とも感じられ、かなり胡散臭く感じたものでした。戦にての彼本人の弱さも特筆すべきで、英雄というよりはその愛嬌やキャラクター(もちろんそれも素晴らしい才能ですが)で老若男女から愛される大酒飲みのあんちゃんだったのではないか?とよく思ったものです。それが大画面いっぱいに表現されているのですから、観ていて痛快でした。

 

関羽ら部下の武将に関しては関羽をはじめそれほど大きな改変はなかったです。かろうじて趙雲が義に生きるという面もありながら、実はナルシスト(自己陶酔型人間)であったのでは?というところですが、その可能性は十分あります。

 

また諸葛孔明に関しては度肝を抜かれるほど思い切った改変です。聡明な妻が実はブレインで、はったりだけはあるものの無策で知恵もない孔明。なんと彼は困ったら、妻からアイデアを聞きそれを自分のアイデアであるかのように実行していたというくだりは、さすがにやりすぎかな~という感じはありました(汗)。孔明に関しては、以前から中国出身でない異人説も有力(もちろん呂布もですが)であり、そちらからの切り口でも面白かったのでは?なんて思ったりもしました。

 

そして赤壁の戦いです。周瑜の孔明への意地悪に端を発した10万本の矢獲得作戦は霧のなかの映像も幻想的で、映画ならでは大きな仕掛けで鮮やかに表現されていました。また勝敗の決め手ともなった、赤壁の戦いでは絶対に外すことができないであろう重要な「連環の計」も表現されていましたが、そのアイデアの源泉であり、伝達役も担った龐統(当時のわたしにとって孔明より推しメンでした)の存在と、計を見破りながらあえて見逃がした曹操軍側の徐庶の劇的エピソードは省かれていました。ここはシリアスな場面であり、あまり奇抜な変革はしにくかったのか、表現するには上映時間が足りなかったのか、個人的には少し残念なところでした。

 

それにしても主役の大泉洋。素晴らしかったです。コミカルでもありながらも同時に真面目な役を演じられる二面性を持つ深みのある役者に成長しつつあります。「探偵はBarにいる」でもそれらは十分発揮されているのですが、情けなくも人望のある劉備玄徳をしっかり演じ切っていました。彼がいるだけで、場を温かくリラックスさせる空気が醸成されているような気さえします。友達になりたくなるようなチャーミングさです。

 

いろいろ思うままに綴りましたが、なんやかんや言って面白く、味わい深く鑑賞させてもらいました。数年前に中国で制作された「レッドクリフ(赤壁)」よりもエンターテイメントとしては出来がいいのではないでしょうか?

 

本作の続編として、赤壁後の魏呉蜀による三国時代の完成を続編として描いてもらいたい気もしますが、関羽が死んだり、劉備も死んだりと悲劇的側面がかなり出てくるので、さすがにコミカルに描くのは至難の業であり、難しいかもしれませんね。

 

2020年

12月

14日

罪の声

本作を冬の真夜中にT-Joy東広島にて鑑賞してきました。あのグリコ森永事件の犯人像を取り扱った映画です。

 

事件はもう今から35年ほど前に実際にあった日本初ともいえる阪神および中京地方を含む広域を舞台とした劇場型犯罪でした。当時の人で知らない人はいないというほど大事件であり、コミカルなタイプライターによるひらがな中心の脅迫文、現金受け渡し場所を指定する単調な子どもの声、大阪や愛知のスーパーに実際に置かれた毒入りお菓子、そしてグリコの江崎社長の誘拐。コミカルながら得体の知れない、底知れぬ深さのある不気味な事件でした。捜査陣もそれにかく乱されたのか、名神高速大津SAなどで犯人グループの一人であるキツネ目の男を目視で捕捉しながら、警察の命令系統の不備により指をくわえて取り逃すという大失態もあり、結局犯人は捕まらず、遺留品や足跡の多さにも関わらず迷宮入りした事件です。

 

それを大胆にも、事件の動機、経緯から犯人像、そして事件の影にあった家族や声の主となった子供たちの悲劇をまるで本当にあったことのように表現した原作の映画化です。どんな映画体験になるか久々わくわくするような気持ちで映画上映に臨みました。

 

観終わって一言。本作は度肝を抜くような傑作でした。

 

映画のなかでは結末を含め、事件は見事に解決していました。このなかで本事件が実はオランダで実際に起きた事件の模倣であったということも初めて知りました。わたしを含め当時生きていた人々にとっては、本作で初めて知る事実も多く、謎だらけの事件をひも解く、目から鱗の事実の連続でした。

 

しかし事件の謎解きにとどまらず、図らずも事件に関与したさまざまな人の人生を巻き込んでいったその変遷が悲しみと無念を伴いながら、たったの2時間のなかで、これでもかというぐらいダイナミックにあふれるような映像で描かれていました。まるでノンフィクションのような衝撃とさまざまな人のドロドロとした欲望と怨念を観た思いがしました。

 

よい作品というのはいつも複合的であります。本作でも、子どもを巻き込みたくないと願う現在に生きる成長した罪の声の主と対称的に、子どもを無慈悲に容赦なく事件の声に使い、その人生を大きく悲劇的に狂わせながら、闇のなかに逃亡した犯人たち・・・。まるで幾何学のようなコントラストも隠し味として効いていました。たぶん作者や監督はこちらこそ描きたかった主題なのだと思います。なんやかんやで含蓄のある奥の深い作品でした。

 

本作は犯人像に関してはあくまでもフィクションですが、本作を観た真犯人(もう時効も成立しています)が、感動?もしくは憤り?のあまり「ちゃうちゃう  げんじつはもっとどろどろでっせ  わしがしんじつおしえたる  どくいりさかいかんべんな  怪人21めんそう 」と、いつか本事件に関する本でも書いてほしいという気持ちになりました。

 

いずれにせよ「いやあ~映画ってホントに素晴らしいです」と思わず嘆息にふける一作でした。

 

2020年

12月

08日

浅田家!

本作を暮の押し迫った夜にわが街の映画館T-Joy東広島にて観てきました。残念ながらまばらな映画館でのゆったりした鑑賞でした。

 

アイドルとしてだけでなく、俳優としてきらりと光っている二宮和也さんの最新作です。今回はカメラを通じて家族の夢をとらえ、写真のなかでの実現を果たし、それをそのまま作品とし、写真家世界の芥川賞と呼ばれる木村伊兵衛写真賞をとった浅田政志さんをモデルにしています。

 

びっくりするのはこれがほぼ実話ということです。お父さんが専業主夫でお母さんが看護師をしながら働き頭で一家の大黒柱。その普通とは異なるちょっと変わった環境のなかで思ったことをそのままやりたいようにやりながら成長していく少年。

 

まるで70年代中盤のジョンレノン家族のような、ほんわかして温かい家族が、わが故郷愛知のお隣三重県の松坂に実在していたということに驚かされました。加えて、写真を通して、家族の温かい感触がどんどん拡大していき、悲劇の災害を越えてやがて日本全体にしみ込んでいった奇跡を追体験するような時間となりました。

 

振り返ればわたしも変わった家族のなかで育ったという点では人語に落ちないのですが、それがこんな素晴らしい形で昇華していくというのは奇跡であり、人の世の物語は途方もなく、これこそが人生の意味なのかも・・・なんて思えた夜でした。

2020年

12月

01日

みをつくし料理帖

本作を木枯らしが吹きすさぶ夜に観てきました。角川春樹監督渾身の一作という触れ込みの作品であり、まだ若き頃彼のプロデュースによるあの"読んでから観るか、観てから読むか!?”のコピーが有名な「人間の証明」「野性の証明」「戦国自衛隊」「セーラー服の機関銃」といった錚々たる角川映画の作品群による洗礼を受けてきた小生などにとってはやはり避けては通れない作品です。

 

作品としては、美しくも切ない物語が編まれていました。幼き頃、同じ地域で生まれ育ち魂が通い合った親友が、生来の厳しい境遇に加えて天災にも遭ってしまい離れ離れになってしまう。その波乱万丈の人生を通して、お互い必死に生き抜いた後に訪れる運命的な再会。

 

お互いもう振り返ったり戻れない厳しい世界に所属し、お天道様様の下ともに会ったりゆっくり語ることさえはばかられる境遇になってしまいながら、子どものころに交わした暗号のような言葉によって、確かに幼馴染のふたりであることを確認するくだりは思わず泣けてきます。

 

それにしてもすごい直球でした。微妙な変化とかあえてつけずにストレートど真ん中です。久々渾身の剛速球を受けた捕手のような心境になりました。

 

この時代にあえて一切の外連味も加えず剛速球で勝負する角川監督の男気を観た作品となりました。角川監督、監督の久々の料理は非常に美味でしたよ。御馳走様でした。またの料理も期待しています。

 

2020年

11月

25日

鬼滅の刃

本作をT-Joy東広島1番シアターにて鑑賞してきました。人気漫画でもあり、ネットフリックスやアマゾンプライム・ビデオの配信もあり、大人気アニメの続編映画版です。

 

びっくりしたのは、その盛況ぶりです。柄にもなくいつもの平日の夜ではなく日曜日に映画館に行ってしまったのも失敗でしたが、満員御礼のあまり10年ぶり以上に最前列の席で真上を見ながらの鑑賞となりました。

 

映画自体の内容はほぼ完璧な出来映えでした。煉獄さんの豪快さと明るさと勇気が大画面に鮮やかに力強く真っ赤な炎のように炸裂していました。わたしでなくとも誰もがこの銀幕のなかに佇む煉獄さんにうっとり

惚れこんでしまいそうです。

 

ところで本作の大ヒットについて少し考えると、漫画自体も素晴らしいですが、本作の成功の最大要因は「アニプレックス」によるきめ細やかでいて大胆な色使いのアニメ映像化なのではないでしょうか?アニメなのに強弱をつけた線も美しく、その色合いも相まって本当にうっとりするぐらい画面がきれいでした。

 

そして物語の内容も、技も切れ、快活で後輩思い、非の打ち所がない煉獄さんのキャラクターとその動きに圧倒されます。剣の技術や性格の良さもさることながら、その志と能力の高さゆえに、鬼にまで評価され永遠の命をえさに鬼世界への入会を誘われながら、幼き頃の母親との約束を決して忘れずに、鬼と戦い抜き潔く殉死していくその魂。これで泣けなかったら嘘というぐらいの展開に思わず涙と郷愁を誘います。

 

これらを観て思い出したのは、かつてディズニーのライオンキングを観たときにも感じた親子の絆の尊さとそれを継いでいく次世代の魂の永遠です。こうした魂の物語の大正時代版であり、老若男女から拍手喝采を受けるのも納得です。いやはや度肝を抜かれた作品でした。

 

できたら今度は10列めより後ろぐらいの席からもう一度修行しなければと思わせる作品でありました。

 

2020年

11月

16日

青くて痛くて脆い

本作を秋の押し迫った夜長にT-Joy東広島にて鑑賞してきました。

 

タイトルが印象的な本作はあの「君の膵臓を食べたい」の住野よるさんの原作です。まったく前情報なしの鑑賞となりましたが、文句なしに楽しめる内容でした。

 

人とのコミュニケーションが苦手で人を避けてきた楓と、場の空気が読めず思ったままを行動に移す秋好が大学のキャンパスで偶然?出会ったことから物語は始まります。

 

「世界を変える」というモチーフを抱え、サークル「モアイ」を立ち上げるふたり。サークルが思惑以上に大きく拡大していくなかで、大義も風になびき、若い男女ゆえの恋愛など個人的感情も複雑に絡み、徐々に流されていくふたり。そのなかで決定的に訪れる別れ。その過程で決定的に喪われた秋好。その秋好を取り戻すべく柄にもなく自発的に動き出す楓。彼自身の革命が始まる。そして訪れる意外な結末・・・。

 

大学時代は誰もが「世界を変えたい」というか「何かを変えたい」という想いを胸に抱きながらキャンパスライフを送る時期があるのではないでしょうか?わたしにもそんな時期があったような気がしますが、時は残酷に流れ去り、いまやしがない中年のこころ医者がひとりです(笑)。

 

そんな覚えがあるからかどうかはわかりませんが、本作はこころのどこかを激しくノックするものがあり、まるでかつての活動的だった魂をマッサージされたような気分で帰路に着きました。誰にでもおすすめはしませんが、個人的にはこころに深く突き刺さる一作でした。

2020年

11月

02日

ミッドナイトスワン

本作を秋の夜長にT-Joy東広島にて修行してきました。トランジェンダーを下敷きに、男女という枠を越えた愛の交流の物語です。

 

物語は故郷広島を離れてから自分の女性性に気づき、女性として東京で生きる凪沙の波乱万丈の生きざまです。

 

そんな彼(彼女?)が、実家のある東広島市(なんとわが街です)から姪っ子を預かることになり、物語が動いていきます。

 

ふたりとも周囲から浮いており、世間になじむこともできない孤独な魂を抱えています。

 

そんなふたりが冷酷な社会のなかでぎりぎりサバイバルしていながら、姪っ子のなかに潜む才能の光が徐々に顕れてきます。

 

それに気づいた彼が人生をかけて選択する行為・・・。これには賛否両論があることだと思います。わたしも正直なぜにそこまで・・?と思いながら、そうした選択をせざるを得ないほど、彼らは切実に懸命に真剣に生きてきたのだ・・・と理解しました。

 

ふたつの魂の交流を活写する本作。うーんとうなりながら堪能させてもらいました。

 

おそらく本作は、時を越えて永く評価されていく作品になっていくのだと思います。今夜は名作を鑑賞させてもらった夜となりました。

 

2020年

10月

20日

ミッドウェイ

本作をまだまだ続く秋の夜長にT-Joy東広島の一番シアターにて観てきました。太平洋戦争の分岐点となったミッドウェイ海戦を描く超大作です。

 

ミッドウェイ。以前映画「山本五十六」でも書いたと記憶していますが、歴史好きの日本人としては何とも重苦しい響きを持つ言葉であり、文字通り我が国の命運を分けた戦いの場所です。

 

また世界史的にも、世界一広い太平洋という海洋のなかの米粒のような小さな島をめぐって両国が命運をかけて一点で激突したという稀有な海戦であったような気がします。

 

本作はアメリカ側からの視点がもちろん中心ですが、日本側の内面もまずまず書かれています。

 

山本五十六の賢明すぎるゆえの諦観漂う戦略、南雲忠一の自国への誇りゆえに敵国を甘く見過ぎた油断、山口多聞の鋭利でありながら生かされなかった戦術眼なども軽くですが表現されています。

 

しかし何より本作の素晴らしさは、この複雑で深遠なる海戦を映像と音響を通してしっかりと迫力十分に表現していることではないでしょうか?

 

これまでミッドウェイや真珠湾を描いた映画を数々観てきましたが、これに関しては最高傑作であること間違いなしです。T-Joyの1番シアターにての鑑賞でわたしもすっかり圧倒されました。

 

いつもミッドウェイ海戦のことを考えると、世界一の技術を持ちながら、空母から飛び立つこともできずに海に散った数多くの優秀な零戦パイロットや艦とともに敢えて沈んだ山口多聞らのことを感傷的に考えてしまうわたしですが、本作により戦争の多面性、複雑さ、迫力と残酷さ、悲しさを今さらながらに思い出させてもらいました。

 

歴史的にこうした戦いを経験した子孫である我々は、未来永劫にこうした戦いを選択しなくてもいいように日頃から生きていきたいものです。

 

2020年

10月

10日

映像研には手を出すな!

本作を例によって月曜の真夜中にT-Joy東広島にて鑑賞してきました。まずタイトルが懐かしい響きです。最近は「カメラを止めるな!」でも採用されましたが、こうした!の命令口調タイトルを聞いただけで、その命令に至るまでにどんな経過や内容があるのだろう?なんて想像してしまいます。かつて60年代末に制作されたニューシネマの邦題も「明日に向かって撃て!」とか「俺たちに明日はない!」とか!マーク入りで、はたまたどんな物語が待っているのだろうと思ったものです。

 

さて本作ですが、とても夢のある作品でした。想像力旺盛で、現実を大きく凌駕するアニメーション制作に命を懸ける?浅草みどり。一方では見知らぬ人との会話などになると、どうしていいかわからず卒倒してしまうほどの人見知り。まるでアスペルガー傾向の発達障害的女の子。こんな彼女が高校の部活を舞台に、共感できる友人を得ながら、学校での一番の権力機構・生徒会執行部の妨害を受けながら、自らの感性を爆発させ、親友らとこれまでの常識を覆すアニメーションを制作していく。高校生の物語なのですが、わたしはまるで小学校のときに過ごした夢いっぱいのハチャメチャで二度と戻れない輝いていた時間を懐かしく思い出しました。

 

本作はもともと漫画が原作で、アニメが先に制作され、待望の実写化ということですが、原作を読んでいたらまた印象が変わるのでは・・?いつか読んでみよう・・と思いながら、帰宅の途に就きました。

2020年

10月

01日

水曜日が消えた

秋の真っただ中のとある月曜日の夜に本作をT-Joy東広島にて鑑賞してきました。気鋭の映像作家の長編デビュー作ということで、タイトルの奇妙さが印象に残っている程度の知識での修行と相成りました。

 

観終わって思ったのは、なんとも摩訶不思議な世界が展開されており、リアリティがどうのこうの・・というよりは、監督の想像力の翼でこんな世界の切り取り方ってどうですか?と提示され、観るこちら側の感性を試されているように感じました。

 

曜日ごとに人格が変わる不思議な青年。事故の後遺症ということですが、さすがにわたしのようなぼんくら医者の目から見ても、こういった病や状況にリアリティはまったく感じません。しかし、もしも自分がそんな立場になって、曜日ごとに7人7様の人生を楽しむことができたら・・と考えると、これはこれで面白い設定であり、子どもの頃、わたし自身よくそんな空想に浸っていたことがしばしばあり、これを大人になってもなお映画作品(しかもメジャー作品)という形でしっかり映像や物語を構築してしまう吉野耕平監督の力技に感服しました。

 

ちなみに本作において、一番わたしの感性を刺激した要素は、上記のような不思議な世界よりも、監督(撮影や照明スタッフの寄与も含めて)の切り取る登場人物、とくに女性たちの画面いっぱいに広がる存在感と人間的魅力です。石橋菜津美さん、深川麻衣さんという女優さんに向けられるカメラというフィルターを通した優しく温かいまなざし。

 

彼女らの魅力はストーリー自体や主人公さえ凌駕しているのでは?と感じるほどフィルムを通してきらめいており、恥ずかしながら本作を観るまでまったく知らない存在でしたが、観終わった後にすぐに彼女らのプロフィールを確認するほどの、魅力的なオーラが暗闇の映画館の大スクリーンいっぱいに展開されていました。

 

こんなに女性を魅力的に撮るとは吉野監督なかなかやります。本作を観ながら、10代のころに体験した、心のうちの理想の少女像を追い求めていた、少女像の構築にかけては右に出るものがいなかった偉大なる映像作家・大林宣彦監督の一連の作品群を思い出したりしました。

 

本作での吉野監督の対象は20代の女性ですが、今後この感性(あるいは手癖?)がどう進化・発展していくのか、今年惜しくも亡くなられた大林宣彦監督の再来なるのか、それとも本作のみの偶然の出来栄えのみで収束していくのか・・・。さてさて次作はどうなるのか?

 

そんな我ながら奇妙な妄想が頭を浮かぶ自分をもまた不思議に思いながら、次作を楽しみに待って居ようと、真夜中のとばりのなか、自らの巣へ戻る秋の夜長なのでした。

 

2020年

9月

30日

思い、思われ、ふり、ふられ

本作を9月のとある月曜の夜にT-Joy東広島にて修行してきました。

 

いまや青春恋愛映画の巨匠・三木孝浩監督の最新作です。原作はあの「アオハライド」の咲坂伊緒です。わたしはまたまた原作を読まずに映画鑑賞だけなのですが、「ストロボ・エッジ」と「アオハライド」に続く青春三部作の最終作とのことです。(なぜかこの二作もしっかり映画館で観ています。)なんと実写版のあとには、アニメ版も控えているという熱の入れ方であり、さぞかしファンの支持を得ている作品とお見受けしました。いつものことながら、わたしの知らない世界ではいつも激しい熱狂や素晴らしい感動がうずまき躍動しているのだと痛感しながら、そのおこぼれをせめて映画という形で体験しようとはせ参じてきました。

 

以前に「アオハライド」や「きみの膵臓を食べたい」などでも書いたと思うのですが、こういった高校青春ものはいい歳して結構好きなのです。個人的に高校時代は大学入試突破という自分にとっては、当時のつらく厳しい生活からの脱出プロジェクト(わたしにとっては大げさかもしれませんが、映画「栄光への脱出」のようなもので当時の実感としてはそれぐらいリアルで切実な問題でした)が大きすぎてゆっくり恋愛(お互い好きあっていたのに十分な時間もこころの余裕もなく、付き合うと決めてからたったの2週間ほどで終わるという悲恋もありました)などする時間などもなく、ろくな高校青春時代を送ってこなかったことへの埋め合わせもしくはレクイエムとしての青春映画巡礼なのかもしれない・・・とこの頃は思ったりします。

 

さて本作ですが。「きみ膵」でカップルを演じた浜辺美波さんと北村匠海さんとの再共演が興味をそそるところですが、彼らがハッピーエンドになると思わせて、いい意味で必然的な肩透かしに会います。でもそれがいいのです。

 

青春はそれぞれの思惑・家庭の事情・出会いのタイミングなど絶妙に絡み合いながら、やがて次のステップに昇華していくなかでの想いや葛藤の揺れを切なく描くという物語でした。いつも感心するのですが、三木監督の映像や光の切り取り方がミュージッククリップの一シーンのように青春の一瞬間を美しく儚く切り取っており、わたしなどはどんなテーマでも三木監督作品なら、その独特の光や音や淡い色が織りなす映像世界に抱かれること請け合いであり、吸い寄せられるように観ています。あまり意識していなかったのですが、これはもうファンと言ってもいい次元なのでは・・・なんて思いながら、本作でも青春の淡い夢や感傷を刺激され、ゆるゆると帰路に着きました。三木監督、今後も素敵な青春の光と影の一瞬を切り取るような作品を期待しています。

 

P.S.ところで、浜辺さんや北村くんは「きみ膵」のころとは違い、もうすっかり大人であり、今回の高校1年生という設定というのはさすがに苦しくなりつつつあるな~と思いながら観ていました。そういう意味では、本作は,浜辺美波さんや北村匠海くんが高校生役として演ずる最後の作品なのかもしれないわけで、「もう映画館では高校生のこのふたりに会うのは最後なんだ」と不思議にしみじみしながら、ありがたく修行させてもらいました。今後のふたりの飛躍を広島の片隅にて真っ暗な映画館の光と影の下で楽しみにしています。

 

2020年

9月

24日

2分の1の魔法

本作を秋の気配が漂う月のきれいな夜に、T-Joy東広島にて修行してきました。ディズニーが誇るアニメ部門・ピクサーの最新作です。

 

父親を幼い頃不慮の事故から喪った兄弟ふたりが、父親に会える奇跡を夢見て求めながら、父親との再会を実現する過程で兄弟の絆、かけがえのないお互いの存在を確認する物語です。ディズニーが最近執拗に表現する家族愛、兄弟愛、同胞愛を表現するこころあたたまる作品です。

 

同様なテーマである、前作の「リメンバー・ミー」の方はさらに移民問題も背景にしており、より深い感慨が湧きましたが、本作はそうした社会問題を絡めず、ストレートに兄弟愛を押し出しており、難しいことを考えず、楽しいマリオネーション・アニメにどっぷりと心も体も浸しながら、ロッキングチェアに揺られているような心持ちで、ディズニー印のファンタジーを堪能させてもらいました。

 

気づいてみたら、ディズニー映画にハズレなしということも今回も実感しながら、温められたこころを抱えながら帰路に着きました。

2020年

9月

12日

弱虫ペダル

本作を秋の気配が漂ってきた9月の夜にT-Joy東広島にて修行してきました。最近、ひとつのジャンルを形成しつつある高校部活映画です。

 

原作はなんと累計2500万部も売れている大ヒット漫画とのこと。わたしも昔は漫画好きとして人語に落ちないほどさまざまな漫画を読んでいた時代もあるのですが、すっかり衰えました。恥ずかしながら、まったくその大ヒット原作の存在さえ知らない状態での修行となりました。

 

アニメグッズ購入のため自転車で秋葉原に通いつづけた結果、知らぬ間に自転車をこぐための類まれな脚力を身に着けた坂道少年がひょんなことから自転車競走部の世界を知り、その世界に入り、仲間と切磋琢磨することを通して、「One For All」「All For One」というスピリットを身体にしみ込ませながら、素晴らしい仲間やライバル、先輩を得て、人格成長を遂げていくというストーリーです。

 

上記のように書いてしまうと、「えっ、それだけの話なの?」と言われそうですが、これが実際の映像や時間というフィルターを通して表現されると、雄弁で深みのある物語となり、なにか人生で大切なものを思い出させてくれるような体験となるのが映画の魔法です。

 

わたしもこの魔法にすっかりやられ、十代のころを思い出し、すっかり元気になりました。

 

本作の秋葉原自転車通いのエピソードですが、実はわたしにも似たような体験があり、余計に共感させるものとなりました。小学高学年から中学前半のころ、わたしも同じように珍しい漫画(主に手塚治虫先生や石森章太郎先生の作品でした)を求めて、片道10キロから20キロは離れた街の本屋まで自転車で遠征していました。その目的地は名古屋の中心街や一宮、四日市といった街たちでした。わたしの住んでいた街からそれらの街へは往復にすると、20キロから40キロほどはありました。

 

そんなもの注文すればいいじゃない?と思われる方もいるかもしれませんが、当時は今と違い、残念ながら漫画はまだ下種で虐げられた存在で、本屋で漫画を注文すること自体が難しく相手にされない空気感があり、漫画好きの少年にとっては、実際の本屋で現物を見つけ、それを買うしかなかったのです。たぶん今のアニメやアイドルグッズなどもそういった世界なのではないでしょうか?加えて、電車を使えば、電車賃として往復500円~1000円ほどはかかるわけで、そんなお金があれば、好きな漫画本を2~3冊は余分に買いたいという気持ちが勝っていました。

 

時には途中突然の雨に降られたり、自転車自体にトラブルが発生したりして、このまま夜中まで家にたどり着けるのだろうかと不安に陥ることなどももちろんありましたが、それでも自転車で知らない土地をさまよう行程は大変というよりは未知の世界を自から切り開いていくようなとてもわくわくする楽しい体験でした。普段は電車に乗らない限り絶対にたどり着けないような街まで自分の力で行くということの達成感や恍惚感とともに、素敵でレアな漫画本を手に入れるという実利もあるのですから。

 

当時は少年キングに連載されていた「サイクル野郎」という日本一周を自転車でするという漫画もあり、わたしもこの体験を生かして、将来サイクル野郎のような漫画を描いてやろうなんて大それたことさえ考えたりしていました。

 

いま思えば、お笑い種ですが、そんな古き良き思い出を本作は掘削してくれて、満たされた気持ちで、わたしが帰路に着いたのは言うまでもありません。自転車万歳です。

 

2020年

8月

24日

今年はどこにも移動しなかったお盆ですが、そんなお盆明けの夜に本作を体験してきました。

 

中島みゆき作のタイトルソングが流れる予告編はとても印象的で、これは観に行かないと・・・と思わせるものがあったので、楽しみにしていました。

 

平成の30年間すべてを通して、大人の事情に翻弄された切ない別れ、成長の過程のなかでの再会、それでもどうにもならないすれ違いを経て、再び巡り合った運命のふたりの物語です。

 

ふたりが離れている間に彼は結婚し子どもができており、彼女のほうは事業を通して世界に羽ばたきながら、挫折体験を経ており、その末に故郷に足を向けるという後に、運命の巡り合いなるか・・という感じで、ラストはハラハラドキドキさせる展開となっております。

 

切なくて、恋しくて、儚くて、さまざまな事情、どうにもならない運命や無常に過ぎ行く時間に翻弄されながら、やっと準備が整い、巡り合うというふたりなのですが、彼の妻の死など、ふたりの再会には倫理的には責められることのない、都合のよい事実がうまく起こっていたり、彼女にしても、友人の裏切りから事業に失敗して失意の帰国をするという絶妙のタイミングなどが、やや偶然というスパイスを塗り込んだ物語を作りすぎたかな・・?と感じたりしました。

 

また運命に翻弄されながらも、過行く時間に自らの意思で抗わず、結局周囲の状況と時間に翻弄されながら、やっとそこにたどり着くというのも悪くないのですが、もう少しふたりの自発的な意思を通した結果としての巡り合いというほうがより感動が深いものになるような気はしましたが、そういうことを考えるわたし自身が人間の意思を重視しすぎで理想主義的すぎるのかもしれません。我ながら困った性分です。

 

しかし、本作は観る人それぞれのこころの鏡にさまざまな陰影を映しこむこと請け合いであり、わたしにしてもなんだかんだ言ったって、ラストシーンには満足しほっとしながら家路に着いた静かな夏の夜でした。

 

P.S.本作の主題歌でもありモチーフともなった中島みゆきさんの「糸」。カラオケで日本一多く歌われた年さえあるそうです。さもありなんで、独立した楽曲としても素晴らしく、映画のなかで美しく切なく流れるこの楽曲は情感をそそり、思わずうるっと来ます。さすがの一言でした。

こうなるとみゆきさんの名曲「ファイト」の映像化を期待してしまうのも当然ですが、おそらく「ファイト」は聴く人それぞれの思い入れが強く、すでに各人のこころのなかで映像化されているのではないか・・というぐらい物語性の強い強烈で感動的な楽曲なので、かえって映画化などの物語化は期待しないほうがよいのかもしれません。それでも観てみたい気もどうしてもしてしまう今日この頃です。いずれにせよ、もし映像化されたら、すごい傑作になるか、とんでもない駄作になるかの二つにひとつでしょうね(^^♪。

 

2020年

8月

08日

ぐらんぶる

本作を少しずつ人々の活動も戻りつつある8月に入った夏の暑い夜にひっそり修行してきました。

 

あのジャック・マイヨールをモデルにした素潜り野郎たちを活写したリュック・ベッソンによる名作「グランブルー」(わたしにとっても生涯の映画5傑のひとつです)を不遜にもひらがなに変更しタイトルとしているので、当然潜りものなんだろうという予測はついていたものの、残念ながら原作漫画も読んでおらず、ほぼ先入観なしの体験となりました。

 

なぜか船でしかたどり着けない離れ島に存在する大学。場所のイメージとしては、伊豆大島辺りというところでしょうか?そこに楽しいキャンパスライフを夢見て上陸した少年が裸一貫?楽しく激しくしょっぱいサークル生活にのめりこんでいく、めくるめく世界を涙あり、笑いあり、裸(男ばかりです)ありで、大画面いっぱいにおかしく楽しく描かれています。

 

思い起こせばこんなおっさんになったわたしにも18のころ青白い大学新入生の時期があり、当時入学したばかりの右も左もわからぬキャンパスにおいて、激しく魅惑的な大学サークル勧誘活動を受けていました。もう時効でしょうが、未成年なのにそうした勧誘を通して大酒飲んだことなども思い出したりしました。なかには、サークル活動と思わせて学生運動や宗教団体の勧誘なども当時は多く、おぼこく、うぶ毛もまだ残っていたようなわたし(いまやすっかりこすれまくり、産毛の跡は剛毛にとってかわられていますが)にとっては、毎日が危険でありながらドキドキもしながらキラキラ輝いていた時間でもありました。本作を通してそうした大学時代のサークルの過激さ、恍惚さ、不安感など思い出し、とても懐かしく感じ、観ながら思わず笑顔が出てくるような作品で楽しい時間を過ごさせてもらいました。

 

本作を観て久々思い出したことですが、やはり明日のことや将来のことなど一切考えずに思い切りバカやれる時間や場所って大事です。わたしにもささやかながらそうした時間が少しはあったような気がします。社会から大学というバリアで隔絶されながら、将来の不安や喧噪、束縛からも猶予され守られていたやわらかでいま思えば夢のような時間でした。そしてそれらの体験と記憶があるから、その後の窮屈な?人生を歩いて行けているとも言えるような気さえします。本作はそんなことを画面いっぱいに楽しくおかしく裸のまま主張していました。

 

そういえば、わたしも一応 Cカード(ダイビングライセンスのことです)を持っているダイバー(潜りはすっかりご無沙汰しており、いまやおかダイバーですが)です。そんなわたしにして「あ~ひさびさ沖縄の海あたりに潜りたいな~」なんて自然に考える、軽快かつ積極的な作品で、こんなご時世のなか、なんだか前向きな気持ちをもらいました。

 

2020年

7月

07日

コンフィデンスマンJP プリンセス編

相変わらず、自粛的生活を強いられる日々が続いていますが、みなさんは元気にやっていますか?

 

世間的にはやっとスポーツや映画なども再開となり、徐々に観客が戻ってきており、わたしも人の少ない映画館で細々と映画修行を再開しております。

 

と言ってもこの間、「Red」「弥生、三月、君を愛した30年」「サイコパス3」「千と千尋の神隠し」「もののけ姫」「AKIRA」などはガラガラの映画館のなかでしっかり映画館修行しておりました。通常では、映画館で鑑賞した作品は必ず、本ブログにて個別に取り挙げており、久々鑑賞した「もののけ姫」や「AKIRA」なでについては特別な感慨が生まれ、文章にしたためたかったのですが、どうもわたしの筆も自粛モードで書き逃してしまいました。もし機会があれば、またいつか書かせてください。

 

閑話休題。本作ですが、7月に入ったとある夜更けに、T-Joy東広島の大シアター1番シアターで、もったいないぐらい観客が少ないなか鑑賞させてもらいました。

 

詐欺師コンビとその仲間たちが世界を股にかけて大活躍するシリーズで、今回は舞台が、あの船を乗せているようなホテルが評判のシンガポールでした。

 

まあ何といっても圧倒的に痛快な作品でした。娯楽としての映画としては満点ではないでしょうか?

 

わたしはテレビ版は観ておらず、映画だけでFollowしている身なのですが、そうしたことにまったく関係なく、テンポよし、ユーモアよし、伏線よしで、混沌とした物語の流れが最後の最後にさらりと差し込まれるエピソードによって「なるほど~そう来たか!」という感じで、全体がきれいに一回りしたかのごとく繋がり、全体が大きく膨らんだシャボン玉のように物語が完結するありさまは「これこそ映画の醍醐味だよね~」という、映画を見終えた後も思わずにんまりとしてしまうまとまりの良い出来でした。

 

詐欺師を演ずる長澤さん(以前にも書きましたが、長澤さんは純情、おしとやかな役よりもこうした元気で少し擦れた役が自然でいい感じです)も東出さん(私生活でもいろいろありましたが、まさに人生の詐欺師役です)も堂に入っており、ふたりとも大はまり役で、今後もこのふたりの大活躍を観たいのはわたしだけではないはずです。

 

ということで、今後もこのシリーズは続くと思いますが、常に必見の作品であり、日本のM.I.シリーズのように続いていけば・・と思う痛快無比な作品で、次は地中海の国々を舞台で、彼らの活躍を観てみたいものです。

 

2020年

5月

08日

2020 Strange Days

2020年のGWは、みなさんもそうだったと思いますが、せっかく休みなのに外出できないという制約のある、まるで軟禁状態下のような人生初の摩訶不思議な日々を過ごしました。

 

この間、遠くへ出かけることもなく、自宅中心に過ごしていたおかげで、読書がたっぷりできました。・・と言いたいところですが、パソコンのWeb上で、読み逃していた雑誌のエッセイのバックナンバーなどを読んでいたら、気づけば外は暗くなり、夕食をとればいつもよりも早めの就寝で一日が終わってしまうという日々を過ごし、休日はあっという間に終わってしまいました。

 

もちろん家に長くいたおかげでいくつか決定的に気づくこともあったりましたが・・・。

 

今年のGWの天候はこんな軟禁状態のなか皮肉にも青空に恵まれましたね。おかげで気温もどんどん上昇し、高温・多湿・紫外線に弱いウイルスもわが広島ではすっかり下火になっていき、ようやく光が差してきたような心持ちにもなってきました。

 

いつもなら鯉のぼりの季節になれば、夜はビール飲みながらのテレビでのナイター観戦が定番なのですが、試合もなく、テレビのコンテンツは再放送や編集番組が多く、秋でもないのに”春の夜長”に徒然なる思いにふけった日々でした。

 

この不思議な日々の原因となったコロナウィルス(以下コロナ)についても徒然なるがままに少しだけ考えました。まずコロナはインフルエンザではなく、通常の風邪ウィルスの変型なのですが、ここまで日本において、産業や学校、人々の移動、飲食、公演交流、甲子園大会を含めたスポーツイベントをはじめとしたさまざまな日常の機能を休ませるほどのウィルスだったのだろうか?・・という漠然とした疑問です。

 

これらの是非は今後、歴史的に検証されていくでしょうから、わたしからどうこう言うことは控えますが、テレビのニュースやワイドショーで気になっていたのは、国民の不安を煽るというスタンスでしか放送していないのでは・・?という印象です。

 

ひとつだけ例を挙げると、我が国では毎年約1000万人が罹患し、直接および間接的にほぼ一万人の命を奪っているインフルエンザ。冬だけに集中するので、冬の3か月の間にはほぼ毎日全国で100人の死者を出しているインフルエンザ。わが街でも毎年普通に死者を生み出すインフルエンザ。・・・それに対して、現時点(2月~4月の3か月)で全国レベルでいまだ1000人の命も奪っていないコロナ。

 

このインフルエンザの数字を番組において客観的に提示するだけで、「なんだ毎日100人も死者を出す毎年のインフルエンザの方がよほど怖いじゃない⁈これなら毎年インフルエンザを乗り切っているのだからさほど過剰に恐れることはないのでは・・」という感じで、国民は不安ばかりにこころを揺さぶられずにまずまず安心できるのに、まったくそれらの事実を伏せるかのように伝えず、不安ばかりを煽り続けるメディア。

 

人々のこころに沸き起こるこれらの不安はウィルスを倒すはずの免疫力の低下まで引き起こすので、かえってコロナの思うつぼ?でいったい何を考えているのだろうと思わざるを得ません。

 

こうした一連のテレビを代表としたメディアの報道の仕方に悪意さえ感じてしまうのはわたしだけでしょうか?

 

まあいずれにしても、こうしたStrange Daysのなか、自分には目の前にあるやるべきことを粛々としていくしかないわけで、前を向いてしっかり歩いていこうとあらためて思ったりしています。

 

みなさんも、メディアの不安惹起の罠にはまって免疫力を低下させないよう、前向きなこころを見失わず、ときには太陽光を浴びたウォーキングなどをして、心身を鍛えながらこのコロナ渦を乗り越えていきましょう。

 

2020年

4月

08日

クリニック7周年を迎えて

毎年のことながら、お釈迦様の誕生日であるこの日4月8日に四季のこころクリニックも誕生日を迎えました。

 

無事満7年を迎えれたのは、地域の皆さんや縁のあった皆さんのおかげでもあり、感謝に堪えません。ありがとうございます。

 

ちなみにお釈迦様の誕生日と同日というのは狙ったわけではなくまったくの偶然です。ただ「8」という数になぜか昔から縁があり、わたし自身好きな数でもあり、せっかくだからと8日を開院日としたら、これが素晴らしく縁起のよい日だったというわけです。

 

この際ですから少しだけ日にちと数字にまつわる不思議な縁を語りますと、クリニックの電話番号は082-421-8848ですが、これも縁起の良いいい並びで「4」と「8」が入っていますよね。これも希望指定したわけではなく、クリニックに電話を引くときに、NTTでこの番号のなかから選んでくださいと言われた20ほどの候補のなかに入っており、まさに選んでくれと言わんばかりに、光の矢のごとく目に飛び込んできたため開院時に選んだのですが、当時我ながらびっくりしたものです。実はこの後さらに奇跡のようなことが続くのですが、たかが数にこだわりすぎるのもなんだかね~という感じに受け取られるでしょうからこれぐらいにさせてください。

 

閑話休題・・・。クリニックは明日から8年目の旅の道に入ります。最近、クリニックでの診療はさまざまな人との出会いの旅のような気がしています。さまざまな季節を越えて少し疲れた旅人が扉をときどきノックしてくれる場所が当院であれたら…なんて夢想したりしています。

 

いずれにせよ今後も初心を忘れず、こころや神経に病が訪れ困られている方に、医療を通して力になれるよう微力ながらも、誠実に親切に明るく取りんでいく所存です。今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

 

P.S.毎年この時期になる度に温かい心配りをしてくださっている方々にこの場を借りてお礼を言わせてください。いつも見守ってくださりありがとうございます。これからも頑張っていきます。

 

2020年

4月

03日

野生の呼び声

本作をいよいよ妙な病原体の脅威に翻弄され始めた世間を尻目にひっそりとT-Joy東広島で鑑賞してきました。案の定、広いシアターにはわたしを含め、観客はたったのふたりの貸し切り状態でした。

 

元は飼い犬であった雑犬バックが、ひょんなことから犬売人にさらわれ、その後波乱万丈の人生(犬生?)を送りながら、成長していき、最期は心が通じ合う老人とともに山と自然と同化していくという物語です。

 

興味深いのは、人間の成長物語なら、成長に連れて、都会に出ていく感じなのですが、犬の場合、その逆でどんどん人間世界から離れて野生に戻っていくという点です。

 

こうした展開は、原作のジャック・ロンドンに限らず、ホイットマンやマーク・トウェインといったアメリカの生んだ国民作家には共通に見られる要素であり、アメリカ文学には、文明社会に対する疑念とともに大自然に対する畏敬の念、自然と人間の共存への憧憬がそこかしこに溢れています。

 

音楽面でも、文明社会に背を向け列車の屋根に乗って各地を旅するホーボーとして歌を作ったウディ・ガスリーは言うに及ばず、いまやアメリカの国民歌手となったボブ・ディランにしてもそうした面は明らかにうかがえます。

 

最近はIT社会をけん引し、ありとあらゆる情報と物質で世界を蹂躙するかのようなアメリカですが、本作を通して、「アメリカ人の心の源泉である野生への回帰を忘れてはいけないよ」とディズニーが警鐘を鳴らしているような気がしました。

 

21世紀に入り、再び世界の覇権を中国と争っているアメリカ。いま世界はアメリカがこの数十年声高らかに推奨し推し進めてきたグローバリズムの必然的な帰結と言うべき病原体の蔓延に翻弄されている真っ最中です。こうした古き良き素晴らしいアメリカンスピリットを現大統領にも思い出してもらいたいものです。

 

グローバリズムという境界なしの人や物の行き来きが生み出してしまう、終わりなき経済競争や生存闘争から勇気をもって降りて、我々は世界での成功や物質的栄華を遮二無二目指すことなく、自国を中心に平穏に暮らし、少々経済効率が劣っても様々な必需品(マスクをはじめとした医療品や農産品等々)を自給自足して、むやみに他国に依存せず(できれば軍事防衛力も)、まっとうで普通な人としての道を歩んでいくときが来ているのだよ・・・と、その病原体は我々愚かな人類に対して、世界じゅうに聞こえるように高らかに警鐘を打ち鳴らし、これから人類が歩んでいくべき道を親切にも照らしてくれていると感じるのはわたしだけでしょうか?

 

 

2020年

3月

20日

Fukushima 50

本作をT-Joy東広島にて、春の夜に鑑賞してきました。もう9年前になる、日本のみならず、地球にとっての大惨事となった福島第一原発で当時現地で奮闘した50人を描くドキュメント映画です。

 

観終わって、事実であることが今でも夢であってほしいと思ってしまうような悲惨で混沌としていた出来事をよく再現していると思いました。角田隆将さん(「なぜ君は絶望と闘えたのか」を始めとして素晴らしい仕事を常にされており、いつも気になる作家のひとりです)の原作も素晴らしいのだと思われます。

 

吉田所長(この直後、癌を患い既に亡くなられていますが、まるで日露戦争の勝利のために精も根も使い果たし、終戦2年後に急逝した英雄・児玉源太郎を思い出すのはわたしだけでしょうか?)の命をかけた大奮闘をはじめ、所員らの命を惜しまないほどの闘いが素晴らしい臨場感のある迫力十分の映像とともに展開されていました。日本人なら一度は観ておくべき映画と思われます。

 

いつも原発について考えされられるのは、東日本大地震の津波は東京電力にとって想定外の高さだったということですが、本当にそうでしょうか?もしかしたら、経費削減のために、堤防や立地の高さを十分でない状態で建設していたのではないか?という疑問がどうしても残ってしまいます。同じような津波が襲った宮城の女川原発はほぼ無傷だっただけに余計にそれは気になってしまいます。

 

いずれにせよ人類は原子力というパンドラの箱を開けてしまっており、地球さえ壊すほどの危険性を持つ道具であることは重々承知のはずで、想定外なんてことはあってはならぬ事態で二度と福島原発事故のような事件が起こらぬことを祈るしかありません。

 

個人的には原発に頼らない道が人類の歩むべき道だと思いますが、現実にはすぐには無理でしょうから、そうであれば、二度と想定外・・なんて言葉が出ないように、今後も原子力を管理していく運命に人類は相対しているのだという当たり前のことを本作によって改めて心に刻んだ夜となりました。

 

2020年

3月

10日

ジュディ 虹の彼方に

春にしてはまだ寒い月曜日の夜、T-Joy東広島にて本作を鑑賞してきました。1939年の「オズの魔法使い」、1954年の「スタア誕生」といった傑作ミュージカル映画の主演女優で、英米で今も猛烈な人気があるジュディ・ガーランドの最期の日々を描いた音楽伝記映画です。

 

「ボヘミアンラプソディー」の大ヒット以後「ロケットマン」といい本作といい、ミュージシャン映画が製作されており、個人的には大変喜ばしい限りです。

 

ジュディ・ガーランド・・・名前は聞いたことがあるものの、恥ずかしながらどんな女優か全然知らない状態で、本作に臨むことになりました。

 

若い頃から才能を見出されたものの、その才能故に映画会社から太らないようにと薬漬けにされながら、歌手としての人生の輝きを47歳で果てる最期の時まで追い続けたジュディの人生が、人生最晩年のロンドン公演を中心に描かれています。

 

舞台の上で輝く才能の光と、ドラッグや借金、三度にもわたる離婚問題にまみれたドロドロの私生活の影。この陰影が映画を縁取りながら、ラストに彼女にとっての最期になるであろう優しく熱い歌唱「オーバーザレインボー」に辿り着き、彼女の人生が集約されます。歌うという行為によって、人生の光と闇を鮮やかに表現することができた希有な才能の最期の光が本作のクライマックスであり、その最期の歌唱であるステージシーンには圧倒されます。歌詞の内容も彼女の人生の彼方を示唆しているようで、思わず泣けてきます。

 

もちろんこの歌に至るまでのハチャメチャな人生道程があればこそ、最後の歌唱が瓦礫のなかで輝く金の指輪のように、稀有なきらめきを放つわけでですが、常人離れした表現、混沌とした生活、それでも光り輝く魂・・・これらの清濁混じるさまざまな要素を組み合わせ、ついには芸術的昇華を達成し、まるで自らの人生をそれらと心中させるかのような天才たちの営みは、世界の至るところで、ときに美しく儚く存在しており、本作を観終わった後にはそんな人たちのことを思い出す人も多いのでは?と思ったりしました。

 

わたしにとっては、たった26歳で夭逝した表現者・尾崎豊です。彼のライブにはデビュー時の名古屋の芸術創造センターでのFirst Live Concert Tourから亡くなる直前のBirth Tour(広島グリーンアリーナ)まで、広島はもちろん名古屋でも大阪でも全国津々浦々と出かけ(それにしても当時は嘘のように有り余る時間がありました)、通算6回ほどは参加できましたが、常にステージですべてを燃焼させ、精も根も燃やし尽くすような熱い表現でした。

 

特に数週間後にドラッグで逮捕されることになる四日市公演(Trees Lining A Street Tour)の凄まじさは今も我が人生のベストライブのひとつです。すでに2回のアンコールも終わりステージの片づけが始まり、客電(会場の照明)も全て点灯し、帰っていこうとする観客に向かって再びステージ中央に滑りこむように飛び出してきて、「まだ終わりだなんて誰も言ってないぜ・・」とつぶやき、ひとりピアノに向かい、まるでグレン・グールドのように背中を折り鍵盤にうつぶせるようにして何かを探すような鋭い目で見えない敵をにらむように歌い続ける汗だくのTシャツ一枚の彼の姿・・・。今までさまざまな場所でさまざまなアーティストのライブを経験しましたが、後にも先にも初めての体験でした。あの日の彼のエネルギーの残照がまだ自分のこころの奥にチロチロ燃えているのではと思うことさえ今でもあるほど強烈な体験でした。(たとえそれが覚せい剤のなせる業であったとしても、その夜の彼のエネルギーのスパークと彼の背中をまっすぐに突き刺すオーラのような白い真っすぐな光は、この先こんな場面にもう二度と会えないのではないか・・という不安と恍惚を感じさせるほどの眩いばかりのきらめきを放っていました)あたかも彼のライブは参加したすべての悩み多き若者たちに生きていく勇気を与えているかのようでした。

 

しかし、私生活のレベルでは、その尾崎も燃やし尽くした後の反動はかなり大きかったのではないかと今更ながらに思い出したりしました。

 

彼らが表現してくれた「短く花火のように輝き、燃え尽きる人生」に感謝し畏敬の念を抱きながら、もう彼らが生きた年月を越えてしまった情けない自分のことはさておき、能天気なわたしは帰路思わず「 Somewhere ~Over The Rainbow,Way Up High ~ 」なんて口ずさみながら、ウィルスの足音が聞こえるような漆黒の夜を車で駆け抜けていきました。

 

2020年

3月

06日

スターウォーズ スカイウォーカーの夜明け

3月のはじめ、妙なウィルスの影を感じながら、子どものときから折に触れて、観て感じてきた本作9作目を楽しみにしながら鑑賞してきました。

 

聞くところによると、これがスターウォーズサーガの最終話であるとのこと。ベートーベンで言えば、交響曲第9番。いよいよオーラスです。

 

観終わって思ったのは、壮大な物語というのはだいたいこのように終わるものという典型であるような気がしました。初代から数えて、3世代目でひとつの区切りがつき、希望のある未来に向かって先代の意思を受け継ぎながら、次世代の勇敢なる人たちがさらなる一歩を進めていくという感じです。

 

3代にわたる家族の興亡史というのは、人類の文学史のなかでは非常に伝統的であり、スターウォーズもそれをしっかり踏襲しており、40数年前に登場したときは、サブカルチャー世界から発信された本作が時を経て、メインカルチャーになったという感慨もあったりしました。

 

それにしても、40年前に登場したときは映像にしても提示する世界観、音楽、スピード等々・・当時としては圧倒的で衝撃的でありました。その物語が21世紀まで継続するなんて思いもしなかったですが、気づけば年の過ぎるのはあっという間であり、少年だったわたしもすっかり年をとり、いいおやじになってしまったわけで、本作を観て時の流れを噛み締めるいい機会になりました。

 

2020年

2月

29日

パラサイト

本作をアカデミー賞作品賞を受けて、大シアター1番シアターで大々的に上映する技に出たT-JOY東広島にて修行してきました。

 

なんといっても、カンヌのパルムドールとの同時受賞です。これは映画ファンとして見ないわけにはいかず、さっそく修行に行ったという次第です。

 

観終わって思ったのは、社会的批判も織り交ぜながら、半地下生活の詐欺師一家の活躍は笑いがこみ上げるような軽妙さ、そして最後にはスピード感を伴ったカタストロフィーが待っているという、怒りもあり、ユーモアもあり、不条理もあるという痛快な作品で、あっという間に時間がたつ映画でした。

 

本作の根底に流れる社会批判的要素は、本ブログでも以前取り上げた「アス」「万引き家族」と完全にシンクロしており、こうした格差社会への異議申し立てという要素は世界のどこでも共通していることなんだという認識を新たにしました。

 

一方で、半地下の悲惨な家という舞台(すべてセットだそうですが、素晴らしい構築力です)は北朝鮮対策も兼ねた韓国独特の文化であり、高台の豪邸(これも完全なセット)がうっとりするほど素敵であり、こうした格差を理屈でなく、圧倒的な映像で表現されており、監督の技巧の高さも強く感じさせるものでした。

 

加えて、人や建物が発する臭いと人間の生理的反応とモールス信号も隠し味として、小気味いいぐらいスパイスのように効いており、作品全体として奥深い作品にもなっています。

 

しかし、それでもパルムドールとアカデミー賞の同時受賞についは、正直違和感を覚えました。確かにさまざまな要素が入りまくりながら、軽妙な笑いやユーモアも忘れず、ラストに向かっていく飽きさせない構成は素晴らしく傑作には違いないです。それでもカンヌはともかくアカデミーまで獲るとは・・・。最近のアカデミー賞の社会派映画への偏向をまたまた感じざるを得ません。

 

ここのところ、カンヌにしてもアカデミーにしても、「万引き家族」もそうでしたが、エキセントリックな不条理世界に強く共感する傾向にあり、今年もそれが強く出すぎているような感慨を持ちました。これも現実社会への映画界からのメッセージととらえるべきなのかもしれませんが・・・。

 

ちなみにおそらく本作のクライマックスと言えるラストシーン周辺についてですが、「アス」をすでに観ているせいか、最後はカタストロフィー的展開になるのでは?という予測可能なものでしたが、皆さんはどうでした?

 

もしや「アス」の影響ではなく、わたし自身がもともと内面レベルでアンダーグラウンド好きな半地下生活的心性を持っているので、ラストシーンも含めて、普通に違和感なく受け入れ予測してしまったのかもしれず、ここら辺については、いつか本作を観た友人とゆっくり議論してみたいな~と本文を書きながら痛切に望んでいる自分がいたりします。

 

なんやかんや言っても本作はやはり映画館で観ておかなければ始まらない作品であり、本作を観た感想や感慨や考察などを肴にお酒でも飲んでみたいので、ぜひとも映画館で体験されてください。いずれにせよ、そういう想いに至るという時点でやはり本作は傑作なのでしょうね(笑)。

 

2020年

2月

14日

ラストレター

 本作を春を感じさせるような暖かな冬の夜に、T-JOY東広島にて鑑賞してきました。

 

待望の岩井俊二監督作品です。すべての映画監督のなかでも、独特の映像や音像の美学、美しくロマンティックな物語を常に作品を通して提供してくれています。べた褒めですが、古いブログを読んでくださった方ならお気づきのようにわたしは大の岩井俊二ファンであり、20代で岩井監督の作品に出会い衝撃を受け、その映像世界に刮目させられたことが今も映画を観続けているエネルギーのひとつともいえ、一度もお会いしたことはありませんが、映画界のこころのメンターとも言えます。(ちなみに10代のときは尾道出身の大林宣彦監督です)

 

タイトルからして、あの名作「ラブレター」との関連も思わせ、実際に豊川悦司&中山美穂のコンビも本作にちらりと顔を出しており、他の出演者らの顔ぶれも岩井監督の作品ではよく見てきた顔ぶれであり、まるで集大成のような作品なのかな?という印象さえ持っての修行と相成りました。

 

さて観終わった感想ですが、監督独特の情緒あふれる映像は相変わらずで、今回は監督の故郷である宮城を初めてロケ地としており、セットはほとんど使っていないようで、いったいこれは宮城のどこで撮ったのだろうなんていう興味も沸かせるものでした。

 

遠くに過ぎ去った過去の美しい想い出、無邪気な恋心、現在まで続く恋慕と悔恨、すれ違った想い、成就できなかった想い・・等々を行き交う何通かの手紙を通して繋ぐ。そして最後に封を切られなかった手紙に辿り着く。なんというロマンティシズム。久々だな~この感じ。

 

映画を観終わった後、遠くに過ぎ去った高校時代の恋心を掘り起こされ、監督から「ねぇ、きみたちにもこんな純粋で遥かに続くような恋心があったはずだよ。。忘れてしまっていないかい?」と問いかけられているような声が幻聴のように聞こえました。

 

しかし一方で気になったことはせっかくの1番シアターでの上映だったにも関わらず、観客は10人に満たない入りでした。わたしのような岩井監督ファンならば、うっとり楽しめるでしょうが、本作は微妙に作品世界が現代と乖離しており、かつての名作「ラブレター」ほど誰にも伝わるレベルの普遍的な美しい完全な出来ではないということにも気づかざるを得ず、監督の自作を否応なしに期待したいとも思いながら、春の訪れが近づいていることを感じながら、月夜の下、帰路に着きました。

 

2020年

2月

10日

カツベン!

本作を2月に入った夜にT-JOY東広島にて修行してきました。独特な映画的創作世界を見せる周防監督の新作です。

 

本作は大正時代に実際にあった活動弁士という仕事を通して、刑事に追われながらも徐々に成長していく青年の物語になっています。

 

主演の成田凌さんが主人公の俊太郎に見事にシンクロしており、物語の最後には彼自身が見事なカツベンぶりを身に着け発揮するにつけ、拍手を送りたくなるような作品になっています。

 

その過程のなかで、幼馴染の初恋の女性も失い、劇場も火事で焼け、カツベンの仕事も失い、刑事にもしょっぴかれ、主人公は一旦全てを失いなにもなくなってしまいます。人生は甘い蜜もありながら現実はとても厳しい・・・ということをさりげなく銀幕を通して若者に喝を送っているところなどさすが周防監督だと思いました。

 

あわせて,大正時代、おそらくまだ国も貧しく誰もが未来に向けて不安を持ちながら、落ち着かない気持ちで必死にモボやモガたちが生きていた時代の空気感の映像化、音像化もさすがの周防監督の魔法がそこはかとなく漂っている作品でした。

 

観るものはゼロになった俊太郎が未来に向けて歩んでいくことを確信しており、「人間には大好きで賭けるものさえあれば、どこでだって生きていける」というような監督からの励ましをもらってような気がして、いい歳をとったわたしなどもいつもより少し元気になって、映画館を後にしました。

 

2020年

2月

01日

ドクター・スリープ

本作を例年より暖かな冬の夜に、わが街の映画館T-JOY東広島にて修行してきました。

 

あの言わずと知れた1980年上映の名作ホラー映画「シャイニング」の続編です。原作小説はスタンリー・キューブリックにより大胆に改編され、原作者スティーブン・キングからは「あの映画はホラーのなんたるかがまったくわかっていない」と大顰蹙と憤慨を買ったという前作ですが、それゆえにキューブリック印の複雑で痛快な恐怖作品ながら、主人公のジャック自体いったい何者なのかという、謎の多い、奥深い作品となり、映画好きなら知らぬ人がいないほどの金字塔となっています。

 

さて本作ですが、前作で残された遺児ダニーが成長して、あの忌まわしきオーバールックホテルを再訪し、そこで再び邪悪なものと対決するという物語になっています。本作の細部には、前作の構図の再現や隠し芸が多いということはなんとなく感じましたが、これは前作を見ていなければ、なかなか伝わりにくく、わたしにしても前作を見てから30年以上たってしまっており、DVDで前作を復習しておけばよかったという感慨を持ちました。

 

しかし前作を忘れていても、大人になったダニーの過去のトラウマの克服および魂の再生物語とみれば、十分に楽しめるようになっており、邪悪なものとの闘いはスリルたっぷりの手に汗握る展開となっており、ホラーというよりは痛快活劇を観たような気分になりました。あえて言えば、ジャックニコルソン演ずるジャックの再登場が欲しかったですが、おそらくその出演料は映画の制作予算にかなり響くので難しいかな~なんて思いながら、ダニーの魂の再生を見届けて、心晴れやか気分で帰路に着きました。

 

2020年

1月

15日

マチネの終わりに

大変遅まきながら、そろそろ上映終了となるような時期にやっと本作との迎合がかないました。

 

元々小説として傑作であることをわたしの古い友人から聞いており、小説もすでに買っていたのですが、この間私的有事が重なり、原作もなかなか読めず、結局映画体験も終映間近にやっと間に合ったという状況になってしまいました。

 

いま役者としても油が乗り切った福山雅治さんと石田ゆり子さんのダブル主演というのも楽しみな本作です。

 

見終わって感じたのは、本作は映画だけでは完結しないのだろう・・・という確信に近い想いでした。映画だけでは、蒔野が洋子にたった一度の迎合であそこまでの想いに陥るとは思えず、婚約者がいた洋子がそれを捨て蒔野に走るという心情もおそらく原作の文章では、その心象が精緻に描写され、読むものに説得力を与えているのだろうと思ったからです。(実際にその後原作を読んだのですが、ほぼ予測は当たっており、ふたりをはじめとする登場人物の心象描写の洪水のような作品でした)

 

人間の運命というのは不思議なもので、本来ともに交わり人生を歩んでいくはずのふたりが、ほんのささいな横やりやすれ違いによって離れていくことは、実際の人生でもよくあることです。わたしにも、ここまでドラマチックな出会いと別れではないにせよ、少し覚えのある体験です。おそらく原作の大ヒットは誰もが体験するかもしれない運命の人たちのすれ違いや別れ、喪失感に対する魂の共鳴が多くの要因だったのでは・・・?なんて思いました。

 

いい映画は自分のこころの奥にしまわれたさまざまな記憶や想いに光を当て賦活してくれます。そのことを久々思い出させてもらった作品でした。

 

最後に本作の救われるところは、この先の時間のなかで蒔野と洋子がすれ違いの時間を乗り越えて、新たな未来を紡いでいくのでは・・という想いを抱かせるところであり、現実の人生もこうであったら、なんと魅惑的で素晴らしいことだろうなんて、祈りのような厳かな気持ちで映画館を後にしました。

 

2020年

1月

08日

令和2年を迎えて

新年明けましておめでとうごさいます。

 

わたしの方は、今年も年末31日から新年3日まで無事地元愛知への帰省を楽しんできました。毎年のことながら単独での帰省なので、この時期はまるで故郷に単身帰省する大学生の頃に戻った気分になります。

 

長躯450キロほどの道のりをゆうらりドライブして帰ると、そこではとても楽しみな会が待っています。それはすでに学生時代から足掛け20年以上も毎年続いている、元日の深夜遅くまで飲み続けた挙句にそのまま初もうでにでかけるという小中学校時代の仲良しが集まる正月会です。その会では一年に一度しか会えない友人らと今年も元日の深夜に無事年を越えて出会えたという安心感や労いの笑顔が弾みながら、とりとめもない話を美味しい食事とお酒をいただきながら、あっという間に時間が過ぎ去ります。

 

年末年始のこの期間には正月会の他にも、地元の長島スパーランドやなばなの里イルミネーション(口絵の写真)や地元イオンやアウトレットモールなどの初売り、寿がきやラーメンをはじめとする地元グルメ巡りなどを家族と回りながらゆっくりと過ごします。毎年同じようなことをしており、よく飽きないものだ・・と我ながら思いますが、この4日間を通して実は人生の楽しい時間の縮図を濃厚時短で過ごし、魂の浄化を図っているのではないだろうか・・と最近は思ったりしています。

 

友達との会話、未来への祈り、美味しい食事、癒される空間、懐かしい目に馴染んだ風景、楽しい移動の時間、お得な買い物・・等々が実質3日余りの時間のなかにぎっしり詰まっているのです。

 

そんな濃厚な年末年始を過ごして、1月3日には再び自家用車で6時間ほどかけて広島に戻り、翌1月4日から今年の初診察を行いました。土曜日であり、この土曜日という日は仕事をされている方が多く受診され、いつも忙しく、診察が終わった後には疲れを感じることがときにあるのですが、この日はほとんど疲れなく、すっきりした気持ちで診察を終えることができました。おそらく正月における心のデトックスのおかげだと思い、ありがたく濃厚な時間とともに友人らの顔、馴染んだ街や国道、駅前の風景、柔らかな冬の陽光、きりりとした冬の空気の感触を思い出したりしました。

 

そして新たなる令和2年が始まりましたが、今年は何と言っても我が国にとっては56年ぶりのビッグイベント東京五輪もあります。それらもしっかり楽しみではありますが、何よりも来年正月に笑顔で故郷の友人らと再会できるよう、何事にも積極的な心で取り組み、魂の成長と深化を図りながら、日々生活や仕事を通じて精進していく決意を新たにしています。

 

今年も四季の心クリニックともどもよろしくお願い申しあげます。

 

2019年

12月

27日

アンドレア・ボチェッリ 

本作を年の押し迫った寒い夜に、T-JOY東広島にて鑑賞してきました。実在する全盲の歌手アンドレア・ボチェッリのライフストーリーです。

 

こういった芸術家の人生を表現する作品は、広島市内にあるサロシネが得意とする分野であり、わが東広島にて本作が上映されるというのは、結構世界的にヒットしており、かなりポピュラーな作品なんだろうな~という憶測をもとにしての修行となりました。

 

幼いころに体質と事故が重なり、ほぼ全盲になってしまったボチェッリ。しかし、彼自身の眠る才能と音楽への強い憧れと想いが彼を素晴らしいオペラ歌手に導くまでの物語となっています。途中あきらめかけたときに、妻をはじめとする家族の励まし、彼の才能を信じる厳しい声楽の先生らが、アンドレアを後押しし、結局彼は大きなチャンス(イタリアのロックスターにチャンスを与えられるというのが嘘のようなホントの話です)をつかんでいきます。現存するレジェンドの半生を描いた佳作となっています。まるで作り話のような本当の話であり、素晴らしいオペラのコンサートシーンもあり、世界的にも受け入れられるのも当然の作品でした。

 

個人的にさすがだな~と感じたのは、幼少時からの全盲にも関わらず、大学法学部を卒業し、法律家として一時期働いていたことです。目が見えないというのは、おそらく手足がないことよりもハンデとしては大きく、わが国でこうした人の存在を寡聞にして知りません。これは本人の努力もですが、家族の支え、社会の理解協力がなければ、なかなかできないことです。イタリア・トスカーナ地方の素朴な自然のなかに流れる美しい音楽とともに、奥深い社会的資源の存在も感じたりし、寒い季節にこころを温めて帰宅することができた作品でした。

 

ジャンルを問わず、美しい音楽やイタリア好きには必見の作品でした。

 

 

2019年

12月

17日

アナと雪の女王2

本作を封切間近にT-Joy東広島にて鑑賞してきました。もう野暮な説明も不要といえる世界的ヒット作の続編です。

 

前作において、さまざまな試練を乗り越えて、やっと心の氷が解けたエルサが何ものをも凍らせてしまう能力をなぜ身に着けたかを母親との関係を中心に今作では表現しています。

 

エルサの両親の出会いとその結末、自身の出生の秘密、とくにいまは亡き母親との関係を解き明かしながら物語は進んでいきます。その過程において、残念なことながら、世の中にはどうしようもない悪意があり、それらとのかかわりや運命への対峙の仕方もやんわりと示唆されており、物語は前作よりも深化を遂げています。

 

そして何よりもディズニーお得意のマリオネット・アニメーションがさらに成熟し炸裂しており、オラフの変幻自在の変態やなめらかな動きや映像自体も素晴らしく、総合エンタテイメントとしてもう言うことない出来でした。

 

今回は吹き替え版で見ましたが、もし都合が合えば、英語版でも体験してみたいと思う素晴らしい出来でした。

2019年

12月

10日

蜜蜂と遠雷

12月初旬の寒い夜に本作を修行してきました。最近ときどき見られるギフト(才能)ものです。

 

テーマは音楽。そしてピアノ。わたしも個人的にはモーツァルトやショパン、ドビュッシー、サティ、エヴァンスらのピアノ作品を日頃から仕事の合間に愛聴しており、とても楽しみな作品でした。

 

それぞれ背景や境遇、天才の要素が異なる4人がひとつのピアノコンクールという舞台を通して、そこで迎合し、なにかをスパークさせ、その才能をさらなる高みへと昇華させていく過程が実際の音と映像を通して適格に、かつ気持ちよく表現されており、こんな映画を日本は作れるようになったのだ・・と感嘆しながら見終えました。

 

実際に本作のために作曲された「春と修羅」と4人のそれぞれのキャラクターの違いにしっかり寄り添い作曲され演奏された4種類の異なるカデンツァももちろん素晴らしいのですが、何といっても主人公と少年が夜誰も知らないピアノ修理工場で奏でる連弾・ドビュッシーの「月光」のシーンにうっとりさせられました。

 

もうこれらを音と映像で表現していただいただけで大満足の本作なのですが、主人公の母親の死に伴う葛藤を交えながらこのコンクールの結末までを淀みなく素晴らしい音楽と映像を交えて表現されており、ひとつの映画作品として原作を知らなくても十分に完結しているという点が素晴らしく、劇場ではわたしを含め10人ぐらいの観客だったのですが、もっとたくさんの人の目に触れるべき作品だという想いを持ち、映画館を後にしました。

 

P.S.本作は音楽表現を映像にした傑作ですが、音楽表現をテーマにした個人的に思い入れの深い傑作音楽漫画があります。それは「のだめカンタービレ」と言いたいところですが、「変奏曲」(竹宮恵子作)です。これは同じ時系列的出来事をそれぞれの登場人物の視点から、まさに変奏曲のように同じ楽想からさまざまな楽曲という物語が並行しており、微妙な平衡感覚を維持しながら、「革命と運命という十字架を背負いながら人生という列車のなかを流れ消えていく音楽と情熱」を素晴らしく深く表現している金字塔だと思います。これが今から40年近く前にすでに表現されていることに脅威と感嘆を覚えます。10代後半で本作と偶然出会ったわたし(連載時のリアルタイムではなくすでに全巻が単行本化されており、いわば追体験でした)は読んで即座に本作に完全にノックアウトされ、その後何十回も繰り返し読みながら、・・芸術や表現で魂を磨いていくという世界があるのだ・・ということを知り、その世界にあこがれ、現在のような仕事に繋がっていくきっかけを作ってくれたといえるような、感謝すべき作品です。でも残念ながらあまり知られていません。もし音楽の映像もしくは漫画的表現、魂の探求、旅としての人生に興味を持つ方がいましたら、チェックされることをお勧めします。

 

 

2019年

11月

30日

宴の後に

5年に一度、オリンピックより頻度の少ない小学校のクラス会が終わってはやひと月ほどたちます。

 

わたしのクリニックブログは意外に古い友人らも読んでくださっていて、前回のクラス会についてのブログアップのあと、それを読んでくれた広島ゆかりの友人から、いつかわたしが故郷に戻りたいと念願しているのでは・・?との感想を持ったとメールにていただきました。

 

それについて今日は徒然なるがままに書いてみようと思います。

 

まずは結論から書くと、わたしは二度と愛知に戻って定住することはないです。もちろん正月ぐらいはさすがに帰省したり、5年に一度のクラス会に歓んで出席しますが、それだけです。

 

いくつか理由があるのですが、最も大きな理由は広島という土地や風土や人たちが、かけがえのないものとして、30年間にわたしの魂に沁みついてしまったからです。30年以上前に最初広島に住み始めたときは、千田町の下宿で黄色く光る裸電球の下、薄いふとん(最初の一か月は寝袋でした)にくるまれて木の天井の年輪や染みを見つめながら、「早く医者になって名古屋に帰りたい」と毎晩のように涙を流さんばかりに願っていたのだから不思議なものです。

 

大きかったのは、何と言っても人との出会いでした。いろいろな広島人が医学生であるだけの何の資格もなく何者でもない夢だけを抱えた小さな存在をあたたかく受け入れ助けてくれました。愛知にいたときは、常に背後に家や親戚や地縁、血縁というしがらみに近いものを感じながら、高い生産力を持つ風土独特の競争原理の下、それなりに努力し切磋琢磨しなんとかサバイバルしていた自分は、(周りの人にはそう見えてなかったとは思いますが)笑顔の下で傷だらけでボロボロになった魂と大きな不安で満たされた心を抱えていました。そうした経過を経て、先の見えない苦しい状況の打開策として念願の医学生となり、やっと広島に辿り着きました。文字通り仕送りゼロの広島生活の始まりでした。

 

そんな何もなく裸同然の自分なのに、下宿(風呂なし共同トイレでしたが、広島市中区の中心地で家賃なんと1万2千円でした)の大家さん家族らをはじめ、あまりにも多くてここではあげきれない人たちが助けてくださり、そんな人らの物心両面(とくに食事面ではいろいろな家でお呼ばれにあずかり、まさに飼い主不定の野良犬状態でしたが、そこかしこで食事をしながら楽しく団欒した時間は今も心の宝になっています)にわたるサポートがなければ、すぐにでも広島での生活は破綻しており、いまの自分はなかったはずです。

 

その間、そんな温かい支援や心配をよそに音楽や漫画や映画、文学、思想、哲学といったサブカルチャーや友との冒険・旅・恋などにうつつを抜かしまくりました。そんなわたしが大学をやっとこさ卒業して「はい、さようなら~」とはいかないほど多くの人の恩や糧、エネルギーを広島という風土や人からいただきすぎました。少しはこの広島の地に恩を返さないと・・ということで、医者になり数年は広島に残ろうという選択を当時したような記憶があります。(もちろん母校の広島大学傘下の病院での研修のほうがなにかと都合がよいという要因もありました)

 

こうして医者になった後もさまざまな縁は続き、さまざまな出会いを得て素晴らしい先輩医師(すべてではないですが、ときにレアメタルのようにひそかに輝きを放つ素晴らしい先生がおられました)の方々の背中を追いかけて一人前の医者になっていき、いま縁のできた東広島市の片隅で心療内科クリニックを営むに至ったわけですが、わたし自身もうこの風土と人なくしては成り立たないほどの魂となってしまっており、この数十年間も一年に一度の帰省のなかで、故郷・愛知に戻るたびに、風土の違い、人の違いを感じ、自分がゆったり自分らしく生きていけるのは愛知でなく、広島だと自然に感じるようになったのだと思います。

 

加えて、先日のクラス会で最後まで飲み明かしたふたりの竹馬の友にしても、現在はふたりとも故郷・愛知を離れ、それぞれ東京や神戸在住であり当地で会うことが中心であり、愛知に帰ってもそこには10代までの自分の影と古い町並みと過去という時間しか存在していません。もちろんそれをたまに帰省して感じることはいい刺激にはなっています。まさに故郷は遠くにありて思うもの・・です。

 

そんなこんなで、わたしの終の居場所もしくは第二の故郷はいまや広島であり、一番安らぐ場所もこの街です。瀬戸内の温暖な気候も素晴らしいし、よそ者にも優しい中立性の高い優しい人の気風、穏やかな海もあり雪山もありそこそこ街文化のある土地の中庸さも大好きです。(愛知は寒暖差は激しく、よそ者には結構警戒心が強く人見知り強い土地柄であり、これらの点ではほぼ反対と言えます。)

 

しかし、最初の故郷・愛知はその豊富な生産力(世界に冠するトヨタを生み出した力はいまも健在です)や革新的な創造性(織田信長、豊臣秀吉をはじめ、日本の歴史に革命的変革をもたらした創造の魂を生んだ風土です)は、わたしのこころのなかでは常に生き生きと存在しており、10代の頃人生の初期にそこで生まれ育ったことには今も感謝しており、そこで培った想いやものを考えたり観たりしたことが、今も価値観の物差しとしてこころの基盤となっており、魂の最初の形成は愛知から始まったことは間違いなく、その愛知に加えて現在の故郷・広島での人や土地との出会いを得て、自分は本当に運が良かったとつくづく考え、そのありがたさを噛みしめながら日々を過ごしてるわけです。

 

長々と書いた割にはまだ言い足りないことばかりなのですが、たまには過去をこんな風に振り返ってみるほどに時間は残酷にも積み重ねられ、わたしもすっかりいい中年おじさんになってしまったのだと笑ってやってください。

 

そんなこんなで明日からも感謝の気持ちをもって愛知と広島とイタリア?(行ったことはないのですが、憧れの場所です)の間に魂を漂わせ行き交いながら、物理的にはたまの宴を愛知でしつつ、こころとからだはこの広島で生きて精進していこう・・・なんて思っています。まだまだ今も魂ははるかな探求の道の途上であり、努力し勉強し達成したいことはヤマとあるのですから(笑)。

 

P.S.写真はクラス会後に小学校からの友達・ケタさんとともにドライブがてら訪れた野呂山展望台からの夕景です。箱庭のような瀬戸内の多島美と穏やかな海の風景と静寂が素晴らしく、広島の風土の素晴らしさを表現する有数の場所ではないか・・と常々思っています。

 

 

2019年

11月

10日

桜小学校クラス会

11月3日、名古屋市内のホテルにおいて、わが母校桜小学校の同窓会に行ってきました。

 

このブログにも以前に書きましたが、2年ほど前に広大医学部の同窓会に参加して以来の同窓会です。以前書きましたように大学同窓会は久々に会ってもあまり容貌や境遇に変化なく驚きという点ではやや面白みに欠ける面があるのですが、その点小学校時代の同級生はさまざまな異なる人生を送っており、驚きの変化や成長を遂げている級友もいてとても刺激になり、5年に一度の開催なのですが、今年の最大級のビッグイベントと言えるぐらい楽しみにしていた会です。

 

当日は正午から始まって、一次会、二次会と順調に進み、三次会では仲のいい野郎のみ6人となり、名駅の地下街にある名古屋人のソウルフードである寿がきやラーメンを食べて、それから近鉄に乗ってわが故郷・弥富に戻って、我々にとっては母なる河川である木曽川のほとりで、川の流れと近鉄とJRが並行して走る電車の列と木曽川にかかる鉄橋が奏でるあの耳に慣れたガタンゴトンガタンゴトン・・・・という独特の金属音を酒の肴に、小学校時代から途切れることなく付き合っている竹馬の友ふたりと三人でワインとチーズ片手に堤防をテーブル代わりに尾張大橋を眺めながらの4次会(写真がその会場です)と相成りました。ここでの歓談にも飽き足らず、地元にある居酒屋「昭和食堂」に繰り出し5次会を行い、散会したころには日付を超えていました。

 

ここまでほぼ12時間かかっており、さぞ堪能したと思われるでしょうが、わたしにとってはあっという間であり、参加していた50人弱の同級生たちの数人としか話もできなかったことに加えて、小学校時代のマドンナであった女の子とはなんと一言も言葉を交わすこともなく終わってしまい、これでまた5年後か~という感慨が残るものになりました。

 

しかし一方では、前回、前々回と違い、温かい満足感もあります。会話は交わさなくても元気な顔を拝めただけでも十分で、今属する世界は想像を絶するほど互いに異なっているはずで、その穴埋めというかお互いの境遇の理解は5年ぶりの短い時間の会話ぐらいではできるはずもないこともこころの片隅では承知しており、小学校の同窓会も3回めとなり(恥ずかしながら、一回目の同窓会ではそうした時間の壁や境遇の違いなんぞ会って顔を突き合せれば軽く乗り越えられるぐらいの幻想を持っていました)、そういう同級生らとの距離感みたいなものが定着というか現存していることを是非もなく実感しました。

 

実は参加する前は、現在、仕事的にクリニックの受付スタッフふたりがほぼ同時に産休に入ったりして、総替えという状態でありなにかと事務的な次元で調整や苦労が多いことなど・・そんな日頃の仕事の話もうだうだできたら・・・なんて思っていましたが、そもそも医療関係に属している級友もほんの数人であり、そんな世界には興味のないのが当たり前であり、そうした話はのどの奥深くにひっそりと飲み込みました。

 

いずれにせよ、この故郷のなかで同級生らとの迎合を通して、幼かったわたしは運よく道を大きく踏み外さず育ち、それなりの成長もして、さまざまな時間と経験と紆余曲折を経ながら今の場所に辿り着いているわけで、木曽川の流れや故郷弥富の金魚池(いまはそれらはずいぶん住宅地に変わりはてましたが)が多い、見通しが良い水郷の風景は常に心の底にあり、広島にいてもアイデンティティはかの地にあり、そこで出会った級友たちには今も感謝の気持ちしかありません。

 

そんなこんなでさまざまな想いを抱えながら、名残惜しくも、翌朝にはとんぼ返りで自家用車で広島に戻り、また翌日からこの東広島の地で日々の診療に全力を尽くしていく道がわたしには続いています。同窓会でのかつての級友たちの笑顔や姿はわたしにとっては心の栄養・・というか光のきらめくプリズム・・・のようなものであり、今後もその光の粒を胸に秘めながら、いま目の前に続くこの道を駆け抜けていく決意を新たにさせてもらいました。5年後も楽しみです。

 

P.S.束の間のセンチメンタルジャーニーを5年ぶりに経験したばかりなのですが、いつか同窓会という立派な会でなく、ざっくばらんな飲み会を地元で気の置けない小学校の級友らとしたいものです。

 

2019年

10月

30日

ジョーカー

本作を11月が近い秋の夜にT-Joy東広島にて修行してきました。あのバットマンシリーズ(とくに「ダークナイト」は映画史上に燦然と輝く傑作ではないでしょうか)に登場する複雑で奇怪で観るものに不快感と恐怖を与える希代の悪漢、ジョーカー。普通のお笑い芸人を目指していたアーサー青年がどうやってあのような奇妙奇天烈な人物ジョーカーになったのかという物語です。

 

ゴッサムシティで、母親から「どんなときでも人を笑顔で楽しませなさい」という訓示を幼いころから与えられ、それを実現しようと日々悪戦苦闘するアーサー。しかし、そんな彼に世の中や周囲は容赦なく悪意を振りまき、結果、拳銃を手にしてしまうアーサー。

 

そんな不条理な世界を相手に奮闘しながら、出生の謎にも突き当たり、最後はさまざまな悪意と不条理にブチ切れてしまい、あのジョーカーになってしまうという物語が2時間と少しの時間にぎっしり詰め込まれています。ここ最近のアメリカ社会の不条理に対する抗議も入っている一連の作品のひとつでもあります。

 

本作を観ていてどうもデ・ジャブ感があるな~と思っていましたが、ラストに明らかになりました。あの70年代の名作「タクシードライバー」です。このことは本作の製作者側もかなり意識していると見えて、ラストシーンでジョーカーの標的になるベテランコメディアンを演ずるのは、なんと「タクシードライバー」で名優の仲間入りをしたロバート・デ・ニーロその人なのです。ベトナム戦争の不条理に苦悩していたタクシードライバーを殺して、あの悪漢、ジョーカーは生まれたというわけです。これは偶然でもなんでもなくて、最初から本作を21世紀の「タクシードライバー」的社会的不条理批判作品として制作しようとしたものなのでしょう。

 

わたしとしては、アーサーが拳銃を手に入れたくだりがやや不自然かな~なんて思ったりはしましたが、そんな些末なことより、あの希代の悪漢ジョーカーがこうした経緯をもって生まれたということを知っておくことはこの先のバットマンシリーズを観るためのいい肴となりそうで、やはりこれは映画ファンなら必見の作品だなと思いながら、秋のさわやかな風を受けて帰路に着きました。

 

2019年

10月

20日

人間失格

本作を10月も押し迫り、秋も深まりつつある月曜の夜にT-Joy東広島にて修行してきました。あの蜷川幸雄舞台監督の娘さんで、写真家という面も持ち色彩の表現に独特のこだわりと才を見せる蜷川実花監督作品です。

 

本作は「人間失格」という小説原作の映画化ではなく、人間失格を描くに至った太宰治自身の生と死の世界を切なく美しく表現した映画です。

 

破天荒でふしだらな生活もあり、文壇から疎んじられながらも、ぎりぎりの狭間でヒット作を連発していながら、三人の子供を持ちながら、愛人とまたまた子供まで作り、それでいながら、そこからまたヒット作「斜陽」を生み出し、ついには結核まで患い、正妻からの叱咤激励&罵倒をまた「人間失格」という作品に昇華させていった時期の彼を鮮やかな色彩で彩りながら、堂々と表現しています。

 

本作も、愛と孤独、虚構と実像、生への執着と死への憧憬という相反する引き裂かれた二つの極を行ったり来たりしながら、それらが作品に昇華していくスパークするようなパワーを感じさせる時期の太宰の人生の一部が活写されています。しかし実は一方で、太宰が主人公と思わせて、太宰を翻弄し生のエネルギー、芸術のパワーを注いでいるのは3人の美しく才気煥発な女性であり、彼女らから見ると、太宰はこの世に素晴らしい文学を生み出すための単なる触媒のようであり、彼女らのほとばしるパワーとエネルギーの存在こそが、この映画の主要なテーマであり、監督の表現したかった主題のような気がしました。

 

そんなこんなで、本作はその映像美も含めて久々文句なしに痛快な邦画を観させていただいたような気がしました。大画面で観れてご馳走様でした・・・という感じを観終わったあとに自然に頭に浮かびました。蜷川監督の次回作にも期待です。

 

P.S.こうした世界にやや相似した生活を送る友人を実は知っています。残念ながら彼は太宰のような素晴らしい作品を公的には生み出していませんので、是非とも太宰まではいかなくとも素晴らしい芸術にその思いを昇華してほしいものです(笑)。

2019年

10月

10日

ライオン・キング

10月に入って、やっと評判の本作を鑑賞できました。いうまでもなく傑作ミュージカルのフルCGによる再度の映画化です。

 

本作を観てまず感じたのは、「もうかつてのアニメーションのライオンキングには戻ることが出来ないかな」という感慨です。

 

物語は劇団四季でもアニメーション映画でも何回も観たものなのですが、とにかくフルCGがリアルでスピード感といい迫力といい素晴らしい。まったく人間が登場しないのに、ほぼ実写のごとく動物たちが物語を演じているのです。畏るべしディズニーワールド。脱帽の一言です。

 

こうしたフルCGの世界が実現できるのであれば、いっそ今までの名作アニメもこのスタイルで観てみたいと思うところであり、よく考えてみれば、昨年の「美女と野獣」もそうであり、ディズニーは着実にその道を勇気をもって歩みだしているということを改めて確認しました。

 

ディズニーといえば、わたしの人生の師匠であり精神的な父親のような存在であった手塚治虫先生が常に意識し、あこがれ続けた会社でもあり、今回またまたディズニーの偉大さを堪能させてもらいました。世界に夢を届け続けるカンパニーであり、これもアメリカの作る世界なわけで、アメリカはでかくて深い・・・、ハクナマタータじゃあ・・・としみじみと感じながら帰路に着きました。

 

P.S.冬公開の「アナ雪2」も楽しみですね。

 

2019年

10月

05日

ロケットマン

本作を終映間近にT-Joy東広島にて修行してきました。イギリスが生んだ、希代のエンターテイナー、エルトン・ジョンの自伝的映画です。あの「ボヘミアン・ラプソディ」と「キングスマン」のチームが組んで制作されており、まさにオールイングリッシュ映画という感じです。

 

「ボヘミアン」以来、ロック・ジャイアンツの自伝的映画はちょっとしたブームであり、現在もビージーズの物語も制作されているようで、しばらく続くムーブメントになっており、本作もその系譜をしっかり踏襲する作品になっています。

 

音楽の才能に恵まれながら、両親の愛がまったく得られず、祖母の理解だけを頼りに育ったレジー少年がビートルズのジョンレノンからジョンの名前を拝借し、バーニーという詩人を相棒に得て、「ユア・ソング」という名曲を皮切りに世界を相手にどんどん出世していく物語。そのなかで、バイセクシャルであることを自覚し、ドラッグにはまっていくという点ではフレディ・マーキュリーとも相似しています。

 

ただフレディと違って、エルトンはその葛藤や内面的カオスをコンサートという公の場でさらけ出しながら、格好悪くてもやりたいことをやってロケット男として生きていくことを選択します。ここは好き嫌いが分かれるところではあり、わたしなどはフレディの美学のほうが好みですが、なんといってもエルトンの残したメロディは唯一無二のもの(ミュージカル「ライオンキング」での彼の創作音楽は特に素晴らしいものと常日頃から思っています)であり、それらの作品の素晴らしさ、そしてなんといってもまだ彼は生きており、これからも新作を我々人類は届けてもらえることができるわけで、本作を通して、彼の半生を勉強させてもらった作品となりました。音楽もさすがに良かったです。

 

今後はこの調子で偉大なミュージシャンの素晴らしい伝記映画を観てみたいものです。差し当たっての期待の筆頭はマーク・ボラン(T-REXのリーダーで、名作漫画「20世紀少年」のモチーフになった「20th Century Boy」の作者)です。なかなか売れないフォーク歌手だった彼はいい音楽を作るために、ある日、黒魔術師と出会い、自らの30歳以降の人生を手渡す代わりに、素晴らしい音楽を作る能力を与えられるという契約をし、そのとおりにその後、何かがとりついたかのようにエレクトリックでブギーな大音響の素晴らしいロックミュージックを作り始め、結果時代の寵児となりロックスターになりました。そして30歳の誕生日を迎える数日前に約束どおりパリ郊外にて交通事故で命を落としているというとんでもなく興味深い人生を送っています。彼の音楽はキャッチーで爆発しているし、それでいてよく聞くと、楽曲「メタルグルー」などが典型的なのですが、大音響のなかでメロディアスで泣きがあり切なくて心揺さぶられる楽曲群にあふれています。人生そのものも劇的で興味深く、彼の伝記映画を製作すれば大ヒット間違いなしだと思うのですが、どうでしょうか?

 

P.S.あと映画化したら面白そうな物語はデビッドボウイ、ジミ・ヘンドリクス、カートコバーン、加えてベタなところではプリンスやマイケルジャクソンなどがあげられますが、彼らは遺族財団が強大であり安易に伝記の映画化を許してくれそうにないでしょうから現時点で期待薄であり、その点マークなら、一部では熱狂的な人気を保持していても、公的にはそこまでビッグな存在でもなく、密かに期待しています(笑)。

 

2019年

9月

30日

アス

秋の気配が色濃く漂い始めた9月の終わりに広島市内の映画館の至宝、サロンシネマにて本作を修行してきました。

 

現トランプ大統領になって以来、アメリカは明らかに右傾化しており、自国さえ良ければ世界がどうなっても構わないという風潮になっている反動として、アメリカ映画界はその風潮に異を唱えるかのように、政治的なメタファーを有する作品が多くなっており、本作はその代表のような作品です。

 

思えば、1986年レーガン大統領によるレーガノミックスに端を発した、富裕層・強者の優遇政策とともに社会的弱者の切り捨て・福祉予算の削減の実行。その後もブッシュ、クリントン大統領らによってそれらの基本理念は受け継がれ、決定的なまでに広がった貧富の差。現在では上位1%の富裕層がアメリカ全体の国富の40%を独占しているという異常事態。それでも現大統領はその1%の富裕層出身であり、その格差をさらに進めようとしている現代。

 

そんな時代に対する異議申し立てのような本作の世界では、貧困に陥り、影の世界に棲むもう一人の自分がゾンビのように蘇り、ある日突然にアメリカ富裕層が住む住宅街で惨劇の限りを尽くすという大変怖い物語ですが、そうした背景を見聞きしていたわたしなどからすると、結構痛快で思わず「がんばれ、ゾンビ!やったれー!」という気持ちにもなって観てしまいました。

 

本作を見終わって、さすがアメリカだと思うのは、社会の表では貧富の格差を広げるような悲惨な政策が進行している一方で、それらに対する明確で過激なアンチ映画も大ヒットしているという事実。これが我が国であれば、なにかと風は一方に傾きやすく、政治的アンチ映画はヒットどころか上映にこぎつけるのも大変なことが想像され、本作が大ヒットしているなんて、アメリカというのはなんだかんだと言っても懐の深い国だな~なんて感慨にふけりながら、帰路に着きました。

 

2019年

9月

18日

アルキメデスの大戦

本作を夏の気配が過ぎゆく月曜の夜に、わが街東広島の唯一の映画館であるT-Joy東広島にて鑑賞してきました。

 

原作は週刊ヤングマガジンで連載されており、わたしにしても行き付けのラーメン屋「ラー亭」(ここの唐揚げセットは絶品です)にて座り読みで内容をFollowしており、久々歴史モノで面白い漫画が生まれたという思いを常に持っていましたが、ついに映画化です。

 

戦艦大和建造に対するさまざまな思惑が交錯するなか、なんとか無謀な大鑑建造を阻止する主人公の活躍が描かれています。しかし原作は大和建造にとどまらず、太平洋戦争(大東亜戦争)の開戦をなんとか阻止しようという涙ぐましい努力が展開されており、そこら辺りを本作では表現していないので、続編を期待してしまう内容です。

 

この大正から昭和前期の軍人模様は奥深く大変興味深い世界であり、わたしもときどき掘り下げたりすることがあるのですが、底が深くまったくその全貌を把握できないジレンマを感じる世界です。海軍人脈だけに限っても、山本五十六、南雲忠一、山口多聞、井上成美、米内光政などなど興味深い人間たちが綺羅星のごとく並びます。なので、この時代を表現した映画は描く側の立場はどうあれ、わたしにとっては必須であり、駆け付けて見ています。

 

そういった意味では本作は主人公は想像上の人物であるものの、周りを取り巻く人物は歴史上実在したイメージをかなり踏襲しており、映像は迫力あり、いろいろと考えさせられ勉強になりました。続編にも期待です。

 

P.S. できれば将来、その容姿・見かけによらず、頭脳明晰で運動神経も抜群であり、大局的な戦略眼も持ちアメリカさえも恐れていた、悲運の将・山口多聞(真珠湾攻撃での追攻撃の進言も南雲中将に却下されたものの正解であり、ミッドウェー海戦においてもやはり正しい進言が南雲から却下されながらも最後まで奮闘した将ながらも最後は潔く死にすぎであり、しぶとく生き残りもう少し日本のために足搔いてほしかった天才であり、当時の日本にとってはその死が誰よりも痛恨だったと常々感じる人物です)を描いた作品を観てみたいものです。

 

2019年

9月

06日

天気の子

本作を封切間近の梅雨の夜と夏の終わりに2回、T-Joy東広島にて鑑賞してきました。さすがヒット作、2回とも大スクリーンのシアター、それぞれ1番と6番でした。

 

言うまでもなく前作「君の名は」が大ヒットした新海誠監督の最新作です。例によって精緻な絵柄ながら、見せるところは地球規模に豪快に描くという前作で切り開かれた新境地が映画館の大スクリーンにめいっぱい展開するのはもうそれだけで快感であり、しっかり堪能させてもらいました。

 

実はその映像の素晴らしさに一回目の鑑賞はしっかストーリーの良さが理解できておらず、月をおいて2回目の鑑賞となりました。一回目の鑑賞では、なぜ主人公の少年が家出するのか?という物語の根本的な部分が了解できず、単なる家出少年の都会遭難物語??なんて思い、共感しにくく、前作ほどの作りこみはされていないのかな?・・なんて感想を持っていました。

 

しかし、2回目の鑑賞でやっと気づきました。まだ高校に入ったばかりの主人公がなぜ故郷の島を飛び出してあてもなく東京にやってきた動機は、「ライ麦畑で捕まえて」のホールデン少年に同一化した結果だったのですね。よく見てみれば、さまざまなシーンで「ライ麦畑」が出てきています。それも村上春樹翻訳バージョンという念の入れようで・・。それに気づくとわたし的には物語の座りがよくなり、フィービーならぬヒロインとの出会いと別れ、そして再会という物語が、新海監督のデビュー作からの永遠のテーマである「喪われた分身(少女)をSEEK&FINDしていく」という主題においては、今回は偶然でなく、明確に意図して意識づけた再会を果たしており、前作をさらに推し進めたものなんだ。。・・という勝手な思い込みで観ながら、2回目の鑑賞を満足のうちに終えました。

 

さすが新海監督です。魂の求道者のようなこの監督にとって、この永遠の主題をどう推し進めていくのか、次作がまたまた楽しみになります。2回目を観終わって、前作と同様にまさかの3回目の修行かもしれないな~と思いながら、帰路に着きました。

 

2019年

8月

20日

トイ・ストーリー4

本作を夏休みのお盆の最中にT-Joy東広島にて修行してきました。

 

前作3が涙涙の傑作だっただけに、どんな話が待っているのだろう?という期待を持っての修行となりました。

 

まずはCGアニメの相変わらずの素晴らしさに圧倒されます。もうどこまでがアニメでどこまでが実物かの境界を見定めるのは愚の骨頂で、素晴らしい映像の世界に身をゆだねるのみです。今回は骨とう品屋と遊園地でのおもちゃたちの活躍がとくにふるっていました。

 

物語ですが、ついにウッディがある決意を持って、子どものおもちゃの世界から卒業してしまうというショッキングな結末に至りますが、これは賛否両論なのではないでしょうか?もちろんこの映画世界ではおもちゃにも人格があり、おもちゃの気持ちを通せば卒業もありでしょうが、子どものおもちゃであるというアイデンティティを失ったら、おもちゃとして今後どうなってしまうのだろう?という余計な心配もしたり、ウッディがいなくなったことを知った子どもはどんな気持ちになるだろうとか・・いろいろ考えてしまいました。

 

本作はわたしが幼いころ観た、ドラえもんが未来に帰る「さよならドラえもん」の回を思い出したりしました。その物語のように、子どもの世界を旅立つウッディと子どもの別れのシーンなどがあれば、もっと感慨深くなり最高だったかな~なんて考えましたが、そこはアメリカ、おもちゃにも個々の強い個人主義が貫かれているのかな~なんて夢想しながら、夏の熱波が待つ現実の世界に戻りました。

 

2019年

8月

08日

パピヨン

広島市内に用事があったついでに、時間を作り、本作を八丁座にて鑑賞してきました。

 

最近は八丁座やサロンシネマも、わが街東広島でも上映されるようなメジャーな作品を上映することも多くなりましたが、本作などはやはりここでしか観られない作品であり、期待の一作でした。

 

無実の罪で地獄島と呼ばれる人権無視の孤島に収監され、その地獄から脱出すべく、運命的に出会った友人ドガの協力を得て、ついに自由の世界へ帰還を果たす物語です。びっくりするのはこれが実話であるということです。劇中には2年間も電灯もない暗い個室に隔離されるエピソードが出てきますが、もしこれを本当にされたら、普通の人間ならそれだけで発狂してしまいそうな状況です。それを乗り越えて、最後の海へと飛び込むシーン。やったーっと歓声を叫びそうになります。

 

まさに地獄というべき島からついに脱出を成功させ、その後その実話を基に小説家に転身したパピヨン。なんというタフガイでしょう。こうした人物がつい最近まで生きていたという事実を受けて、自分もしっかり貴重な人生を生き抜かなければならないという想いを強くしました。ドガを演じた、レミ・マレック(あのフレディ・マーキュリーを演じた男優さんです)もまたまた好演でした。

 

やはり遠くてもサロシネ修行にはたまには来なければ・・と思い出した佳作でした。

 

P.S. 脱獄&友情ものといえば、やはりスティーブンキング原作の「ショーシャンクの空に」に尽きるのではないでしょうか?これはもう最初からラストのエピソードまでほぼ完璧な作品であり、観終わった後には清涼感、痛快感の波に襲われ、気づけば心が温まり泣けてきます。まだ未体験の方がいたら、ぜひビデオでもいいので観てみてください。おそらく人生の一本になること請け合いです。しかし、物語の骨格はほぼ相似形であり、もしかして本作にインスパイアされたキングが修飾し創造した世界が「ショーシャンクの空に」だったのでは・・・と考えてしまった本作でした。

 

2019年

7月

23日

スパイダーマン・ファー・フロム

本作を梅雨明けが近づいた初夏の空気が漂う夜に修行してきました。

 

本作はタイトルどおり、母国アメリカから遠く離れたヨーロッパにおいて、研修旅行と思いきや、やはりそこはスパイダーマン。研修地においても、大いなる使命を課せられて悪としっかり戦うというエンターテインメントです。

 

摩天楼のないベネチアやロンドンにおいてもスパイダーマンはクモの糸をうまく使えるのだろうか?という余計な心配をはるかに超えて、少年らしい歯がゆい恋心も抱えながら、なんやかんやで痛快に悪と戦ってくれます。

 

わたしのような中高年にとっては、スパイダーマンという存在はかつてアメリカ漫画のなかから飛び出してきた、おそらくニューヨークでしか存在しえない葛藤の多いヒーローで、ややバットマンと似た性格を持ったヒーローでしたが、いまではマーベルのアベンジャーズシリーズの一員として世界をかけずりまわるM.I.P.のような存在であることを確認し、それはそれで水を中心としたCGアクションも素晴らしく、アメリカ映画の奥深さと痛快さを堪能させてもらったシンプルな夜となりました。

2019年

7月

05日

空母いぶき

本作をなかなか梅雨いりしない不思議な天候が続く、7月の夜にT-Joy東広島にて修行してきました。 最近、きな臭い東シナ海の島を巡っての自衛隊、政府の葛藤を描いた作品です。

 

原作では明らかに尖閣諸島をめぐる中国との紛争なのですが、映画ではさすがに差しさわりがあるようで、そのあたりは婉曲的に表現されていました。

 

もちろんあくまでも映画なので、そのあたりにはあまり踏み込みすぎず、現在の日本の専守防衛だけで有事に対応できるのだろうか?といろいろ考えさせられる内容になっており、それはそれで楽しませてもらいました。

 

現在このように世界が混沌としつつあるなかで、日本にはいまだ空母といえる船はない現状であり、このことにも本作は異議を申し立てているようにも受け取りました。そして有事に際しての、洋上の空母内で緊迫した決断、空軍出身の艦長と海軍生粋の副艦長との戦争に対する考え方の相克が心の葛藤として静かに描かれています。

 

こういう映画を見るたびに、わたしにしても、平和がいいに決まっていますが、そのために武器を使用するか否かを含めて、平和をどうしたら実現できるかをときに考えたります。現状では隣国の侵攻から国土を守る最低限の武力は必要だと感じざるを得ません。しかし、本作のなかで起こったように、そうしたなかで必ず家族を支える貴重な人たちの命が奪われていくことが避けられず、それでも国と国とは戦わざるを得ないのだろうか・・と重い気持ちになって、映画館を後にしました。

 

P.S.本作のテーマとなった航空母艦ですが、航空母艦といえば、日本は歴史上、あのミッドウェー海戦においてほぼすべての空母が全滅してから、建造していないと思うのですが、あの日本にとって痛恨の戦いとなったミッドウェー海戦をもう一度映画的にうまく表現した作品を観てみたいものです。かって「山本五十六」という作品でなかなかいい感じで描かれていましたが、南雲中将の判断の是非、運命の6分間、山口多聞少将の飛竜の敢闘等々を含めてミッドウェー海戦というのはスケールが大きく日本の歴史上大きな意味を持った大敗北と喫した海戦であり、この戦いの全容を我々日本人がいつか直視できる日が来なければ、再び航空母艦建造への道は踏み出せないのではないだろうか?ということを考えざるを得ない気持ちにしてくれた本作でした。

2019年

6月

18日

アラジン

最近かつての定番アニメの実写化が盛んですが、そのなかでも期待の本作を上映開始間近にT-JOY東広島の大スクリーン6番シアターにて修行してきました。

 

ストーリーはアラビアンナイトの「アラジンと魔法のランプ」でもあり、概略はほとんどの人が知っているのではないでしょうか?

しかし、本作を観て感じたのはまずまず紆余曲折がある成年の成長物語として、しっかり地に足がついた作品だな~という印象を持ちました。

 

しかし、なんといっても見どころは主題歌をはじめとしたミュージカル仕立ての楽しい展開ではないでしょうか?ここ数年注目されているインド映画であるボリウッド的世界を推し進めており、ボリウッドに対するハリウッドからのアンサーソングのような印象を持ちました。

 

加えて、音楽を担当したチームはあの「ラ・ラ・ランド」の音楽を手掛けたチームでもあり、全編に楽しく眩いばかりの音楽がちりばめられており、ミュージカル好きのわたしなどからすれば、再度の修行に来てもいいな~という出来でした。

 

本作の素晴らしさからすると、今冬に公開される「アナ雪2」も今から楽しみですね。

 

P.S.結局、8月に入り、再度の修行に行ってきましたが、やはりいい映画は何度観てもいいという感じで話を追うことにとらわれず、ゆっくりひとつひとつのシーンを堪能してきました。とくに魔法の絨毯でふたり空をかけるシーンは素晴らしく、幼い頃によく夢でみた景色のようなデジャブ感のあるもので、何度でも観てみたいという気持ちになりました。

 

2019年

5月

28日

シャザム

本作をそろそろ終映間近の夜にタイミングが会い修行してきました。

 

こうしたコミカル・ヒーローものは笑いの裏にちょっと待てよ・・というシリアスさも隠し味として入っていたりして、奥が深い作品がときにあります。最近なら「キングスマン」などもこの系統に含まれると思います。

 

個人的には、別の映画を見る際に偶然に見かけた予告編から、かつての傑作「キック・アス」の再来を期待しての鑑賞となりました。

 

生き別れた母親を探すあまりさまざまな逸脱行為を繰り返し、里親を転々していた少年ビリーが、とうとう行き着いたアメリカ版ちびっこハウス(あのタイガーマスクで登場したような孤児ホームです)。そこでもなかなか適応できずにいたところ、魔術師から魔法を授けられ、神々に匹敵する力を手に入れ、空を飛んだり、バスを一人で担いだりと、スーパーマンのように活躍し、最後はどう見ても完全に悪である、魔法を狙う博士をみんなと協力して倒すという物語でしたが、あまりにきれいな勧善懲悪であり、もう少しひねりがあってもいいのかな~なんて思ったりはしました。

 

しかし、ビリーがなぜ孤児になってしまったかという最後に明かされるエピソードについては、さすが個人主義の国アメリカというべきか、何とも複雑な思いにかられました。それにしてもこんなことで孤児になってしまったのでは、子どもとしてはたまらんよな~という考えがふつふつと心に湧き上がるのを感じつつ、初夏の風を感じながら帰路に着きました。

 

2019年

5月

15日

キングダム

本作を封切間近の月曜日の夜に、T-Joy東広島にて鑑賞してきました。期待の大作だけに、当然大型スクリーンを擁する1番シアターでの鑑賞になりました。

 

本作の原作漫画はすでに50巻を超え現在も進行中ですが、さすがに以前から評判の作品だけに、昔に比べて漫画にだいぶ疎くなったわたしでさえしっかり全巻チェックしており、当然キングダムファンとして楽しみな夜となりました。

 

観てみると、映画では原作のだいたい1巻から6巻までを実写で表現しており、原作のスケールの大きな大地や風景も十分表現されており、これらを大画面でしっかり堪能できる展開となっている一方で、ストーリー的には映画ならではの設定はほぼなく、かなり原作に忠実で豪快さと几帳面さを兼ね備える出来栄えと感じました。

 

こうした原作付きの際には楽しみな配役についても主役の信、政、楊端和など主力の面々はよく原作の雰囲気を踏襲しており、ほぼ完璧と言いたいところですが、王毅将軍の大沢たかおだけが???という感じではあります。なんていっても王毅将軍は人が見上げるほどの大男なのに、どちらかというと背が低く華奢な大沢さんでは、いくらメイクをしっかりやってもどうしても違和感が残らざるを得ませんでした。大柄でいかつい顔をもつ鹿賀丈史さんあたりがはまり役だったのでは?なんと思いながらも、まあそこまで期待するのは贅沢と言えるかもしれません。

 

もし映画に続編があれば、趙の悲劇の天才将軍・李朴を誰が演ずるのかも楽しみです。

 

それにしても中国の春秋戦国時代を史記を中心とした古代中国文献から、こんなに深くて人間味のある豊かな物語に変換し、表現した原作者の原泰久さんには畏敬の念を感じざるを得ません。歴史好きなわたしも10代のころ、横山光輝版「史記」「三国志」などを読破し、春秋戦国時代については、基本的なストーリーは知っていたつもりでしたが、原典をさらに読み説き、深遠ささえ感じる戦国ドラマに仕立てあげたその才覚は素晴らしく、もう拍手しかありません。

 

もし始皇帝の覇業とその最期まで描くとすれば、50巻越えの原作でもまだ序盤であり、200巻ぐらいかかりそうな感じがしますが、原泰久さんにはぜひ最後の秦滅亡までを描き切ってほしいものです。

2019年

4月

21日

女王陛下のお気に入り

本作を久々広島市内にての講演参加のため遠征し、久々「八丁座」にて修行してきました。

 

18世紀初頭のアン女王の統治するイングランドの宮廷を舞台にした、女と女の闘争物語です。フィクションでしょうが、当時フランスと戦争しながら、国を取り仕切っていたアン女王の実際の姿を想像することができ、歴史好きにはとても興味深い作品です。

 

本作の見どころはなんといってもその宮廷という女の戦いの舞台そのものでありました。まだ電燈もない時代の宮廷は夜になると蝋燭の光のみで文字通り真っ暗になり、昼でさえも太陽光線が十分に届かない宮廷内は光の陰影が明確であり、そこで蠢く人々の営みの表と裏を削り取りながらの宮廷絵巻は思いのほか美しくうっとりするほどでした。

 

本作の美しい映像をしっとりとほのかに感じながら、我々は文明の進化の過程で電気という便利なものを得た代償として、太陽の織り成す光と影の彫刻のような美しい世界を失ってしまったのだということを改めて認識させられながら、ついでに立ち寄った丸善広島店(現在広島最大規模で気になる本が手に取って見れる素晴らしい本屋です)の森のような本の山のなかでまばゆいばかりの蛍光灯の光を浴びながら、気になる本をいくつか立ち読みした後に東広島への帰路につきました。

 

2019年

4月

08日

クリニック7年目を迎えて

おかげさまで四季のこころクリニックも、例によって桜が咲き誇る春という季節、お釈迦様の誕生日であるこの日に7年目の春を迎えました。

 

思えばあっという間の6年間であり、この間さまざまな人たちとの出会いや経験をさせてもらい、本当にありがたくかけがえのない月日を過ごさせてもらい、感謝に絶えません。

 

この間に起こったことで、表面的には良いことや残念に感じることも日々ありましたが、このごろ感じることは、すべての出来事には本質的に良いとか悪いとかいうことはなく、すべては善悪などなく等しく愛しい出来事もしくは啓示であり、それらをどのようにとらえて人生の四季に取り込んでいくかが重要なのではないか・・・なんて思ったりしています。

 

日々の診療もまさにこの繰り返しが続きますが、7年目に入っても初心を忘れずに、微力ながら医療を通して地域のみなさんに貢献していけたらと気持ちを新たにしております。

 

これからもよろしくお願いいたします。

 

P.S.いつもクリニックやスタッフのことを気にしてくださり、ねぎらいの言葉やお祝いをしてくださった方々にこの場を借りてお礼を言わせてください。ありがとうございます。

 

 

2019年

4月

05日

運び屋

本作を4月になったばかりの月曜の夜にT-Joy東広島にて鑑賞してきました。

 

名作「グラン・トリノ」を最後にフィクションを一切撮らず、アメリカ人の生き様を表す実話を基にした映画しか撮らなくなったクリント・イーストウッドの最新作です。

 

本作も完璧にその路線であり、良いも悪いもなく、アメリカというさまざまな価値観や矛盾を抱える国で生まれ、懸命に生き、喜びとともに挫折と孤独を味わいながら、まるで出来の悪い喜劇のように最後までその生き方を貫いた90歳にもなる男の生き様が描かれていました。

 

しかしそこはイーストウッド。そうしたひとりの孤独で愚かで頑固なアメリカ人を描きながら、ユーモアやスリル、意外な展開をたどる物語を織り込んでいるので、ハラハラドキドキはもちろん人生の教訓も十分にあり、素敵なエンタテイメントになっていました。

 

いずれにせよ、観た人は百人百様の感想を持って映画館を出ること間違いなしの作品に仕上がっており、これはもうイーストウッド・マジックといえる名人芸となっており、次回作がまたまた楽しみになり、永久にそのマジックに浸っていたいと思ってしまう人間がわたしだけでなく、全世界にいるのだろうな~とにんまりしながら、良い映画を観終えたあとの独特な充足感を感じながら、T-Joy東広島を後にしました。

 

2019年

3月

22日

グリーンブック

本作を3月の桜の気配がそろそろしてきた春の夜に鑑賞してきました。本年のアカデミー賞作品賞受賞作ですので、なんやかんや言いながら見逃すことはできない必見作といえます。

 

実在した天才ピアニスト、ドン・シャーリー。数奇な運命から黒人でありながら、幼少期に音楽的才能を見出され当時ソビエト連邦にあったレニングラード音楽院でクラシック音楽の英才教育を施され、そこで天才的な才能をさらに進化させ、ホワイトハウスでも演奏するという栄誉に恵まれながらも、黒人ゆえにクラシック音楽への道を閉ざされ、かと言ってポピュラー音楽やジャズへも進めず、独自の孤高の音楽を築いた彼と、彼のアメリカ南部(アメリカ音楽のルーツでありながら、黒人差別のもっともはげしいエリア)へのツアーの運転手兼用心棒兼付き人を務めたはぐれものイタリア系白人トニーの友情物語であり、最近はやりのバディ映画ともいえます。

 

なんと言っても見どころは彼の演奏シーンではないでしょうか。屈辱や誇り、意地が入り混じるその演奏シーンは美しく観るものをうっとりさせます。そしてその奏でられる音楽自体も素晴らしいのです。

 

実際のピアノ演奏は、シャーリーとよく似た境遇でありジュリアード音楽院はじまって以来の天才と呼ばれた黒人ピアニスト、クリス・パワーズが演奏しているのですが、美しく個性的な音楽が劇中に鳴りまくっているわけで、音楽映画好きのわたしとしてはもうこれだけで最高の気分でした。

 

しかしこの映画の醍醐味はやはりラストのクリスマスの夜の出来事でしょう。切ないながらもあたたかいこのラストシーンは心にぐっと来るものがあります。このラストシーンで心があたたまらない人はいないだろうという映画史に残る名シーンだったと思います。

 

このラストシーンが気に入った方には、同じくクリスマスを題材にした名作「スモーク」をおすすめします。この作品もラストにはきゅんとなるほど切なくあたたかくなること請け合いで、本作のラストを観終えた後に真っ先に20年以上も前に観た「スモーク」を思い出していました。もし興味のある方はぜひ一度観られてください。

 

P.S. 本作は上に書きましたように心温まる素敵な作品でしたが、それでもオスカーの最高賞である作品賞を獲るとは??という感慨がどうしても残っています。あえて今年についていうなら、やはり最高の映画作品は「ボヘミアン・ラプソディ」ではなかったでしょうか?音楽的にも物語としても高いレベルで楽しめ、観終わった後のこころには本年度一番といえる衝撃と余韻が残り、文句なく最高作品に値するような気がしました。その点で「ボヘミアン」を作品賞に選んだゴールデン・グローブ(去年は「ラ・ラ・ランド」を選びました)の見識に今年も同意です。アカデミーは近年の傾向どおり、政治&社会的作品へのリスペクトが今年も強かったかな~と感じたのはわたしだけでしょうか?

もっともアカデミーはアカデミーであるわけで、単なるアメリカ映画界の一作品賞であるにすぎず、わたし自身がアカデミー作品賞というものに「今年の映画界の最高作品」という権威的幻想を持ちすぎているだけかもしれません。反省です(^_^;)

 

2019年

3月

15日

アクアマン

春の足音が聞こえる3月の夜、診療が終わった後に、本作をT-Joy東広島にて観てきました。

 

本作は予告編で、幻想的な海中での戦いや海中都市に興味を覚えていたのですが、期待どおりの素晴らしい映像で、この青く深い海中での華々しいアクションや水の動きや海洋生物たちの生き生きとした映像表現だけでもう十分本作を観る価値がある佳作でした。

 

ひとつだけ気づいたことを挙げるとすれば、アトランティスと戦う運命のもとにアトランティス人と人間との間に生まれたハイブリッドな存在であるアクアマンの絶対的な強さ、有能さとそれ故に伴ってくる責任や苦悩でしょうか。大げさかもしれませんが、現在多くなった、ハーフと呼ばれる有能な人たちのメタファーを感じながら、このあとアクアマンはどんな海中王国を作っていくのだろうとか考えざるを得ませんでした。

 

わたしのような手塚治虫世代からすると、我が国好調の邦画界が、あの「海のトリトン」をこんな素敵な映像で実写化してくれたらいいのにな~・・・なんていう考えが帰路浮かんだりしましたよ。

 

2019年

3月

05日

ファースト・マン

本作を公開間もなくT-Joy東広島にて鑑賞してきました。あの傑作「セッション」「ラ・ラ・ランド」を世に送り出したデイミアン・チャゼル監督待望の新作です。

 

ファースト・マンとは、人類で初めて月に降り立ったニール・アームストロング宇宙飛行士を指します。彼自身、かわいい幼子を病で喪う心的外傷体験を皮切りに様々な苦難や仲間との別れ、出会いを繰り返しながら、人類史上初の偉業の達成までを、事実に即してどちらかというと淡々と抑制的に描いています。

 

監督の前作までの作品はどちらかというとファンタジーで快活で夢のある物語であったのが、今作では実際にあったリアルであり、解説などによると当時のNASAのリアルな雰囲気(訓練場やロケットのコックピットなど)を映像にして再現しているのが圧巻であるという事前の情報を持っての鑑賞になりましたが、どうしてどうしてまだパソコンもなく携帯もない時代のコックピットの動くと音がするようなアナログなメーターなどリアルすぎて、よくこれで月に行けたな~という感慨とともに、アームストロングのパイロット仲間が次々と実験中の事故で亡くなっていき、その妻らが未亡人になっていく現実もしっかり織り込まれており、リアルな宇宙への道は平坦でなく、単純な夢物語などではなかったということがシビアに表現されており、主人公を演じたライアン・ゴズリングの前作とは異なる抑制的な演技も現実は甘くないということを如実に表現して、これはこれで悪くないと感じました。

 

実は鑑賞前は、爽快で明るい意気揚々な鑑賞後を期待しての本作でしたが、予想に反してちょっぴりしんみりしたものになりましたが、映画の出来は素晴らしく、人類の偉大な足跡をリアルに表現した作品で観てよかったと思いながら帰路につきました。

 

P.S. かつてトンデモ説ですが、本当はアメリカは月面着陸を実現しておらず、あの月面着陸も、ソビエト連邦に宇宙開発競争に後れをとり焦っていたアメリカが自国の広告代理店に秘密裡に依頼して仕掛けた壮大なスタジオ制作(空気のない月面上で地面に突き刺したアメリカ国旗が風にたなびいている・・などの疑念が指摘されたりしました)ではないか?という意見がありました。わたしもそれを読んで、当時のアメリカならやるかも・・なんて思ったりしていたこともありましたが、本作を観て「やはり人類は本当に月に立ったのだ」という想いを新たにしたりしましたよ(笑)。

2019年

2月

27日

七つの会議

本作を封切間もなく、T-Joy東広島の大スクリーン、1番シアターで観てきました。

 

原作はもちろん、あの「半沢直樹」のスタッフが再結集して作ったという物語です。配役も非常にかぶっていますが、もともと実力のある俳優ばかりだけに、物語内容ともども十分満足のいくできばえでした。

 

出世したいがための欲望からの不正行為がさまざまな罪と悲劇をもたらす物語構成となっていますが、これもラストには気持ち良い勧善懲悪のカタルシスに至るわけなので、すっきりとはするのですが、よく見ると本当の黒幕はまだしっかりとのさばっており、今後も権力をふるい続けることが示唆されており、この点でも半沢直樹的な結末になっており、物語に十分なリアリティを与えるのに一役買っておりました。

 

本作の一番の見どころは、ひょうひょうとしながら、不正を拒否する正義漢でありながら、ときに「イヒヒヒ・・」と気味悪く笑う不思議な人格を演ずる主演の野村萬歳の演技力ではないでしょうか?いつものことながら彼独特の狂気を感じさせ、面目躍如のさすがの怪演ぶりでした。

 

実は本作を観ていて、よく似ている友人がいて、思わず彼に感情移入して観ている自分がいたりして、最近は互いにずいぶん御無沙汰している彼は元気でやっているのかな~なんて思い出したりしていましたよ。

 

2019年

2月

14日

十二人の死にたい子どもたち

本作を2月に入った月曜日の夜にT-Joy東広島にて上映時間がぴったり合ったので修行してきました。

 

死にたいと思っている12人の子どもたちが、廃屋になった病院にネットの掲示板を通じて集まり、いないはずの13人目の座敷童の死体?が登場した結果、それぞれが持つ葛藤や死体の謎の解明を通して、最後には再び生きることの意味を見出し、彼らの生きる日常に戻るべく廃屋の病院を旅立っていくまでのミステリー仕立ての物語です。

 

いかんせん難しかったのは、たかだか2時間のなかで、12人もの子どもたちが死にたいと思い詰めるほどの個々の内面の物語を表現するのにはかなり無理があったように感じてしまいました。

おそらく本作の原作小説のなかでは彼らの内面がもっと深く掘り下げられ、最後に至る展開ももっと自然なものになっているのかな~と想像しつつ、エンドマークを迎えました。

 

しかし、若者たちの変則サバイバルものとして観ればまずまず楽しめるとも言え、よくも悪くも好みの分かれる作品でしたが、観ている最中はどういう結末になるのだろう?とドキドキしたことは確かであり、こういうのもたまにはいいかなと思いながら、闇夜のなか帰路につきました。

 

2019年

2月

05日

家へ帰ろう

本作を「マイ・ジェネレーション」とはしごで、サロンシネマにて鑑賞してきました。

 

かつて18歳のときにユダヤ人としてナチスから追われ、命からがら故国ポーランドからアルゼンチンに亡命した男性が、老いて仕事も引退し、子どもや孫らに財産を相続した途端、老人ホームにいれられそうになったことに憤慨し、70年ぶりに旧友を訪ねるため、故国へ戻ったという実話を基にしたロードムービーです。

 

苦難続きの人生ながら、洋服職人として成功した主人公が思い切って故郷へ帰る道中で世代を超えた人々の助けを得ながら、ついにかつて自分が住んでいた家にたどりつき、待っていたものは・・・というどこかで観たことのある、鉄板のこころ温まる物語なのですが、主人公のちゃめっけさや頑固さがいい隠し味となり、悲しいだけに終わらない、ちょっとだけ愉快な旅物語となっています。

 

故郷を捨てて異国で人生の終わり近くまで頑張った男の意地と誇りが画面の至るところにこぼれているような作品であり、わたしがもう少し年を経ればもっと感動するのでは・・?なんて思いながら、映画館をあとにしました。

 

余談ですが、こうした欧州を舞台にした物語を見て、いつも我が国と違うな~と思うのは、70年も前なのに、街並みやかつての家がそのまま存在し、現役の住居として普通に使われているということです。

どちらがいいということもないのでしょうが、古いものに改善を加えながら大事に使っていくという文化、我が国のように穢れを嫌い数年で新たなものに更新していく文化が世界にはあります。我々はグローバル化という名の下に、それらの文化や価値観を無理に統一しようとなどせず、違いを認めながら、共存していきたいものだと思ったりしましたよ。

 

2019年

2月

01日

マイ・ジェネレーション 

本作を1月の終わり、束の間の休日に広島市内のサロンシネマにて鑑賞してきました。

 

1960年代のロンドンを中心にし、爆発するがごとくに当時革新的な若者文化を形成していったスウィンギン・ロンドンをドキュメンタリー風に当時の映像と当事者たちのインタビューを交えて再構成し、描写した作品です。わたしも当然この時代発祥のビートルズに小学生時分からがつんと衝撃を受け、その後の人生にも影響を与えてもらったことは間違いなく、そんな素晴らしくきらめいた時代の映像的遺産として、楽しく堪能させてもらいました。

 

タイトルはTHE WHOの楽曲からとられているのですが、最初の挿入歌はやはりキンクスであり、この時代のロンドンの雰囲気をもっとも伝えるのはキンクスの楽曲群であると日頃から思っているわたしとしてはにんまりと笑みがこぼれる冒頭を皮切りに、徐々にその色彩豊かで弾けるようなポップな文化が60年代終焉に近づくにつれて、LSDや大麻などのドラッグの渦とともに急速に収束していく様を実際の映像と当事者たちのコメントを通して活写されてしました。今は大御所や伝説になってしまった、ポールやジョン、ロジャーやミックらが若く生意気盛りの表情で当時の文化にコメントしているのもほほえましかったです。

 

しかし、わたしのような偏狂的にこの時代が好きな人間には十分満足できる作品でしたが、すべての人におすすめという作品ではありませんでした。

 

それでも本作の美点はやはり60年代が生んだ、魅力に満ち溢れたキャラクターたちが実際の映像と音声を通して銀幕のなかで立ち振る舞い、語り、歌い踊っている姿が映画として掘り起こされ、映画館の一観客として大きな画面と音声を浴びながら追体験できたことだと思います。

 

ところで実のところ、素晴らしき60年代にはまだまだ眠っている映像作品が宝の山のようにあります。たとえば、ビートルズの傑作伝記作品「Complete Beatles」やディランの「Eat The Document」、あの誰もが知る有名な「Let It Be」でさえも映像的にはお蔵入りになっている状況なのです。本作を観て、そうした埋もれてしまっている作品を映画館の大画面という銀幕で追体験したいと思ってしまったのはわたしだけでしょうか? かなわぬ夢かもしれませんが、そうした20世紀の宝石のような映像作品をいつか映画館という大きな箱で体験してみたい・・・そんなことを夢想してしまった作品でした。

 

2019年

1月

15日

日日是好日

本作を平成31年の映画修行第一作めとして、T-Joy東広島にて鑑賞してきました。

 

その姿や表情を見るたびに、子供時分に母親の一番下の妹(つまりわたしにとっては叔母)の面影を懐かしく思い出してしまう、黒木華さん主演であり当然のことながら馳せ参じました。

 

日々さまざまな出来事が穏やかに移り変わる季節のなかで起こり、通り過ぎていくかけがえのない日々や想いを淡々と表現している素敵な良作でした。

 

お茶の世界を通して、人が行き交い、別れや旅立ちが穏やかに訪れ、らせん階段のように人生を積み上げていく・・・。そんな切なくも儚い一期一会の日々を、本作が遺作となった樹木希林さん、黒木さん、多部未華子さんらが綴れ織りのように重ねていく。

 

本作のテーマのひとつである「すぐにわかることもあれば、時間を重ねたのちにわかることもある」・・・まさにそのとおりだと思います。わたし自身、時を重ねてやっとわかったことがたくさんあり、これはこころにぐっと沁みました。

 

すべての人にそれぞれかけがえのない日々や人生があり、美しくも儚くうつろう季節のなかでで人々は巡りあい、季節を重ねていく・・・こんな当たり前のことを久々に明確に意識させてもらった作品となりました。そしてタイトル「日々是好日」のように「毎日が素晴らしい日」といえるようこれからも人生を享受し精進していきたいものです。

 

2019年

1月

03日

改元を迎える新年に

 明けましておめでとうございます。

 わたしは例年どおり実家に帰省し、めでたく新年を迎えました。早いもので、平成31年になり、30回目(平成元年は一月途中から始まったのでちょうど30回目となります)の新年正月です。

 

 実は平成になったばかりのころ、つまり30年前がつい昨日のことのように感じることがよくあります。

 

 個人的にはちょうど広島市内での学生生活が始まり、1年がたとうとしていたときで、なにかもがこれからどうなっていくのだろうという時代でした。新しい友達ができて、街にも慣れ、未来は無限に広がっていました。

 

 その荒野の果てにはまだ何が待っているのだろうとわくわくする希望を持つまだ何者にもなっていない自分がいたものです。 あれから30年、思えば遠くへ来たもんだという感じですが、この間には幾多の胸躍る冒険や危険な挑戦もしたりしました。我ながらよくあんな冒険をしたな~とか、苦難の果てにはこんな素晴らしい世界や偶然や奇跡もあるんだ・・という想いとか、素敵な出会いもあればつらい別れもあり、そのたびにドキドキわくわくときめいたり、悲しく切ない・・という想いを繰り返しているうちに気づけば月日がたっていたという感じで、こころは当時から連続的に続いており、なにひとつ変わらない部分もあれば変わった部分もあるものの、どの出来事もいまだこころのなかでたたずんでおり、ついこの前経験したように今も感じているから不思議なものです。

 

 腐れ縁が続きまだよく会えたり交流できている人、あんなに親しく仲良しだったのにもうほとんど会えていない人、はたまた身体を越えた魂の世界に旅立った人もちらほらいたりします。さまざま人がこころのなかで今も生きており、今日も懐かしく感謝の気持ちをもって懸命に毎日を生きている自分がいます。

 

 そんなこんなの経過を経て、わたし自身、少しは大人になり何ものかになったかどうかはわからないけれど、可能性はずいぶん有限になった中年おやじが日々、小さなクリニックで診療を行っているという現実にたどり着いているわけです。もちろんこれはこれでやりがいのある仕事であり、やりたかった仕事をしているわけで、常日頃から自分は運がよくついてるとは思いますが、まだまだ老けこむ年でもないし、まだまだ勉強や修行も足りていないと日々思っていますので、今年も自分なりに全力で物事に集中し、勉強や研鑽を積みながら地域社会や地域の方々に貢献していく所存です。

 

 今年もどうかよろしくお願い申し上げます。

 

2018年

12月

30日

来る

本作を12月の寒い夜にT-Joy東広島にて鑑賞してきました。

 

最近注目の女優、黒木華さんが出ているだけに当然必見の作品であり、監督も大ヒット作「告白」において独特の映像美学を表現した中島哲也監督だけに期待の一作でした。

 

さて見終わって思ったことは、これはアメリカのスティーブン・キング原作の傑作ホラー「IT」の日本からの回答なのかな~?と考えたりしました。見えない「あれ」がじわりと近づいてくるというあれです・・・。

 

本作の見どころはなんといっても、松たか子、妻夫木聡、黒木華さんらの迫真の演技というか人間の闇の深さや怖さかなと思いました。特に妻夫木くんの軽薄さや利己主義に反応しながら、徐々に黒木華さんの人格がその表情とともに崩れていく様は心にぐっと突き刺さりました。

 

本作の妙はラストの微妙な中途半端さではないでしょうか。すっきりとしないというか、あえて物語をうまく閉じさせなかったという印象を持ちました。

そんなわけで、必然的に、松たか子演ずる霊媒師姉妹の活躍の続きを今後も映像を通して見てみたいという想いに包まれながら、師走の映画館を後にしたのでした。

 

中島監督、続編を期待しております。

 

2018年

12月

24日

Merry Christmas ロンドンに奇跡を起こした男

本作を暮れが押し迫った12月のとある月曜日の夜に、T-Joy東広島にて鑑賞してきました。

 

19世紀に生きたイギリスの国民作家、チャールズ・ディケンズの作品「クリスマス・キャロル」の創作秘話とファンタジーを絡めた作品です。

 

ディケンズといえば、「オリヴァー・トゥイスト」や「デイヴィッド・コパフィールド」などの人間の成長を壮大に描いた大河小説の印象がありますが、本作では、クリスマスを描いた小品である「クリスマス・キャロル」を題材にして、実際のディケンズの幼少期の苦悶の時代から作家になってからのスランプや浪費癖、父親との確執などのエピソードを幻想的に絡めたクリスマス・ファンタジーの世界を作っており、さまざまな興味を掘り起しつつ、心温まる素敵な佳作になっています。

 

わたしが一番興味を持ったのは、本作のなかでは、ディケンズによる「クリスマス・キャロル」が大ヒットするまでは、世界ではクリスマスイブは現代のような祝福すべき日ではなく、この作品のヒット以後、クリスマスやクリスマスイブは大きな祝祭日として定着したというくだりです・・・。

 

この辺のところは本当なのかな~?なんて思いつつ、首をかしげながらの帰路となりましたが、そうしたことも含めてファンタジーなのかもしれませんね。

 

2018年

12月

08日

ボヘミアン・ラプソディ

本作を封切間もない時期にT-Joy東広島の大スクリーン1番シアターにて観てきました。

 

クイーンはわたしが中学時代にリアルタイムで流行っていたバンドであり思い入れも強くあります。

当時は、好きなレコードを買うことができる中学生(当時のLPレコードはおよそ2500円前後もし、いまの貨幣価値にするとおそらくは一枚5000円ぐらいの感覚であり、とても中学生にはおいそれと手を出すことができない代物でした)は限られていました。なので彼らは、どちらかといえば裕福な家庭の、アンテナの鋭い、進んだ女の子らのものだったという印象のあるバンドです。当時は小学生高学年から流行っていたベイシティローラーズにそろそろ飽きた音楽好きたちがクイーンの高い音楽性をかぎ取り、食いついていた感じでした。

 

わたしなどはやっとFMラジオを中心に彼らの楽曲をエアチェック(この言葉自体もう意味がわからない若い方もいそうですね)し、なんとかカセットテープで繰り返し聴いていたものです。当時土曜日の昼2時からのFM愛知(広島ではFM広島だと思います)の「ポップス・ベストヒット10」という1時間番組にかかる彼らのヒット曲は、当時ビートルズバカだったわたしからしても、勢いとリアルタイムの艶があり、ポップでありながらも壮大で、いつも楽曲ごとに曲想ががらりと変わるクイーンの新曲には常に畏怖と興味を覚えていたものです。「セイブ・ミー」「地獄へ道連れ」「愛という名の欲望」などはリアルタイムで聴いた彼らのヒット曲群の一部ですが、今聴いても楽想は豊かで斬新です。

 

申し訳ありません。前口上が長くなりすぎました。さて本作ですが、もう一言で言って、大満足の作品でした。本作で描かれた世界は、別にクイーンの音楽を今まで聴いたことがなくても圧倒的に胸に響くものだったのではないでしょうか。

 

今さらですが、彼らの音楽自体の素晴らしさ、ライブにおけるパフォーマンスの迫力がよくわかる構成になっています。そのうえで、ボーカルかつ楽曲作成の中心であった、フレディ・マーキュリーがさまざまなコンプレックスを抱えながら、音楽の力でそれを乗り越えていく姿が感動的に描かれています。

 

HIV感染に至った同性愛についてはさすがに知っていましたが、生まれつき歯数過剰症であったこと(外観的にはコンプレックスを抱えながら、それを逆手にとって、歯数の多い広大な口蓋だからこそのあの大声量と素晴らしい高音を含む広い音域を誇る奇跡的な発声が生まれた皮肉)、ペルシャ系インド人のゾロアスター教徒である両親を持つ移民の子であったこと(それゆえにボヘミアンラプソディーをはじめとした死と生と愛の葛藤を抱えた内省力の強い哲学的な詩の世界を生み出した事実)などは本作で初めて知りました。しかし、そういった出自をバネに圧倒的に豊かな音楽とパフォーマンスを生み出していった過程がとてもドラマティックに描かれているわけですから悪いわけがありません。

 

またクライマックスであるライブエイドでの彼らのライブ当時、もう大学生になっていたわたしはブラウン管を通してその雄姿を観た記憶がありますが、こうした裏話があったとは恐れ入りました。残念ながらわたしは彼らの生のライブを経験はしていないのですが、この時期にはもう洋楽のライブには行っていただけに彼らの日本ツアーを一度体験しておけばよかったという悔いを覚えるほどよかった映画作品になりました。白状すると、本作を大画面と大音響でせめてしっかり心に刻んでおこうと思い、同じT-Joy東広島で3回もクイーン体験してしまいました。久々の心の大ヒット作品になりました。

 

映画のテーマでもあり、フレディのことばかり書いてしまいましたが、テクニカルでありながらポップセンス抜群の七色の音色を奏でるギターをつま弾きながら、「ハンマー・トゥ・フォール」(これってブルーハーツの名曲「ハンマー」の原曲といえますよね)「フラッシュゴードンのテーマ」などの名曲を書いたブライアン・メイ、歯科医への道をあっさり捨ててワイルドなドラムをたたき続け、ときには「レディオ・ガ・ガ」(映画では字幕で訳詞されておりその素敵な歌詞内容も一目瞭然となりましたね)のような名曲を書いたロジャー・テイラーらが同じ時代に同じ場所で出会い同じバンドに属し、音楽という形の激しい化学反応を起こした結果、クイーンの素晴らしい作品群が生まれたことも添えておきます。

 

最後に、彼は晩年に「Hard Life」という作品を発表していますが、まさに日々ハードライフのなかから、切なく素晴らしい作品群が生み出されていったことを知った今はなんだかありがたく日々聴いている自分がいます。まさにマイブームです。

 

最後の最後に、いろいろと書いてしまいましたが、クイーンの音楽はそうしたゴタクなど必要ないぐらい音楽として豊かで素晴らしいものであり、その後わたしもいろいろな音楽を経験しましたが、彼らの奏でるような音楽はその後もなく、まさにクイーンミュージックと言っていい、時代を超えた、人類へのギフトと言っていいほどのジャンルを超えた音楽の金字塔になっています。それらを思い出させてもらっただけでもありがたい作品になりました。映画というメディアの可能性を深く感じる本作でした。

みなさんも是非とも鑑賞されてください。

 

 

P.S.  本作のパンフレットによると、フレディは日本の「ファイブ・リングス」にも興味を持っており、それについての質問を日本スタッフに問いかけるも、日本人スタッフの誰も対応できなかったというエピソードが載っていますが、あの宮本武蔵の魂でもある「五輪の書」にも傾倒していたとはさすがフレディと、こんなささやかなエピソードひとつとっても感嘆させられました。同時代にこういう才人がいて、それを少しでも感じられたことにはほんと感謝です。わたしもフレディが心酔していた日本文化への造詣をさらに深めねば・・・なんて思ったりしました。 

2018年

11月

23日

止められるか、俺たちを

待望の本作を「華氏119」とはしごでサロンシネマにて鑑賞してきました。

 

本作はまだ若かった故・若松孝二監督を取り巻いた若者たちのなかで、助監督にまでなり原因不明の死を遂げた女性を主人公に描いた、ほぼ実録に近い物語です。音楽が曾我部恵一というのがまたふるっています。

 

若松孝二監督は大好きな監督であり、傑作「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」は今もわたしの映画体験に輝く金字塔を打ち立てています。ラストは膝ががくがく震え、胸が締め付けられました。ピアノの単音を中心として大音響とともに、破れ行く若い彼らの心の叫びが響きわたるなか、あさま山荘という幻想城が崩れていくシーンは、驚愕と畏怖を伴い、今も思い出すと胸が熱くなります。

 

若松監督という無鉄砲で強引で火の玉のような映画的才能の塊という存在を中心に多様な才能が集まりまた散っていくさまが青春の光と影といいたくなるような素敵なエピソードを中心に、彼の晩年の弟子・白石和彌監督により綴られていきます。登場人物たちのほぼ全員が実在の人物であり、彼らがその後何ものになったかを調べるだけでわくわくするような作品です。

 

しかし何といっても素晴らしいのは、本作のスクリーンに映し出される映像自体の色合いや登場人物の醸し出す空気感が、亡き若松監督の撮った映像そのものであるかのような錯覚を思い起こさせるほど、監督へのオマージュとして成り立っている点ではないでしょうか?

 

ベタベタしながらカラッとしている、コダックカラーの青年たちのシャツやセピア色で罪のない昭和の空が素敵な映像でした。こういう作品が普通に街のシネコンでも見れるようになればいいのにな~といういつもないものねだりの気持ちが湧いてきながら、足早に広島市内からわが街東広島への帰路に着きました。

2018年

11月

16日

華氏119

本作を秋の深まったクリニックの休日の午後に、広島市内にて広島映画界の至宝・サロンシネマにて修行してきました。

 

あのマイケル・ムーアがついにトランプ・アメリカ大統領の黒い内幕をすべて実際の映像を使って暴くという実録ドキュメントです。かつてブッシュ大統領を同じ手法で描いて痛快大ヒットを出したことは今も記憶に新しく期待を抱いての鑑賞となりました。

 

予想通りというか、かなり痛快な作品になっています。これはもう実際に見て、抱腹絶倒に笑うか、怒り心頭となって顔を真っ赤にさせるかしかなさそうです。

 

個人的に衝撃だったのは、なんと実は民主党候補選においてあのサンダース候補のほうが各地で圧倒的にクリントン女史の得票数を上回っていたのにかかわらず、それが党の幹部らに打ち消されていたという下りです。

 

わたしからしても、大統領選挙においては、民主党候補のクリントン女史はその長いキャリアのなかで、さまざまな金と権力にまみれ、富裕層や権力側と癒着しておりあまりにも敵が多く(トランプも好きでないが、クリントンが大統領になるぐらいならトランプに入れたという話もアメリカ人から直接この耳で聞きました)、これは負けても仕方ないという印象を持たざるを得なかったのですが、もしこの下りが本当なら話は変わってきます。

 

クリントン女史よりはサンダースのほうが国民、とくに黒人、学生、労働者、貧民層の支持を強く得ていただけに、もしや現大統領はトランプの全く反対の主張を掲げるサンダース大統領が誕生していたかもしれないと考えることは痛快な想像でした。

 

しかしよく考えてみると、アメリカという超絶資本主義の弱肉強食の国で、コミュニストに近い主張の大統領が誕生していたら、それはそれでまた別の混沌を導き出していた可能性があり、世界にとってはどちらがよかったんだろう?という決して答えの出ない問いがぐるぐる回るようになった一作でした。

2018年

11月

14日

カメラを止めるな!

本作を公開終了寸前に、T-Joy東広島にて修行してきました。

 

正直に告白すると、本作は絶対に見なければと思っていた若松監督の若い頃を描いた作品「止められるか、俺たちを」とタイトルが似ているため、恥ずかしながら、本作をそれと勘違いして鑑賞開始しました。

 

なので途中まで、若い頃の若松監督はこんなワンカットにこだわる映画作りをしていて(確かに若松監督ならやりそうなのです)、それをドキュメンタリ風映画として再現フィルムのごとく撮影していたんだという感覚で観ていました。

 

しかし、物語は若松監督の若いころどころか、そのワンカットそのものを表と裏のシーンをぎりぎりの技巧と策略をもって撮影していくことがこれでもかというほどに連続し、最後にそのシーンづくりの裏側を解題していくという構成になっていくことに至り、中盤ぐらいになってやっと自分の見ている映画は「止められるか、俺たちを!」ではないということに気づきました。

 

いやはやお恥ずかしい限りです('◇')ゞ

 

しかし、ワンカットフィルムの創作映画として、スピード感といい、スリリングなネタばらしといい、映画好きにはグーの音も出ないほど素敵な佳作になっており、低予算映画でありながら、好評を得て全国ロードショウに出世したことをこれでもかというぐらいグイグイ教えられました。

 

こういう映画づくりもあるんだと教えられた夜になりました。映画というのはほんと奥深いとつくづく思わせれた作品となりました。

2018年

11月

05日

億男

本作を11月に入ったばかりの診察が終わった、寒くなりつつある月曜夜にT-Joy東広島に修行してきました。

 

本作は3年ほど前に本屋に山積みされていた本屋大賞受賞作を原作としています。わたしも読んだことはありませんが、本屋にはよく通っている性分なので、印象的な本の表紙をよく目にしており、どんな作品なのだろうという気持ちを持っての修行となりました。

 

借金まみれの男がひょんなことから3億円の宝くじに当たり、そこから親友がそのお金を持ち逃げしたことから物語は始まり、その後、右往左往の展開を経て、熱い友情が帰ってくるという展開ですが、本作の見どころはやはり、モロッコで主人公が学生時代に親友と旅をしながら、その後の人生に影響を与えるような体験をしていくという話を映像を通して、説得力豊かに描いているところではないでしょうか?

 

思い出せば、わたしも学生時代、親友らと東南アジアの楽園・バリ島などに訪れ、そこでしか味わえないような素晴らしくちょっぴり危険でスリルあるさまざまな体験をこれでもかというほど体験させてもらいました。これは今でもわたし自身の血となり肉のなっているようにも思えるほど深く思い出に残る体験でした。

 

残念ながらもうその当時の友人らとは、物理的にはお互いになにかと忙しくゆっくり会うことはもうありませんが、そうした貴重な、お互いにまだ何者でもなかった若いときにしか得られない体験をともにしたという思いは常にあり、距離や想いが現在離れていてお互いの気持ちを確かめることができなくても、いつも心の友という想いが存在しています。

 

本作は、そんな過去の素敵な思い出というのは「三つ子の魂百まで」のごとく、いつまでも継続していくんだよということを思い出させてくれた作品であったような気がします。そんな回想を久しぶりにしながら、ほんのりと温かい気持ちを胸に抱きながら、明るい秋月の下、帰路に着きました。

 

2018年

10月

22日

恋のしずく

本作を秋の深まりつつある夜長の夜更けに、地元東広島ロケの注目の映画として期待を持って鑑賞してきました。

 

わが街地元の作品だけにどんなところでロケをしたんだろうという気持ちもあり、映画を観ていても「ここはあそこだな」とか「ここをこういう風に撮っているんだ」といった感慨が先にたって、正直あまり冷静な鑑賞とはいえませんでした。

 

しかし映画のラストで、ワイン好きで日本酒が苦手だった主人公がさまざま体験を経て日本酒のことを見直したどころか、好きになり、心を通い合った人への想いを抱きながら、西条という地で得た素敵な体験をこころに抱きながら、そこを離れてくというシーンに直面するに至り、なにかじんわりとほんのりとした気持ちが自然に心にわいてきました。

 

いろいろな意見もあるでしょうが、わが街西条を舞台として、誰もがかつて経験したはずの普遍的な心の成長と人との絆とその喪失を描いており、鑑賞に値する十分な作品になっているという感慨をわたし自身は持ち、東広島市民だけではなく、全国の皆さんにぜひとも観てほしいな~という思いを抱きながらの帰路となりました。

 

P.S.地元の人なら自然に気づくとは思いますが、舞台であるはずの西条の酒蔵街については、その独特な見栄えのいい石畳の通りや空から見た酒造群の煙突の風景はあるものの、主人公の研修する古くからの酒造や、到着と旅立ちの舞台となる西条駅、素敵な瀬戸内の海が見える山々などは安芸津で撮影されています。しかし安芸津も東広島市内なわけであり、西条の映画というよりは、東広島市の映画と考えれば全く問題ないわけで、東広島を舞台とした素敵な映画だったと思います。

2018年

10月

12日

食べる女

本作をもう終映間近の週末にT-Joy東広島にて鑑賞してきました。

 

本作は食べるという業(なりわい)というフィルターを通して、それぞれの人生を生きている、自由で自立しながら、ちょっと孤独で温かい女たちの生活をオムニバス的に挿入しながら、男という隠し味を縦糸に紡いで徐々に集約していくささやかなコミュニティを穏やかな視点で描いていく佳作でした。

 

個人的にはこうした穏やかで温かい自由なコミュニティには昔から強くあこがれている自分がいます。

 

しかし本作はよく見ていれば気づくのですが、それぞれの女性たちは、小泉今日子演ずる主人公自身が作家であることをはじめとして、常に自分の才覚をもってこの世知辛い世の中という大河を上手に渡っています。

そうした日々の懸命な営みの向こうで、ときどき羽目を外したり、寄り添いあったりしているわけです。まるで優雅に泳ぐ白鳥の水面下で営まれる足のように。

 

こうした日々の切磋琢磨を通して、自由で自立したコミュニティというものはギリギリのところで成り立っていることを実感しながら、自分にしてもいつか古くからの仲間たちと穏やかで温かいコミュニティを形成しながら、こうした素敵な羽目の外し方をたまにはしていきたいと思ったりしました。そのためにもわたし自身、いま目の前にあるやるべき営みをまずはして、その景色の向こう側の方にこうした世界を垣間見られたら・・・なんて思いながら、秋のさわやかな夜風に吹かれながら帰路に着きました。

 

2018年

10月

07日

祭りのあとで

ずいぶん長くお待たせしました。ここ三か月は本ブログを自主休止しておりました。

 

西日本エリアでは平成30年7月6日夜から7月7日朝にかけて続いた豪雨によりわが街東広島も大きな災害を受けました。幸いにもわたしは15年乗った愛車を7月7日早朝にかけて一台犠牲にしただけですんだのですが、当クリニックに通院中である患者さまのなかにも自宅が土砂災害に見舞われた方もおられました。

 

そうしたなかでわたしの能天気なブログもとても綴り続けるような心境ではなくなり、この間は筆が進まない状態が続き、ブログも休止していました。わたしの駄文を楽しみにしておられた方には大変申し訳ありませんでした。

 

この間も当然のことながらこころの診療は継続されていたのは言うまでもありませんが、なにか日常の安定していたはずの世界が不安定になったような不思議な感覚にとらわれながらの日々が気づけば3か月続いていました。

 

しかしこの間にも日々は着々と積み重ねられ、日常生活にどうしても必要でもある、新たな自動車も粛々と決まり、2か月半ぶりに先日ついに納車されました。わたしにとっては医者になってから自身で購入する3代目の車です。前の2台と同様に3代目も10年以上は乗り続けることになるのでしょう。

 

くしくも本日10月6、7日は豪雨災害から3か月。そんな日に無事わが街の酒まつりは開かれました。また大型台風が近づいてくるという不運もはねのけ、元気に開催されました。わたしも懐かしい大塚愛がステージに参上することと人々の熱を感じたく、秋の風に誘われぶらぶら歩いてきました。わたしが訪れたのは10月7日日曜日だけだったのですが、会場は盛大な賑わいであり、3か月前の豪雨災害など本当にあったのかというような人々の酒気と盛り上がりでした。大塚愛さんが当日詰めかけた観客のために選んだ楽曲が愛や絆を強調するバラードばかりだったことがやはり災害後を漂わせていましたが・・・。

 

いずれにせよわが街も災害後3か月という節目の酒まつりを迎えて無事終えて、また新たな一歩を踏み出したような気がします。わたし自身もいつまでも日常診療の世界のみにひきこもっているわけにはいかないので、そろそろ本ブログも再開しようとおもいこの駄文をしたためている次第です。実はこの間も少しは映画館修行へも行っていたのですが、もうとっくに上映終了の作品ばかりなので、本ブログでの所感公開(実は書きかけたものもあったのですが)はお蔵入りです。

 

今後は想いも新たに、わたしの信条である、ゆったり・焦らず・誠実にを心に秘めながら、本ブログもゆうるりと綴っていこうと思っていますので、またときどきのぞいてやってください。

 

今後ともよろしくお願いいたします。

 

 

2018年

6月

20日

万引き家族

本作を梅雨に入ったのに梅雨らしくないさわやかな初夏の夜にT-JOY東広島にて修行してきました。なんと5月に開かれたカンヌ映画祭において最高賞であるパルムドールを邦画としては21年振りに受賞するという快挙を達成しての封切であり、わたしもさっそく馳せ参じました。おかげで巨大スクリーンの1番シアターでこの不思議な家族の物語を堪能させてもらいました。

 

是枝裕和監督はここ数年、スクリーンを通してさまざまな家族の群像を描いて、「現代において家族とはいったいなんなのだろう?」というテーマを観るものに提起していますが、本作はその集大成のような出来になっていました。

 

いい映画というのは物語の流れをあまり言葉で説明しすぎず、登場人物のなにげない表情や映像そのもので表現するものですが、本作はまさにその真骨頂になっていました。

そうはいっても、ラストにかけて、なんと同じ屋根に住む家族がすべてアカの他人だったのには驚かされました。おばあちゃんと娘のなにか分かり合っている姿をみて、さすがに彼女らには軽い血縁関係ぐらいあるのだろうなという目で見ていたわたしもこの展開にはあぜんとしました。祥汰ぐらいはさすがに彼らの息子かと思っていたら、なんとラスト近くでは、赤ん坊のころにさらってきたことが明かされたことにもびっくりでした。要は同じ屋根の下で暮らす家族は全員赤の他人というわけだったのです。

 

こんなふうにこれでもかというぐらい意外でやや強引で操作的な物語展開ながらも、映画館で観ていると妙にリアリティがあり、引き込まれていくという映画のマジックがそこにはありました。今まで少し頭でっかちかな?と思っていた是枝監督が考えに考えてつくり上げた素晴らしい結晶のような映画が出来上がったのだと思いました。

 

まったくの他人どおしが実の家族以上に仲睦ましくささやかに暮らす姿はほほえましく温かみさえ覚えます。しかし経済的な基盤は家主である樹木希林演ずる老女のもらう年金(これももしかして詐欺?)と子どもらをも巻き込んだ日々の万引き。

 

倫理的には最低の登場人物たちのはずなのですが、妙に愛らしく親しみやすく表現されています。安藤サクラ演ずる信代の、まるで昭和のような貧乏な生活のなかで際立つ出で立ちと沸き立つ色気が劇中ではリアリティを高めるいい隠し味として効いています。余談ですが、本作を観て安藤サクラさんの演技に興味を持った方は彼女の初期の出演作「愛のむき出し」(園子音監督)を観てみるのをおススメします。安藤さんの持つ狂気と色気がもう10年以上も前にすでにそこにあるのを見つけるはずです。

 

本作の醍醐味はなんと言っても盛りだくさんなデジャブのような家族群像ではないでしょうか? 学校にも通わず強かながらもナイーブさも併せ持つ祥太の生き様は「誰も知らない」の姉弟たちのそれであり、樹木希林演ずる初枝のこころに宿る過去に対する怨念と諦念の入り混じったようなぶっきらぼうさは「歩いても歩いても」の老夫人の熟成であり、ビルの谷間の狭く小さな家という小さな空間での家族の濃密なやりとりは「海よりもまだ深く」の狭いアパートでの濃密な一夜の延長であり、ラストに近いところの治と祥太の別れは「そして父になる」のラストシーンを思い出させたり、万引きという犯罪の不条理と理不尽さ、空虚さは前作「三度目の殺人」で描かれた犯罪にも感じたそれであり、まさに是枝監督が今まで家族に関して積み上げてきたエッセンスをこれでもかというほど注入し、まさにいい意味でるつぼであり、印象的な家族情景のごった煮となり、これらが危ういところでバランスを保ちながら、是枝監督独特な小津監督ゆずりのスタイリッシュでありながら、陰影のある静かで穏やかな映像で表現され、まるで是枝家族鍋というがごとくのいい風味になっているわけで、まさに家族シリーズの集大成の作品(これからさらにすごい家族寓話が生まれるのかもしれませんか)であり、カンヌ受賞もさもありなんです。

 

さらにエンドロールにおいては、細野晴臣によるコミカルでやや不思議な不調和と調和を行ったり来たりする音楽が本作を雄弁に語っており、やはり「いい映画にはいい音楽が必須ですな~」という感慨を抱きながら、監督はつぎはどんな家族を描くのだろう?なんて考えながら、否応なく観るものにそれぞれの家族のことを考えされられる作品でした。

梅雨らしくないさわやかな風が漂いながら、平成30年という年を代表する歴史的作品に遭遇したんだなと感じる夜になりました。

 

P.S.そんなこんなで激賞の本作でしたが、個人的な是枝監督最高作はそれでもまだ「歩いても歩いても」であることは変わりませんでした。どうにも逃れられなかった家族の運命とどうにもならない現実への怨念と諦観が微妙なバランスの上に見事に表現されています。この作品でもカンヌをとれたのでは?と思うほどです。本作のようにいろいろ盛り込まれたリッチな作品ではありませんが、簡素ながらもこころをいつまでも揺さぶる作品であることは間違いないです。まだ未経験の方はぜひにです。

2018年

6月

11日

ラプラスの魔女

本作を封切られてかなりたってから、梅雨入りしたジメジメした夜にT-JOY東広島にて鑑賞してきました。ちょうど上映時間のタイミングがあっての遅まきながらの修行となりました。

 

東野圭吾原作、三池崇史監督、俳優には櫻井翔、広瀬すず、福士蒼汰と豪華な顔ぶれです。それにしても広瀬すずは売れていますね。

 

本作については観てのお楽しみで、わたしがどうのこうの言うことはとくにないのですが、東野圭吾さんの原作(ちなみに東野さん原作としての傑作映画はやはり「容疑者Xの献身」ではないでしょうか?)らしい奇抜な犯人捜しの気象ミステリーとして観るのもよし、将来有望な若手俳優らの初共演を楽しむのもよし、犯人の動機を通して人間の愚かな業を嘆くのもよしの奥の深い作品に仕上がっていました。

 

実は本作で一番印象に残ったことは、物語の冒頭シーン絵で、資産家の男性が突然死んで、三番目の妻による遺産目当ての殺人がまずは疑われるという物語のくだりは、なんと偶然ながらいま世間を騒がせている「和歌山のドンファン」事件と奇妙にシンクロしており、ややびっくりし、「フィクションもノンフィクションも本来は反対に位置するものでありながら、ありそうでない、なさそうであるという、これらの相反するはずのものがまるで万華鏡にように近くに寄り添っている時代なんだな」という感慨を抱きながら、雨が降る夜の街のなかワイパーの動きを見つめながらの帰路になりました。

2018年

6月

01日

妻よ薔薇のように 家族はつらいよⅢ

本作を例によって、仕事の終わった深夜にまだまだ肌寒い風を感じながら、T-JOY東広島にて修行してきました。

 

本作は「専業主婦への賛歌」がテーマというだけあって、笑と涙をふりかけにように振りまきながら、しっかりを社会問題を考えされられる映画的醍醐味のある作品となっていました。

 

山田洋二監督の落語的諧謔性というフィルターを通して、現代社会における矛盾や理不尽に対して軽やかに光を当てる作品になっており、映画好きなら文句なしの、笑あり涙ありという、まとまりの良さやおさまりの美学を貫いた、素敵な小品になっていました。

 

この作品はまだまだ続きそうで、どうやら「家族はつらいよ」は「男はつらいよ」に続く、山田監督のライフワークになりつつあるようですが、本シリーズの源泉というべき傑作「東京家族」(名作「東京物語」のリメイク)は本シリーズには数えられていません。このあたりについては、小津安二郎監督へのリスペクトとともに山田監督なりの矜恃があると感じているのはわたしだけでしょうか?

 

P,S.本作では橋爪功演ずる平田家の家長の実家として、広島県の大崎上島が出てきますが、江田島、蒲刈島と並んで、大崎島も最近よく映画の舞台となっており、広島県民としては喜ばしい限りです。

2018年

5月

26日

のみとり侍

本作を初夏の気配が漂いつつある5月の夜に、T-JOY東広島にて修行してきました。いつも仕事が終わってからなので、またまた深夜の修行です。

 

敬愛する阿部寛(阿部ちゃんと愛をこめて以後はよばさせていただきます)さんの作品でもあり、なんとか観ておきたい作品でした。ちなみに阿部ちゃんの作品についていこうと思った最初の作品は「青い鳥」であり、これはまいったな~と感嘆させられたのは「歩いても歩いても」です。両作品ともいろいろと後を引く作品でした。

 

一方で、本作はいろいろ熱く語ることは野暮であり、阿部ちゃんのもう一方の魅力であるギャグ満載の「テルマエ・ロマエ」系の諧謔的作品であり、気負いなく笑いとおかしみを感じながら、ちょっと映画で一服というときにちょうどよい佳作でした。

 

本作は、さっそうと中年男の魅力と男気を振りまく豊川悦司の男ぶりや淫乱女の怖さも堪能できるし、阿部ちゃんや江戸時代の諧謔性に関心のある人はぜひ鑑賞されて損はない作品でした。

 

P.S.そういえば、本作でも失脚する老中・田沼意次は歴史的にはいつも悪役扱いですが、歴史好きならば実像はそうでもないことを知っており、いつか田沼の時代を本格的に描く映像作品ができればいいのにと思ってしまいました。

 

2018年

5月

18日

孤狼の血

5月の中旬、さわやかな夜風が吹く気持ちのいい夜に、封切間もなくの本作をT-JOY東広島にて修行してきました。舞台は広島だけにやはりここはしっかり早めの修行です。

 

かつて「仁義なき戦い」シリーズを生んだ東映アウトローシリーズの再来を予感させる東映気合い入りまくりの作品です。封切間近でもあり、当然東映系の映画館T-JOYでもあり、自慢の大スクリーンの1番シアターです。

 

本作はかなりきついバイオレンスものという覚悟をもって修行に向かったのですが、意外や意外そういう要素ももちろんあるものの、印象に残ったのは中盤から終盤にかけて涙が出てくるような情緒的展開でした。役所広司演ずる大上刑事の運命と若手刑事ヒロダイを演ずる松坂桃李くんの孤独な魂のバトン受け渡しのようなテーマとなっており、なんだか見終わってしんみりしてしまいました。

 

それにしても「凶悪」でも感じたのですが、白石和彌監督の迫力ある圧倒的なリアリティのある作風は誰かに似ていると思っていましたが、あの若松孝二監督(傑作「実録・浅間山荘」は今でもわたしの心に突き刺さっている衝撃作です)でした。調べてみたら、なんと若き日に白石監督は若松監督に師事していたことがあることを知り、妙に納得してしまいました。

 

なぜ「孤狼の血」というタイトルなのか?も誰にも腑に落ちるラストシーンも小気味よく、広島に住む大人(さすがに本作は子供にはまだ早いです)には超お勧めの作品になっており、おまけに、広島の街角のシーンにおいても懐かしい鷹野橋のサロンシネマのあの健康階段もでてきたりで、細部にも広島の映画好き人間ならばニンマリと楽しませてくれる仕掛けもてんこ盛りでした。

 

今後の広大卒の刑事ヒロダイの活躍が楽しみになりながら、満足感をこころに満たしながらの帰路になりました。

 

P.S.実は本作は物語と同様に印象に残るのが、リンチの道具として使われる豚の糞。このエピソードは強烈な印象を残すだけに、原作でも出てくるのか?と思いきや小説を読んだ人に伺ったら、まったく出て来ないと・・・。これはどうやら白石監督のセンスのようでした。実は偶然ですが、知り合いに白石監督の高校(旭川にあります)時代の同級生がいまして、その彼から聞いた、白石監督(実はこの名前は芸名だそうです)の高校時代のエピソードからするととても合点がいくものでしたが、それをここでは明かす事はできないので、もし個人的に本作の映画談議になった人にだけいつか酒の肴に語りたいものです。

 

2018年

5月

08日

君の名前で僕を呼んで

本作をGWに入ったばかりの昼間に久々広島市内まで出かけ、広島の誇る映画の殿堂、八丁座にて修行してきました。

 

いわゆる大手映画館ではなかなかやってくれない、アート系映画です。舞台は1980年代のイタリア北部の田舎町。17歳の少年エリオと24歳のアメリカ人青年オリヴァーが出会い、夏の訪れとともに恋に落ち、夏の終わりとともに夢のように去っていく。そんな夏の輝きと微妙な心の動きを初々しい主演・ティモシー・シャラメが画面いっぱいに切なく、穏やかに演じています。

 

ふたりの切ないふたりの切ない恋の情景もいいのですが、個人的には本作の魅力はふたりを包み込む自然と街並ではないかと思いました。

 

ふたりを上から見つめる様に抜けるような深く青い空、歴史を物語る土色レンガの街並、緑葉が映える深く清らかな泉、どこまでも続く麦色の田舎道、罪のない夏の風に漂うシャツ、夏の強い陽光を受けながら軽やかに流れるふたりの自転車の影・・・。

 

これらの情景は常にどんな時代でもきらめく、普遍的な絵柄であり、恥ずかしながら、もうここ最近の日常ではあまり目にすることがなくなったものたちが、「かつて君もこういう風景や時間を経験したことがあったんじゃない?」・・・と問いかけてくるようでした。そうした風景の誘惑のなか、2時間と少しだけ本作の描く情景のなかにどっぷり浸かり、束の間日常を忘れる貴重な時間を過ごさせてもらいました。

 

本作は同性愛映画というよりは、そういう愛の形にとらわれず、ふたりの魂が自然に魅かれあった、切なくて穏やかで、季節とともに消え去った恋と季節と自然の物語でした。さらにおまけとして、ラストの主人公の父親の含蓄のある言葉はちょっとやりすぎかな~と思えるほど理想的なセリフであり、こんな親が自分にいれば・・とも思ってしまうほどの出来栄えでした。

 

本作を観ていると、わたしは日本人ですが、こんな素敵な風景や時間のなかで一瞬を過ごす人生に強烈に憧れます。こういう風景や時間のなかで光と緑に包まれて蒼く切ない淡い時間を若い一時期に経験すれば、幸運な人生と言えることは間違いなさそうです。でも人それぞれ与えられた環境と時間のなかで何を感じ、何を得て何を失っていくかを懸命に味わっていくのが人生なんだろうな~・・と、そんな当たり前のことを思い出させてくれた素敵な佳作であり、個人的にはまた時々見てみたくなる小さな作品でした。

 

2018年

4月

28日

レディー・プレイヤー1

本作をGW直前のウィークデイの夜、運よく封切直後の大画面にてT-Joy東広島にて観てきました。

 

スティーブン・スピルバーグ監督による正真正銘のエンターテイメント作品です。いわゆる「E.T.」「バック・トゥ・ザ・フューチャー」「インディージョーンズ」「ジュラシックワールド」といったその時代時代に、度肝を抜くように新たな映画の可能性と夢を示してきた、監督の王道系譜の上に位置するスリル&ファンタジー作品です。

 

本作では現実とVR(バーチャル・リアリティ)の世界「OASIS」を並立して生きる少年の物語です。冴えない悲惨な現実の裏で、なりたい自分になれる、豊かでスリルあふれた冒険世界が待っている「OASIS」。そんな世界を通して知り合った仲間とバーチャルな世界で友情をはぐくみ、圧倒的に難解な3つの謎を解いていく。そしてそこで芽生えた友情や恋愛が現実さえも豊かにしていき、お待ちかねのハッピーエンド。

 

こう書くとなんだか普通のSFものなのですが、そこはスピルバーグ。

 

つたない言葉などでは表現できない、映画でしか体験できない表現をこれでもかというばかりにスクリーンのなかで展開しています。本作は映画館の大画面と大音響(本作の音の迫力がまたばかでかく張り裂けんばかりなのです)で味わうべき作品で、おそらくお茶の間での鑑賞ではその醍醐味の半分も味わえないと思われるので、みなさん!ぜひとも映画館で鑑賞してみてください。

 

最後に特筆すべきことは、スピルバーグ監督自身が「これは日本のために作った」と語っているように、日本の誇るべき想像物がキラ星のごとく、バーチャルな世界で活躍していることです。覚えているだけでも、「メカゴジラ」「ガンダム」「AKIRA・カネダのバイク」等々。「AKIRA」のバイクなどはリアルタイムで経験した世代にはマニアックなツールだと思っていたのですがこうして普通に表現されると、「うーん、AKIRAってこんなにインターナショナルだったのね~」と感慨に襲われ、うれしくて泣けてきます。これら日本発祥の素敵なキャラがスピルバーグ指揮のもと縦横無尽に活躍します。まあ「ファーストガンダム」の実写の素晴らしさと言ったらうっとりです。この映像を観て、もう現代の技術なら「機動戦士ガンダム」の実写化も完全にできるということに気付かされました。

 

大満足で帰路についたわたしでしたが、これを3Dで観たらさらにすごいのかもとも想像してしまいました。チャンスがあれば観てみます。

いずれにせよ老いも若きも日本人ならみておくべき完璧なエンターテイメント作品でした。

 

2018年

4月

19日

リメンバー・ミー

本作をGWが近づく夜にT-Joy東広島にて修行してきました。

 

ディズニーによる、含蓄のある心暖かになるハートフルストーリーです。

 

死者の国に、かつてギター一本でスターになるため、家族を捨て失踪したおじいちゃんを探しに行く、メキシコのギター少年ミゲル。当初のあてがはずれたものの、結局意外な形で再会を果たした祖父と孫、そしてミゲル一族のハッピーエンド。

 

物語はちょっとした意外性も含みシンプルに楽しめる作品です。

 

しかし特筆すべきは、アニメならではの・・というべきか、アニメを超えたというべきか、素晴らしい色彩の表現です。とくに死者の国は驚くほどの青を基調にしたきらびやかな世界で、青という色が好きなわたしも大満足の絵の表現にうっとりするほどでした。

 

本語で山椒のようにピリッと効いていたスパイスがありました。

死者の国では「生きている家族に忘れられると、死者の国からも存在が消える」という宿命なのですが、ミゲルのおじいちゃんを消さずにすんでいたのは、家庭を捨てた夫の失踪をきっかけに音楽さえも憎み続けながら、夫のことを憎みながらもずっと忘れずにいたミゲルのおばあちゃんであったこと。このエピソードが本作をより含蓄の深いものにしていたような気がしました。

 

また「ペンタゴン・ペーパーズ」もそうですが、本作もいまの現代アメリカへの警鐘を鳴らす裏のテーマがあったような気がしました。

 

アメリカ白人を中心とするアメリカ・ファーストを掲げ、移民を排斥する強い方針のトランプ大統領。彼だってかつては移民としてアメリカに上陸し、先住民アメリカインディアンを滅亡寸前にまで虐殺したアメリカ白人の末裔なのに・・・。そんな過去を顧みない現職大統領により露骨に排除されようとしているメキシコ移民。

 

しかし、彼らがこんな素敵な文化を持っていて、これらの要素はもともと移民の国であるアメリカにはこれからも必要で、それらとの融合がわたしたちの国を豊かにするんだよ・・・と本作の製作者がひっそりと語りかけてくるように思えてしまったのは、またまた妄想的なわたしだけだったのでしょうか?(笑)

 

2018年

4月

12日

ペンタゴン・ペーパーズ

本作を4月に入った月曜日の夜にT-Joy東広島にて修行してきました。スピルバーグ監督は最近、エンタテイメントと実録ものを並行して製作していますが、これはもちろん後者に該当する作品です。

 

スティーブン・スピルバーグ×メリル・ストリープ×トム・ハンクスというスタッフの顔ぶれだけで、これが特別なテンションで作られた作品であるという予測がつく作品です。アメリカを代表するこのふたりの共演は意外と初めてとのことです。

 

アメリカの苦悩を深め、泥沼化したベトナム戦争。こんな悲惨なベトナム戦争について、状況を冷静に分析し、この戦争に駄目だしをしていた、国防省の最高機密文書「ペンタゴン・ペーパーズ」の存在とそれを探しだし、新聞というメディアでその内容を発表するか否かの葛藤と発表までの過程をめぐる物語です。

 

本作は、以前にこのブログでもとり上げた2年前のアカデミー賞作品賞「スポットライト」と共通の臭いのする作品です。

 

とんでもない政府文書を獲得して、真実を知らせるべきか、政府の事情を忖度して、その事実を知らぬふりをしてやり過ごし、新聞社の安泰を図るべきか・・・の選択を迫られながら、勇気をもってその公開に踏み切った結果、それが意外にも司法にも国民にも熱烈に支持されていく。

 

一言で言って、どこかで観たことのある、アメリカ的映画ではありました。

 

昨年、トランプ大統領がアメリカ大統領に就任し、自らに都合の悪いニュースをフェイクニュースとかなんとか言いながら、何が真実で何が虚偽だか判然としない現代。

そんな世界のなかで、「真実はつねに誠実で勇気あるメディアによって明らかにされなければならないんだよ」と監督が世界に叫ぶ姿が思い浮かぶような作品。一方で「映画というメディアには何が正しいかを人々に思い出させる力もあるんだ。だからぼくは映画を作り続けるんだよ」と穏やかに耳元でつぶやく監督の本音もちらほらする作品になっていました。

 

良くも悪くも、今のアメリカ、そして現代の日本にも当てはまる、「政府とメディアとの正しい関係」をやんわり主張する佳作的作品でした。

 

2018年

4月

08日

四季のこころクリニック満5歳

お蔭様でお釈迦様の生まれた日というありがたい日の4月8日に四季のこころクリニックは満5歳を無事迎えました。

 

思えばあっという間の5年でしたが、みなさまの温かい支持や支援もあって、クリニックはゆっくりゆったりとその歩みを進めて5歳を迎えることができ、日々少しずつ成長しています。

 

この間3千人近い患者様と出会い、こころの治療を通して出会ってきました。そのなかには今も通われている患者様もおられますし、症状が軽快し治療を終えた方もおられますし、残念ながら症状の軽快芳しくなく治療を中断された方もいます。こうしたさまざまな形でクリニックの扉をノックしてくださった方々がいまも同じ空の下、元気でされているだろうか?と考えることもあります。そんなときはいつも、うれしい気持ち、懐かしい気持ちや歯がゆい気持ちなどさまざまな感情に襲われます。こうしたとき、こころの医学はまだまだ発展途上であり、自分もそのなかでまだ道半ばであり、これからも日々怠ることなく最新の知見や過去の蓄積を積み重ねながらしっかり勉強し精進していこうと思います。

 

また以前も本ブログで書きましたが、クリニックを開いた結果、想定していなかったほどの多くの人と出会うことができました。患者様もそうですし、関係業者の方、地域の方もそうですし、懐かしい旧友やずいぶん御無沙汰していた古い知り合いも含まれます。そのなかには望外の出会いや懐かしい再会があったり、せっかくこころが触れ合ったのに、さまざまな事情で宿命的に別れざるを得ないこともあったりしました。人生は一期一会でもあります。

 

この春も、仕事上のつきあいのなかで、人間的にとても深く共鳴しあえた方との別れも経験しました。またクリニックには学生さんの患者様も多く、すっかり症状がよくなって進学したり、就職したりといった前向きの別れも今年はとくに多かった気がします。

 

そんなこんなで季節は今日この瞬間も歩みを止めず巡り巡っています。こころの医療を通して、またたくさんの方々と笑顔で会えるよう、これからもこの場所でこの四季のなかで、わたしを含めクリニックスタッフ(ありがたいことに5年前のスターティングスタッフ5人のうち今も4人が現役です)は笑顔で一生懸命に頑張っていく所存ですので、四季のこころクリニックともどもこれからもよろしくお願い致します。

 

 

P.S. クリニックの5周年を迎えるにあたり、複数の方からさまざまな形で祝っていただきました。誠にありがとうごいました。この場を借りてお礼を言わせてください。

とくにKさん、Mさん、いつも物理的に距離が離れていてなかなかお会いできませんが、こころの距離はいつも近くに感じながら働いています。いつかまた笑顔と音楽の濃密な時間を過ごせることを楽しみにしながら、また日々ここで頑張って行こうと思っています。お互いにこれからもがんばっていきましょう。

 

2018年

3月

27日

坂道のアポロン

本作を3月終わりの桜が咲きかけた月のきれいな夜に鑑賞してきました。いまや青春映画の巨匠といっても過言ではない三木孝浩監督作品です。わたしもこうした青春映画は嫌いではないので、いろいろとお世話になっており、今回も映画館来訪と上映のタイミングが合ったため修行しました。

 

三木監督作品は軽く数えるだけで「ソラニン」「僕等がいた」「陽だまりの彼女」「ホットロード」「アオハライド」「青空エール」・・などなどあり、いずれも過去に本ブログでも取り挙げてきた作品です。

 

本作の物語はともに過去に親を失い、心のどこかに欠落した部分を持った少年ふたりが偶然九州の地方都市で転校をきっかけに出会い、音楽を媒介にかたやドラム、かたやピアノでジャズセッションという心のふれあいを重ねるうちに、ひとりのかわいい女の子を真ん中に置きながら、忘れがたい時間を得て一生ものの友達になっていくという青春物語になっています。

 

たった2時間のなかで濃密にこれらが表現されているため、友情の深まりの過程や別れのきっかけなどの表現はややとうとつな印象もしたりして、いろいろと突っ込みどころ満載で好みが分かれる作品ですが、こうした内容はわたしにとっては文句なく好みに入る範疇です。恋愛の切なさと青春時代独特のコンプレックスと苦悩、儚い未来への希望が銀幕にうまく表現されていると感じたからです。

 

ところで、このふたりの設定は偶然なのか狙ったのか、両者とも親を喪っている親友という点で、ビートルズのジョンとポールと同じです。ビートルズファンならば常識の事実ですが、ジョンもポールも幼い頃に母親をそれぞれの理由で喪い、こころに大きな欠落部分を背負うことになります。彼らはその喪失感に押しつぶされることに抵抗するかのように音楽にのめりこみ、結果、ロックという音楽世界において、誰もなしえなかった、悲しみや諧謔、儚さ、希望、理想などが複雑に入り混じった、深みのある音楽世界を表現していくわけです。(これらの事実の詳細については、あまたある彼らの伝記物語の書籍群に詳しく書かれていますので興味を持たれた方はぜひどうぞ)

 

そんなふたりが長崎・佐世保の街を背景に、出会いから音楽的共鳴を通してやがて別れ、また再会するという物語を三木監督ならではの透き通りそうな青空をときおり感じさせながら、さわやかに表現していきます。

 

さらに本作は何といっても、学校祭での演奏シーンが素晴らしいです。いろいろ仲違いがありながら、音楽を通して再び共鳴した風景を切なくあたたかい映像で表現されていますが、さすがにシアターでの大画面、大音量でこれを浴びせられると、音楽好きか青春映画好きならば、これがシアターの醍醐味よね~と思わずにんまりさせてくれる出来となっていました。

 

そんなこんなで音楽映画好きにも青春映画好きにもとてもおすすめなキュートな作品となっていましたよ。

 

2018年

3月

18日

北の桜守

本作を封切間もないT-Joy東広島6番シアターで修行してきました。

 

T-Joyを運営する東映作品でもあり、吉永小百合の旧作も再上映したりして、T-Joyも気合いが入っているので、当然のように大スクリーンでの修行となりました。

 

吉永さん通算出演120作めという節目の作品であり、劇中では30代から70代ぐらいまでをひとりで演じているという渾身の作品です。

 

物語では、かつて終戦のどさくさまぎれに、日ソ不可侵条約を一方的に破って侵略してきた南樺太での家族の悲劇と再生が描かれており、戦後の貧困のなかから苦難を乗り越えて成功した次男と老いた母親の物語です。

 

劇中に最初しか登場しない、父親や長男の消息はそうした歴史を知るものなら、簡単に予測でき、物語自体は驚きはない展開なのですが、ソ連によるシベリア抑留やアメリカやソ連による民間船(対馬丸などの悲劇はいまも思い出されています)への無差別攻撃という戦争中においても、国際法的にルール違反である蛮行を受けての家族の運命の物語は数多く表現されており(劇団四季によるミュージカル「異国の丘」も泣けました)、やはり何度みても悔しく痛ましい想いがふつふつと湧いてきます。本作は創作なのですが、これとよく似た話はおそらく日本の北でも南でも当時は結構あったのではないでしょうか・・・?

 

そうした悲劇を経て、懸命に高度成長の時代を生き抜いた母と息子が桜の下である境地に達する・・というシンプルな話なのですが、戦争と絡めなくとも逆境から這い上がっていく家族や母親と子どもの話は、大げさかもしれませんが、わたし自身にもそうした感触には少し心当たりがあり、いろいろなことを思い出し、ややセンチメンタルな心境になったりもしました。

 

それにしても、こうした悲劇を生みださないためにも、戦争は避けたいものです。戦争を避けるには、戦争をしないという庶民の決意だけでは難しく、政治による外交という手腕・技術が必要なのですが、ここ最近の日本政府の右往左往を観ているとやや心配になってしまうのはわたしだけでしょうか? 本作を観終わって、やはり戦争だけはいやだな~という感慨をもって、真夜中の帰路に着きました。

 

P.S. 本作はふつうの映画構成でなく、ところどころに舞台演出を入れているというややアバンギャルドな構成だったのですが、舞台演出のクレジットにはケラリーノ・サンドロヴィッチという名が。どこかの東欧系外国人と思い興味をもって調べてみると、なんと元・有頂天のケラではないですか!わたしは青年期に雑誌「宝島」文化の洗礼を受けた世代であり、ナゴムレコードやキャプテンレーベルといったインディーズ系のロックバンドを愛聴していた時期がありました。有頂天もそうしたバンドのひとつであり、そのボーカル兼リーダーだったケラがいまも、舞台演出家として活躍していたことを知ったことは望外の発見であり、なんだか古い友人の活躍を予想外の場所で知ったようでこころがちょっとだけ舞い上がってしまいました。それと同時に自分もケラとは居る場所や部門は違えど、いい仕事をしなくてはいけんという気持ちを新たにしました。

 

2018年

3月

09日

15時17分、パリ行き

本作をやっと寒さが緩み、春の到来を感じられる夜にT-Joy東広島にて鑑賞してきました。

 

御年87才になったクリント・イーストウッド御大の最新作です。グラントリノ(素晴らしい傑作でしたね)以降はもうフィクション(創作話)など撮っている暇はない、自分に残された時間はすべてアメリカ人が実際に体験し関わったTrue Storyだけを描きたいんだ・・・と監督が呟いているように妄想してしまうほど、近年は徹底的にアメリカ人の実際の生き様を描く監督。

 

本作ももちろんその潮流に逆らうものではなく、実際にフランスで発生した、一人の中東人による列車テロに偶然居合わせた三人のアメリカの若者が勇敢にもテロリストに立ち向かい、予想される悲惨な被害を未然に防いだという実話を詳細に描いた作品です。

 

特筆すべきは、三人の若者はもちろん、当日の乗客も実際の事件の当事者が映画のなかで、再び再現フィルムのように演じていることです。(これで犯人も同一人物ならおもしろかったでしょうが、さすがに犯人はまだ牢屋のなかです。)

 

本作においても、イーストウッドが近年こだわる、世界のなかで悩み活躍するアメリカ人が描かれています。いろいろな挫折を経て、偶然のように集まり、束の間悪ふざけをしながらヨーロッパ旅行をしていた、どこにでもいそうな典型的なアメリカの若者が、勇敢にも異郷の地で素晴らしい人命救助を行い、地元の英雄になったという実在した物語。

 

観る者としては、ほぼ物語の顛末が見えており、意外性もなくやや退屈なぐらいあっけなく終幕を迎えた作品でしたが、イーストウッド監督がアメリカの若者に対して、「君たちはいつだってこの若者たちのように世界に貢献できるんだよ」と語りかけているような印象を持ちました。

 

かつては世界に君臨する軍隊を持ち、現代のローマ帝国のように振る舞い、「世界の警察官」とも称されたアメリカですが、最近はややかつての自信も失い、自閉的になりつつあり、オバマ政権からトランプ政権にかけて、その役割を自ら降りてしまいました。以後世界は、一見すると混沌に陥っているように見えます。

 

そうした世界のなかで、監督は作品を通して「まだまだアメリカには世界のために何かをやれる可能性があるんだよ、自信を取り戻そう、アメリカの同志よ!」と励ましているではないだろうか?・・・というような、またまたいつものたくましい妄想を抱きながら、帰路についたわたしです。

 

暗闇のなか車のステアリングを握りしめながら、監督のアメリカを表現する映画の旅はいったいどこにたどり着くのだろう?という不安と興味とともに、彼が走り続ける限り、自分もその辿りつく終着点を観るべく、最後まで付き合っていくぞという気持ちを新たに噛みしめた作品になりました。

 

 

2018年

2月

28日

グレイテスト・ショーマン

2月の終わりのまだまだ寒い夜に本作をT-Joy東広島にて鑑賞してきました。

なんでもあの名作「ラ・ラ・ランド」のスタッフが集結して作ったという触れ込み(ただし監督は異なります)だったので、運よく大シアターの1番シアターでもあり、期待も高まっての修行となりました。

 

本作は、アメリカにおけるショービジネスの世界の基礎を実際に築いたと言われるP.T.ボーナムの半生記を描いた作品です。劇中歌の「This Is Me」も素敵な曲ですし、他の楽曲もなかなかいい感じでした。ミュージカル映画好きとしてはもちろん及第点に到達していました。

 

物語としては、社会からあぶれがちだった、さまざまなフリークスを集めて、見世物ショーにとどまらず、彼らに唄って踊ってもらうことによって、痛快なエンタテイメント(アメリカ流サーカス)にしてしまうという素晴らしい着想を得て成功していくボーナムを音楽を交え、カラフルに描いています。

 

そんな先進的なボーナムの発想も芸術評論家たちには評価されず、社会的評価を求めて、ヨーロッパの歌姫のアメリカ公演を演出するのものの、本来の劇場の経営がおろそかになり、苦境にたたされていく苦境のなか家族との絆に気付き、劇場を再興し、最後は劇場の運営から身を引き、後輩のフィリップに任せ、家族に戻っていく、かっこいいボーナム。

 

本作を鑑賞するにあたっては、音楽と登場人物らのショーマンシップを単純に楽しめばいいのでしょうが、どうも不思議な違和感・・。本作は実話ということですが、ボーナムはこんな潔く一線を引いたのだろうか・・?という素朴な疑問を持ってしまいました。

 

蛇足ですが、ボーナムのグレイテストショーの構成世界にはどこかでかつて見た覚えが・・と感じいろいろ思案した結果、ふと思い出したのが、いまも日常的に愛聴し敬愛するボブ・ディランのアルバム「地下室」の裏ジャケットです。

 

まさに本作で観たショーの世界と「地下室」の裏ジャケットの世界はシンクロしており、ディランがジャケットに採用するほど、ボーナムの作った世界は確かにアメリカのショービズに影響を与えたことを妙に実感し、なんだか演劇と音楽が繋がったかな~という感慨を覚えながらの帰路となりました。

 

2018年

2月

15日

キングスマン ゴールデン・サークル

本作を2月の凍えるような寒い夜にT-Joy東広島にて鑑賞してきました。こうしたマニアックな作品が地元東広島の映画館で観れるのは素晴らしく本当にありがたいことです。

 

前作「キングスマン」も痛快この上ない作品に仕上がっており、続編である本作にも否が応でも期待が高まっての映画館入りとなりました。

 

こうした映画の内容についてあれこれコメントするのは野暮でありやめときますが、一言で言っていやはやスピード感あふれる痛快かつギャグ満載のコンパクトな佳作となっていました。物語の展開のスピード感といい、ナンセンスな悪党の趣味やアクションのド迫力といい、十分満足な作品となっていました。さすがあの偉大な佳作映画「キックアス」を撮ったマシュー・ヴォーン監督です。素晴らしい抱腹絶倒の佳作となっていました。

それにしても人間までミンチにしてしまうあの恐るべきハンバーガー製造マシーンには入りたくないものですね(笑)。

 

P.S.本作を上映してくださって、T-Joy東広島のスタッフの方々に感謝です。こうした映画好きにはたまらない佳作映画を地元のT-Joy東広島で観ることができたら言うことありません。

今後、オンタイムのロードショーでなくても、時期の遅れたリバイバルでもいいので、映画好きなら絶対にはせ参じること間違いない、世界的大佳作「キックアス」、最近ならケン・ローチ監督の「わたしは、ダニエル・ブレイク」や広島出身の名監督・大林宣彦監督の最新作「花筐」といった作品を日に一回上映でもいいのでこれらの素晴らしい作品を日常的に鑑賞できる街に東広島市が発展できたらな~と考えてしまいます。

わたしも労をいとわずに広島市内まで観に行けばいいのですが、時間や都合という壁に阻まれて、観たくて観たくてたまらなくても見逃してしまう作品が多々あります。残念で切ない思いが、こうした映画を見逃すたびに心のなかを駆け抜けていきます。

広島大学をはじめとして数多くの大学が本拠地を置き、アカデミックで、若者が多いこの街・東広島で、いつの日か30キロも先の広島市内まで出かけることもなく、上記のような素敵な作品群が日常的に気軽に観に行けるようになる・・・なんて考えるわたしはやはり夢想家でしょうか?

 

2018年

2月

07日

祈りの幕が下りる時

本作を今年の冬らしい零下の夜にT-Joy東広島にて修行してきました。

 

阿部寛さん(普段は阿部ちゃんと呼んでいます)は個人的に応援している俳優であり、常に彼の出演する作品は観ておきたいという俳優ですから、当然、封切間もない大画面1番シアターでの修行となりました。

 

もともとはテレビドラマであった新参者シリーズの最終作ということでしたが、わたしはチェックしておらず、特に思い入れのない状態での鑑賞となりましたが、登場人物たちのキャラが憎らしいほど立っており、見ごたえ十分の内容となっていました。

 

過去と現代を行ったり来たりする主人公加賀恭一郎を演ずる阿部ちゃんも本領発揮しており、それを取り巻く人々の過去の恩讐の深さ、人々の営みの儚さ、愚かな欲望が複雑に混在しており、観ているとじんわりとこころの奥に響く作品となっています。東野圭吾の原作としては「容疑者Xの献身」のあの切なく胸をつかまれる感触を思い出させる作品です。

 

ひとつだけ気にかかったのは、物語のラストにかけて、加賀の母親(なんと伊藤蘭が阿部ちゃんの母親役を演じています)の失踪の原因がうつ病であったというように解題されていたことです。しかし、もし彼女が真正のうつ病であれば、失踪していきなり誰も知らない街で仕事をしながら、恋人まで作ってしたたかに生きていけることができるだろうか?という・・こころの医者としては素朴な疑問が残るものの、それに疑問を呈するのは野暮であり、シンプルに物語全体の謎解きの爽快さと人間の恩讐の深さを楽しむべき作品なのだと思いながら、寒すぎる夜空の下、いつものように夜の闇のなかに車を滑り込ませました。

 

2018年

1月

25日

オトトキ

1月の寒い雪が降りしきる冬らしい夜にT-Joy東広島にて本作の修行に行ってきました。

 

本作はイエローモンキーの再結成ツアーのドキュメンタリー映画です。わたしは特にイエモンのファンというわけではないのですが、世代的には普通に耳にしており、大学時代にカラオケなどに行くと、誰かが必ず彼らの曲を歌うという経験を普通にしており、身近なバンドでした。加えて、わたしは一音楽ファンとしてロックバンドなどのドキュメンタリーフィルムを見ることは大好きで、楽しみな修行となりました。

 

かつてはビートルズはもちろん、日本の音楽家だけに限っても、佐野元春、浜田省吾、エコーズ、ユニコーン、ブルーハーツなど素晴らしいライブドキュメントがありましたが、こうした傑作群のなかでもなかなか全国ロードショーとして、映画館公開までされる作品は少なく、さすが根強いファンが多いイエモンというわけです。

 

イエモンといえば、やはりJAMという名曲の印象が強いのですが、本作を見たら、それにとどまらない素晴らしい楽曲が数多くあることをいまさらながらに思い出したりしました。

 

本作で印象的だったのは、吉井和哉自身が語る、旅芸人をしていた父親の早逝は初めて知るエピソードであり、他のメンバーにしても、失礼ながら意外に中央大学や日本大学卒などインテリなのだということも初めて知ったりし、イエモンというバンドの再び興味を持つには十分な作品になっていました。

 

そしてなんといっても、彼ら自身のバンドとしての楽曲を聞きながらの映像体験はとても気持ちよく、普段からの彼らの佇まいもじんわりと表現され、しっかりロックな映画となっていました。

本作を観て、名盤の誉れ高い「SICKS」を再び聴いてみたいという気持ちになり、そのうちにチェックしようと思いながら、雪の轍を踏みしめながら帰路に着きました。

2018年

1月

10日

広島大学クラス会

前回のブログで書いた広島大学医学部のクラス会が1月の土曜の夜、広島市内のホテルで開催され、参加してきました。

 

わたしははっきり言ってこうした華やかな会に参加するのは柄ではないし苦手なのですが、友人の教授就任祝いも兼ねていたので最初で最後と思い、なんとか行ってきました。

 

20年以上ぶりの再会なので、いったいみんなどんな変わり方をしているんだろう・・・?という疑問への答えを唯一の楽しみに行ってきましたが、意外や意外、みんな見かけは驚くほど変わっておらず、逆の意味で少々驚かされました。

 

わたしの場合、小学校のクラス会はだいたい5年おきに開催されているのですが、この点はまったく違います。小学校の同窓生たちの面影の変化は、あなたはいったい誰?・・といった衝撃的変化が普通にあるのです。

 

いろいろ考えてみましたが、これらの要因としては、やはり大学の同窓生というのは、もう大人になってほぼ完成された容貌と人格で過ごしていることが大きいと思います。もうひとつは、やはり社会の荒波から受けるストレスの度合いが医学部卒業生の場合、社会的にまずまず恵まれており、その結果受けるストレスが比較的少ないことが影響しているのでは?・・なんて考えたりしました。

 

これらは、小学校や大学、両方の同窓会などへの参加経験のある方からしたら、当たり前の事実なのでしょうが、わたしとしてはそんな事実をこの目でしっかりと確認したわけで、目からうろこの貴重な体験でした。

 

もうひとつこころに残ったこととしては、同窓生たちが卒業後いろいろな過程を経て全国にちらばり、それぞれの医療現場で重要な役割を得て、現在までいい仕事をしながら、しっかりと頑張っていることを直接確認できたことでした。こうしたことはもちろん頭では想像できていたのですが、想像するのと実際に彼らの姿を見てその言葉を耳にすると、実感もわき感慨深いものがありました。

 

わたしもいまこの東広島の地でささやかな心療内科クリニックを営み日々診療にいそしんでいますが、これからもこの地において全国で活躍する同窓生たちの姿を時々は思い出しながら、しっかり研鑽を積み、地域社会に貢献していかなければ・・という思いを新たにしました。

 

 

2018年

1月

03日

平成30年を迎えて

明けましておめでとうございます。皆さんはよい正月を迎えられましたか?

 

早いもので、平成もついに30年目を迎えましたね。昭和天皇の病状がテレビ画面の下にテロップで常に出ていた頃から30年もたったということですから、月日のたつのは恐ろしく早いことを感じたりします。

 

わたしのほうは例年通り、愛知へ帰省して温泉(近くに長島温泉という巨大遊園地を備えた温泉があるのです)に行ったり、イルミネーション(長島温泉の近くになばなの里という日本屈指の光の名所もあるのです)を観に行ったり、買い物に行ったり、地元の親友らと正月から新年会を開いたり、深夜の初もうで(これまた近くに日本三大稲荷を自称するお千代保稲荷という立派な神社があったりするのです)に出かけたりと楽しくも充実した正月を迎えさせてもらっていました。

 

そんなこんなであっという間に楽しい正月も過ぎ、平成30年も始まりましたが、年初はいきなり広大医学部医学科卒業生のクラス会というものがあり、億劫ながら参加してきます。わたしは不遜なことに卒業後、母校の同窓会活動にはまったく参加しておらず(大学レベルでは普通はそうですよね。でも医学部においては卒業後も仕事でリンクすることが多いせいか、同窓会活動は通常結構盛んなのです)、正直そういう華やかな場面に行くことは柄ではないのですが、卒業後も親しくしている友人の医学部教授就任祝いも兼ねているので、やはりここはいかざるをえません。この間、大学レベルでのそうした類の会はなく、卒業後20年以上ほとんど会っていない顔が多く集まる会なので、少しドキドキのイベントになりそうです。

 

今年はほかにもクリニックははや満五年を迎える年でもあります。おかげ様で地域に根差したクリニックとして、明るく楽しいスタッフとともに、元気に診療させてもらっています。

昨年の診療でもいつも感じていたことなのですが、人のこころの世界は奥深く、その探求と鍛錬への努力の必要性はとどまるところを知りません。

今年もまたしっかりと地に足をつけながら、ときには空も見上げられるような心持ちで精進していくつもりです。本ブログも今年は映画ネタにとどまらず、その時々の想いや所感をつづっていこうと考えたりしています。

 

本年も何卒よろしくお願いいたします。 

 

2017年

12月

18日

DESTINY 鎌倉ものがたり

本作を封切間もない夜にT-Joy東広島にて鑑賞してきました。あの傑作「ALWAYS 三丁目の夕日」のスタッフが満を持して製作したという話題作でもあり、上映時間もちょうどぴたりとあったので、ぜひ観ておこうと映画館に向かいました。封切間近でもあり、うれしい大画面の6番シアターでの鑑賞です。

 

物語は、DESTINY(運命)の下に出会った鎌倉在住の結婚不信を持つ中年作家と、年若き妻との生活が、妖怪や神様が人間と共存する摩訶不思議な街、鎌倉で展開していきます。

 

妖怪のしわざにより黄泉の国に逝った妻を取り戻しに、まるで「千と千尋の神隠し」のような列車(もちろん江ノ電です)で黄泉の国に向かい、そこで死んだ両親と再会し、若き日の両親の秘密をついに知り、幼い日から抱き続けてきた両親に対する誤解も解け、ふたりはなんと前世でも夫婦であったというオチが露見されたときに、なるほどそれでDESTINYなのね~・・という誠に腑に落ちる物語構成になっており、きれいなまとまりのいい作品でした。温かくてほっとする、寒い冬にはちょうどいい温度でわたしも本作を観終えるころにはほのぼのした心持ちになってしまいました。

 

個人的には昨年、東京在住の幼馴染みでもある親友と江ノ電に乗り、鎌倉の街を日がな一日じゅうあてどもなく散策していたこともあり、他の街には見られない鎌倉のほんわかしながら意外と含蓄がある、あの街独特の風情も十分理解でき、物語としては破天荒でむちゃなファンタジーなのですが、それでもあの街なら妖怪や神様ぐらいいてもおかしくないかも・・なんて自然に思ったりました。

 

鎌倉という街は、昨年の「海街diary」は言うに及ばず、古くは小津安二郎作品群でも素敵に表現された街ですが、富山と同じく日本の古き良き風情が残る街であり、また何度でも再訪したいな・・なんて思いながらの帰路になりました。

 

2017年

12月

12日

鋼の錬金術師

本作を雪が降りそうな寒い夜、T-Joy東広島にて修行してきました。原作はわたしも本屋で山積みになっているのをよく見るコミックです。わたしも手にとったことがあるのですが、どうもあの絵柄が苦手でまだ読めていないだけに、せめて映画でもという想いでの修行となりました。

 

本作も偶然ですが、前回のブレードランナーと同様に人造人間(本作ではホムンクルスと呼ばれます)と人間の格闘&葛藤の物語です。そこに体を奪われた兄弟の絆と体を取り戻すべく旅と葛藤があります。こうして書いていると、奪われた身体を取り戻す葛藤と旅という点では、手塚先生の「どろろ」を思い出したりします。

 

本作は物語がどうのというよりは、錬金術師の魅惑的な技とホムンクルスとの激しい攻防がヨーロッパの中世都市を思わせる街を舞台にして、素晴らしい映像がVFX技術を駆使して迫力満点に表現されており、これらの映像表現は理屈抜きで痛快であり、この映像を楽しめるかどうかが作品の評価を分けるところかな・・なんて思いました。

 

もちろんわたしは楽しませてもらいました。いつか原作の漫画にもなんとか挑戦しようと思いながら、寒い夜空の下、帰路に着きました。

 

2017年

12月

01日

ブレードランナー2049

いよいよ師走の12月に入ったばかりの寒い夜に本作を観てきました。2時間30分を超える大作です。前作は映画史に残る名作となっているだけに、とりあえずは観ておかないといけん・・という気持ちで診療が終わったあとの夜、T-Joy東広島に向かいました。

 

主演はあの「LA・LA・LAND」のライアン・ゴズリングでもあり、それも楽しみのひとつでしたが、主人公のブレードランナーKを見事に演じ切っていました。

 

前作「ブレードランナー」の舞台は現在のたった2年後の2019年。当時、人類は遺伝子工学の技術で人間そっくりのレプリカント(人造人間)を作っていたという設定です。一方、現実の2017年は人工授精による試験管ベビーの誕生にはすでに成功しるものの、さすがに人造人間製造までには至っていないという状況です。

 

本作はその30年後、出産できないはずのレプリカントが出産していたという事実をめぐりながら、新型レプリカントであるブレードランナーKと、レプリカント開放をめざす旧型レプリカントとの闘いの記録となっています。レプリカントが自ら出産し、自己増殖できることになれば、人類ともうなんら変わることがなくなるわけで、人間と人造人間の違いとはいったいなんになるのだろう?人間だって、もしや過去になにものかによって作られた存在かもしれない・・・?!という宗教的&哲学的思考にとらわれる作品ですが、映画としてはその内面的葛藤を表現しきれておらず、やや頭でっかちになっており、惜しい作品になっているという印象を受けました。

 

印象的だったのは、映画のラストシーンでKが深い傷を負い自らの死が近づくのを感じながら、真実が待つステリンの居場所へとハリソン・フォード演ずるデッカードを連れて行き、雪の降りしきる白い世界のなか、徐々に車のなかで息絶えていくという場面となっているのですが、この感触というか肌触りは過去にどこかで・・・と感じていたのですが、後日ふと思い出しました。

それは、あの村上春樹さんの名作「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」のラストでした(この作品は春樹さんの最高傑作と思っているのはわたしだけでしょうか?)。このなかで、主人公が最後に車のなかでボブ・ディランを聴きながら息絶えていく(正確にはこころの内面と現実という外側が融合し昇華していく)ときの名場面なのでした。

おそらく村上作品も映画にしたら、あの内面と現実の葛藤をうまく映像として表現することは難しいはずであり、本作も同じ意味で、まだ映画が文学を十全に表現しきれない分野があるということなのかな~なんて本作により考えさせられたりしました。

 

そういう意味では春樹さんはP.K.ディックの原作に少しは影響されていたのか?なんて考えたりもでき、それはそれで感慨深い作品なのでした。

 

2017年

11月

22日

ラストレシピ  麒麟の舌の記憶

本作を冬の足音が聞こえだした肌寒い夜に、地元T-JOY東広島にて鑑賞してきました。主演の二宮くんは嵐のメンバーとしても活躍しながら、俳優としての才覚も秀でておりいつも印象に残る役柄を演ずる(「黄色い涙」「母と暮らせば」とか「硫黄島からの手紙」とか素晴らしかったですよね)ので今回はどんな素敵な役柄を演じるのだろうと思いながらの映画館入りとなりました。

 

本作の基本骨格は満州国という日本が作った国を舞台にさまざまな思惑のなかで、おいしい料理を作るという夢と理念に準じた人たちとその後の物語です。天才ながらも、料理店経営に失敗した主人公がなぜか中国の偉大な料理人から、幻のフルコース「大日本帝国食菜全席」を再現するよう依頼されるところから物語は始まり、徐々に過去と現在が繋がっていき、最後はなるほどと思わされる結末に出来上がっています。

 

ニノくんもさすがいい味出して演じています。ただあえてツッコむとすれば、西島秀俊演ずる山形直太朗は自分の料理にからむ関東軍の陰謀を防ぐ方法として、ああした自分の命を危険にさらすような露骨な反抗的方法をとらずとも、指示された毒などを料理に入れずにしれっと自分の料理を普通に作ればいいだけなのでは?とは思ったりしました。

それと今も根強くある、満州事変に代表される戦前の日本軍悪人説に影響されすぎているのかな?とは思ったりはしました。でもそんな歴史的考証よりも人々の親切と運命に導かれた天才料理人の数奇な体験と巡り会いという奇跡の物語を素直に楽しめばいいのかもしれません。

 

本作は、フィクションながらも料理版ファミリーヒストリーという展開が巧妙であり、さすかは名番組「カノッサの屈辱」「料理の鉄人」を手がけた演出家・田中経一さん原作だな~と妙に感心したりしました。

 

ところで、もし満州国を題材にするなら、いつか石原莞爾を主人公にした実録ものを観たいものです。彼は戦前日本の異端児であり、革命児でもあり、宗教家、思想家でもあり、その思想内容や人生観、生きた時代は全然異なるものの、日本のチェ・ゲバラともいえます。いつか謎が多くも壮大な世界観、稀有な実行力が彼の人生物語として映像化される日が来たらこんな素敵なことはないと思ったりします。

 

最後に、少し気になったのは、本作は大ヒット上映中とかテレビとかでも大大的に宣伝されながら、封切間もなくにもかかわらず、月曜夜の映画館はまばらでわたしを含めても5人ぐらいしか入っていなかったことです。秋元康プロデュースということで、テレビCMやコンビニとのコラボ企画もかなり盛大な本作ですが、実際の興業はそれほど大入りというわけにはいっていないのかな?という印象を持ちながらの帰路となりました。

 

【 季節のささやき 】