2018年

3月

18日

北の桜守

本作を封切間もないT-Joy東広島6番シアターで修行してきました。

 

T-Joyを運営する東映作品でもあり、吉永小百合の旧作も再上映したりして、T-Joyも気合いが入っているので、当然のように大スクリーンでの修行となりました。

 

吉永さん通算出演120作めという節目の作品であり、劇中では30代から70代ぐらいまでをひとりで演じているという渾身の作品です。

 

物語では、かつて終戦のどさくさまぎれに、日ソ不可侵条約を一方的に破って侵略してきた南樺太での家族の悲劇と再生が描かれており、戦後の貧困のなかから苦難を乗り越えて成功した次男と老いた母親の物語です。

 

劇中に最初しか登場しない、父親や長男の消息はそうした歴史を知るものなら、簡単に予測でき、物語自体は驚きはない展開なのですが、ソ連によるシベリア抑留やアメリカやソ連による民間船(対馬丸などの悲劇はいまも思い出されています)への無差別攻撃という戦争中においても、国際法的にルール違反である蛮行を受けての家族の運命の物語は数多く表現されており(劇団四季によるミュージカル「異国の丘」も泣けました)、やはり何度みても悔しく痛ましい想いがふつふつと湧いてきます。本作は創作なのですが、これとよく似た話はおそらく日本の北でも南でも当時は結構あったのではないでしょうか・・・?

 

そうした悲劇を経て、懸命に高度成長の時代を生き抜いた母と息子が桜の下である境地に達する・・というシンプルな話なのですが、戦争と絡めなくとも逆境から這い上がっていく家族や母親と子どもの話は、大げさかもしれませんが、わたし自身にもそうした感触には少し心当たりがあり、いろいろなことを思い出し、ややセンチメンタルな心境になったりもしました。

 

それにしても、こうした悲劇を生みださないためにも、戦争は避けたいものです。戦争を避けるには、戦争をしないという庶民の決意だけでは難しく、政治による外交という手腕・技術が必要なのですが、ここ最近の日本政府の右往左往を観ているとやや心配になってしまうのはわたしだけでしょうか? 本作を観終わって、やはり戦争だけはいやだな~という感慨をもって、真夜中の帰路に着きました。

 

P.S. 本作はふつうの映画構成でなく、ところどころに舞台演出を入れているというややアバンギャルドな構成だったのですが、舞台演出のクレジットにはケラリーノ・サンドロヴィッチという名が。どこかの東欧系外国人と思い興味をもって調べてみると、なんと元・有頂天のケラではないですか!わたしは青年期に雑誌「宝島」文化の洗礼を受けた世代であり、ナゴムレコードやキャプテンレーベルといったインディーズ系のロックバンドを愛聴していた時期がありました。有頂天もそうしたバンドのひとつであり、そのボーカル兼リーダーだったケラがいまも、舞台演出家として活躍していたことを知ったことは望外の発見であり、なんだか古い友人の活躍を予想外の場所で知ったようでこころがちょっとだけ舞い上がってしまいました。それと同時に自分もケラとは居る場所や部門は違えど、いい仕事をしなくてはいけんという気持ちを新たにしました。

 

2018年

3月

09日

15時17分、パリ行き

本作をやっと寒さが緩み、春の到来を感じられる夜にT-Joy東広島にて鑑賞してきました。

 

御年87才になったクリント・イーストウッド御大の最新作です。グラントリノ(素晴らしい傑作でしたね)以降はもうフィクション(創作話)など撮っている暇はない、自分に残された時間はすべてアメリカ人が実際に体験し関わったTrue Storyだけを描きたいんだ・・・と監督が呟いているように妄想してしまうほど、近年は徹底的にアメリカ人の実際の生き様を描く監督。

 

本作ももちろんその潮流に逆らうものではなく、実際にフランスで発生した、一人の中東人による列車テロに偶然居合わせた三人のアメリカの若者が勇敢にもテロリストに立ち向かい、予想される悲惨な被害を未然に防いだという実話を詳細に描いた作品です。

 

特筆すべきは、三人の若者はもちろん、当日の乗客も実際の事件の当事者が映画のなかで、再び再現フィルムのように演じていることです。(これで犯人も同一人物ならおもしろかったでしょうが、さすがに犯人はまだ牢屋のなかです。)

 

本作においても、イーストウッドが近年こだわる、世界のなかで悩み活躍するアメリカ人が描かれています。いろいろな挫折を経て、偶然のように集まり、束の間悪ふざけをしながらヨーロッパ旅行をしていた、どこにでもいそうな典型的なアメリカの若者が、勇敢にも異郷の地で素晴らしい人命救助を行い、地元の英雄になったという実在した物語。

 

観る者としては、ほぼ物語の顛末が見えており、意外性もなくやや退屈なぐらいあっけなく終幕を迎えた作品でしたが、イーストウッド監督がアメリカの若者に対して、「君たちはいつだってこの若者たちのように世界に貢献できるんだよ」と語りかけているような印象を持ちました。

 

かつては世界に君臨する軍隊を持ち、現代のローマ帝国のように振る舞い、「世界の警察官」とも称されたアメリカですが、最近はややかつての自信も失い、自閉的になりつつあり、オバマ政権からトランプ政権にかけて、その役割を自ら降りてしまいました。以後世界は、一見すると混沌に陥っているように見えます。

 

そうした世界のなかで、監督は作品を通して「まだまだアメリカには世界のために何かをやれる可能性があるんだよ、自信を取り戻そう、アメリカの同志よ!」と励ましているではないだろうか?・・・というような、またまたいつものたくましい妄想を抱きながら、帰路についたわたしです。

 

暗闇のなか車のステアリングを握りしめながら、監督のアメリカを表現する映画の旅はいったいどこにたどり着くのだろう?という不安と興味とともに、彼が走り続ける限り、自分もその辿りつく終着点を観るべく、最後まで付き合っていくぞという気持ちを新たに噛みしめた作品になりました。

 

 

2018年

2月

28日

グレイテスト・ショーマン

2月の終わりのまだまだ寒い夜に本作をT-Joy東広島にて鑑賞してきました。

なんでもあの名作「ラ・ラ・ランド」のスタッフが集結して作ったという触れ込み(ただし監督は異なります)だったので、運よく大シアターの1番シアターでもあり、期待も高まっての修行となりました。

 

本作は、アメリカにおけるショービジネスの世界の基礎を実際に築いたと言われるP.T.ボーナムの半生記を描いた作品です。劇中歌の「This Is Me」も素敵な曲ですし、他の楽曲もなかなかいい感じでした。ミュージカル映画好きとしてはもちろん及第点に到達していました。

 

物語としては、社会からあぶれがちだった、さまざまなフリークスを集めて、見世物ショーにとどまらず、彼らに唄って踊ってもらうことによって、痛快なエンタテイメント(アメリカ流サーカス)にしてしまうという素晴らしい着想を得て成功していくボーナムを音楽を交え、カラフルに描いています。

 

そんな先進的なボーナムの発想も芸術評論家たちには評価されず、社会的評価を求めて、ヨーロッパの歌姫のアメリカ公演を演出するのものの、本来の劇場の経営がおろそかになり、苦境にたたされていく苦境のなか家族との絆に気付き、劇場を再興し、最後は劇場の運営から身を引き、後輩のフィリップに任せ、家族に戻っていく、かっこいいボーナム。

 

本作を鑑賞するにあたっては、音楽と登場人物らのショーマンシップを単純に楽しめばいいのでしょうが、どうも不思議な違和感・・。本作は実話ということですが、ボーナムはこんな潔く一線を引いたのだろうか・・?という素朴な疑問を持ってしまいました。

 

蛇足ですが、ボーナムのグレイテストショーの構成世界にはどこかでかつて見た覚えが・・と感じいろいろ思案した結果、ふと思い出したのが、いまも日常的に愛聴し敬愛するボブ・ディランのアルバム「地下室」の裏ジャケットです。

 

まさに本作で観たショーの世界と「地下室」の裏ジャケットの世界はシンクロしており、ディランがジャケットに採用するほど、ボーナムの作った世界は確かにアメリカのショービズに影響を与えたことを妙に実感し、なんだか演劇と音楽が繋がったかな~という感慨を覚えながらの帰路となりました。

 

2018年

2月

15日

キングスマン ゴールデン・サークル

本作を2月の凍えるような寒い夜にT-Joy東広島にて鑑賞してきました。こうしたマニアックな作品が地元東広島の映画館で観れるのは素晴らしく本当にありがたいことです。

 

前作「キングスマン」も痛快この上ない作品に仕上がっており、続編である本作にも否が応でも期待が高まっての映画館入りとなりました。

 

こうした映画の内容についてあれこれコメントするのは野暮でありやめときますが、一言で言っていやはやスピード感あふれる痛快かつギャグ満載のコンパクトな佳作となっていました。物語の展開のスピード感といい、ナンセンスな悪党の趣味やアクションのド迫力といい、十分満足な作品となっていました。さすがあの偉大な佳作映画「キックアス」を撮ったマシュー・ヴォーン監督です。素晴らしい抱腹絶倒の佳作となっていました。

それにしても人間までミンチにしてしまうあの恐るべきハンバーガー製造マシーンには入りたくないものですね(笑)。

 

P.S.本作を上映してくださって、T-Joy東広島のスタッフの方々に感謝です。こうした映画好きにはたまらない佳作映画を地元のT-Joy東広島で観ることができたら言うことありません。

今後、オンタイムのロードショーでなくても、時期の遅れたリバイバルでもいいので、映画好きなら絶対にはせ参じること間違いない、世界的大佳作「キックアス」、最近ならケン・ローチ監督の「わたしは、ダニエル・ブレイク」や広島出身の名監督・大林宣彦監督の最新作「花筐」といった作品を日に一回上映でもいいのでこれらの素晴らしい作品を日常的に鑑賞できる街に東広島市が発展できたらな~と考えてしまいます。

わたしも労をいとわずに広島市内まで観に行けばいいのですが、時間や都合という壁に阻まれて、観たくて観たくてたまらなくても見逃してしまう作品が多々あります。残念で切ない思いが、こうした映画を見逃すたびに心のなかを駆け抜けていきます。

広島大学をはじめとして数多くの大学が本拠地を置き、アカデミックで、若者が多いこの街・東広島で、いつの日か30キロも先の広島市内まで出かけることもなく、上記のような素敵な作品群が日常的に気軽に観に行けるようになる・・・なんて考えるわたしはやはり夢想家でしょうか?

 

2018年

2月

07日

祈りの幕が下りる時

本作を今年の冬らしい零下の夜にT-Joy東広島にて修行してきました。

 

阿部寛さん(普段は阿部ちゃんと呼んでいます)は個人的に応援している俳優であり、常に彼の出演する作品は観ておきたいという俳優ですから、当然、封切間もない大画面1番シアターでの修行となりました。

 

もともとはテレビドラマであった新参者シリーズの最終作ということでしたが、わたしはチェックしておらず、特に思い入れのない状態での鑑賞となりましたが、登場人物たちのキャラが憎らしいほど立っており、見ごたえ十分の内容となっていました。

 

過去と現代を行ったり来たりする主人公加賀恭一郎を演ずる阿部ちゃんも本領発揮しており、それを取り巻く人々の過去の恩讐の深さ、人々の営みの儚さ、愚かな欲望が複雑に混在しており、観ているとじんわりとこころの奥に響く作品となっています。東野圭吾の原作としては「容疑者Xの献身」のあの切なく胸をつかまれる感触を思い出させる作品です。

 

ひとつだけ気にかかったのは、物語のラストにかけて、加賀の母親(なんと伊藤蘭が阿部ちゃんの母親役を演じています)の失踪の原因がうつ病であったというように解題されていたことです。しかし、もし彼女が真正のうつ病であれば、失踪していきなり誰も知らない街で仕事をしながら、恋人まで作ってしたたかに生きていけることができるだろうか?という・・こころの医者としては素朴な疑問が残るものの、それに疑問を呈するのは野暮であり、シンプルに物語全体の謎解きの爽快さと人間の恩讐の深さを楽しむべき作品なのだと思いながら、寒すぎる夜空の下、いつものように夜の闇のなかに車を滑り込ませました。

 

2018年

1月

25日

オトトキ

1月の寒い雪が降りしきる冬らしい夜にT-Joy東広島にて本作の修行に行ってきました。

 

本作はイエローモンキーの再結成ツアーのドキュメンタリー映画です。わたしは特にイエモンのファンというわけではないのですが、世代的には普通に耳にしており、大学時代にカラオケなどに行くと、誰かが必ず彼らの曲を歌うという経験を普通にしており、身近なバンドでした。加えて、わたしは一音楽ファンとしてロックバンドなどのドキュメンタリーフィルムを見ることは大好きで、楽しみな修行となりました。

 

かつてはビートルズはもちろん、日本の音楽家だけに限っても、佐野元春、浜田省吾、エコーズ、ユニコーン、ブルーハーツなど素晴らしいライブドキュメントがありましたが、こうした傑作群のなかでもなかなか全国ロードショーとして、映画館公開までされる作品は少なく、さすが根強いファンが多いイエモンというわけです。

 

イエモンといえば、やはりJAMという名曲の印象が強いのですが、本作を見たら、それにとどまらない素晴らしい楽曲が数多くあることをいまさらながらに思い出したりしました。

 

本作で印象的だったのは、吉井和哉自身が語る、旅芸人をしていた父親の早逝は初めて知るエピソードであり、他のメンバーにしても、失礼ながら意外に中央大学や日本大学卒などインテリなのだということも初めて知ったりし、イエモンというバンドの再び興味を持つには十分な作品になっていました。

 

そしてなんといっても、彼ら自身のバンドとしての楽曲を聞きながらの映像体験はとても気持ちよく、普段からの彼らの佇まいもじんわりと表現され、しっかりロックな映画となっていました。

本作を観て、名盤の誉れ高い「SICKS」を再び聴いてみたいという気持ちになり、そのうちにチェックしようと思いながら、雪の轍を踏みしめながら帰路に着きました。

2018年

1月

10日

広島大学クラス会

前回のブログで書いた広島大学医学部のクラス会が1月の土曜の夜、広島市内のホテルで開催され、参加してきました。

 

わたしははっきり言ってこうした華やかな会に参加するのは柄ではないし苦手なのですが、友人の教授就任祝いも兼ねていたので最初で最後と思い、なんとか行ってきました。

 

20年以上ぶりの再会なので、いったいみんなどんな変わり方をしているんだろう・・・?という疑問への答えを唯一の楽しみに行ってきましたが、意外や意外、みんな見かけは驚くほど変わっておらず、逆の意味で少々驚かされました。

 

わたしの場合、小学校のクラス会はだいたい5年おきに開催されているのですが、この点はまったく違います。小学校の同窓生たちの面影の変化は、あなたはいったい誰?・・といった衝撃的変化が普通にあるのです。

 

いろいろ考えてみましたが、これらの要因としては、やはり大学の同窓生というのは、もう大人になってほぼ完成された容貌と人格で過ごしていることが大きいと思います。もうひとつは、やはり社会の荒波から受けるストレスの度合いが医学部卒業生の場合、社会的にまずまず恵まれており、その結果受けるストレスが比較的少ないことが影響しているのでは?・・なんて考えたりしました。

 

これらは、小学校や大学、両方の同窓会などへの参加経験のある方からしたら、当たり前の事実なのでしょうが、わたしとしてはそんな事実をこの目でしっかりと確認したわけで、目からうろこの貴重な体験でした。

 

もうひとつこころに残ったこととしては、同窓生たちが卒業後いろいろな過程を経て全国にちらばり、それぞれの医療現場で重要な役割を得て、現在までいい仕事をしながら、しっかりと頑張っていることを直接確認できたことでした。こうしたことはもちろん頭では想像できていたのですが、想像するのと実際に彼らの姿を見てその言葉を耳にすると、実感もわき感慨深いものがありました。

 

わたしもいまこの東広島の地でささやかな心療内科クリニックを営み日々診療にいそしんでいますが、これからもこの地において全国で活躍する同窓生たちの姿を時々は思い出しながら、しっかり研鑽を積み、地域社会に貢献していかなければ・・という思いを新たにしました。

 

 

2018年

1月

03日

平成30年を迎えて

明けましておめでとうございます。皆さんはよい正月を迎えられましたか?

 

早いもので、平成もついに30年目を迎えましたね。昭和天皇の病状がテレビ画面の下にテロップで常に出ていた頃から30年もたったということですから、月日のたつのは恐ろしく早いことを感じたりします。

 

わたしのほうは例年通り、愛知へ帰省して温泉(近くに長島温泉という巨大遊園地を備えた温泉があるのです)に行ったり、イルミネーション(長島温泉の近くになばなの里という日本屈指の光の名所もあるのです)を観に行ったり、買い物に行ったり、地元の親友らと正月から新年会を開いたり、深夜の初もうで(これまた近くに日本三大稲荷を自称するお千代保稲荷という立派な神社があったりするのです)に出かけたりと楽しくも充実した正月を迎えさせてもらっていました。

 

そんなこんなであっという間に楽しい正月も過ぎ、平成30年も始まりましたが、年初はいきなり広大医学部医学科卒業生のクラス会というものがあり、億劫ながら参加してきます。わたしは不遜なことに卒業後、母校の同窓会活動にはまったく参加しておらず(大学レベルでは普通はそうですよね。でも医学部においては卒業後も仕事でリンクすることが多いせいか、同窓会活動は通常結構盛んなのです)、正直そういう華やかな場面に行くことは柄ではないのですが、卒業後も親しくしている友人の医学部教授就任祝いも兼ねているので、やはりここはいかざるをえません。この間、大学レベルでのそうした類の会はなく、卒業後20年以上ほとんど会っていない顔が多く集まる会なので、少しドキドキのイベントになりそうです。

 

今年はほかにもクリニックははや満五年を迎える年でもあります。おかげ様で地域に根差したクリニックとして、明るく楽しいスタッフとともに、元気に診療させてもらっています。

昨年の診療でもいつも感じていたことなのですが、人のこころの世界は奥深く、その探求と鍛錬への努力の必要性はとどまるところを知りません。

今年もまたしっかりと地に足をつけながら、ときには空も見上げられるような心持ちで精進していくつもりです。本ブログも今年は映画ネタにとどまらず、その時々の想いや所感をつづっていこうと考えたりしています。

 

本年も何卒よろしくお願いいたします。 

 

2017年

12月

18日

DESTINY 鎌倉ものがたり

本作を封切間もない夜にT-Joy東広島にて鑑賞してきました。あの傑作「ALWAYS 三丁目の夕日」のスタッフが満を持して製作したという話題作でもあり、上映時間もちょうどぴたりとあったので、ぜひ観ておこうと映画館に向かいました。封切間近でもあり、うれしい大画面の6番シアターでの鑑賞です。

 

物語は、DESTINY(運命)の下に出会った鎌倉在住の結婚不信を持つ中年作家と、年若き妻との生活が、妖怪や神様が人間と共存する摩訶不思議な街、鎌倉で展開していきます。

 

妖怪のしわざにより黄泉の国に逝った妻を取り戻しに、まるで「千と千尋の神隠し」のような列車(もちろん江ノ電です)で黄泉の国に向かい、そこで死んだ両親と再会し、若き日の両親の秘密をついに知り、幼い日から抱き続けてきた両親に対する誤解も解け、ふたりはなんと前世でも夫婦であったというオチが露見されたときに、なるほどそれでDESTINYなのね~・・という誠に腑に落ちる物語構成になっており、きれいなまとまりのいい作品でした。温かくてほっとする、寒い冬にはちょうどいい温度でわたしも本作を観終えるころにはほのぼのした心持ちになってしまいました。

 

個人的には昨年、東京在住の幼馴染みでもある親友と江ノ電に乗り、鎌倉の街を日がな一日じゅうあてどもなく散策していたこともあり、他の街には見られない鎌倉のほんわかしながら意外と含蓄がある、あの街独特の風情も十分理解でき、物語としては破天荒でむちゃなファンタジーなのですが、それでもあの街なら妖怪や神様ぐらいいてもおかしくないかも・・なんて自然に思ったりました。

 

鎌倉という街は、昨年の「海街diary」は言うに及ばず、古くは小津安二郎作品群でも素敵に表現された街ですが、富山と同じく日本の古き良き風情が残る街であり、また何度でも再訪したいな・・なんて思いながらの帰路になりました。

 

2017年

12月

12日

鋼の錬金術師

本作を雪が降りそうな寒い夜、T-Joy東広島にて修行してきました。原作はわたしも本屋で山積みになっているのをよく見るコミックです。わたしも手にとったことがあるのですが、どうもあの絵柄が苦手でまだ読めていないだけに、せめて映画でもという想いでの修行となりました。

 

本作も偶然ですが、前回のブレードランナーと同様に人造人間(本作ではホムンクルスと呼ばれます)と人間の格闘&葛藤の物語です。そこに体を奪われた兄弟の絆と体を取り戻すべく旅と葛藤があります。こうして書いていると、奪われた身体を取り戻す葛藤と旅という点では、手塚先生の「どろろ」を思い出したりします。

 

本作は物語がどうのというよりは、錬金術師の魅惑的な技とホムンクルスとの激しい攻防がヨーロッパの中世都市を思わせる街を舞台にして、素晴らしい映像がVFX技術を駆使して迫力満点に表現されており、これらの映像表現は理屈抜きで痛快であり、この映像を楽しめるかどうかが作品の評価を分けるところかな・・なんて思いました。

 

もちろんわたしは楽しませてもらいました。いつか原作の漫画にもなんとか挑戦しようと思いながら、寒い夜空の下、帰路に着きました。

 

2017年

12月

01日

ブレードランナー2049

いよいよ師走の12月に入ったばかりの寒い夜に本作を観てきました。2時間30分を超える大作です。前作は映画史に残る名作となっているだけに、とりあえずは観ておかないといけん・・という気持ちで診療が終わったあとの夜、T-Joy東広島に向かいました。

 

主演はあの「LA・LA・LAND」のライアン・ゴズリングでもあり、それも楽しみのひとつでしたが、主人公のブレードランナーKを見事に演じ切っていました。

 

前作「ブレードランナー」の舞台は現在のたった2年後の2019年。当時、人類は遺伝子工学の技術で人間そっくりのレプリカント(人造人間)を作っていたという設定です。一方、現実の2017年は人工授精による試験管ベビーの誕生にはすでに成功しるものの、さすがに人造人間製造までには至っていないという状況です。

 

本作はその30年後、出産できないはずのレプリカントが出産していたという事実をめぐりながら、新型レプリカントであるブレードランナーKと、レプリカント開放をめざす旧型レプリカントとの闘いの記録となっています。レプリカントが自ら出産し、自己増殖できることになれば、人類ともうなんら変わることがなくなるわけで、人間と人造人間の違いとはいったいなんになるのだろう?人間だって、もしや過去になにものかによって作られた存在かもしれない・・・?!という宗教的&哲学的思考にとらわれる作品ですが、映画としてはその内面的葛藤を表現しきれておらず、やや頭でっかちになっており、惜しい作品になっているという印象を受けました。

 

印象的だったのは、映画のラストシーンでKが深い傷を負い自らの死が近づくのを感じながら、真実が待つステリンの居場所へとハリソン・フォード演ずるデッカードを連れて行き、雪の降りしきる白い世界のなか、徐々に車のなかで息絶えていくという場面となっているのですが、この感触というか肌触りは過去にどこかで・・・と感じていたのですが、後日ふと思い出しました。

それは、あの村上春樹さんの名作「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」のラストでした(この作品は春樹さんの最高傑作と思っているのはわたしだけでしょうか?)。このなかで、主人公が最後に車のなかでボブ・ディランを聴きながら息絶えていく(正確にはこころの内面と現実という外側が融合し昇華していく)ときの名場面なのでした。

おそらく村上作品も映画にしたら、あの内面と現実の葛藤をうまく映像として表現することは難しいはずであり、本作も同じ意味で、まだ映画が文学を十全に表現しきれない分野があるということなのかな~なんて本作により考えさせられたりしました。

 

そういう意味では春樹さんはP.K.ディックの原作に少しは影響されていたのか?なんて考えたりもでき、それはそれで感慨深い作品なのでした。

 

2017年

11月

22日

ラストレシピ  麒麟の舌の記憶

本作を冬の足音が聞こえだした肌寒い夜に、地元T-JOY東広島にて鑑賞してきました。主演の二宮くんは嵐のメンバーとしても活躍しながら、俳優としての才覚も秀でておりいつも印象に残る役柄を演ずる(「黄色い涙」「母と暮らせば」とか「硫黄島からの手紙」とか素晴らしかったですよね)ので今回はどんな素敵な役柄を演じるのだろうと思いながらの映画館入りとなりました。

 

本作の基本骨格は満州国という日本が作った国を舞台にさまざまな思惑のなかで、おいしい料理を作るという夢と理念に準じた人たちとその後の物語です。天才ながらも、料理店経営に失敗した主人公がなぜか中国の偉大な料理人から、幻のフルコース「大日本帝国食菜全席」を再現するよう依頼されるところから物語は始まり、徐々に過去と現在が繋がっていき、最後はなるほどと思わされる結末に出来上がっています。

 

ニノくんもさすがいい味出して演じています。ただあえてツッコむとすれば、西島秀俊演ずる山形直太朗は自分の料理にからむ関東軍の陰謀を防ぐ方法として、ああした自分の命を危険にさらすような露骨な反抗的方法をとらずとも、指示された毒などを料理に入れずにしれっと自分の料理を普通に作ればいいだけなのでは?とは思ったりしました。

それと今も根強くある、満州事変に代表される戦前の日本軍悪人説に影響されすぎているのかな?とは思ったりはしました。でもそんな歴史的考証よりも人々の親切と運命に導かれた天才料理人の数奇な体験と巡り会いという奇跡の物語を素直に楽しめばいいのかもしれません。

 

本作は、フィクションながらも料理版ファミリーヒストリーという展開が巧妙であり、さすかは名番組「カノッサの屈辱」「料理の鉄人」を手がけた演出家・田中経一さん原作だな~と妙に感心したりしました。

 

ところで、もし満州国を題材にするなら、いつか石原莞爾を主人公にした実録ものを観たいものです。彼は戦前日本の異端児であり、革命児でもあり、宗教家、思想家でもあり、その思想内容や人生観、生きた時代は全然異なるものの、日本のチェ・ゲバラともいえます。いつか謎が多くも壮大な世界観、稀有な実行力が彼の人生物語として映像化される日が来たらこんな素敵なことはないと思ったりします。

 

最後に、少し気になったのは、本作は大ヒット上映中とかテレビとかでも大大的に宣伝されながら、封切間もなくにもかかわらず、月曜夜の映画館はまばらでわたしを含めても5人ぐらいしか入っていなかったことです。秋元康プロデュースということで、テレビCMやコンビニとのコラボ企画もかなり盛大な本作ですが、実際の興業はそれほど大入りというわけにはいっていないのかな?という印象を持ちながらの帰路となりました。

 

2017年

11月

08日

バリー・シール アメリカをはめた男

本作を晩秋の夜更けにT-JOY東広島にて鑑賞してきました。トム・クルーズ演ずる、アメリカに実際に存在し億万長者となり儚くも命を落とした破天荒な人物の実録ものです。

 

天才的飛行機躁術を身に着け、CIAの特殊任務を請け負いながら、裏では中米の麻薬王の運び屋もやり、自宅の豪邸では札束が邪魔になるぐらいのお金を稼ぎまくり、最後は麻薬王たちを軽い気持ちで裏切り、彼らの怒りを買い名もない街で人知れず散った楽しくも浮き沈みの激しい人生を力いっぱいに駆け抜けたおっさんの物語であり、最後はややしんみりとなるものの、基本的には痛快で楽しい作品です。

 

なんと言っても本作の醍醐味は飛行シーンであり、ジャングルでの離陸シーンや軍が警備する国境の空を軽々と超えていったり、麻薬捜査航空隊から逃げるために滑走路もない街の道路への着陸シーンなどやりたい放題の映像がてんこ盛りであり、これらの映像の迫力はやはり楽しく壮観です。飛行中の操縦席でウハウハの楽しいこともしています。そんなむちゃくちゃで痛快な男をトップガンで飛行シーンをならしたトムクルーズが演ずるのだからいう事なしです。面白くないわけがありません。

 

本作を観ている最中なにかの感触に似ているなと感じていたのですが、あのジブリの名作アニメ「紅の豚」の現代版のような感触でした。両者ともに豪放磊落で破天荒で、国家に縛られない空を駆ける男の物語なのですが、本作の物語は実話なのだから文句なく痛快です。ありえなさそうで実際にあったアメリカ大陸飛行人生奇譚です。そしてこんな話は当時建国200周年を祝ったばかりの、まだ若かったアメリカという国で、しかも70年代から80年代でなければ絶対に起こりえない内容であり、個人の破天荒な力でなんとかなるような空気感が世界中に漂い、何事も過剰で弾けていてはちゃめちゃで飛び跳ねていた懐かしい時代(わたしだって、この時代は子供でしたのであくまでも印象ですよ)を思い出しました。

 

本作を観ていて、ふと気づいたのはいまのアメリカ大統領トランプ氏は実は70年代から80年代的人間なのではないだろうかということです。そんなアメリカ70年代的な破天荒でむちゃで原始的思考と行動をする男がいて、空を駆ける代わりに、土地をころがし社会の上層に這い上がってきた。そんな男がいまや大統領になり超大国アメリカを牛耳っていて、それはそれで世界の平和や秩序の維持を脅かしている。そんな彼に似た男がかつてアメリカに実在しており、そのアクロバティックな人生は個人のレベルでは痛快だが、公のレベルでは危険極まりなく、世界の人々はそのことに早くきづかなければならない・・・。本作を撮ったダグ・リーマン監督もそのことを言いたかったのかもなんて思ったりしました。

 

まあなんといっても、空や飛行機やかっこいいトムクルーズが好きな人はぜひにおすすめの作品でした。

 

2017年

11月

01日

ナラタージュ

本作を秋も深まってきたある月曜の夜にT-JOY東広島にて鑑賞してきました。予告編のころから気になる作品であり、女優として観る作品ごとに異なる側面を表現し確実に成長を続ける有村架純さんの主演作であり、映画館での上映を見逃すわけにはいかない作品でした。

 

観終わって、だれもが一生に一度は経験するであろう恋する時間の魔法やその世界の揺れ、その儚さ、せつなさ、美しさに思わずため息が出ました。

 

教師と生徒の恋愛ものとの一言では片づけられない微妙な心の機微、想いの奥深さと恋の儚さ、美しさがそこにはありました。期待通り、主演の松本潤さんと有村さんはこの美しくもせつない刹那の恋を演じきっています。

 

淡く消え入りそうな、おそらくその後の人生でもう二度と出会えないであろう輝く恋の煌めきが、言葉だけでなくその視線の行方や互いの沈黙、せつない表情を通して、見事に表現されていました。

 

こころに他者と分かち合えない閉塞感と淡い脱出への希望を抱きながら背徳の扉の向こう側の世界を焦がれるものの、そこへはたどり着けないであろうと予感するふたり。そんなふたりの間に漂うこころの揺れや震えを見事に映像として表現されていました。いやはや行定監督もあっぱれです。ラストシーンはなにかデ・ジャブのような感覚さえするぐらい、状況は違ってもかつて本気の恋をしたことがある方なら強くこころをわしづかみされること請け合いの作品でした。本年の恋愛もの邦画のベスト1といえるのではないでしょうか?

 

状況はもちろん違うのですが、本作によってわたしの記憶の奥に潜む、20数年前のときめきと煌めきの彼方に最後はせつなく散った恋を思い出しました。今回のブログがいつもより揺れているのは、本作によってこころの個人的記憶の琴線が爪弾かれたのかもしれません。なので本作の評価も観た人それぞれの経験にかなり左右されるような気がします。

 

また映画的な味付けとして、劇中の重要な場面でつねにまとわりつく水音(雨や富山の海や運河の流れ)がいいアクセントにもなっていました。人の体験や記憶はそれがどんなに切なく激しいものであれ、流れる水のごとく移り去っていくのだけれど、その感触だけは我々が生きていく限り、水が身近にある限りつねにそこにある・・・という示唆も感じたりしました。

 

誰もがこころに秘める一生に一度の最高の恋・・・わたしにとって本作はその名にふさわしい物語であったように思います。本作はまた観たいと思ったものの、いやあえてこのまま観ずに一度きりの映画体験として自分のこころで熟成させたほうがいいのかもしれないと思わされた、こころに刻み込まれる素敵な作品になりました。未鑑賞の方はまだ上映されているので、映画館でぜひ体験くださいませ。

 

P.S.実は主演の葉山先生を演ずる暗い影がさす黒縁眼鏡のクールなすかした野郎(男優)はいったい誰?と思っていたら、なんと嵐の松本潤さんでした。(恥ずかしながらそんな予備情報もなく映画に臨んでいたのです)いやはや嵐は多才な人が多いのだと今更ながらに感嘆させられました。また最近、富山を舞台にいい映画が撮られることが多いような気がします。立山連峰や富山湾に囲まれた狭隘で厳しくも豊かな自然は映像を通してだけでも素晴らしく、近いうちに訪れてみたいと思ってしまいましたよ。

 

2017年

10月

23日

三度目の殺人

本作を終映まじかの広島市内のサロンシネマにて修行してきました。「そして父になる」以来の是枝監督+福山雅治主演作品です。是枝監督は独特の映像美をもつ絵の切り取り方をする監督です。その対称性や静寂性、光の明暗を際立たせる、落ち着いた絵の作り方は、日本映画界最大の至宝であった故小津安二郎監督の直系弟子ではないかな?な~んて思ったりしています。なのでわたしは是枝監督作品は「歩いても歩いても」ぐらいからは言葉通りの皆勤賞で映画館に馳せ参じているのです。

 

さて実際に観ての感想ですが、本作は内容的にはやや??という作品でした。決定的なのが、三度目の殺人をする犯人の犯行動機が映画後半に明らかにされるのですが、この動機で三人めの殺人に至るというのはわたしにとっては??であり、正直拍子抜けでした。実はこころの医者を永年していると、こういう家族背景や陰の側面にはときどき出遭うのです。しかし、みんな誰も殺していませんし、殺されていないのです。

 

私感ですが、もしそれによって憤りや怒りが噴出するものであっても、せめて人を殺さずとも他の善処への道があっただろうに・・と思わざるをえませんでした。殺人というのは、重いものであり、それらと等価な動機とは到底思えなかったのです。

せっかくだから本作は弁護士と犯人、検察の法廷劇という側面もあり、法廷の場でもう少し犯人や弁護士のこころの奥底や魂の慟哭を炙り出すような演出をしてみたら、もっと深みが出てずいぶん印象の変わる作品になったような気もしたりしました。

 

でもこれらも所詮はわたしの偏った見方かもしれず、その辺のところは本作を観た誰かとお酒でも飲みながら楽しく論議してみたいところですが、孤独な映画修行者のわたしの周りには現時点で本作を観た人はほとんどおらず、残念ながらそれはかないません。ここが学生時代と違うところで、社会人の侘しいところです。

 

やや厳しいものの言い方になりましたが、それでも本作は弁護士役の福山雅治さんと犯人役の役所広司は互いに熱い俳優バトルを展開しており、前述したように監督独特の映像美もあり、そのサスペンス的展開などもあり、まったくラストまで目の離せない十分楽しめる娯楽作品であり、やはり福山ファンは絶対見逃せない作品であることはいうまでありません。わたし的には次の是枝監督の作品に期待です。次は阿部ちゃん主演が久々みたいものです。

 

2017年

10月

16日

エルネスト もう一人のゲバラ

本作を秋の夜長にハシゴ鑑賞でサロンシネマにて修行してきました。 定期的に映画化される、チェ・ゲバラものです。もう9年も前に連作で製作された「チェ」は4時間半にわたる大作にもかかわらず、ゲバラの魂をぶつけた、まったく飽きさせない素晴らしい作品でしたし、彼の若いころの南米の旅を活写した「モーターサイクル・ダイアリーズ」(本作の製作総指揮はあのロバート・レッドフォードです)もまた青春映画の傑作ともいえます。ゲバラファン?のわたしにとっても楽しみな修行となりました。

 

実は本作はゲバラ当人が主役ではなく、ゲバラとともに闘いほぼ同じ時期に命を落とした、ボリビア出身の日系人であり、ハバナ大学医学部学生のまま祖国ボリビアでの革命運動にゲバラとともに身を捧げた、フレディ前村という青年の物語です。主演は国際映画に出てはこける?ことの多いオダギリジョーというのが一抹の不安ではありましたが、本作は素敵に魅せてくれました。オダギリさんは本作のために半年ぐらいで本場のボリビア訛りのスペイン語をマスターし、体重も10数キロ落としてこの役に向かったそうですが、その気迫と努力はしっかりスクリーンに刻まれていました。

 

ゲバラもそうですが、前村も医師を志し、ゲバラは実際に医師になり、前村は医学生のまま革命運動に身を投じたのですが、世界の理不尽に怒りを感じ、真実を追求する強い魂と行動力を持つという点で、有名度や英雄度は天と地ほどの差があるものの、なんとふたりは相似形なんだろうと思ってしまいました。もちろんゲバラもそう感じていたようで、人を救おうと医学を同じく志し、同じく革命に身を投じた13歳も年下の青年に、革命運動のなかでの偽名として、自らのファーストネームであるエルネストを与えます。以後、彼はその死までゲバラ部隊のなかでは「エル・メディコ」と呼ばれながら、最後は密告による待ち伏せに遭い、25歳の短い生涯を終えます。

 

いつも切なく美しく儚い映画を観て思うことは、自分はなんと理想とは遠い、ふぬけた時間を過ごしているんだろう・・ということです。わたしもかつて多くの青年と同じように、自由や平等、真実に憧れ、そうした世界の実現を夢想していたころがあったような気がします。しかし、いかんせん自分には実際にそうするだけの行動力が備わっていませんでした。そうこうしながら必死に容赦のない時の流れや社会の荒波を懸命に泳いでいるうちに、自らの内にある理想や真実にのみこだわっていては生き抜いていけないことを悟り、世の中の現状と仲良くとまでは行かないまでも、妥協という名の協調性を身に着けながら、今日まで生きてきた気がします。

 

本作のような、ゲバラや前村のような理想を持ちそれに妥協せずに行動した若者の活躍を表現する映画を観るたびに、そんな甘い自分に彼らから、少しは若いころの純粋で熱かった魂を思い出してみろよ・・とどやされているような気分にもなります。本作は青春時代の憧れでもあり、達成できなかった過去の魂の軌跡を思い出させてくれる切ない青春映画です。おそらくこれからもゲバラは自分のこころの片隅に39歳の永遠の革命青年のまま住み続け、ときには刺激や反省を与えてくれるような存在であり続けるだろうことを本作では再認識させられました。かつて熱い時間を過ごした旧友たちにはぜひ観てもらいと思う作品になりました。

 

2017年

10月

12日

ドリーム

 

秋が深まっていく、10月のとある木曜日、久々に広島市内の八丁座にて本作を観てきました。

 

1960年代、ソ連に有人宇宙飛行で先を越されたNASA(アメリカ航空宇宙局)。その逆境を挽回するためのマーキュリー計画(アポロ計画に繋がっていくプロジェクトです)において、特別な数学的才能を持ち、露骨な人種差別を受けながらも白人中心の組織NASAにおいて、その天才的能力を発揮し、その後黒人かつ女性が活躍できるという道をつけた三人の英雄的女性の奮闘&成功物語です。

 

こう書いてしまうとあっという間に終わるのですが、それらを実際に三人の女性たちの苦難や努力、才能を見事な映像で迫力たっぷりに見せられると、うーーん、いいものを見せていただきました・・・という気分でこころが満たされるから不思議です。

 

本作を観て一番思ったのは、ケビンコスナー演ずるNASAのハリソン本部長は、ソ連に遅れをとっているアメリカの窮地を挽回するために、天才的な計算能力のある彼女らを起用せざるを得ない状況に追い込まれ、彼女らの抜擢を推進していくのですが、もしソ連の先行的躍進がなかったら、あの時代1960年初頭に、彼女らの抜擢がアメリカ合衆国において実現したのだろうか?という素朴な疑問です。 キング牧師やマルコムXが暗殺されたあの時代のアメリカにおいてはまだ人種差別は激しく、リベラルであるはずのアメリカ科学の総本山NASAの本館でさえまだ白人用トイレしかなかった時代なのですから・・。

 

またタイトルですが、なぜか黒人の成功ストーリーものには「ドリーム」という言葉が入りますよね。あの史上最強といえるかもしれない60年代の黒人ガールズグループ、シュープリームスをモデルにした傑作映画「ドリームガールズ」もそうでした。ふと思ったのは、キング牧師のあの有名な演説のなかのセリフ「I Have A Dream.」です。アメリカはいまもすべての人種差別を撤廃するというキング牧師の理想を追っており、それを各所で実現させた物語には象徴的なワードとして、刻印として、「ドリーム」が入っているのでは・・なんて思ったりしました。

 

そして本作はアメリカでは「スターウォーズ」にも負けない大ヒット(日本では残念ながら限られた都市の映画館でしか上映されず、ヒットとは縁遠い状態でした)となったそうですが、現実のアメリカではいまトランプ大統領という、露骨な白人至上主義者が実権を握っており、その現実に対する静かなレジスタンスとしての大ヒット現象なのかな?と例によって想像力たくましく妄想しながら、よい映画を観終えたあとの快いこころの風を感じながら、帰途に就きました。

 

2017年

9月

30日

亜人

本作を9月末、封切直後にタイミングが合い、T-Joy東広島にて修行してきました。

 

本作の物語の骨格は、最近完全に一ジャンルを形成した「寄生獣」や「進撃の巨人」由来の人類の突然変異&痛快テロアクションものです。

 

そんな最近よくありがちなテーマでしたが、さすが「るろうに剣心」の世界を迫力満点に見事に描き切った本広克行監督。何度でも生き返り、決して死なない亜人が唐突に生まれるという、SFとしてもなかなかあり得ない設定を迫力満点にリアリティを加えて表現されてました。

 

おまけに大画面の1番シアターだったので、わたしなどはただただ圧倒されました。主役の佐藤健さんと綾野剛さんもその役のはまりっぷりは相変わらずすさまじく、激しくスピード感を失うことなく、物語は疾走し、あっという間にエンドマークを迎えます。映画が終わって外に出たとき、「は~っ、なんという怖い世界だろう。それに比べ、げにこの世界はなんと平和で穏やかな世界なことよ」と考えざるを得ない作品でした。

 

凶悪テロや痛快迫力アクションものが好きな方にはぜひおすすめの作品でしたよ。

2017年

9月

20日

奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール

秋の気配が漂い始めた週明けの夜更けにT-Joy東広島にて本作を鑑賞してきました。

 

奥田民生さんはわたしにとっても同世代でかつ広島出身であり、わたしが通った広大医学部とは目と鼻の先にある皆実高校(この高校はなんと吉田拓郎さんも出ています。そういえばこの二人の醸す雰囲気は少し似てますね)卒業であり、憧れとかはないものの、肩の力を抜いて世の中のしがらみから適度に距離をとり素敵に生きているミュージシャンであり、常に身近に感じている存在であり、もう10年ほど前になりますが、広島市民球場解体直前のひとり股旅でのアコースティックライブにも永年の友人らと駆けつけたことが今となっては懐かしいです。

 

そんな彼にあこがれる若手編集者と出会う男をすべて狂わせる魅力的な女の子のドタバタ物語です。意外とミステリー仕立てになっており、劇中に流れる奥田さんの楽曲が小気味よくミュージカル的面もあり、久々大音響で聞く民生の歌声は痛快で本作のなかでいきいきと輝いて、民生ファンのわたしにとってはシアターの大画面で観れてよかったという作品となりました。

 

水原希子さん演じるガールはかなりの魔性系で、痛快かつミステリアスであり、妻夫木さん演じる可愛くて純朴な民生ボーイさえも、彼女にとっては単なる通過点というしたたかさと脆さ、妖しい輝きも感じさせ、精神医学的にはややボーダーチック(境界性パーソナリティ障害)なので、わたしなどは現実に彼女のような存在がいたらすぐに距離をとってしまいそうなガールなのですが、劇中ではくらくらする位魅力的でした。水原さんは「ノルウェイの森」でのみどり役の前向きで明るい感じもいいですが、本作でのように妖しく輝く魔性系のほうがはまっているかもしれませんね。

 

さすが「モテキ」でテンポ良い青春時代の訳の分からない情熱(まさにイージューライダーでした)とずっこけ、怒涛の勢いやほろ苦さをスクリーンに刻んだ大根仁監督、本作もスピード感あり、ロック感あり、ほろ苦さ満載の素敵な青春映画となっていました。

 

P.S. 奥田さんについては、その肩の抜け方とか、属する世界との距離感とか、広島への愛憎とか、唄や音楽への想いとか、実はその成育環境を中心にいろいろと精神分析的に考察できるのですが、これを始めると本ブログの数倍の長さとなってしまいますので、残念ながらここではしませんが、興味のある方はユニコーン時代のアルバム「ひげとボイン」(これは日本のロック十傑に入るアルバムではないでしょうか?)を聞かれたら、いろいろと考え想像させられること請け合いですよ。

 

2017年

9月

03日

関ヶ原

やっと秋の風が吹き始め、夜もすっかり過ごしやすくなりましたね。わたしの映画修行もしばしの夏休みをとっておりました。この間、恒例の海水浴に行ったり、懐かしい友達と再会したり、いろいろと充実の夏を過ごさせてもらっていました。

 

さて久々映画修行の再開は司馬遼太郎原作の大作「関ヶ原」です。このテーマは歴史好きでなくとも日本人にはもっとも有名な戦でないでしょうか?最近多くなった戦国戦乱ものの大御所と言える本作の登場です。

 

さまざまな英雄が割拠するなかで、本作の映画化では石田三成に焦点をおいて物語が構成されていました。一見、人情に薄いと見られていた三成が実は情けも愛情もしっかり持っていたというエピソードを軸に、ライバル家康との関ヶ原での決戦を映像的にもまずまず破たん無く描き切っています。

 

いろいろな不満をあげればきりがないですが、エピソード満載のこの戦の起承転結をたった2時間半で描いたわけですから、これは大健闘と言えるのではないでしょうか?

石田三成がなぜ戦場で切腹を図らずに逃亡し、あげく捕えられ斬首されるという屈辱にまみえるという選択をしたかは歴史上謎が多い史実なのですが、そこを三成なりに、こうしたおおいくさを起こした首謀者としての矜持があったという物語にしていますが、これはこれでなるほど~こういう見方もあるか・・という感慨を持ちました。

 

本作の醍醐味はやはり実際には見る事のできない想像上の戦国武将を実際に映像化したことでないでしょうか?とくに島左近と大谷刑部の出で立ちと人となりは生き生きと描かれており、島ってこんな感じの武将だったんだという認識をいまさらながらに持ちました。

 

本作のテーマとして、正義=三成、野望=家康という構図で関ヶ原を描き切っていますが、もちろんそういう見方もできますが、史実を知っている後世に生きる我々としては、三成の豊臣への愛や正義よりも、家康の天下泰平の理想がその後の日本を作っていったことを知っているわけですから、三成の滅びというのが歴史の必然であったと、今更ながらに思いを新たにしました。だいたい主君である秀吉の晩年の横暴がこの戦に至った遠因でもあったわけですから。

 

いずれにせよ、この魅力的な物語をまた原作で再読しようという気持ちがふつふつとわいてきているわたしがいるということが本作が魅力的だった証拠だと言え、いい映画を観終ったあとの感慨を胸に気持ちのよい秋の夜風に吹かれながら真夜中に家路に着きました。

 

2017年

8月

11日

君の膵臓を食べたい

本作をクリニックのお盆休み直前の夏の夜にT-JOY東広島にて観てきました。

原作は昨年の本屋大賞第2位のベストセラー小説です。わたしは未読なので前情報まったくなしの鑑賞となりました。

 

さて本作ですが、主演の桜良(さくら)を演ずる浜辺美波さんが文句なくかわいく、死にゆく運命の下の儚く明るい彼女の笑顔だけで胸が締め付けられる作品です。

 

ただ物語的には北村匠海くん演ずる主人公の僕がありえないほど幸せすぎて、こんなことって実際にはありえないのでは?・・な~んておじさんとして当惑してしまいました。

 

だって、死の運命を背負っているとはいえ、こんなかわいい女の子に突然ある日を境に好かれまくり、さまざまなところに連れまわされて、あげくの果てにはふたりきりでホテルにお泊りまでさせてもらえる彼が、クラスではほとんど友達を持たない本だけが友達という孤独な、どちらかといえば暗めの男の子なのですから、まるで真夏の夜の夢のような話です。

 

そしてまたもや唐突な彼女の最後。病気で亡くなっていくと思わせておいて、この展開は意外を通り越して、偶然性が高すぎて物語の流れとしてはうーん?!そう来たの~?という感慨とともにあっけにとられた状態でのエンディングを迎えました。

ラストのエピソードもそれはそれで感動的なのですが、これもちょっと仕掛けすぎかな~という感慨をおじさんは持ってしまいそうです。

 

もっとも原作ではヒロインが僕に好意を寄せていく必然性がもう少ししっかり描きこまれている可能性があるわけで、物語に必然性や滑らかで自然な流れを想定してしまうわたしの感性が型にはまった窮屈なものであるともいえるかもしれず、うーーん、わたしなんかよりピュアでロマンチックな若い子らは本作をどう感じるのだろう?やはり悲しくて、せつない、青春時代のロストストーリーと感じるのかな~なんていろいろと妄想が膨らみました。それだけでも本作を観た甲斐があったことだけは間違いありません。

 

まあなんだかんだでいろいろ書きましたが、以前のブログでもお伝えしたように、こうした切なく哀しく美しい青春ものはわたしのストライクゾーンであり、物語の展開にぎこちなさや違和感を感じたものの、夏の夜の幻として本作はわたしのこころを十分に揺らせてくれたわけであり、感謝です。

これは確かに売れるわな・・なんて無粋な感慨とともに、汚れきったわたしのこころを少しだけ洗濯してもらったような感覚も得た、印象に残る作品となったことだけは間違いなさそうです。

 

 

2017年

7月

30日

パイレーツ・オブ・カリビアン Ⅴ

本作を夏真っ盛りの暑く寝苦しい深夜にT-JOY東広島にて鑑賞してきました。

 

気付けば大人気シリーズであった本シリーズもはや5作目です。最初の2作目までは文句なしの名作に数えられる本シリーズですが、ここ最近はやや停滞傾向にある感じがするだけに巻き返しを図りたいところです。

 

さてさて結果ですが、やや態勢を立て直したといったところでしょうか?作品的には本作だけ観ても十分に楽しめる構成になっており、自由奔放で鼻歌まじりに楽しく切ない海賊という人生を歩むジャックさえスクリーンで生きていれば、もう本作は永遠に続けていけるという確信を持たせてくれる出来栄えでした。要はジョニー・デップが嫌いでなければ観ておいて損はないという作品です。

 

本作のひそかな醍醐味は実は映像ではないでしょうか?海の上での船同士の夜の戦闘シーン、海に潜っての海賊同士の暗闇のなかでの戦闘シーンは実は今までなら難しかったのはないかと思われるのですが、本作では迫力十分で間近でそれが行われているかのようです。

映像技術の最新の進歩を堪能することができ、この映像のシャワーを浴びると理屈抜きに五感が喜ぶような気がするので、本作は最新の4Dシアターでの鑑賞にもっとも適しているのかもしれませんね。

 

2017年

7月

17日

忍びの国

本作をいよいよ梅雨あけを迎えた、からりと晴れた夏の夜にまたまたT-JOY東広島にて修行してきました。

 

最近、ヒット作連発の感のある、広島出身の和田竜原作の戦国時代ものです。忍者の生きる里・伊賀を攻略すべく戦をしかけた織田軍(といっても軽い知的障害があったのではと疑われる信長の次男・織田信雄が率いる織田軍なのですが)を大名も持たない忍者集団がなんとか一時的に勝利を収めるという実際にあった戦である「天正伊賀の乱」をもとに和田さんが例によって想像力の翼をはばたかせ、おもしろおかしく描いた物語です。

 

嵐の大野智くんはひょうひょうとして、コミカルとシリアスのバランスがよく、本作の主人公にはもってこいのキャラクターだと思いました。

 

わたしにとっては、準地元である三重県伊賀上野を舞台とした作品であり、子供のころよく訪れた伊賀上野城や本物の忍者屋敷に久々訪れたくなるような郷愁をそそる作品でした。

 

上野市は忍者の里でもありながら、日本の誇る俳人・松尾芭蕉の出身地でもあります。みなさんもいつか上野城を訪れた際は、お城の石垣を堪能されて下さい。忍者でさえ登ることが困難なぐらい険しい急角度の石垣を前にすると、当時本当に忍者がここに存在していたんだという感慨にふけること受けあいですよ。

 

2017年

7月

06日

花戦さ

本作をいよいよ夏の気配が近づいてきた夜に例によってメンズデイのT-JOY東広島で鑑賞してきました。

 

戦国時代に天下を獲った豊臣秀吉の横暴なやり方により、千利休をはじめとした気骨のある人々は死に追いやられた時代に、生け花を武器に天下人・秀吉に挑んだ池坊専好を描いた作品です。

 

芸に身を捧げたからには芸で身を削り、芸で身を助くるというテーマが儚くもなり、痛快でもあります。

 

本作はなんと言っても今が油の乗り切った、日本の誇る三人の男優の競演ではないでしょうか?

野村萬斎さん、市川猿之助さん、佐藤浩一さんらはその期待にしっかりと応えて、映画人としてのそれぞれの姿勢を歴史的偉人の古の姿を借りて競っているように見えました。

いま勢いのある邦画界ならではの華麗な絵心のある作品でしたよ。

 

2017年

7月

03日

22年目の告白 私が犯人です

本作を梅雨の終盤、徐々に夏の訪れをいやおうなしに感じる7月の優しい夜に修行に出向きました。

 

予告編を観る限り、かなり観客を煽るセンセーショナルな作品になっていることが予想でき、そうした心構えで映画館の暗闇の席に着きました。

 

ところが意外や意外、結構ヒューマンな内容な作品でした。サスペンスではあるものの、いい意味でこちらの予想を裏切る展開が待っていました。

 

観終わったあとに残る、犯人の動機があるようでないような微妙な悪意に対して、もしこんなことが現実にあったら、理不尽でやりきれない思いに胸が張り裂けそうになりました。

 

正直、フィクションでよかったと思わされるほど、最近実際にあった事件やイベントを想起させる内容であり、強い物語の磁場を本作は構成していました。

 

本作の原作は元々外国作品であったものを日本向けに書き直したものだそうですが、日本で実際に起こった時事問題とうまくからめており、制作サイドの物語の創作力に感心しきりのなか、夏に向かう夜のなかひっそりと家路に着きました。

 

2017年

6月

28日

3月のライオン 後篇

梅雨も中盤の遅い月曜の夜に本作を鑑賞してきました。なんと前篇を見逃していながら、後篇のみの修行となります。

 

しかし、東京に住む幼馴染に本作は面白いので絶対に観といたほうがいいと言われて、遅まきながらの本作鑑賞になりました。

 

本作に対する制作陣の気合いは、そのキャストを見るだけで十分に伝わってきます。

主人公の桐山零を演じる神木隆之介くんをはじめ、有村架純、高橋一生、倉科カナ、染谷将太、清原果耶、佐々木蔵之介、加瀬亮、前田吟、伊藤英明、豊川悦司・・・錚々たる布陣であり、なぜかわたしの好きな俳優たちがたくさん名を連ねており、楽しくないわけがありません。

 

内容も将棋という勝負の世界に生きる棋士たちの青春群像というか人生群像となっており、さまざまな感情移入ができる立体的な物語構成になっており、後篇からでも十分堪能させてもらいました。

 

奇しくもちょうど本作が封切られてから、世の中はデビュー以来破竹の29連勝という前代未聞の大記録を打ち立てた天才棋士・藤井くんの活躍が注目を浴び、現実の世界と映画の世界がまるでシンクロニシティしているような状態となったのが奇妙でありました。

 

また本作が封切られた平成29年という年に、以後百年は破られる事のないであろうという大記録29連勝という主人公と同じく若い少年によって偉業が達成されたという数字的にも不思議な縁を感じさせてくれる本作でした。

 

P.S.それにしても染谷将太の変貌ぶりというか怪演ぶりは括目すべき役者魂でした。おそらくその風貌は広島出身の早逝した棋士・村山聖さんをモチーフにしたものでしょうが、まあその変身ぶりは見事でクレジットを見るまで染谷くんが演じていることにはまったく気付きませんでした。その役者ぶりは主演の神木隆之介くんさえも凌ぐものであったことだけは言い添えておきます。

2017年

6月

15日

追憶

本作を梅雨まっただ中の診察が終わったあとに修行してきました。

「追憶」というとかつてロバート・レッドフォード主演のアメリカ映画の名作があります。このタイトルをあえて持ってくるという不敵さは、さすが降旗康男監督・撮影木村大作の邦画の歴史的名コンビならではです。

 

おそらくかつての名作に負けない内容の作品なんだろう?という期待のなかでの鑑賞になりましたが、期待にたがわぬ傑作になっていました。過去にとらわれながらそれを忘れかけ現実にもうまく適応できず家庭崩壊まで招きつつある男と、過去を背負いながらあえてさらに重いものを背負い続けながら未來に向かって歩く男の再会とこころの葛藤が、日本海に沈む夕日を借景に見事に表現されている本作は,過去をときどき忘れながらこの広島の地で日々流されながらなんとか生きているわたしにもぐさりとささりました。

 

冷たい風が吹きすさぶ日本海と屏風のごとく立ちはだかる立山連峰。その間の狭隘な土地に懸命に生きる人々。事件のあった過去にも今もそして未来にも変わらず降りそそぐだろう、やさしく微かな陽光・・・。これらの風景が糸を織りなすように人々の時を押し流していく。そんな作品でした。

 

いやはや含蓄のある昭和の日本文学的な傑作です。個人的にはかつて高校のころに読んだ「ゼロの焦点」の肌触りを感じたりもしました。しかし結末の味わいはまったく異なります。松本清張先生もまっさおの本作の結末は観る者にとっては、悲惨な過去の向こうにきらりと輝く光明に見えるに違いありません。

 

まあ邦画や文学好きならとりあえず見ときなさいと言いたくなる本作でした。本年の邦画の傑作であることは間違いないです。見逃した方はビデオでもぜひご覧いただければと思いました。

 

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2017年

5月

30日

帝一の國

夏の気配も漂ってきた5月の終わりに本作を鑑賞してきました。今を時めく菅田将暉くん主演の期待作です。

 

思えば仮面ライダーダブルの片割れのときからインテリジェンス漂う役柄でしたが、今回はまさにその才覚を生かして超名門海帝学園の生徒会長になることをきっかけに自分のくにを自ら作るという野望を持つ青年の物語です。

 

最近よくあるヒット漫画を原作とした本作ですが、映画は映画で痛快な作品に出来上がっており、ラストシーンに至るまで一気に観客を笑わせたり、ほろりとさせたりと素晴らしいエンタテイメントに出来上がっていました。

 

こういうエンタテイメント作品にあれこれ意味づけするのはナンセンスなのですが、それでもラストシーンの主人公の小声のつぶやきは「三つ子の魂百まで」というテーマが流れているようで思わずにたりとさせるラストで、このラストを中心にうまくまとまっており、素敵な佳作だと思いました。

 

ちなみに劇中の海帝(かいてい)学園はいうまでもなく東京の開成(かいせい)高校をモデルにしたものなのでしょうが、現実の開成高校の学内の雰囲気というのはどんな感じなんだろう?と思わず考えてしまいました。しかし同時に、男子高校での生活というのは当時も今も自分には無理かな~なんて思ったりもして、懐かしい学生時代に想いを馳せた夜になりました。

 

2017年

5月

15日

キングコング 髑髏島の巨神

本作をGWの余韻冷めやらぬ月曜日の夜更けに修行してきました。わたしが生まれる前からゴジラとともに巨大なスターであるキングコングのリメイクものです。

 

思えば、わたしが保育園のころ昼寝の時間というのがあったのですが、そのときわたしの小さきからだをくるんでいたタオルケットに書かれていた絵がなんとキングコングと橋(たぶんマンハッタンブリッジ?)の絵だったことが5歳の記憶に残っているので、懐かしい迎合です。

 

昨年は日本でも「シン・ゴジラ」が制作され、アメリカでは「ジュラシックワールド」が制作され、巨大生物ものは時代の要請のようにその制作が続いています。これは閉塞し停滞し先が見えなくなりつつある時代の空気を一気に打ち抜いてくれる巨大な存在を人々が求めている兆候なのだ・・・なーんて、わたしなどは例によって妄想してしまっています(笑)。

 

さて本作はさすがアメリカン・エンタテイメント。観衆をじらすことなく物語のはじめからこれでもかというぐらい期待の巨神・キングコングが暴れまくります。わるーい巨大生物をちぎっては投げちぎっては投げという感じで、胸がすくぐらいの活躍が物語終盤までを覆い、キングコング好きにはたまりません。わたしも幼少期からキングコングにくるまれて育っているぐらいですから十分に堪能させてもらいました。SF巨人アクションものが好きな方ならはまること請け合いです。

 

個人的に少し興味深かったのは、本作でキングコングを取り巻く世界観です。これはジュラシックワールドでもいえることなのですが、本作の世界観のほとんどがあのシャーロックホームズ・シリーズで有名なコナン・ドイルの「ロストワールド」の焼き直しだと思われるのです。世界のどこかに人類から忘れられた陸の孤島もしくは台地があり、そこにはなんと想像を絶する生物たちが太古の昔から生息していたというあれです。

 

そこで思うのですが、そうであればいっそコナン・ドイル原作そのものの映像化を現代の素晴らしい技術をもってして制作してくれればこんなに素敵なことはないと思うのです。

 

意外に知られていないのですが、コナン・ドイルの冒険ものはいいですよ。小学校のときのわたしにとって、コナン・ドイルという作家はシャーロックホームズを産んだ探偵作家などではなく、チャレンジャー博士を産んだSF冒険作家でした。彼の筆で描かれた冒険のめくるめく世界は、子どもだったわたしのこころを毎晩のように冒険の山や海やジャングルにいざなってそれこそワクワクドキドキの想像の翼を与えてくれました。世界のどこかに人類に忘れられた世界があり、そこではいまも謎の巨大生物や恐竜が待っている・・・なんて毎晩のように想像していたころがつい昨日のようです。

 

わたしの密かな冒険的な性格と生活歴(あまり普段明かす機会はないのですが、結構冒険的ですよ)はコナン・ドイルが生んだチャレンジャー博士シリーズの影響ではないか?と思うほどです。もしコナン・ドイルの冒険物語を読んだことがなければ、いまも探せば出版されていますので、ぜひ読んでみてください。シャーロック・シリーズよりこちらのほうが個人的にはおすすめですよ。(ドイル自身もシャーロックホームズという人格はあまり好きではなく、彼をとっとと早く殺して、自らの興味の向くままに冒険ものや神秘ものばかりを描きたいのだ、なんて語っていたというエピソードもあります)

 

そんなわけで本作は、そんなわたしの幼き日に培った冒険心を刺激し、また久々わが冒険ごころの師匠コナン・ドイル(なんと彼はもともと医師でもあり、そういう意味では先輩でもあります)の産んだチャレンジャー博士に会いにこころの世界を旅しよう(現実の世界は仕事も忙しくなかなか物理的な冒険とはいきません)という気にさせてくれ、ありがたい一作になりました。

 

2017年

5月

01日

ジャッキー

春の終わり、初夏の気配のする頃、本作を広島市内の八丁座にて鑑賞してきました。

 

じつは白状しますと、JFKにまつわる物語は小学校のころからなぜかいつも気になり、その伝記や暗殺前後の物語や彼の家族にまつわる物語や映像を結構大量に幼少期から経験しており、本作もそういう自分からすればやはり観ておかなければならないという作品でした。(とくに80年代末期にイギリスのグラナダTVが編集制作した、実在の映像で綴ったケネディ家の物語の連続シリーズものには度肝を抜かれたものでした)

 

さて本作ですが、もちろんJFKの妻ジャックリーヌを主人公に、JFK暗殺後から主に国葬に至るまでを史実に沿って、ジャッキー自身がジャーナリストに回顧するという風に物語は進んでいきます。

 

夫をあのように国民が見守る前で悪意に満ちたひどい殺され方をしたあとにもかかわらず、屹然とした態度と表情を保ち、国葬が無事終了するまでみだらに泣き崩れることなかったジャッキー。まるでそれが故JFKの遺志であるかのように、公衆の面前では威厳に満ち凛とした姿勢を保ち続けた姿には清々しさとともに、ケネディ家の跡継ぎであり大統領でもあったJFKの夫人であった彼女のプライドの強さと同時に言いようもない寂しさが画面に溢れていました。

 

彼女の判断が正しかったかか間違っていたかはともかく、翻弄されそうな時代を吹き付ける激しい風のなかで、ひとつの確固たる意志をもったひとりの女性の生きざまが本作には表現されており、わたしはそれはそれで時代のなかのひとつの意志のきらめきを感じながら、エンドマークを迎えました。

 

ただ本作についてすこしだけ心配するのは,わたしのようなJFK好きにはひとつの佳作として十分に満足のいくものでしたが、JFKにあまり興味のない方にはあまり楽しめなかったのではないでしょうか?

 

ジャックリーヌを含めて、ケネディ家の人々(アメリカの王道のW.A.S.Pのセレブと思われがちですが、実はマイノリティのアイルランド系のたたき上げの人たちということも意外に知られていません)の物語はJFK,弟のロバート、兄のジャックといった面々がキラ星のようにきらめき、奥が深く、本作の表現世界はその長い悠久の流れのほんの一瞬間を切り取ったものであり、本作を観ただけではなかなか理解しがたく、そこらあたりが心配ではありました。

 

本作の監督にはその後のジャッキーの生きざま(ふたりの子供たちがいながら、ギリシャの海運王と再婚したり、これもまた興味深いです)をぜひフィルムに表現して欲しいと思い、映画館を後にしました。

 

P.S.主演のナタリー・ポートマンは熱演でまったく非の打ちどころがないのですが、いかんせん似ていない。本物のジャックリーヌ・ケネディはもっとかわいらしく小悪魔ちゃんのようなキュートな印象がするだけに、大人の風格が漂いまさに堂々小悪魔どころか悪魔の雰囲気を纏うポートマンが演ずるには少し無理があったのではないか?なんて思ったのはわたしだけでしょうか?

 

ついでにもうひとつ蛇足を。アメリカの歴史もしくは世界の歴史にとって、JFKの殺害よりもさらに痛かったのは、政治家としての才能および理想の高さ、意志の強さという点でJFKより恵まれていた、弟のロバートの殺害ではなかったでしょうか?もしロバートが生きていれば、その後間違いなく大統領になっていたでしょうし、そうであったならその後のアメリカの物語は変わり、現代世界はもう少しはまともなで哀しみの少ない世界(特に現代のアラビアの混乱はなかった気がします)になっていたのでは?などとわたしなどはよく想像するのですが、そんなわたしはやはり夢想家なのかもしれませんね。

 

2017年

4月

20日

ソードアート・オンライン

本作を4月の晴れた日の夜にひとり修行してきました。

なんでも本作は書籍のみでも国内累計1300万部、全世界では2000万部を売っているライトノベルであるとのこと。なんと日本国内に限っても10人に1人の割合。まあもちろん累計なので、ひとりで全巻10冊ぐらいは買っているでしょうから、それでもざっと実数100万人ですから、大したものです。

 

そんな本作ですが、率直に語るとすれば、オンラインゲームが現実と仮想の世界を行ったり来たりするという設定自体はスリルに溢れるものの、どうもその設定世界にはかなりの感情移入がないと入り込みにくく、なんだかそうしたバーチャルとリアルな世界を背景にした若者のラブコメみたいに観てしまいました。

 

それだけわたしの感性がもう年をとってしまったのだろう?との自戒の念を抱きながらの修行となりました。

 

でも続編があったなら、また修行したいという気持ちにさせてくれる作品でしたよ。

2017年

4月

08日

開院5年目を迎えて

毎年桜の季節を迎えると、四季の心クリニックも開院日を迎えます。お陰さまで当院は平成25年4月8日に産声をあげて以来、満4歳になりました。

 

最近知りましたが、4月8日というのはお釈迦様の誕生日だそうです。縁起の良い日に開院したことに驚きとともに、四季の心クリニックの幸運を今更ながらに感じつつある今日この頃です。

 

この間、実はつらいことや悲しいことなどいろいろなことがありましたが、うれしいことが多かった気がするので、クリニックはおおむね幸せな航路を歩かせてもらっているのかなと思います。

それでも日々、さまざまな面においてまだまだ勉強しなければならないと感じることが多く、開院5年目を迎え、スタッフともども襟を正して、研鑽を積み日々の診療に力をそそぎ、地域の役に立てるよう精進していくつもりです。

 

引き続いての今後のご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

 

P.S. 4周年を迎えて、心配りをしてくださった方にはこの場を借りてお礼を言わせてください。いつも気にかけてくださり、本当にありがとうございます。

 

2017年

3月

22日

サバイバルファミリー

本作を上映終了間近のT-Joy東広島にて鑑賞してきました。矢口史靖監督は過去に「ウォーターボーイズ」「スウィングガールズ」「ハッピーフライト」といったコミカルながらも一本芯の通った作品群を生み出しており、本作においてもやはりそうした作風を期待しつつの修行となりました。

 

本作はかつてアメリカで起こった大規模停電事件をヒントに、日本でもありうる物語が展開します。

 

退屈な日常を営むどこにでもありそうな家族にふってわいた、突然電気ガス水道全てが停止するという非日常の世界。

スマホも紙幣も車も飛行機も一切の機械文明のシステムがダウンという状態に、さえないお父さんは郷里である鹿児島に向かう決断をします。その間にいろいろな物語が起こるのですが、それをシリアスになりすぎることなく、明るくけなげに家族の実相の変遷を伝えていきます。

 

彼らが西へ西へと向かうなかで、楽しくも泣けるエピソードを通して、ときに笑わされながら、こんな疑問が観る者には自然に頭に湧いてきます。

 

「現代において、電気をはじめとした文明の進化により我々の生活はコンビニエンスかつスピーディーになったものの、文明が未発達だった時代と比較して本当に幸せになったのか?もしや幸せという点では退化しているのではないか?」

 

もちろんこの疑問には答えはありません。

 

しかし、本作を通して、文明という名の便利さや幻の万能感に踊らされず、自分の人生を手探りでしっかり踏みしめていくしかないのだ・・・という気持ちには辿り着きます。

 

日常のなかで、なにげなく頭の片隅に存在するこうした疑問を、映像を通して、明るく楽しく提示してくれた矢口史靖監督のセンスの良さに感謝の気持ちを感じながらの帰路となりました。

 

2017年

3月

14日

恋妻家宮本

本作をそろそろ終映間近の時期に滑り込みでT-Joy東広島にて観てきました。

 

『原作・重松清、主役・阿部寛』とくれば、あの文学映画の傑作「青い鳥」の組み合わせであり、こうした世界に魅力を感じるわたしとしては、なんとか間に合ってほっとしての鑑賞となりました。

 

恋妻家(こいさいか)とは、妻への恋の感情に再び取りつかれた不器用な夫という監督自身の造語だそうですが、本作を観てその意味がよく理解できたような気がします。最期の駅でのふたりの掛け合いのシーンはどこかで観たような記憶がある情景でしたが、これもまたよし。

 

音楽も映画も、作品そのものは独立したものであるように見えても、実はそのアイデアやイメージは互いに繋がっていて、本当のオリジナルというものはないのではないか・・・?と最近とみに思っているわたしにとっては、しっくりとくる物語でした。

 

何かの縁で出会った人々が繋がったり、また離れたり、再び恋することがあるという当たり前の話がじんわりと心に沁みる物語でした。

 

いまや不器用な男を演じさせれば、日本一の阿部ちゃんが固いながらも柔らかいというハイブリッドないい味を出しています。相方の天海さんはこの手の話としては、見目がきれいすぎる感触もありますが、まあこれもよし。

 

映画のエンドロールにて、吉田拓郎の楽曲「今日までそして明日から」(ボブ・ディランの「My Back Pages」でも面白かったような気もしますが・・)を懐かしく聴きながら、あっという間に流れていく、ささいな日常や年月のことを思い出し、これから続く今とその未来を愛おしく感じさせてくれる佳作でした。

 

2017年

3月

06日

ラ・ラ・ランド

上映前からすでに本年のゴールデングローブの作品賞などさまざまな賞を総なめにした(アカデミーの作品賞は逃しましたが・)、話題作である本作を上映3日目の月曜日の夜にT-Joy東広島にて鑑賞してきました。上映一週目だけに期待どおり最大スクリーンである1番シアターでの上映です。

 

以前ならこうしたアート系作品は広島市内の映画館まで修行に行かなければならない状況でしたが、地元の映画館で鑑賞できるのはありがたいことです。

 

さて期待と気合の入り混じった本作ですが、冒頭にいきなりクライマックスともいえるダンスシーンが登場します。これを最初に持ってくるとは、野球でいえばいきなりストレートど真ん中の勝負球を投げ込むようなもので、見るものも心してこのミュージカルと対峙せねば・・という気にさせられました。(ダンスシーンにばかり気をとられてしまいますが、この冒頭の歌詞はこの先の物語をすでに暗示していることに再修行でやっと気づきました)

 

そして本作の最大の魅力は、一言でいえば、監督の前作「セッション」でもそうでしたが、劇中のダンスナンバーやジャズナンバーの素晴らしさであり、これらの魅力的な音楽が、映画館という素晴らしくドルビーデジタルの効いた大きな箱のなかで、音響よく響き渡るわけですから、映画好きにも音楽好きにも、もちろんミュージカル好きにも、得も言われぬ快感となるわけです。

 

しかし音楽のみならず、物語自体もなかなか魅せます。物語の終盤で、セバとミアのそれぞれの夢がしっかりと実りながら、ふたりの恋は実らないという儚い現実を迎えるのは切ないですが、その現実を凌駕するような幻想(妄想?)ミュージカル劇が映画のラストに繰り広げられます。

 

これがまたいいのです。

 

なんだかもう現実も幻想もどちらでもよく、得られた結果よりも夢を追う時間を共有できたふたりに意味がある・・と言わんばかりの憎い演出に涙が出そうになりました。このシーンを観て、多くの人が自分の人生のなかで出会った思い出(最愛?)の異性のことを思い出したりするのではないでしょうか?

 

まるで本作は、映画の最初と最後に分厚い見せ場をつくった、サンドウィッチのような作品であり、ミュージカル映画好きにとっては、どこか懐しく、温かい気持ちにさせること間違いなしの展開で、わたしも観ていて、かつてリプリントで観た「シェルブールの雨傘」を思い出しながら、物語の終局を迎え、最期のシーンでのセバのミアの後姿を見送る静かなうなずきが観る者のこころを震わせながらのエンディングを迎えました。

 

それにしても、劇中の音楽がすべて監督のハーバード大学時代の友人であるハーウィッツが作曲したオリジナルというのもすごいことです。加えて、主演のセバスチャンを演じたライアン・ゴズリングは元々はピアノ初心者だったのに、3か月のピアノの集中レッスンで、劇中のピアノ演奏を代役なしで、すべてこなしたという奇跡に驚きます。いやはやすごい才能と情熱です。監督はセッションもそうでしたが、本物の表現に対するこだわりに今回も脱帽でした。

 

パンフレットによると、あの言い難い熱情のほとばしりを表現した「セッション」の監督でもある、デイミアン・チャゼル監督はもともと大学時代に本作の構想を思いつき、本作を先に映画にしたかったそうですが、ジャズへの想いをロックに変更させられそうになったりと、さまざまな紆余曲折を経てやっと形になったそうです。

 

あれこれ思いつくままに書いてしまいましたが、本作には、監督のミュージカルへの憧憬、映画への愛情が満ち溢れており、観終わったわたしも温かく、それでいて切ない複合的な心持ちで映画館をあとにしました。心にしっとりと残る映画だったと思います。

 

P.S.結局、本作はもう一度映画館でやっているうちに味わいたいと思い、「君の名は」以来の再度の修行に行って参りました。やはり見れば見るほど味わいのある素晴らしい作品で、二度目もその音楽や物語は色褪せずこころに迫ってきましたよ。

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2017年

2月

27日

アサシン クリード

先日、予告編での主人公のダイビングがかっこよく印象に残っていた本作をT-Joy東広島にて鑑賞してきました。なんでも原作は世界的に人気を博したゲームであるとか。わたしはゲーム関係をまったくやらないので、映画が本作の世界観の初体験となります。

 

いやはや本作を観終わって、びっくりしました。まるで宝塚のショーのような印象を受けてしまいました。アクションや映像そのものの迫力にはうなるものがあるのですが、ゲームにてその世界観を前もって持っていないことには、物語そのものには入り込むことが難しいのではないか?と思ってしまいました。

 

テーマそのものは、かつてダビンチコードでも取り上げられた、テンプル騎士団とアサシン教団との暗闘であり、これはこれで歴史好きなわたしにも、ヨーロッパの闇歴史探求として大変興味をそそるものなのですが、いかんせん設定そのものの説明が少なすぎて、映画を観ただけではまったく腑に落ちない点が多かったのがもったいなかったです。

 

主人公カラムが、どんな罪でアメリカで死刑囚(終身刑がほとんどのアメリカで死刑囚というのはよほどの罪を犯している??)になっているのか?、その彼がほとんどタイムスリップともいうべき手法によって、中世紀のスペインにタイムトリップし、実際にそこでイメージか現実か判別しがたい状態で敵を粉砕し大活躍するのは認めるとしても、せめて観る者が一応了解できるような技術的説明がもう少し欲しい。天才科学者の発明というだけでは、まるでドラえもんのレベル?、アサシンが最後は対抗するテンプル騎士団の末裔を皆殺しにするものの、この確執の深い闇の対立がこんな簡単に決着に向かうの?・・・などなどつっこみどころというか、物語に一定の了解や流れなどを求めてしまうようなわたしのようなタイプには久々に「うーん、そうきたか~?!」とうならされるような体験となりました。

 

そうはいっても本作は、中世期のスペインのリアルな街並のなかで、主人公カラムがダイブはする姿は美しく、屋根から屋根へ忍者のように敵をばったばったと倒していくアクションはスピード感や痛快感にあふれ、中世スペインの街並も素晴らしいリアルさと美しさであり、ゲームで本作の世界観をすでに身に着けている方には映像として十分堪能できそうです。

 

独立した映画なのだから、物語としての体裁をせめてもう少し整えてほしかった・・と考えながら、一方でゲームを楽しんでいる若いファンからは「単純にゲームで表現された世界の実写の迫力をつべこべ言わず楽しめばいいわけで、本作に物語の設定とか流れとか因果関係を求めるなんてナンセンス、感性が古いんだよ~」なんて言われそうでもあります。

 

感性という夜の闇を覗いたような、微妙に困惑した思いを抱えながら、まだまだ寒い冬の夜道のなか家路に着きました。

 

2017年

2月

06日

新宿スワン Ⅱ

本作を大雪がよく降った一月の終わった二月のはじめ、やはり凍えるような夜に観てきました。あえて前面に出して宣伝してませんが、わたしの大好きな映画監督、園子音の作品でもあります。

 

本作はいわれなければ、園監督が撮ったということがあまりわからないほど、迫力ある、チンピラ&やくざ映画になっていました。偶然、前回のブログで取り上げた「土竜の唄」もやくざ映画のシリーズ第二作であります。

 

でも本作はよく似た成り立ちであっても、かなりその内容は本格派で、スリルと友情と涙が滲んだ出来になっています。過去のやくざ映画へのオマージュのような物語構成やシーンもあったりして、さすが園監督と思ったりもしましたが、そんなことより物語自体が観る者をぐいぐい引き込むような吸引力があり、ラストまで一気にどっぷりのめりこむようなカタルシスを感じる本作でした。

 

観終って感じたのは、本シリーズによって、園監督はもう「デビュー作から続いてきた、カルトで暗い、詩的世界を漂う、難しい文学派監督・・というレッテルなどもう俺には必要ないし、返上させてもらう!」と高らかに宣言したいと決意しており、実際に本シリーズはそういうシリーズになりつつあるような気がします。拍手喝采です。

 

P.S.本作でも綾野剛の演じる龍彦より、深水元基が演しる関玄介の男気の魅力がスクリーンで圧倒的に輝いていて、思わず彼を中心とした続編での活躍をまた観たくなってしまいました。こんな感想を抱いたのはわたしだけでしょうか?いやいや、おそらくみんなそうなのでしょうね(笑)。

 

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2017年

1月

30日

土竜の唄 香港協奏曲

まだまだ寒いとある一月の夜更けに本作をT-Joy東広島にて観てきました。

 

本作はシリーズ2作目であり、前作は抱腹絶倒の痛快な作品であり、今回も当然クドカン脚本によるどんな痛快な作品になっているかな~と期待しながらの鑑賞となりました。個人的には、香港は中国返還の前年に友人と訪れたことのある街であり、少し懐かしい香りがします。

 

さてさて映画自体は期待どおりの痛快アクション&ギャグ、音楽、お色気などなどなんでもありのまさに娯楽映画の王道を行っていましたが、前作に比べれば少しサプライズが少なかったかもしれません。

 

それでも本作はそのテーマ「Dont Think!!Feel&Feel!」に忠実な内容となっており、一月の寒い夜更けにわたしのこころとからだも少しだけホットになったような気がしました。

 

P.S. 本作って生田斗真の作品という見かけですが、実は堤真一が演ずるパピヨンがいい味だしてますよね。ホント、ああいうキャラって憧れてしまいます(笑)

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2017年

1月

15日

平成29年、新年を迎えて

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 

ぼーっとした正月気分も抜けて、このブログもやっと新年一回めの更新をすることができました。更新も気まぐれなブログですが、楽しみにされている方がいることはしっかり認識しているので、今年もまた覗いてやってください。

 

わたしはといえば、例によって年末年始は単身自家用車で愛知に帰省し、故郷の木曽川の雄大な流れのふもとで、深夜まで幼馴染らとお酒を飲んだり、初もうでに行ったり、温泉に入ったり、買い物をしたりと、楽しい時間を過ごさせてもらいました。

 

実は、年末になるとこの正月の帰省(お盆は帰らないので一年一回です)をひたすら待っている自分がいます。でも楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、そしてまた来年を楽しみに、鋭気を養って広島に戻る自分を不思議に思うことも時々あります。

 

昨年からよく思うことは、若いころから、自分は理想の場所、完結した場所にいつかたどりつきたい・・なんて思っていたものですが、実はそんな場所はどこにもなく、自分も周囲もいつまでも完結することはなく生生流転し、常に決まったところには立っていられないのだ・・・ということです。

なので、今年の帰省時と来年の帰省時の自分は同じような行程をたどっても異なるわけで、出会う人々もたとえ同じ人に会ったとしても、前に会ったときと同じということはなくすでに来年は変わっているわけです。

すみません・・。わかっている方からしたら、当たり前すぎて何をいまさらという次元のことかもしれません。

 

そんななかで、昨年も日々のやるべきことに追われていた自分ですが、常に物事は変遷・流転していくことを意識しながら、地域に貢献すべく、今年も積極的なこころを持って精進していこうと決意を新たにしております。

 

不束者ですが、今年もご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。

 

2016年

12月

30日

ローグ・ワン

本作を平成28年最後の映画作品としてT-Joy東広島で鑑賞してきました。

本作は「エピソードⅢシスの復讐」と「Ⅳ新たなる希望」の間に当たる時期の作品で、Ⅳ(SWシリーズの最初の作品です)の直前に起こった、最強兵器「デス・スター」の設計図がなぜ帝国軍から反乱軍に渡ったかというサイドストーリーとなっています。

恥ずかしながら、SWシリーズをところどころつまみ食い的にしか観ていないわたしからすれば、いやはやストーリーに入れるかな~と心配しての修行でしたが、まったく杞憂でした。

 

本作だけを観たとしても、娘と父親の絆をテーマ(SWシリーズの隠されたメインテーマって家族の絆と成長ですよね?)にした、愛と希望の作品をしっかり踏襲しており、単独の作品としても十分楽しめます。映像そのもののも、40年前の第一作である「Ⅳ 新たなる希望」と比較しても、雄大で自由自在な宇宙空間の表現は圧倒的で、単純に素晴らしいエンタテイメントになっていました。

 

思えば小学生のころ、第一作が日本でも公開され、社会現象を引き起こしたことをわたしでも記憶している本作ですが、当時追随を許さない先進的な特撮技術、壮大なテーマ、豪奢な音楽に驚愕を覚え、コカコーラの王冠をめくりながら、こども心に「アメリカはすごい・・どこからこんな発想が出てくるのだろう?」と真剣に考えていたことを思い出します。あれからはや40年近くたちました。

 

今にして思えば、SWシリーズはアイザック・アシモフの「銀河帝国興亡史」やトールキンの「指輪物語」といったファンタジー大作からインスパイアされ作製されたことはさすがにわかるわけですが、そんなことに関係なく、それを圧倒的な作品として実際に表現し、40年の長きにわたって熱狂的な支持を世界中で受け続けることはやはり天才の所業であり、ジョージ・ルーカスという鬼才が生まれた時代に自分も生を受けたことはラッキーだったと考えながら、平成28年最後の映画修行を終えたのでした。

 

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2016年

12月

23日

海賊と呼ばれた男

2013年度本屋大賞を受賞するほど大ヒットした小説の映像化である本作を年末になんとか鑑賞してきました。

 

日本が生み出した希有な大人物・出光佐三をモデルにした原作が素晴らしいだけに、あの世界を股にかけた大河ドラマにもできるような壮大な世界をどのように映像化するのだろう?と期待しての鑑賞となりました。

 

映画としては、すべての素敵なエピソードに深入りしていたら、たったの2時間で表現することなどできず、三部作ぐらいの長さが必要になるだけに、最初の妻との切ない別れとその後のエピソードと,イギリスによってなかば禁輸状態であった石油を輸入すべく、虎の子の巨大タンカー「日承丸」の中東決死行に思い切ってフォーカスを絞った作風にしたのかなと理解しました。

 

でもそれで十分だと思います。本作を観て物足らず、それでも出光佐三という人物に興味を持てば、すでに文庫化もされている原作に当たればいいのであり、本作の意義は、小説で想像された世界を実際に映像化してくれたことにあり、それだけでも十分に素晴らしいと思いました。

 

出光マークをモデルとした国岡商店のマークもチャーミングで良かったですよ。本作は映画だけで完結することは難しく、ぜひ原作の小説とともに楽しんでほしい作品です。

 

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2016年

12月

16日

ミュージアム

慌ただしい年の瀬、そろそろ終映間近の本作をT-Joy東広島にて修行してきました。

 

秋頃から始まった予告編がおどろおどろしてグロテスクさが強烈なインパクトがあり、ぞくぞくするような恐怖や魔性を感じさせてくれる映画なのだろうなと感じ、チャンスがあれば修行しなければならないと思っていた作品です。

 

案の定、物語のなかでは、主人公のカエル男のマスク姿と身のこなしがたいそう不気味で、殺人アーティストを気取りながら、次々の残酷な殺人を繰り返していきます。それを追うはずの小栗旬演ずる刑事・澤村(焦燥感と正義感が交錯する表情が素晴らしかったです)が逆にカエル男に追い詰められていくありさまはスリル満点で、10代のころにこれを観ていたら、びびって逃げ出したくなるほどの迫力でした。映像そのものが終始痛快で歯切れがよく、テンポもよく、映画館の暗闇のなかで、適度なスリルとスピード感を感じながら、痛快グロテスク物語として胆嚢させていただきました。

 

しかし、物語の内容自体にはちょっぴり違和感を感じました。カエル男の幼少時の心的外傷体験は壮絶なものであったことは理解できるのですが、殺人の標的となった人々にはそれぞれ落ち度があるものの、直接カエル男とはなんのかかわりもなく、殺されるほどの罪ではなく、いわば八つ当たりの世界であり、犯行の動機とその結果に物語的には矛盾とずれを生じており、それらの整合性がもう少しあれば、もっと素晴らしい作品になったのでは?・・・なんて小難しいことを考えたりしましたが、こうした映画にそこまで求める事自体ナンセンスという意見もありそうで、ここら辺は観るものの価値観次第かもしれず、「孤独な観客」のわたしとしては、いつかどなたかと議論を交わしたいものです。

 

物語の構成自体は子供のころに親しんだ江戸川乱歩的な世界であり、最後の対決の舞台となった西洋館などはまさに乱歩的世界であり、いやはや懐かしさを覚えてしまいました。さきほど原作そのものについて、やや苦言のような物言いを呈してしまいましたが、映画自体は魅力にあふれたものに仕上がっており、素晴らしい監督の力技だと思いました。大友啓史監督にはぜひ今後、江戸川乱歩の「孤島の鬼」とか、横溝正史の「真珠郎」などグロテスクで怪しい原作の映画化に取り組んで欲しいな~なんてことを考えながら、師走の夜の帰路に着きました。

 

P.S. 本作の迫力満点のカエル男を演じたのはなんと妻夫木聡くんだったことにはまったく気が付かず、本作を観終えていました。作中、ラスト以外は顔をほとんど見せない役柄にもかかわらず、彼の醸し出すカエル男のオーラは格別であり、その俳優魂にはうなるものがありました。

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2016年

12月

11日

この世界の片隅に

本作をいよいよ寒さが染み入るようになってきた12月の夜にT-Joy東広島にて観てきました。最近「君の名は」という大ヒット作を得て俄然元気がいいアニメ界の、それも広島を舞台にした新作です。

 

日本が戦争に向かう日々をしっかりあっさり素直に生きる、絵を描くのが上手な主人公のすず。

そんな彼女が時代や周囲の思惑に流されながら、素朴な風景のなかで淡々と生きていきます。

 

こんな素直であっさりとした気持ちのよい女性が当時の日本には普通にいたのだろうか?・・と当惑するわたしをよそに、牧歌的だった昭和の時代は徐々に戦争に向けて突き進み、日本は、日常的に人々が死んでいく敗戦へと向かっていきます。すずに容赦なく厳しかった兄も戦死し、幼馴染も戦地に赴き、やがて彼女とその嫁いだ先の家族が住む呉もアメリカ軍の爆撃を受けるようにになり、かわいい姪の晴美(この小さな女の子は、その母親と対照的に本当に素直で可愛く描かれていて、思い出すとキュンとなるほど映画のなかでは大きな存在となっています)を目の前で失い、彼女自身も絵を描く大事な右手を失うという悲劇に会いながらも、淡々とすずらしく生きていく姿には、自分もこうありたいと思うと同時に、こんな悲しくも切ない限界状況で自分はこんなに淡々と必死に生きれるだろうか?姪や兄を失った悲しみや恨みにこころは覆われてしまわないだろうか?という自問自答も生まれたりしました。

そして、なんやかんや言いながら、いま戦争のないこの平和なこの時代に生きていることのありがたみを本作を通して何よりも痛感しました。

 

もちろん「いまだって決して世界は平和な時代じゃあない!」という方もいるかもしれませんが、あの昭和初期の時代は、現実に明日、命が突然失われるかもしれないという恐怖や不安感を毎日背中に感じて、食べたいものも食べれず、行きたいところにも行けず、それでも人々は必死に生きつつも明日をも知れぬ時代であったわけで、それに比べればいま我々が生きる時代は、その気になればどこにでも行けるし、少々無理すれば食べたいものだって食べれるし、何より突然死ぬような危険性も限りなく低く、戦時下にあふれていた直接的な恐怖や不安や悲しみには全くと言っていいほどさらされていないのです。

 

わたしにも日々の生活のなかでいやなことや悲しいことがときにはあったりするのですが、戦争当時の日本で懸命に生きたご先祖様のことを思えば、なんと幸せな時代に生きているのだろうという認識とともに、自分でしっかりなんとかやればなんとかなるという時代のありがたさを感じ、泣き言など言っていられないという気持ちがわいてきます。

本作はそうした当たり前の事実をあらためて認識させてくれる作品でした。広島人だけでなく、現代に住む日本人すべてにすすめられる良作だと思いました。

 

P.S. 本作で声優デビューを飾ったのん(元:能年玲奈)さんの声も特筆ものでした。事務所との軋轢で本名であるはずの名前を使えず、新たな芸名「のん」になっての再起作ですが、素晴らしい表現でした。主人公・すずの淡くて、ややとぼけてコケティッシュで素直な人柄が自然にビブラートするような声を通して、素晴らしく表現されていて温かいものにつつまれるようなしびれを覚えました。

 

そしてもうひとつ、本作の挿入歌として使われた楽曲、コトリンゴの唄う「悲しくてやりきれない」(オリジナルはフォーク・クルセイダーズ)・・この唄はほんとよかったです。本作の底に流れるテーマがこれほど見事に表現されている歌は他にはなかなかないのではないのでしょうか?この唄を持ってくる監督のセンスの良さにも感服しました。そんな歌をあえて決まり過ぎる、最後のエンディング・ロールに持ってこず、前半部に何気なく挿入されているのもにくい演出で、その潔さが本作の「世界の片隅に」というつつましさに繋がっていたような気がしました。あえて最後にこの曲の流れる本作のエンディング・ロールを観てみたかった気もしましたが、これはいろいろ意見の分かれるところかもしれませんね。

いずれにせよこの先、本作を思い出すときはこの曲の調べがこころに浮かんでくることは間違いなさそうです。

 

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2016年

12月

06日

インフェルノ

12月に入り、いよいよ冬の到来を感じながら、本作をT-Joy東広島にて観てきました。

 

ダン・ブラウン原作のトム・ハンクス演ずるロバート・ラングドン教授シリーズの三作目です。一作目はレオナルド・ダ・ヴィンチ、二作目は秘密結社イルミナティ、そして三作目の本作のテーマはダンテの神曲「地獄篇(インフェルノ)」です。

 

しかし、三作目の本作は正直いって、モチーフとの関係性が前二作と比べてずいぶん薄いと感じました。これなら別にダンテをテーマにしなくてもいいのではなんて・・・。

本作は、古典との融合や謎解きというよりも、未來を案ずる悪者のアクション陰謀物語となっており、前二作にあった史実や歴史とうまくからめる要素が薄くなっており、歴史のうんちくや謎解きのスリルが好きなわたしにはやや拍子抜けでした。

 

でもベネチアやトルコなど美しい世界の名所を舞台にあのラングドン教授が痛快に活躍する映像は十分に迫力があり、痛快アクションとしては十分な作品になっていましたよ。

 

いまや本ラングドン教授シリーズはトム・クルーズの「M.I.」シリーズのようになってきたのかなと思いながら映画館を後にしました。

2016年

11月

29日

何者

予告編の音楽と映像の融合がテンポといい、画面の切り替えといい、なかなかいかしており、これは観なければと思っていた本作をなんとかT-Joy東広島にて観てきました。

就活をするなかで、さまざまな思惑と嫉妬と不安、自信の揺れが交錯する青春物語です。出演者も佐藤健、有村架純、二階堂ふみ、菅田将輝、岡田将生といった若手人気俳優にやや重鎮の山田孝之と若手有望株が揃い、その演技力を競うように物語を展開させていきます。

 

幸か不幸か、こうした就活のような競争に近い不安定な活動を経験していないわたしには、こうした切磋琢磨するなかで揺れ動く人間関係は未体験です。しかし本作を観て、十代のころに熱心にみた山田太一原作のテレビドラマ「不ぞろいの林檎たち」を思い出し、現代版「不ぞろいの林檎たち」なのかもしれない・・なんて思ったりました。

しかし、その青春群像はずいぶん異なります。80年代当時のできそこないの林檎たちはつねに明白な苦悩を画面いっぱいにぶつけ、その背中にはつねに苦悩と煩悩を背負っていたものでしたが、時代は移り、いまや同じ青春どまんなかの若者たちは苦悩さえもお互いにはっきりとお互いにぶつけたりはせず、本音や嫉妬心、競争心などは人知れずSNSに思いをつづるクールさと暗さと儚さを身に着けたわけです。

 

予告編でアナウンスされていた大ドン返しのようなラストの秘密を楽しみに観ていたわたしですが、いざラストでそれが明かされると、映画的にはやや弱いサプライズかな~という印象を持ったりしました。しかし、本作の原作は直木賞受賞作であり、これはこれで文章でじっくりと読むといい味わいが出るのかもしれないとも思い、朝井リョウの原作を翌日には買ってしまいました。そのうちに時間ができたら読みたいものです。

2016年

11月

21日

少女

本作をそろそろ秋も終わりが近づいた11月の月の大きく見えた夜に観てきました。

 

「少女」・・・なかなか意味深なタイトルです。それぞれがこころの傷を抱えて慄きながら、日常のなかにひそむ死という不思議で魅力的ななにものかに惹かれて、危険に日常を踊り続ける少女たちが美しいスクリーンのなかで表現されています。

 

無垢で残忍で実利的な所業にまみれながらも、神秘的なまでに深くて透明なこころの闇、そしてまだ見ぬ朝の光を待つような神々しい薄暮の空のきらめき・・・そんなインスピレーションがわくような映画でした。

 

わたしが少女と同じ年頃のころ、同世代のはずの彼女たちははるかに大人であり、何を感じて何を考えているかまったく想像もつかない、永久に追いつけそうにない神秘的な存在でありましたが、久々そんなことを思い出させられました。

 

映画を見終わり、何十年かぶりに地球に大きく近づいた月光を見上げながら、わたしが17歳のころにいつも見ていた透明感のある、あのいつも涼しい表情をした少女はいまいったいどこでどういう大人の女性になっているんだろう?なんて思いながら、秋の夜長の帰路に着いた夜でした。

 

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2016年

11月

10日

ベストセラー

本作を秋の深まるなか、広島の至宝・サロンシネマにて修行してきました。

いまが旬であるコリン・ファースとジュード・ロウの競演作品です。実在の編集者であり、あのロスト・ジェネレーションの代表作家、フィッツジェラルドやヘミングウェイを無名から見出した編集者マックス・パーキンズと見出されたもうひとりの作家トーマス・ウルフとの関係を描いた実在の物語です。

 

わたしなどはさすがに村上春樹の影響でフィッツジェラルドの作品にはよく慣れているものの、トーマス・ウルフに関してはまったく無知であり、はてはてどんな作家と編集者の関係なんだろう?という興味を持っての鑑賞となりました。

 

文章が湯水のようにあふれ、イメージは豊かな才人だが、描き過ぎてまとまりがなくなり、どの出版社にも相手にされなかったウルフを見出した後に、思い切って不要と思われる文章を削除させ、読みやすい物語に仕立てあげていった編集者・パーキンズ。

そんなふたりの共同作業は、二作目までは素晴らしい成功を得て、父子のような信頼あふれる関係を構築するものの、その後、さまざまな中傷や世間の声から、元々繊細すぎたウルフの精神状態は徐々に不安定になり、つには最大の理解者パーキンズさえも突き離し、恋人とニューヨークを離れ放浪していくウルフ。そして最後に訪れる死という名の突然の別れ。

 

本作ではわがままだけれども、自由な発想で人を感動されていくアーティストとそれを支える堅実で明晰なスタッフの、成功という化学反応とその分裂がせつなく美しく描かれています。人生は喜びが大きければ大きいほど、その後の哀しみも大きい・・・。

 

はてこの映画を観ていて、なぜか尾崎豊を思い出してしまいました。彼はわたしの世代の音楽的英雄であります。その音楽的才能もさるものながら、彼も多くの素晴らしい陰で支えてくれるスタッフら(須藤晃、西本明・・・)に恵まれて、若くして華々しい成功をおさめるものの、ささいなつまづきや思い込みから、やがて支えてくれた大切な人たちを失い、唐突な若い死を迎えたという点では多くの共通点があるように思いました。

 

おそらくどこでもいつの時代でもこの地球上では、そんな出会いと化学反応と別れはつねに起こっては消えており、いまこの瞬間にもそんな人と人との関係から生まれるマジックはどこかでスパークしているのだろうな~なんて思ってしまいました。

そしていつか名編集者・パーキンズが惚れ込んだトーマス・ウルフの作品を読んでみたいと思わされる作品でした。

2016年

11月

01日

怒り

評判の大作である本作をT-Joy東広島にて修行してきました。最近は「悪人」「許されざる者」といった大ぶりな作品が続く李相日監督の最新作です。李監督は大傑作「フラガール」で魅了されて以来、常に注目し都合をなるべくつけてなんとか映画館でその作品を見続けている監督であります。

 

本作は、予告編にても理不尽にあふれた、夫婦の残虐殺人現場に残された「怒」の文字が強烈に印象に残り、「怒」の動機としてどんな怨念、執念が隠されているのだろう?という期待を持っての鑑賞となりました。

 

さすが定評のある李監督作品というべきか、出演陣がふるっています。ざっとあげただけでも、渡辺謙、松山ケンイチ、妻夫木聡、森山未來、綾野剛、宮﨑あおい、池脇千鶴、三浦貴大、広瀬すず、ピエール瀧・・などなどそうそうたる顔ぶれです。まあよくもこれだけ主役級を集めたものです。吉田修一原作、李相日監督というコンビがいかに役者さんに信頼されているのか、これだけでも想像がつくというものです。

 

さてさて実際に観終わっての感想ですが、人間の情念と狂気を独特の詩情で表現する李監督節が炸裂していました。並行する三つの物語はどれも怒りと哀しみにあふれていて、ひとつひとつがディープでした。こういう世界もあるかも・・という感慨にかられてしまい、思わず感情移入してしまいます。

 

しかし、一方で期待?した、残虐な殺人に至った、怒りの本当の原因というのはなんともあっけなさすぎて、びっくりしました。正直、こうした種の怒りで、行きずりに殺された側としてはなんともたまらないな~という感想さえ持ってしまいました。

 

もしこれが観る者のそうした感想さえ、あらかじめ狙われていたものであれば、そういう意味では、なんと不条理を鮮やかにかたちどった作品でしょうか?

これが原作者の意図であれば、脱帽であり、見事にその意図は達成されていましたが、何事にも筋道や了解を求めがちなわたしのような人間から見れば、くらくらするような理不尽さであり、せつなくつらい気持ちになる映画であり、修行後はどうもモヤモヤしたものが残る一作でした。

 

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2016年

10月

27日

オーバー・フェンス

本作を広島市内のサロンシネマにて鑑賞してきました。どうも最近出演する作品がなってないオダギリジョー主演作品です。わたしとしては名作「ゆれる」での快演以来、心情的に応援している男優なのですが、どうも最近の主演ではこける作品が続き、チョイ役が多くなっている印象があり、やや心配しての修行に入りました。

 

本作は故佐藤泰志原作の函館三部作の最終章となる作品です。三部作という言葉はなかなかいい響きです。夏目漱石の三部作はいうに及ばず、映画の世界でも大林宣彦監督の尾道三部作は新尾道三部作も含めて素晴らしい作品群です。とくに新尾道三部作の一作目の「ふたり」は映画館で観ると、それぞれのシーン(特に花火のシーンはしびれました)がうっとりするぐらいの素晴らしい作品であり、かつて映画館で観て感動した後、自宅で再度観てみると・・・あれっ・・?この程度の感動だったかな?と思ったりしたことが懐かしいです。

やはり映画というのは映画館で観ることが前提で作られているんだな・・と思い知らされ、現在もなるべくこのブログで取り上げている作品はすべて映画館で観ているわけです。

 

さて本作ですが、久々オダギリジョーのあのぬぼーっとした独特な雰囲気がいい味となっており、相方の蒼井優の狂気をはらむ役柄も相まって、日常になにげなくありそうな、怠惰でいつまでも続きそうな時間と空間を切り取っています。オダギリジョーも久々好演の作品になりました。

 

みんなそれぞれがそれぞれの目の前にある人生の現実の前で、なんということもなく過ごしたり、ときにはあがいたりしている生活の重し。そんなどこにでもあるような当たり前の事実を函館という街の退屈で美しい風景に溶け込む人間の営みや業を感じさせてくれる作品です。

心をえぐったり、感動させてくれるという要素は特にないのですが、誰にもある人生の川の流れのなかでの一瞬の後悔や陶酔、そして微かな希望への光や想いの雫がいたるところに零れ落ちています。

タイトルである「オーバー・フェンス」もいいです。人生に付き物の生活のしがらみやどうにもならない空気の流れを乗り越えていきたいというぼんやりとしながらも切ない想いが溢れており、ラストシーンに繋がる、白球の空虚ながらも軽やかであっけらかんとした情景が映画的風情としても絶品です。本作の記憶をこれからの人生で思い出すときに、必ず切なく愛おしくなるだろうな・・・、そんなことを観終ったあとに思わされる作品でした。

 

なんやかんや言いながらも、芥川賞に5回もノミネートされながら、日の目をみることもなく逝った作家、佐藤泰志の心がこぼれ漂っている作品だと思います。こういう世界は個人的には大好きで、愛着のある作品ですが、この良さを共有できる時空間はいまのわたしの生活のなかではなかなかないかな~なんて思いながら、東広島への帰路へ着きました。

 

わたしにしても本作で表現された人々のように近頃はなにかと雑事や重しに追いかけられるような、あっという間に日々が過ぎゆく生活を送っており、広島市内への映画修行は日ごとに減りつつあります。ぜひ本作や「永い言い訳」など、ちょっと心にしみる佳作を地元の映画館T-Joyでも普通に上映して欲しいものです。

 

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2016年

10月

11日

SCOOP!

仕事が終わったばかりの秋の夜更けにT-JOY東広島にて本作を鑑賞してきました。主演は福山雅治、助演はリリー・フランキー。「そして父になる」の組み合わせです。主演の福山さんはパパラッチ役で、珍しくややすれた、汚れ役を演じています。福山さんには女性を中心にしっかりした固定ファンがついておりますが、当夜はややさびしい客入りでした。

 

本作は物語としてはやや変則ながら、探偵ものの定番といえるのではないでしょうか?衝撃のラストシーンという触れ込みでしたが、映画好きもしくは物語好きにはラストの展開はほぼ読めてしまうようものではないでしょうか?こうでもしなければ、本作は終わらないという王道の展開が待っています。ちょっと「太陽にほえろ」のジーパン編最終回を思い出しながら、観てしまいました。

 

それでも、福山ファンには鑑賞必須の作品であり、俳優としての福山雅治の成長を確認する作品としては、観ておいても損のない作品なのかな?と思いつつ、映画を観終わり、いつものフジヴェスタで定番の値下がり惣菜を買い、遅い夕ご飯にありついた夜でした。

 

2016年

10月

01日

ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK

本作は久々広島市内最大のマルチシアターである「ヴァルド11」まで仕事か終わったあとに遠征して観てきました。

今回はいちビートルズフリークのつぶやきなので、ビートルズにあまり興味のない人にはおすすめしません。単語や楽曲名などわかりにくいタームが多分にあることを最初におわびさせてください。

 

わたしのような、子供のころからビートルズ(残念ながら解散後でしたが)の影響下に成長し、血にも肉にもその生きざまと音楽が入り込んでいる人間にとっては、絶対に見逃せない映画です。もちろん後でディスクも買うのですが、見知らぬビートルズファンの方たちと同じ空間で大スクリーンを通して、動き歌うビートルズを体験することは映画館でしかできないのですから遠征も当然です。本作はビートルズの公演活動時代をテーマにさまざまな発掘映像を編集した作品となります。

 

思えばビートルズ関連の映画でリアルタイムで体験できたのは、ポールが率いたウィングスのアメリカ公演をドキュメントした「ロックショー」が初体験でした。できれば、「ビートルズがやってくるヤァヤァヤァ」などを生体験できればよかったのですが、わたし自身がまだ地上に存在さえしていないころでさすがに無理。当時観た「ロックショー」でさえ、映画冒頭の「ヴィーナス&マーズ」のギターによる一節とポールの唄声が流れ出しただけで、高校になったばかりのわたしは感激に身体じゅうが震えたものでした。それからというもの、ビートルズ映画に必ず馳せ参じているわけです。

 

この日も金曜日の夜8時過ぎの遅い上映時間だったにもかかわらず、まぁいるわいるわビートルズフリークたちが・・・。上は60代から下は高校生までが暗闇のなかにわんさか(と言っても半分ぐらいの入りですが、わたしのひとつ席を隔てた席はなんと中年女性のひとり客だったのが印象に残っています)集っているのだから驚きです。

 

さてさて映画ですが、想いを書き続けたら、以前のワールドカップ観戦記よりも長くなってしまいそうなので、いくつか思いつくままに書こうと思います。

 

まずはこの映画の最大の魅力はなんといってもビートルズ自身の演奏シーンです。あの音声モニターもまったくない時代に、よくあの大歓声のなかで演奏を合わせられたものです。それほど彼ら4人は当時、心身ともに一体となっており、ハンブルグの下積み時代から培ったチームワークと音楽力が炸裂しています。

いまでもときどき彼らの映像はプライベートでも観るのですが、やはり大スクリーンとドルビーの大音響でのシャワー体験はいいです。今更ながらに、4人が同時に動き歌うということの奇跡と素晴らしさには大スクリーンの前でドキドキワクワクの連続でした。

 

この映画のハイライトである、ビートルズが世界を飛び回る実際の姿や言動もいいです。ひとつひとつのエピソードはさすがに既知のものが多いのですが、ひとつ知らなかったことがありました。

アメリカツアーの際、人種で席を分けたコンサート会場を拒否し、結果その会場での初の人種差別撤廃の公演を実現させていたこと。ビートルズなら今となっては当然と思わされるエピソードですが、まだアメリカに足をおろしたばかりの当時、これをアメリカの興行主側に伝えることは、以後の活動や人気への影響を考えるとかなり危険なことだったのではないでしょうか?さすがはビートルズです。

 

いつもビートルズというと取り上げられる、ジョンによる「ビートルズは若者の間ではキリストより有名」発言とその反響もありました。世界の若者がいつまでも宗教にとらわれていることへの皮肉を込めた発言でしたが、いまとなっては、確かにジョンのいう通りであり、皮肉にも,現代でもキリスト教、イスラム教をはじめとした宗教的対立はまったく緩和するどころか先鋭化し、世界中の至るところで若者が宗教の名の下に命を落とし続けているわけで、もしジョンが生きていてそんな世界を観たら、いかに哀しみ憤りどんな発言をするだろう?と考えてしまいました。

 

そして最後におまけ映像として、当時世界初のスタジアム公演となったニューヨークシェイスタジアムでのノーカット映像。いやはやこれにはしびれました。もちろん部分的に何度も観たことはあったのですが、映像も音楽もリマスタリングされ、生き返っています。4人を取り囲んだ当時の狂気と熱気をはらんだ空気が大スクリーンの映像を通しても感じられ、中年オヤジのわたしでさえ久々こころが震えました。4人の汗、大歓声に投げかける視線、目線の飛び方(まさかマリファナの影響?)、徐々に潤んでくる4人の瞳、らりって鍵盤を肘でなでるジョン・・・そんなこんなのちょっとした仕草がもうしびれるんだから困ったものです。

今まで抜粋で観てきたので、こうして10曲すべて(それでもたった30分のマジックです)を通して観ると、曲順、選曲も完璧であることに気づかされました。

 

一曲目には、会場がアメリカであることに加えて、自分たちの音楽的ルーツであるアメリカ発祥のR&Bである「ツイスト・アンド・シャウト」からあえて始まり、2曲目は当夜の彼らの心境を表現するかのように「アイ・フィール・ファイン」、3曲目は再びアメリカへのリスペクトをこめて、「デイジー・ミス・リジー」。そしてアルバム「ヘルプ」を中心とした当時の旬の楽曲群「涙の乗車券」「アクト・ナチュラリー」「キャント・バイ・ミー・ラブ」を中軸に入れ、当夜3曲目かつ最後のアメリカ曲であり、当夜唯一のスロー曲「ベイビーズ・イン・ブラック」。

 

ここで軽くブレイクを入れたあとラストスパートが眉唾ものの怒涛の構成となります。いきなり「ハードデイズナイト」ではじまり、間髪入れずにそのまま「ヘルプ」、続いて「アイムダウン」へと流れ込んでいく選曲は、おそらく当時の4人の音楽的かつ心情的な最高到達点であり、彼らの魂の咆哮が詰まっていたものといえ、当時4人にとってのコンサートの記念碑であり最大の規模となる公演において、こんな完璧な曲構成&曲順を実現していたということは意外に認識されていなかったのではないでしょうか?

 

シェイスタジアムコンサートというのはビートルズフリークにとっては、人類史上初のスタジアム音楽公演だったという点で記念碑的な催しであるという事実認識はそれまでにもあったものの、大歓声のなかで混乱したただのお祭りぐらいの認識でしたが、こうして大スクリーンかつ大音響で体験してみて、本コンサートは、彼らにとって音楽的にも公演活動の歴史においても、輝かしいひとつの頂点であったという認識を今更ながらにあらたにしたことは貴重な体験でした。このたび映画化に合わせてCD化された「ハリウッドボウルライブ」よりもこちらをCDにしてほしいぐらいです。

 

この日を頂点として4人は徐々にライブ演奏家としては残念ながら坂道を下りはじめます。若くしてここからは老成への道を歩み始めたともいえます。しかしこの夜この場所で彼らは、喧噪と熱狂のなかで4人は一体となり、できるうるだけの全精力と若さのエネルギーを演奏家として激しくはじけ、かつ素晴らしい音楽を表現していたのだということが今さらながらに痛感させられました。そんなことを考えながら、わたしにしてももう涙が出たり体が震えたりはしなかったけれど、ジョンやポールの力いっぱいのシャウト、ジョージのしなやかなハーモニー、リンゴの適切なドラミングを観て感じながら、暗闇のなか瞳がちょっぴり潤んできたのはいうまでもありません。

 

映画のあと、せっかく市内に来たのだし、心のボルテージをダウンさせるために、天下一品のラーメンでブレイクし、帰路高速を飛ばしながら「ポールのライブは生体験できたけれど、やはり4人の全盛期を生体験したかった・・」という嘆息がフロントガラスの外、闇のなかに消えていく夜でした(笑)。

 

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2016年

9月

28日

ハドソン川の奇跡

本作を封切早々、T-Joy東広島にて観てきました。

近年のわたしの映画格言?に「イーストウッド作品にはずれなし」といったものがあり、本作もこれにもれず、大傑作とはいいませんが、いろいろ考えさせられる素晴らしい佳作でした。

 

本作も最近の傾向である、実話をモチーフにした作品です。

バードストライクによる両エンジンの停止を受けて、発着空港への帰還は無理と判断したのち、奇跡のニューヨークの街中のハドソン川の水面への不時着を敢行し、ひとりの命も落とさずに済ましたサリー機長。英雄視される一方で事故調査委員会からは、「英雄になるためにラガーディア空港に戻れたのに、あえてそれを選ばずに水面着陸をしたのでは・・?」というとんでもない疑惑をもたれたものの、聴聞会を通してその疑惑を感動的に晴らしていくというドキュメント仕立ての作品となっています。

 

わたしも本作を観たあとこの事件に興味をもち、少し調べてみましたが、実際には映画で表現されたほど、サリー機長は罪人扱いされたわけでなく、事故調査委員会としては当然の責務として、一応空港に戻れた可能性を検証したといった程度のもので、聴聞会もあそこまで険悪な裁判仕立てではなく、まずまず穏やかなものだったそうですが、機長側からすれば、少しでも疑いをもたれたことは精神的にもショックであり、機長らの心の叫びがイーストウッドにも届き、本作の実現に相成ったのでしょうね。

 

それにしても本作の見どころは、サリー機長らの操縦チームの功績も素晴らしいのですが、不時着後のニューヨーク沿岸警備隊、ニューヨーク市消防局、水上バスなどの活躍ではないでしょうか?ニューヨークの1月、突き刺すような寒空の下、機体水没までたったの一時間の間に迅速に懸命に救助活動を行い、結果ひとりの乗客・乗務員の命も落とさなかったという活躍は、その数年前、同じニューヨークで起こった9・11テロで救えなかった命、救助のため命を落とした消防隊員たちへのレクイエムのようでした。あのテロの後を受けても、恐怖にひるまず勇躍し、次々の乗客・乗員を救助していく有様は素晴らしく、観ているものを奮い立たせる力がありました。アメリカの良心ここにありとイーストウッドは表現したかったのだと思わされました。

 

ところで主演のトム・ハンクスもすっかり老齢を演ずるしぶい俳優にもなりました。あの大傑作「フォレストガンプ」で演じた素敵な若者からもう20年以上たったと思うと時の流れの無常も感じさせられたりした本作でした。

 

「グラントリノ」を最後に一切フィクションを撮らなくなり、ほぼアメリカに関係した実話をもとに映画づくりに励むイーストウッド監督。アメリカという国の存在意義、そこで生まれ育った人間として、自らの命の尽きるまで、母国を映画という形で切り取り続ける覚悟と信念を最近の作品には感じます。まるで映画版ブルース・スプリングスティーンのようです。

俺にはフィクションなどを撮って回り道をしている時間はもう残されていないんだよ・・というつぶやきが語り掛けてくるような錯覚さえしますが、それでもまた実話にこだわらないファンタジックなイーストウッド監督によるグレート・アメリカン・ピクチャーも観てみたいものです。

 

2016年

9月

12日

グランド・イリュージョン

9月の秋の気配が漂い始めた夜更けに本作を鑑賞してました。

わたしの場合はよくあることなのですが、観たい映画は数あれど、あまり好みにこだわりすぎず、仕事が終わり映画館に駆け付けた時間と地元の映画館T-JOY東広島(クリニックの近くにあり、ありがたいことです)で上映されている映画の上映開始時間があえば、とりあえずその作品を観るというように観ており、本作はそんな風に選ばれました。

 

本作はマジックをテーマにした映画です。見どころはそのマジックの映像をCGを使わずに、あえて実際にマジックを実現してそれを映像化したというところでしょう。女性の首が突然落ちてしまうマジックや雨が逆さに降るというマジックはそのことを知っているととても興味をそそります。

 

物語としては、幼いころ、湖の底に落ちた金庫破りのマジックに失敗して命を落とした父親の姿を目の前で観てしまった主人公が、その後成長し、父を超える偉大なイリュージョニストになっていくというテーマが流れています。このブログでも紹介した「キングズマン」や「グラン・ブルー」に近似するテーマではあります。こうした意外と王道的かつ伝統的な展開でしたが、そんなテーマよりも単純に目の前で展開される本物のマジック映像を堪能できるかどうかに尽きる映画のような気がしました。

 

わたしも昔、佐世保の喫茶店で超能力マジックというものを観たことがありますが、今でもそのときのことを思い出すとワクワクします。マジックはやはり生で観た方がいいかな~とも思ったりしました。

 

2016年

9月

11日

祝・カープ、25年ぶりの優勝

平成28年9月10日土曜日は広島県民および全国に広がる熱狂的カープファンにとっては記念すべく一日になりました。カープ25年振りの優勝。宿願達成おめでとうございます。次は日本一ですね。ぜひあと2回胴上げを期待しています。

 

それにしてもついにやりました。わたしにとってもカープ優勝は感慨深いものがあります。前回25年前の優勝は広大進学のために広島に来て間もなくの事件であり、当時の優勝を覚えている方はもう少ないかもしれませんが、8月末ごろには中日に3.5ゲーム差ほどをつけられながら、佐々岡を中心にそこから猛反撃し、中日のエース・今中との直接対決をことごとく制し、逆転優勝を果たしたのです。津田が病に倒れた年でもありました。当時のカープにとって優勝は3,4年に一度はするというのが通常で、まさか以後25年も優勝から遠ざかるとは思いもしなかったでしょうが、そこから25年の長きにわたるうっ憤の蓄積もあり、わたしが直接友人や知人らから感じただけでも、広島市だけに限らず、ここ東広島でも、福山でも、大分でも、ファンの熱狂と陶酔は目を見張るものがありました。

 

振り返れば、昨年、黒田がメジャーの20億円を蹴って、4億円のカープを選んだ時点でこの奇跡は始まったといえます。それに連動して、阪神ですでにレギュラーからはずれ自由契約になっていた新井のまさかのカープ復帰。以前にこのブログでも書きましたが、新井はいまでこそ自ら「カープ愛」を公言していますが、当時のカープやカープファンにとって、新井のFAによる阪神移籍は完全なる裏ぎり(まるで金色夜叉のお宮のよう?)であり、新井のカープ復帰にも球団幹部のなかで賛否両論だったそうですが、松田オーナーによる「黒田がせっかく広島に帰ってきて話し相手がおらんではつまらんじゃろうがー」の鶴の一声?によって、新井の獲得への方針が決まったそうで、再入団後の新井は生まれ変わったかのように望外の活躍をし、優勝にも多大な貢献したわけで、黒田の存在がなければ新井も不安で復帰を決断できなかったとも考えられ、なおさら黒田の復帰決断は重要だったといえ、黒田さまさまなのです。

 

しかし、黒田をはじめ今年とほぼ同じメンバーがそろい、さらには日本球界屈指のエース・マエケンもいて、開幕前に圧倒的な優勝候補と言われた昨年に優勝できずに、なぜ今年優勝できたのでしょうか?(私から見ても昨年の段階でセ・リーグではカープは他チームを圧倒する戦力でした。)

 

それは、20年以上も下位に甘んじたチーム状況に慣れ過ぎ、おそらくファンも選手も「優勝」というイメージがこころのなかにしっかりと置く事ができず、ふわふわと地に足がつかない状態で、シーズンを迎えてしまい、本来ある潜在的な力を出し切れなかったのではないでしょうか?

 

加えて、メジャー入団を控えて、数年前から投球数にこだわり、チームの大黒柱なのに、完封ペースでも規定の投球数に近づいたらあっさり降板するエースの存在も、チームの士気にも影響したのかもしれません。(もちろん彼にとっては、メジャーに入るための必要な個人的方策であり、なんら責めるべきことではないです。しかしチーム一丸として優勝をめざすムードを醸成する障壁となったかもしれません)

 

そして結局なんとあの粒が揃った戦力でCSをも逃す4位という体たらく。さすがにこれには菊丸コンビをはじめ、監督・選手も目が覚めたのではないでしょうか?まさか優勝できるとは思っていなかったが、マエケン、黒田がいて4位とは・・・。ファンも失望が大きかったはずです。

 

さらに黒田も現役続行を決めたものの、あと1年かもしれない・・。黒田がいる間に優勝しなければ、いつ優勝する?・・・との危機感が選手全体にも湧いてきたでしょう。同時に、これだけ優勝を願ってくれるファンの熱意を感じ、いまやらなければいつやる・・という気持ちにもなったはずです。そしてその結果、秋から春にかけてのオフシーズンの切磋琢磨はすさまじいものがあったと考えられます。その懸命の努力こそぶっちぎりの優勝への伏線となったのではないでしょうか?(まるで昨シーズンとは別人のような菊丸の活躍などその証左でしょう)

 

ファンにしても同様で、まさか優勝できるとはと思いながら、結局CSまでも逃し、来年こそは・・・という想いに拍車がかかり、それぞれのファンのこころのなかに「優勝」というイメージが徐々に明確に醸成されていき、想いは選手のそれとうまくシンクロし噛み合ったのが今シーズンの大躍進の素であったような気がします。わたしも今シーズンは例年より少ないながらも、3度、マツダスタジアムに足を運びましたが、その応援は個人個人から湧き出るようでありながら、全体として一体感があるカープファン独特のものであり、他球団の応援には絶対にないものでした。個々の思いがそれぞれ強くなると、ついには現実世界が共鳴し、まさに全体に波を起こしたという印象でした。

 

選手もその情熱溢れる応援に応えて、「野球に勝つために必要な特別な何か」を感じさせてくれるプレイが相次ぎました。菊池のひとつひとつのプレイ、鈴木誠也の奇跡的な打撃、黒田の顔を歪めながらの熱投などなど・・はその代表です。緒方監督の「神ってる」という名言も入れてもいいかもしれません。

 

緒方監督はかつて選手時代の全盛期,FA権取得時に、ある優勝を争えるチームから「3年10億円」のオファーを受けたにもかかわらず、カープ愛のため断腸の思いでそれを断り残留したという過去の事実が今日のスポーツ新聞(わたしも記念に複数紙を買いました)に載っていましたが、黒田にしても、菊池にしても、丸にしても、鈴木にしても、さらには新井さえも、チームのひとりひとりが個人の利益のためでなく、チームのために、ファンのために、優勝のために・・との想いで団結し、ファンはファンでようやく優勝への想いの熟成、こころの準備がしっかり整い、ついにチームとファンの優勝への信念と行動とが固く結びついた結果がこの記録的なぶっちぎりの大差での優勝に結び付いたと思います。

 

こうした、チームに関わるすべての人たちの情熱と行動と結果が結びつき実を結んだ優勝は過去のプロ野球の歴史でも希有のことであり、誇っていいのではないでしょうか?

なんだか使い古され垢のついた「FOR THE TEAM」という言葉がこころに新鮮に復権を果たしたのはわたしだけだったでしょうか?

 

たかが球投げ・球打ちのスポーツになにをそこまで熱く語るの?・・・なんてプロ野球に興味のない方(わたしもどちらかといえばサッカー好きです)からは言われそうですが、わたし自身としては長年さまざまなスポーツを観てきたなかで、今年のカープにはプロ野球という枠を超えた特別なほとばしるもの、奇跡的ななにかを感じさせられたので、こんな駄文をしたためてみました。

 

あらためて、すべてのカープの選手、ファンの方々、本当におめでとうございました。

 

今後、プロ野球の歴史において、黒田の奇跡とともに、このセ・リーグ優勝だけで十分に伝説になるでしょうが、CS、日本シリーズも勝ち抜いて、究極の伝説のチームとファンになりましょう!

期待し、祈っています。

 

2016年

9月

09日

君の名は

芸術の秋になって、わたしの映画修行もやっと調子に乗ってきました。今回は新海誠監督「君の名は」です。

運よく封切間もなくだったので、TーJOY東広島の1番シアターにてじっくり堪能させてもらいました。

 

びっくりしたのはその観客の多さ。平日の大シアター1番なのに、6割ぐらいは入っている(いつも平日の夜は2~3割がいいところなのです)ではないですか。若い方もいれば、家族で来られている方々もいます。

 

というのも,わたしにとって新海誠監督はマイナー感全開の監督だったのです。あの傑作「秒速4センチメートル」にしても、アニメとは思えない精緻な風景描写を背景にした、センチメンタリズムの極致のようなストーリー展開。わたしは結構そういう世界は好きなのですが、一般の映画ファンの方にはこんな文学的感傷の強い世界は受け入れられるはずもなく、メジャーにはならないだろうけど、自分は新海誠作品には一生ついていこうと考えながら、当時、文化系シアターの代表であったシネツイン(このたび廃館になり誠に残念です)のまばらな観客(5人ぐらい?)のなかで新海作品を観たものなのです。

 

そんな新海誠監督作品がなぜに?こんなに人気があるのだろう・・?という違和感と疑念を持ちつつ着席しました。おそらくわたしの知らないところで、人々や世界は着々と歩を進め展開しており、そうした過程で新海監督はいまや有名監督になったのかな~?・・なんてとまどいながらの修行が始まりました。

 

映画を見終わって納得。物語の中身は観てのお楽しみとして、上映の終わった場内はおもしろかったという満足感とともに、なにかせつなく、うるっと涙がこぼれるような空気感に満たされていました。

 

わたし自身、もう新海監督は精緻な風景を背に表現された、ひ弱な文学好きのセンチメンタリズムばかりを表現する監督ではなく、痛快ハラハラドキドキのカタルシスを備えた文学的感傷や喪失感を表現できる監督に成長していることを確認しました。

 

素晴らしい成長であり、いまは大人気でメジャーなアニメ監督となりつつある細田守監督のいい対抗馬になりつつあるのかも・・?なんて考えました。宮崎駿監督をなくした日本アニメーション映画界にとっては、飛車と角といえるかもしれません。

アクションやSFなど発想豊かな「動」の細田監督、そしてハラハラドキドキを表現するまでに成長したとはいっても、その作品のコアな部分には、ほろ苦い過去への後悔や憧憬をでんとすえた文学的感傷の漂う「静」の新海誠監督。

 

宮崎監督の長編映画引退発表のあとにぽっかりあいたアニメーション界の喪失感。しかし、本作を観た限りでは細田守監督と新海誠監督、このふたりを擁することによって偉大な宮﨑監督の補完計画を人類は進めているのかもしれない・・・・。

 

な~んて少し大げさなことを感じながら、新海監督ほどとは言わなくても、わたしも日々少しずつは成長していかなければ・・と考えるほどにちょっぴり刺激され、ほろりとさせされた作品でした。

 

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2016年

9月

04日

青空エール

本作を秋の気配を感じる涼しい夜にT-JOY東広島にて鑑賞してきました。思えば、三木孝弘監督の作品はこのブログでもとりあげた「ソラニン」「僕等がいた」「ホットロード」「アオハライド」など結構観ております。狙ってみたわけではなく、ちょうど仕事が終わった後のタイミングと上映開始時間がマッチしており、気づけばまるでおっかけのような鑑賞ペースであります。

 

その独特な、まさに青春を表現したようなさわやかな青色、穢れをしらないような登場人物たちの透過性の高い肌色、澄み切った青空のような空気感は三木監督独自のものであり、わたしなどはいい年して、結構素敵にそれらを感じ、好きでもあります。

 

物語はまるで「タッチ」の南がブラスバンドにはまったような、堂々青春物語ど真ん中であり、わたしがごちゃごちゃ語ることは野暮だと感じる展開のため、愚鈍なコメントは差し控えます。

 

興味深く感じたのは、三木監督が映像に目覚めたきっかけは小学校のころに観た、大林宣之監督「時をかける少女」であったとか。わたしも実は、高校のときに同作を体験(当時は薬師丸ひろ子主演「探偵物語」と二本立てだったのが時代を感じさせます)し、同様にいたく感動したものです。

 

その後のわたしは大林監督、主演の原田知世さんのファンになったぐらいだったのですが、三木監督は同じ作品で映画監督にまでなったのですから、志および才能の違いを痛感してしまいます。

 

いずれにせよ、同作のせつなさと淡い映像のマジックはまだ青白く若かったわたしのこころにも十分に突き刺さるものであり、その後こうしたブログを書く程度の映画好きになるきっかけを作ってくれた作品であり、その作品に同じくこころを動かされた三木監督の作品にもそのせつなく淡い世界は反映されているわけであり、三木監督の作品を鑑賞するたびに、なんだか懐かしく、少しくすぐったく、それでいてサイダーのような清涼感を感じるのかもしれません。

 

万人にすすめられる作品ではありませんが、十代のころのひたむきさやせつなさや青空や音楽、スポーツが好きな人なら、観ても損のない作品だと思います。

 

2016年

8月

29日

シン・ゴジラ

御無沙汰しておりました。何度かそろそろ更新されているのでは?と思ってこのHPを覗いてみてくださった方ももしやいるかもしれません。このブログも夏休みというわけではないのですが、すっかりわたし自身が夏モードに入り、私生活では毎年必須と課している海水浴修行に行ったり、京都~奈良~三重~静岡と歴史探訪(その詳細については、このブログでもそのうちに紹介させていただくかもしれません)にいそしんでいたせいもあり、ずいぶんブログ更新をお休みしていました。一度遠ざかると、どうも取りかかることが億劫になってしまうのが悪い癖です。いよいよ秋の気配も漂いはじめ、心機一転、ブログを再会します。

 

さて閑話休題。シン・ゴジラです。あの「エヴァンゲリオン」の製作者である庵野秀明さんが総製作であり、つまらないわけがない作品です。久々のT-JOY東広島、公開間もなくであり、大シアターの1番です。

 

いやはやというべきか、さすがというべきか、本作は誰にでもすすめられる素晴らしいエンタテイメントになっていました。とくにCGを駆使した本物の東京や鎌倉の街がゴジラにめちゃくちゃにされていくさまはリアルでもあり、不思議と痛快でもあり、実際にその街を訪れた経験のある人間にとっては、よく見慣れた日常の風景が、天によって遣わされた獰猛な啓示のごとく、ゴジラによって破壊されていくさまは誠に痛快であり、おお~この街にまでゴジラが登場したのか!という・・フィクションであるにもかかわらず、まるで実際の報道ドキュメントを観るかのような錯誤に陥りながら、日本政府を中心とした人類のシステムと獰猛な神の使い・ゴジラのせめぎ合いを痛快に観覧させてもらいました。

 

見どころは盛りだくさんで、さまざまな角度からの鑑賞できるよう庵野監督らしい重層的なつくりになっていました。おそらく一度だけでなく複数回見られる方も多いのではないでしょうか?

 

東日本大震災で暴走した福島第一原発のメタファーともいえる放射能を帯びた怪獣ゴジラ、それに対応していく日本の、官邸をトップとした防衛システムがリアルで歯切れがいい(実際の政府の対応は歯切れ悪く禍根の残るものでしたが・・)のはもちろんなのですが、そんな小難しいことを考えなくても、リアルで圧倒的に強力な神獣?ゴジラの存在感、科学的考証としてギリギリありえそうな設定、米国をはじめとした世界の、ゴジラという災害に対する冷徹な反応(なんと首都東京への原爆投下によるゴジラ駆除を提案してくるのですから)、ゴジラ登場とそれに対抗して起動する防衛システムのバックに流れる、まるでエヴァのような沸き立つ音楽などなど・・・、全てが興味深く、迫力に満ちた音と映像に圧倒されながら、さまざまな示唆、思考への刺激も与えられての素敵な映画世界がそこにはありました。

 

本作を観るものはわたしを含め、こうした諸々の情報、思考、快楽の嵐に2時間抱かれながら、陶酔のなかでエンドマークを迎えることになるのでしょう。いやあさすが庵野監督、堪能させていただき有難うございます。

 

次はいまだ終焉を迎えていない、エヴァの新劇場版の続編を心待ちにしております(笑)。

 

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2016年

7月

06日

アリス・イン・ワンダーランド 2

本作を7月に入ったとある平日の夜にT-Joy東広島にて観てきました。原作がルイス・キャロルによる、イギリスの名作「不思議の国のアリス」の続編です。わたしも英語のテキストとしてお世話になった記憶がある作品です。

 

本作では不思議の国がなぜこんな統治体制になってしまったのか?という理由が明かされるとのことで、やはり観ておこうと思い、なんとか時間を調整できました。

 

タイムという名の時間を管理する人物と格闘しながら、赤の女王と白の女王の過去を背景に、マッドハッター(ジョニーデップの役です)が死に別れた家族らを取り戻すというという物語です。

 

なぜ赤の女王と白の女王が仲違いし、赤の女王があんなにひねくれた陰湿な人格に育ってしまった原因が、ワンダーランドのなぞとして明かされますが、「小さな嘘に傷ついた幼き魂のその後の漂流と葛藤」という、イギリスの物語には時折みられる王道ストーリーでした。ふうむ・・なるほどそうきたか~・・・という感じです。

 

まあどうのこうの言って、本作はディズニー印であり、映像としては文句のない出来でした。しかし、映画全体としては、ジョニーデップの毒々しいマッドハッターに徹頭徹尾覆われている作品であり、このマッドハッターと大人になり過ぎてしまったアリスをどう感じるかに、この作品の評価は分かれそうです。

 

正直、わたしはジョニーデップの強烈なメイクと成長してかわいさを失ったアリスにやや違和感を持ちながら、作品を観終わりました。みなさんはどうでしたか?

 

2016年

6月

28日

TOO YOUNG TOO DIE

本作を封切間もなくT-Joy東広島にて運よく観てきました。この6月は、わたしにとってはいろいろとエポックなことがあり、自分自身のブラッシュアップを迫られる機会を得て、映画修行もとんとご無沙汰してました。

 

久々、映画修行再会の本作はあの「あまちゃん」「舞子はーん」の脚本家、宮藤官九郎さんの脚本、監督作品です。

 

タイトルはまさにロックの王道を連想させるタイトルで、ロックミュージカル映画です。わたしはなぜかハイロウズの名曲「TOO LATE TOO DIE」のメロディを頭にエンドレスにかけた状態で、チケットを握りしめ、大シアターにもかかわらず少しまばらな席にひとりつきました。他の映画の予告編を眺めながら、本作はロック映画と言いつつ、クドカンらしい、ギャグとうんちく満載の映画なんだろうな~という軽い気持ちでいました。

 

そして映画が始まり、地獄とこの世の往復の始まりです。封切間もなくなので大画面の1番シアターで正解。おかげで迫力満点の画像と音楽を堪能させてもらい、本作の醍醐味を感じることができました。

 

好きな女の子にキスもできずに死んでしまった高校生が、死ぬ間際の彼女の言葉「わたしもー」の意味を解かなければ地獄にも安住できないとばかりに、人間界へ復帰するためにえんま大王や地獄の鬼たちと悪戦苦闘するバトル。いろいろエピソードがありますが、人間に一度だけ転生したエピソードがよかったです。主人公の「こっからかよー!」が印象的でした。

 

映画の最期にもうおばあちゃんになってしまったひろ美ちゃんにやっとめぐり合うことができ、その言葉の意味を解明し、観ているほうも一安心・・・。言葉で書いてしまうとなんでもないストーリーなのですが、実際の映像と音楽で大スクリーンに見せられるとなかなかいいのです。映画の魔法だと思います。ちなみにテレビ作品だったら大失敗作です。

 

本作の魅力はあくまでも音楽です。ほぼすべてオリジナル楽曲で構成しており、重要場面ごとに、ミュージカル仕立てで、バンドミュージックが大音響で奏でられていくのはとても素敵でした。長瀬くんも実際のバンド(TOKIO)ではやや音量の足らないボーカルですが、映画ではしっかりモディファイされ、いい感じで地獄ロックをがなっていました。

 

青春時代に抱いた、さまざまな情念。女の子への興味、羞恥心、将来への不安、成功への期待などなど・・・うまく言葉では表現できないそんな情念。そんな情念たちを大音響のギターで、ロックミュージックで表現したいと一度は思ったことがあるのではないでしょうか?

 

本作ではそんな夢がスクリーン上に展開されているのです。ベタなのですが、つたないバンドミュージックのシャワーが意外と気持ちいいです。楽曲自体のレベルがどうこうということは簡単ですが、宮藤さんはそこではなく、青春の激情や怨念パワーを鬼と地獄、ロックという媒介で表現したかったのではないでしょうか? 

 

本作において、その企てはぎりぎり成功に終わっていたよね~感じながら、カーステレオでI-PODのプレイリストに入れたお気に入りのロックを大音響でかけながら、わたしも気分よく家路に着いた夜でした。

 

2016年

6月

09日

海よりもまだ深く

本作を6月上旬、日本精神神経学会で千葉幕張を訪れた夜に東京在住の竹馬の友とともに丸の内ピカデリーにて鑑賞してきました。

 

是枝監督はここ数年、「歩いても歩いても」「そして父になる」「海街diary」など一連の作品にも言えることですが、家族というテーマにこだわり続けており、本作もその延長線上にあります。

 

阿部寛さんと樹木希林さんの親子役は「歩いても歩いても」でも表現された配役であり、あの作品はこころに後々まで残る佳作だっただけに期待の作品。

 

最近、なぜかよくありがちな作家崩れの、阿部ちゃん演ずる、だめ男。次元や程度は違っても男なら誰もがシンクロする男性像ではないでしょうか?

 

そのダメ男が、元妻への未練、子供への未練、自分のなりたかったものへの未練、母親にしたかったことへの未練を断ち切れずに悶悶と過ごす日々のなかで偶然に訪れた、元妻、子供、母親、自分との再会の夜。

 

そんな4人が一夜の台風という天の配剤によって、男の育った狭い団地に閉じ込められながら、朝まで濃密な時間を過ごしながら、4人が4人ともさまざまな未練とのお別れをし、新たなスタートラインにたつというたった一夜を詳細に抒情的に描く佳作でした。

 

ラストに残る爽やかな余韻と抒情を少なく穏やかな言葉できりとるハナレグミのせつない唄声。

 

これがまたなかなかいいんです。ラストのこの歌を聴きながら、この映画を観たものすべてが4人それぞれの境遇を自分の人生にそれなりに重ね合わせて、いまの自分の人生の立ち位置を考えてしまう…。

 

終演後、この映画の醍醐味はこの余韻にあるなかな~という感慨を抱きながら、夜の更けていくのを感じつつ、予約してあった銀座「俺のフレンチ」での宴に友と歩いて向かい、おいしい料理の数々に舌鼓を打たせてもらいました。

 

2016年

5月

27日

ルーム

5月の暑い昼下がりにサロンシネマにて本作の修行に行ってまいりました。本年度アカデミー賞主演女優賞に輝いた話題作でもあり、問題作です。

 

母は7年、子供は5年監禁された生活を送った小屋(ルーム)。まるで手塚治虫先生の「奇子」の納屋のような空間です。そのルームで生まれて5年とこのかた、まったく外の世界を知らず、テレビのなかの平らな疑似現実的世界と自分の住むルームの現実しかしらない5歳になったばかりのジャック。彼らがついに外の世界に脱出するまでが物語の序盤です。ここでハッピーエンドかと思ったらとんでもない。ここからが母子の苦難の始まりです。

 

そんな残忍な事件後の母子の再生物語とみるとこの物語は切なく美しいです。

理不尽なまでに時間と空間を奪われてきたふたりがとまどい、ときには泣き傷つきながら新たな世界で再生していく過程で、さらに親子として人間として成長していくふたり。

 

映画ラスト近くで母子が犯行現場であるルームに一度だけ戻り、こんな狭い空間だったのだと今さらながらに驚きと嘆きの渦潮に母親が包まれる隣で、ジャックのルームへのお別れの儀式が始まります。

「バイ、チェアワン・・」「バイ、デスク・・」「バイ、スカイライト・・・」

これにはさすがのわたしも絶望のどん底から少しだけ心が引っ張り上げられました。こんなひどい事件現場なのに、ジャックにとっては生まれ育ったまさに母なるルームであり、そこからの決別&旅立ちの儀式が次の世界へ進むには必要であったわけです。このシーンの救いは、やがて訪れるであろうさまざまな苦悩(特に犯人でもある父親の存在の矛盾とその子でもある自分自身の否定へと繋がる葛藤は傑作小説「氷点」の苦悩とも重なります)もこの儀式の日が心にある限り大丈夫なのでは?・・なんて考えたりもします。決してそんな安易なものではあるはずもないのでしょうが、ほろりとさせる本作随一の名場面だと思いました。

 

一方で傑作「チェンジリング」でも表現されたように、世界には拉致監禁事件が後を絶ちません。日本でもつい最近そんな事件が明るみにでました。わたしなどは、フィクションであるこの物語が原作も含めてここまで世界で共感を得られたということは本作のような話は巷に起こりうると誰もが信じていることにほかならず、世界はなんて多くの哀しみに満ち溢れているのだろう・・という気にもなり、こうした犯罪をなくすには個人の利得や欲望を優先する西欧個人主義からの旅立ちが必要なのでは・・なんて考えたりしました。

 

いろいろまだ書きたいこともありますが、長くなったのでここらで筆を置きます。しかし上の感慨もわたしの個人的一感慨にすぎず、いい映画である本作は当然そんな一面的な見方を許さず、さまざまな視点で語ることが可能な作品であり、テーマであると思います。そういう意味ではぜひ一度観ておく価値のある作品ではないでしょうか?

でも10代の若者たちにはさすがに推薦できないかな~(*_*)

 

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2016年

5月

16日

アイアムアヒーロー

本作をGWも終わった平日の夜、T-Joy東広島にて観てきました。漫画原作が有名な本作。漫画原作は20代の年若き友人に数年前に薦められ、買ってはみたものの、どうも絵柄が好みに合わず、まだろくに読んでいないという反省もこめての鑑賞となりました。

 

いやはや観終わって、その映像のど迫力にびっくり呆然としたりしました。こういう残虐エンタテイメントだったとは知りませんでした。でも原作は背景も含めて、もう少し哲学的な作品なのかな?とも思いました。

 

ただただよ~く考えてみると、本作って1年前に映画化もされ話題になった「進撃の巨人」と構造がほぼ重なるのでは・・?本作のゾキュンが大型化すれば「進撃の巨人」の巨人です。

どちらもいま流行りの理不尽なまでに恐怖感を煽る異形の生物がわけもわからぬうちに誕生し、人間社会を破壊し。それにあがなう人類をテーマにしており、「寄生獣」「GANTZ]などもこの系譜になると思います。

 

しかし、それに気づこうが気づくまいが、ゾキュンの残虐さや殺戮の映像的迫力はたいしたものであり、R15指定を受けたのも当然の出来でした。痛快&残虐アクション好きならば必見の作品です。

 

本作のなかで感心した点があるとすれば、主人公の大泉洋の存在でしょう。一歩間違えたら、残虐さばかりが目立ち、映画館を出れば真っ先に記憶の隅に追いやられそうな内容の作品にあって、彼の普通さとほっとさせる軽妙さは「血の池に一輪のひまわり」ともいえる存在となっていました。阿部ちゃんと同じく、大泉洋も素敵な役者になったものです。

2016年

5月

05日

マネーショート

本作をGW休みの昼下がりに運よく修行できました。もう全国的にはとっくに終映の作品でしたが、見逃した無念さもあり、広島映画界の良心サロンシネマでのアンコール上映にてやっとのこさ修行することができました。

 

最近、映画プロデュースにも熱を入れるブラッドピットプロデュースの作品でもあります。彼プロデュースの作品としては以前に野球を題材にした「マネーボール」という傑作もあります。両作品とともタイトル、内容ともにマネーへの強い愛着と反発が感じられる作品です。

 

さてさて本作の内容ですが、これは経済に詳しい人でないとしっかり理解するのが不可能ではないか?という複雑な経済原理をもとに、魑魅魍魎が渦巻く金融の中心ウォール街にて、当時サブプライムローンの危険性と投機性にいち早く気づいた、金融業界に蠢くさまざまなアウトローたちがアップダウンしていくという内容で、その原理が理解できなくても彼らの焦り、喜び、憂いに溢れた一挙手一投足を画面一杯に感じながら、観客としてゾクゾさせてくれる興味深い作品でした。

 

タイトルは忘れてしまいましたが、以前に数学的論理と集団いかさまを駆使して、ラスベガスを相手に大勝負を繰り広げ、大儲けした実在のMITの学生をモデルにした映画を思い出したりしました。本作同様にスリル抜群でワクワクさせる痛快勝負師ものでした。

 

こういう作品は事実だからいろいろ考えさせられますが、こうした経済的理論を時間があれば理解してみたいという気にもなったりしましたが、現実にはとてもそんな時間は自分にはなさそうということもわかっており、もうこういう面白そうな世界と自分は遠くなったのだ・・という妙な感慨にふけったりもできるシュールな内容でした。

2016年

5月

03日

モヒカン故郷に帰る

GWのある日にサロンシネマにて本作を修行してきました。広島県呉市が舞台の地元ムービーであり、必見の作品でした。

 

映画自体は松田龍平はじめ豪華な俳優陣を起用した、ほのぼのあったかなホームコメディであり、この内容についてとやかく陳述することは野暮なのでしません。

 

わたし自身としては、個人的に毎年のように夏に海水浴で訪れる呉市蒲刈町がロケ現場となっており、さてさて知っている場所がどれだけ出てくるかな~?という興味で観させていただきました。

 

結果ですが、重要な舞台である学校や病院、海岸などもほとんど同定でき、すっかり広島人に自分もなったものだ・・という感慨に浸りながら映画館を後にしました。

2016年

4月

29日

エヴェレスト 神々の山嶺

本作を診察が終わった夜にひっそりと地元T-Joy東広島にて鑑賞してきました。原作の小説もそうですが、漫画化もされ、東広島市内の書店でもしっかり平積みされていましたので、そんなに面白いのか~?との想いもあり、4月の終わりにやっと修行できました。

 

一方で、エヴェレスト・・この映画は何としても観ておかなければならない個人的こだわりもあったりします。四季の心クリニックの電話番号をごらんください。こだわりの一端を垣間見ることができるはずです。それはともあれ、この山の標高だけでなく、神々が宿っているかのごとくの人を寄せ付けない崇高さは子どものころからのわたしのひとつの憧憬の対象でもありました。

 

そんな憧憬と期待の本作ですが、好き嫌いは別として、俳優たちの熱演と実際のエヴェレストの大自然の圧倒的な画像、小さな人間たちの執念と格闘シーンを大スクリーンで感じれただけで、もう満足という出来でした。V6の岡田くんはいまや立派な役者であり、阿部ちゃんはもうちゃらちゃらしたメンズノンノのモデルという過去などどうでもいいぐらい、存在感のある素晴らしい男優であり、同世代の誇りにいまやなっていることを確認しました。

 

おそらく本作は、映像の迫力といい、作品のスケールの大きさといい、ロケの困難さ(実際のエヴェレストの標高5000mでの撮影だったそうです)といい、邦画隆盛時代のひとつのモニュメントになると思われます。

 

いろいろ書きましたが、本作の一番の見どころを挙げるとしたら、エヴェレスト中腹に座す阿部ちゃんの凍ったデスマスクではないでしょうか?

日本人離れした、まるで縄文人がよみがえったような彫の深い顔立ちは、純粋弥生系顔貌のわたしなどからしたら、エヴェレストに負けず阿部ちゃんも素晴らしい憧憬の対象だったりします(笑)。

 

2016年

4月

26日

女が眠る時

本作を遅まきながら、T-Joy東広島にて修行してきました。実は本作は、わたしの映画歴のなかでも見逃してはいけないと肝に銘じていた作品です。

 

というのも本作の監督はウェイン・ワンなのです。誰それ??という方も多いと思いますが、1990年代中盤にニューヨークを舞台にした傑作「スモーク」を撮った監督なのです。「スモーク」はわたしがささやかな映画ファンになるきっかけになった作品群の間違いなくひとつを形成する作品なのです。年の瀬、クリスマスを祝うムードのニューヨークの街角に訪れた小さな奇跡をささやかに描いた「スモーク」はいまでもわたしの心につきささり、クリスマスはもちろん年から年中、少し気持ちが世知辛くなったときに思い出すだけで、心をいやしてくれる素敵な作品です。

 

そんな傑作「スモーク」を撮ったウェイン・ワンが日本を舞台に日本俳優を使って撮った本作を見逃すわけにはいかないというわけなのです。

 

で、本作ですが、これがまた難解な作品でした。北野武演ずる老年の男とその孫に近い女性の不思議な関係。まるですべてが夢のなかで、起こっているような非日常な感覚。都会からやや離れたリゾートホテルで偶然目にした、怪しげなカップル。そんなふたりに幻惑され、魅了されていく、デビュー作はヒットしたものの、二作目以降はスランプに陥った作家崩れで、今が旬のイケメン俳優西島秀俊演ずる清水。

 

幻覚なのか現実なのか境が不明瞭で怪しげな世界に身を投じながら、身も心もおぼれていく主人公をカメラが追いかける本作。これが不思議なことに、まるで自身の体験として、子供のころのうつろげで奇妙な記憶をまさぐられるような不思議な感覚に浸り、とまどいを覚えながら、時間が漂い、気づけば映画はエンドマークを迎えます。おそらく本作は誰もがもつ心のくすぐったい部分にそっと触れ、刺激を与える要素を持っているのではないでしょうか?

 

わたしのような人生経験豊富?な中年おっさんが観ても、不思議な感覚にとらわれるのだから、おそらく本作を鑑賞した方はみなキツネにつままれた奇妙な感覚で映画館をあとにするのだろうな~と思いながら・・、でも映画ってこういうのもありだよね・・なんて久々の浮遊感覚に内心にんまりしがら、映画館を後にした中年おっさんの映画ファンが春の宵のなか、帰宅の途に着いたのでした。

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2016年

4月

17日

スポットライト

日本公開直後の4月15日に運よく、アカデミー賞作品賞(オスカー最高の賞です)の本作を広島市内の八丁座にて観てきました。

 

わたしはアカデミーよりはカンヌの作品賞であるパルムドールの受賞作のほうがはずれなしとは思っていますが、それでもオスカーの作品賞の修行ははずせません。土曜日にちょうど夜に講演会が広島市内にあったついでに馳せ参じました。

 

本作のテーマは重いです。何百人のカトリック神父による信者の何千もの少年たちへの性虐待を地区教会のトップである枢機卿が自ら隠ぺいしていたどころか、多くの問題神父を世界じゅうに転勤させ、世界各地で何十年にもわたり、性的虐待の犠牲者をカトリック教本部自体が放置どころか拡散してきたのでは?・・・という疑惑にボストンで気付いた記者たち(ボストンはカトリック教の牙城で記者たちの大部分もカトリック教徒)が、教会や周辺利権者(弁護士たち)の妨害や脅しに遭いながら、真実を明らかにしていく。かつてウォーターゲート事件を暴いたジャーナリストたちの活躍をモチーフにした「大統領の陰謀」の再来のようなテーマの映画です。

 

実は本作は前半は話がかったるく、はっきりいって眠くなります。ただ徐々に問題の全貌が明らかになってくるにつれて、目が離せなくなります。ほんとは10年以上前にきづくヒントがあったのに見逃していた記者自身のこころの葛藤と正義の探求への渇望が、さまざまな障害を乗り越え、問題の表面化へ徐々に近づいていきます。そしてこれからというところで、映画は終わります。このあとはどうなるだろうという疑問にかられてわたしは迷うことなく、本作のパンフレットを購入してしまいました。こういう問題の起こるキリスト教社会にあきれるとともに、これを暴くアメリカ社会。社会の病気と嘆くべきか、ジャーナリズムの健全とたたえるべきか、とまどい逡巡してしまいます。

 

最近のアカデミー賞の傾向ど真ん中にある、バリバリ社会派の映画です。でもこれって10代の子たちはテーマも含めて、あまり楽しめないのでは?なんて変な考えが頭をもたげながら、映画を見終わり、足早に講演会場に向かうわたしがいました。

 

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2016年

4月

08日

クリニック 3周年

すっかり春ですね。春と言えば、四季のこころクリニック開院の季節です。

 

4月8日。明るいスタッフや優しい患者さんらをはじめ、いろいろな方のお世話になり、クリニックも着実に成長し、ついに満三歳になりました。この間、本当に驚くほどさまざまな人に出会い、お世話になり、誠にありがとうございました。

 

診させていただいた初診患者さんの数は3年で2000人に届こうという状態であり、そんなに多くの方と人生の途上に医療というフィルターを通して出会ったわけで、ほんとにありがたく、こころの旅路を歩む途上ときにつまずかれた人のために、自分はこれからも微力ながらも鍛錬し、力になって行く想いを新たにしています。

 

そして春は別れの季節でもあります。今年の春も気心知れ、語り合った人たちが、全国各地に旅立っていきました。さびしい想いもしますが、同じ日本にいる方がほとんどであり、(ひとり中国に旅立った方もいますが)会おうと思えば会えるわけで、生活する場所は違えど、お互い与えられた場所で懸命にやっていけば、また出会えるだろうという信念をもって頑張っていく所存です。ぜひお互い頑張りましょう。

 

3周年のお心配りをしていただいた方々にはこの場を借りてお礼を言わせてください。いつもクリニックのことを思ってくださって、ありがとうございます。

 

風の噂ではクリニック立ち上げの際にお世話になった、総合メディカルの丸山さんはなんと福岡支店長になられたとか・・。素晴らしいことであり、わたしもなにか昇進のような形になるものはありませんが、日々の診療に全力で向かっていくことで、地域、ひいてはこの世界に貢献しようと思います。

 

これからもクリニックともどもわたしやスタッフたちをよろしくお願い申し上げます。

 

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2016年

4月

05日

ドラえもん のび太の日本誕生

年度末は初診察の方が多く、思った以上に忙しく、このブログもずいぶん間延びしたものになってしまい、申し訳ありませんでした。もしや楽しみに読んでいただいている人がいたら、毎回更新されていないので、もうやめたのかな?・・・なんて思われたのではないでしょうか?でも安心してください。4月からはまた元気一新ブログもしっかり更新していこうと思います。今年度はクリニックもついに4年目に入りますし、映画のことだけではなく、日々の想いなども綴ってみようと思っていますので、ときどきのぞいてやってください。

 

さて久々の映画修行は、T-Joy東広島にて懐かしい藤子不二雄先生のドラえもんの修行に行ってきました。いくら映画好きといってもこんな子供向け作品まで観るとは・・・なんて言われそうですが、わたしにしてもドラえもん映画はハッキリ言って初めての体験なのです。どうしてそれなのに本作を観る気になったかというと、昨年「STAND BY ME ドラえもん」をテレビで偶然見て、ありゃありゃ結構いいし、泣けるじゃない~、これなら大人が見ても十分鑑賞に堪えれるレベルだ・・・との感慨をもち、都合があえば鑑賞してみようと思っていたのです。

 

本作は以前の原作のリメイクのようでした。日本誕生というタイトルでどんな展開を見せてくれるのかなという期待をもっての鑑賞となりましたが、やや安易な展開でわたしのようなおやじがうなる作品にはなっていませんでした。この原作が日本誕生のルーツだとすると、中国からの移民が日本民族のルーツということであり、原作自体はかなり前のものであり、現代ののっぴきならぬ中国との関係がまだなかったころのものでしょうが、もう少し日本神話との結び付きでアマテラスやスサノオなどを引用すれば面白いのに・・なんて考えながらみてしまう自分がいました。

結局、現代の政治的状況に頭を奪われがちの中年おやじのわたしはまったくこの作品のよさを理解できなかった気がします。

 

本作の正当な楽しみ方はやはり、のび太がつくった3匹のファンタジックなかわいいペットたちの成長と突然のお別れに、うるっとこころ奪われるべき映画なのだろうなと思いながら、いま藤子F不二雄先生が生きていたら、同じテーマでもっと面白いものを作られるのでは・・考えながら、惣菜をフジグランで買い、家路につきました。

 

2016年

3月

17日

白鯨との闘い

春とはいえ、まだまだ肌寒い、忙しい年度末の夜ふけに、T-Joy東広島のシアター1にて本作を鑑賞してきました。

 

懐かしい少年時代に読んだメルヴィル原作「白鯨」のインサイドストーリーである「白鯨との闘い」をあの「ビューティフル・マインド」のロン・ハワードが映画化した本作ですが、思わせぶりな衝撃の真実がどんなものだろう?という想いで比較的すいた劇場中央の席にてひとり鑑賞しました。

恐ろしく大きく、頭のよい白鯨を捕まえようという漁師たちの苦難と闘いの連続が、大海原の雄大な自然を背景に素晴らしい大迫力で展開されており、画面の雰囲気はさなから「パイレーツ・オブ・カリビアン」の進化版のようでした。

 

そして肝腎の真実とは・・・これはこれから観る人のためにはばらさないほうがいいでしょうね。ヒントは日本の名作である武田泰淳作「ひかりごけ」と同様のテーマであり、人間のタブーとしてこのテーマは世界中至るところにあるのだ・・・という感慨をもって、映画館を後にしました。

 

2016年

3月

01日

オデッセイ

先日、例によってクリニックの診療が終わり、ぼけた頭を抱えたまま、夜更けのT-Joy東広島にて本作を観てきました。もちろん大スクリーンの6番です。

 

火星探査中のアクシデントで火星にひとり取り残された男がなんとか地球へ帰還するために、いろいろな科学的知恵を働かせて、最後は感動的な帰還を果たす・・SF好きにはよくあるテーマです。

 

わたしにとっても、かつて同様のテーマが手塚治虫先生や藤子不二雄先生による、キラ星のごとく輝く傑作短編SFのなかで、何度も同様テーマに触れた経験があるわけで、テーマそのものには新鮮味はありませんでした。

 

しかし、本作で特筆すべきことは、リドリー・スコット監督のまるで火星を思わせる素晴らしいリアルな科学的?セットと一見リアルな宇宙映像ではないでしょうか?火星や宇宙空間の現実はもっと過酷な状態では?なんて天文素人のわたしでも??と思いつつ、でも目の前に展開される圧倒的な映像迫力による説得力の前で

「うーん、これが火星の現実かも(゜-゜)・・・」なんと思わされてしまいます。これは映画館の大迫力で観るべき作品です。

 

さすがかつて「ブレード・ランナー」で世界を驚愕させた監督の手腕はいまの健在というわけです。

 

リアルで想像力あふれる映像は素晴らしいの一言でSF好きならまずはチェックの作品でした。でも本作でふと思ったのは、後半からNASAが中国の宇宙開発局と協力しながら、救出ミッションを果たすことです。いまや無視できない中国映画市場へのリップサービスともとらえられますが、どうやら原作自体にそれがあるとか・・・。

それを考えると本作の若いアメリカ青年の意識としても、こうした宇宙ミッションのパートナーはいまや日本やロシアではなく、中国ということ・・・? 

ふーむ、そういう現代は時代なんだな~と思いながら、車のステアリングを握りながらひとり帰路に着きました。なんだかやや複雑な心境にさせてくれた本作でした。

 

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2016年

2月

10日

ブリッジ・オブ・スパイ

スピルバーグ監督待望の新作「ブリッジ・オブ・スパイ」をT-Joy東広島にて観てきました。最近の彼は製作・総監督や監修というクレジットは結構目にしますが、自らメガホンをとり、制作および監督する作品は貴重であり、脚本はあのコーエン兄弟であり、満を持しての本作となります。

スピルバーグ監督作品は近年、歴史や実話に基づく作品が際立っており、本作もその系譜になります。

 

物語としては、アメリカとソ連との冷戦時代に両国の間でスパイによる情報合戦を繰り広げていた時代に実際に起こった、実在のスパイ交換事件を緊迫感あふれるタッチで描いた作品です。

 

捕らえられたソ連のスパイをアメリカ人として弁護するという損な役回りを押し付けられながらも「国籍や信条に関わらず、人は正義に基づいて裁かれるべき」との信念の下、弁護を引き受けたことに端を発し、その後はなんと両国にそれぞれ捕らえられた米ソ間のスパイの交換交渉を引き受けながら、東ドイツにとらわれた一般学生までをも救出するという離れ業を成し遂げる、保険業務専門の一介の弁護士、ジェームズ・ドノヴァン。彼がその偉業を達成していくまでの足跡をスピルバーグ独特の映像のマジックで表現しています。

 

わたしが相変わらず素晴らしいと感嘆したのは50年代のアメリカやベルリンの風景を見事に再現していることです。スピルバーグは彼自身のこだわりでデジタル技術をあえて使わずに実際の現物でロケをしているとのことであり、アメリカや東ベルリンの50年代当時の街角(50年代のニューヨークの街の再現にはブルックリンに巨大セットを組んだそうです)や銀幕のなかを実際に縦横無尽に走る50年代の自動車たち(これがまた名車が多いんです)だけでも、よくこんなに集めたな~と感心しました。映像ですが、さすがに豊穣というかまったりとというべきか、絹のようにきれいでありながら情報盛りだくさんという映像がこれでもかというぐらいに展開されており、一回切りで観終るのが惜しいとも思える作品になっています。

 

映像も素晴らしいのですが、個人的レベルで一番ぐっと来たのは、「人はときには私的利得からは離れても、公のため、国のため、自らの信条のための行動選択をしなければならないときがある」ということがうまく表現されていることでした。

 

というのは、当時ドノヴァンは家族におよぶ危険のことを考えれば、ソ連のスパイを弁護したり、ベルリンまで乗り込んで、スパイの交換をするなど一民間人がこなすにはとんでもない依頼であり、その依頼を断れば済む話なのですが、断らずにあえて火中に栗を拾うような仕事にのめりこんでいく。誰かがやらねば、この国が危ない、公が危ないという状況はあるわけで、私的にはしんどくなることがわかっていながら、やるべきと感じた公の仕事を信念をもって達成していく彼の後ろ姿には考えさせられました。

 

まさに義の漢(おとこ)です。

 

わたしなども彼と比べれば、まったく矮小ながら、日ごろ公の仕事に従事していますが、本作を通じてあらためて人間の行動においては、公私にわたるバランス感覚が大事なんだなと本作を観て感じたりしながら、まだまだ冷え込みの激しい2月の東広島の凍えそうな夜の月の下家路に着きました。

 

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2016年

2月

01日

信長協奏曲

本作を封切間近の週明けの夜にT-Joy東広島にて観てきました。まったく前情報のない状態での修行となりましたが、歴史好きの小生にとっては痛快な作品であり、それはそれで充分に楽しませてもらいました。

 

なんでも原作はコミックで累計350万部も売り上げているとか。この数字がコミックの世界でどれだけの価値があるのかわたしにはピンときませんが、小説と比較すれば莫大な売り上げであり、他の漫画原作の映画化作品にも言えることですが、かつての漫画好き(漫画家になりたいと思っていた時期もあった漫画マニアでした)であったはず?の自分も随分と時世に取り残されたものだという想いをいつも強くさせてくれます。

 

織田信長という存在が現代の高校生がタイムスリップして元の織田信長と入れ替わり替え玉をして歴史を作っていたら・・・という一見奇想天外な物語。

 

くわえて、元の織田信長が明智光秀に身をかえて、サブロー信長の家臣になっていたり、豊臣秀吉がかつて、両親兄弟を若き日の元の織田信長(サブローが替え玉になる前)によって、村ごと焼き討ちにあっており、その復讐のため信長を殺すことを狙っているなど、ちょっとやりすぎの荒唐無稽な設定なのですが、ただひとつ史実としっかり重なる点があります。

 

それは「乱世を戦のない平和な世の中に導きたい」という織田信長&主人公サブローの想いです。歴史上、織田信長は結構誤解されているのですが、室町時代から延々と何十年も続いていた戦国の世を、武力が横行しない平和な世界に導きたいという想いの人物であったことは歴史的にはほぼ確定されています。

その方法として、信長の生涯のテーマ「天下府武」があったわけです。これは乱世をとりあえず武力によって平定し、その後武力を行使しない平和な天下の招来を導くといった理念です。

 

どこかの国の政党のように「平和、平和」と唱えているだけでは戦国の世を平和に導けるはずもなく、リアリスト・信長らしい理念でしたが、本能寺の変にて信長は志半ばに倒れ、その理念は家臣や後輩に引き継がれていくことになります。豊臣秀吉の刀狩り、徳川家康の天下泰平はまさに天下府武の延長であり、その実行なわけです。

 

本作は信長のそうした根本的な部分はしっかり維持しているので、安心して楽しむことができる楽しい娯楽大作となっていました。

 

本能寺の変というのはいまだに謎が多く、議論の余地がある事件でたいへんに魅力的なテーマなのですが、本作でも本能寺の変までの過程をうまく想像の羽根をはためかせ、物語を紡いでおり、好感をもちました。本作を機に自分の国の辿った道をもっと知りたいという子どもたちが増えればいうことなしです。

 

そういえば、この文章を書いていて思い出したのですが、本作とテーマが相似形の作品が、わたしが小学生のころにもありました。まさに織田信長の天下府武への闘いとタイムスリップをテーマにした角川文庫&角川映画「戦国自衛隊」という名作です。もし「信長協奏曲」に心酔している若者ならば、「戦国自衛隊」も素晴らしいのでDVDでもいいので観てみることをおすすめします。そしていつか両作品について語り合えれば素敵ですね。

 

2016年

1月

18日

人生の約束

正月明けの慌ただしさがやっと一段落した、週明けの夜に本作をT-Joy東広島で観てきました。

 

富山の新湊を舞台にしながら、江戸時代から伝わる曳山祭を横糸に、かつて仕事上での見解の相違をきっかけに袂を分かった親友との友情を縦糸に、ていねいに織り綴られた、人と人との物語でした。

 

監督はかつて、昭和のテレビドラマの傑作と誉れ高い「池中玄太80キロ」の演出を手掛けた石橋冠。このドラマの放映当時わたしは中学生ぐらいだったと思いますが、北海道の雪や原野でのシーンが心に残る人情あふれる物語だったような記憶があります。西田敏行さんの出世作でもあり、人生の一作になった作品ではなかったでしょうか?

 

物語自体は日曜名作劇場的ないつか見たデジャブ的な展開を見せるものの、こうしたありふれた物語のなかにこそ、物事の真実が潜んでいたりするわけで、心を確実に温めてくれます。

 

本作で特筆すべき点は映画の舞台となる街や自然の風景です。

 

富山射水市の人々の間を流れる川や横たわる海、壁のように屹然とたっている立山連峰の風景が素晴らしく、わたしなどはそこに心を奪われてしまいました。

 

富山はわたしが敬愛する藤子不二雄先生らの故郷(高岡市も素敵な街ですよね)でもあり、あの「まんが道」でも悠然とダイナミックに描かれた立山連峰を久々映画ならではの大迫力の映像で会いまみえることには、いささかのノスタルジックな郷愁をわたしの胸に吹かせてくれました。

 

わたしの勝手な想像ですが、寒い日本海と険しくはだかる立山連峰に囲まれた狭隘な土地で人生を送ることは、まさに始終厳しい自然と相対することであり、その分だけ人と人が繋がり協力しあわなければ生きていけなかったからこそ、こうした熱い祭が現在も熱く続いているのでは?なんて思ったりしました。

 

そういえばわたしの郷里にも「いしどり祭」という大きな太鼓や鐘を備えた山車を子どもや大人が分け隔てなく一日中街じゅう引きずり回す祭が秋に行われています。

故郷を離れてはや30年近くがたとうしているわたしにとっては、同じ時間だけご無沙汰しているのですが、またいしどり祭に参加してみたい気持ちになりました。

 

そうした意味でも本作はありがたく、観終ったあと感謝したい気持ちが残る映画となりました。土地や人との絆の大事さと教えてくれる素敵な作品であり、殺伐とした気持ちに陥いりそうなときにぜひおすすめだと思います。

 

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2016年

1月

05日

新年にあたって

新年あけましておめでとうございます。

みなさんはいかがお過ごしでしたか?わたしのお正月は恒例の故郷への短かい帰省を果たし、温泉に入ったり、懐かしい大切な人たちと旧交を温めたりと新年らしい時間を過ごしてきました。

 

いつも毎年この時期が近づいてくると楽しみにしている時間ですが、そのお正月はあっという間に過ぎ、気づけば帰路に着いています。そしてまた新たな年の日常の時間が始まります。

 

今年はリオ・オリンピックがあったり、なにかとイベントが多そうな年ですが、広島のスポーツも昨年のサンフレや世羅高陸上部のように頑張ってほしいものです。

 

わたしも日々精進を重ね、医療を通してみなさんのお役に立てるよう頑張っていく所存です。本年もよろしくお願いいたします。

 

2015年

12月

30日

母と暮らせば

本作を本年最後の鑑賞作としてT-Joy東広島にて鑑賞してきました。二宮和也さんは嵐のメンバーとしてよりも俳優として以前からがぜん注目の方ですから期待も高まっての鑑賞となりました。

 

一言でいえば、長崎を舞台にした、原爆で一瞬に死んだ、医学生だった息子が母親に幽霊となって会いに来てしばらくともに暮らすといった物語です。現実の世界には年老いた母親とかつて結婚を約束しあった、まだ若い恋人がいます。いまはもはやこの世のものではない息子。それでも想いは残っており、残された家族、恋人への想いが深ければ深いほど残酷に横たわる現実。恋人には会えない幽霊だけれど、母親にはしっかりと会える・・・というそのわけは本作のラストへの布石となっています。

母親自身がすでに息子の待つ世界に近づいていたという事実をもって本作が締めくくられていきますが、やはり本作最大の感傷は、原爆の悲惨さ、戦争の愚かさへの示唆ではないでしょうか?

 

本作はあくまでもフィクションということは理解していますが、この物語と同じような家族や恋人の物語はおそらく広島にも長崎にも、また大空襲を受けた東京、大阪、名古屋といった都市には無数に存在したはずで、本作を観ると、いやがうえにもそれらへの遥か遠くの過去への切ない想いに辿り着きます。

 

もちろんわたしもいろいろなことを学び、当時の日本がなにを好き好んであの戦争に突入していったわけではないことは知っています。それでもこの原爆投下という無辜の市民を巻き込んだ最悪の戦争犯罪を止められる術はなかったのか?という想いにかられました。

未来において我々は二度とこうした戦争に向かうことだけは避けたいものです。

 

それにしても二宮くんは素晴らしい演技でした。悲しい表情のなかにユーモアや儚さをうまく表現した演技はぐっとくるものがあり、彼の映画作品をもっともっと観たいと思ったのはわたしだけではないはずです。今後さらに期待です。

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2015年

12月

17日

リトルプリンス☆星の王子さまと私

本作を封切間近のT-Joy東広島にて鑑賞してきました。当映画館の最も大画面の1番シアターです。

わたしの親友が小学生時分に本作の原作である「星の王子さま」をいたく気に入り、わたしに朗読してくれたことが記憶に残る名作を下敷きにしたその後の世界を描く作品です。

 

ところがびっくり大シアターの1番シアターにわたしを含めてたったの2人しか入っていません。深夜ではなく夕暮れどきからの上映にもかかわらず・・・。こんなことは初めてのことです。そんなやや不安な出だしではありましたが、アニメーション自体はここ最近のマリオネーション・アニメであり、リアルな星の王子さまには感心しました。ただ残念なことには、その後の王子さまの姿や物語があまりに夢がなく、これではかつてのファンも憤慨するであろうし、原作を未読の方からは「それで・・・?」と言われてしまいそうな出来でした。これは非常に残念なことです。

 

本作を観終って思ったのですが、本作はそれでもかつての「星の王子さま」を見事にマリオネット・アニメーションとしてよみがえらせており、いっそ粗末なアフターストーリーなどつけず、原作そのものの完全アニメーション化で勝負すれば、もしかしたら大ヒットだったのでは・・・なんて思いながら、やや入りの寂しい映画館を後にしました。

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2015年

12月

11日

黒衣の刺客

年末の暮れなずむ夕暮れ時に本作をサロンシネマ1にて修行してきました。カンヌ国際映画祭監督賞受賞・・・。ふむふむ・・これは観ておかないと思い、映画館に入りました。

 

物語は刺客として育てられた女性が成長し、かつての許婚であった暴君である、その土地の統治者を暗殺に行くものの、情にほだされトドメをさせない・・・といった葛藤を描いたシンプルなものでした。少し、「あずみ」という小山ゆうの傑作漫画を思わせるプロットです。

 

本作はそうしたありふれた物語よりも登場人物の心の動きと身体の動きを静と動というコントラストのなか、あくまでも映像という手段で魅せきろうとした監督の意欲に圧倒される作品でした。

しかし、本作は映像美はあるものの、作品構成そのものが見せ場をつくらず、あえて全体の統一感を映画として提示した、貴重な宝石のような作品といえ、よほどの映画ファンでないと受け入れにくい作品だと感じたのはわたしだけでしょうか? まさにコーエン兄弟をはじめとした審査員が監督賞に選ぶ映画通好みの作品でした。

2015年

12月

08日

カプチーノはお熱いうちにー

本作を秋の深まりのなか、サロンシネマ1にて鑑賞してきました。

カフェで働いていたエレナが、ゲイの友人と新しいカフェを立ち上げ、成長していくなかで、思わず人生の嵐に巻き込まれた末に、大切なものにきづいていくというイタリアの爽やかでほろ苦いライフストーリーです。南イタリアの陽光がまぶしい街レッチェにて、それぞれの人生や悲劇が交錯しつつ、決して暗くはならない・・イタリアンウェイが素敵な映画です。

 

わたしもイタリア好きのひとりですが、観終わった後に心に爽やかな風が巻き起こる感覚が残ります。主人公の親友である、ゲイのファビオがいい味だしています。誰もがエレナにぴったりと感じているのに、男女としては結ばれえない。しかし、それ以上に精神的な魂のつながりが存在している関係が印象的です。

 

個人的には映画用とは思えない、ガソリンスタンドのような建物がおしゃれなカフェに実際に変貌したことに驚きました。あんなカフェが東広島にもあれば素敵ですね。

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2015年

12月

01日

ヴィンセントが教えてくれたこと

本作をはしご鑑賞で、サロンシネマ1にて観てきました。予告編が印象的だった、痛快悪おやじと気弱ないじめられっ子の友情物語です。

そういえば、前作「サヨナラの代わりに」も女性の友情物語であり、友情というのはいまも昔も尽きることがないテーマですね。


物語は、アメリカの田舎街のなかではちょっと有名な悪漢ヴィンセントが、弱くて気難しい小学生オリバーを預かることになったものの、小学生を競馬場や夜の酒場に連れていったり、いじめっ子とのけんかに介入したり、同居している妊娠ストリップ嬢(ナオミ・ワッツが演じています)とオリバーの前でも大喧嘩したりで、まったく意に介さず暴れまくり。なんだかどこかで観たことのある感じの展開です。


しかし、そんな悪漢ヴィンセントには普段は決して表に出さない苦、重い悩を抱えているという側面があり、それを偶然知ったオリバーはさらにヴィンセントを知ろうと研究テーマにまでしていく。ほろっとさせながら、ギャグ満載の楽しい一作です。ストレスがたまった心と体にはちょうどいいカンフル剤となってくれる作品に仕上がっていました。日頃ストレスが溜まっている方にはおすすめの作品でした。

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2015年

11月

25日

サヨナラの代わりに

先日、八丁座にて本作を鑑賞してきました。サロンシネマグループが毎月発行する広報誌「エンドマーク」の11月号表紙を飾っており、当然必見の作品となります。

いわゆる最近一ジャンルを形成しつつある難病物語です。本作でも何不自由なくセレブ生活を謳歌していたケイトに訪れた難病ALS。古くはルーゲーリック、新しくは徳田虎雄といった方がかかった、「徐々に進行し、筋肉(最後は呼吸する筋肉までも麻痺します)が自分で動かせなくなる治療方法のない疾患」です。


ケイトも自分で排泄さえできなくなるという状況に陥りながら、自分のことを本当に代弁してくれる介護士を探しだします。それが一見自由奔放、悪く言えばいい加減でおおざっぱな、大学を中退したばかりのベック。最初のころはけんかばかりのふたりのなかに、徐々に芽生えていく絆。


ベックはベックで、社会不安障害的な症状に悩まされており、それらの克服をしながら、ついにくる別れのとき。サロンシネマ1では、映画の終わりごろは女性のすすり泣きが起こるほどの切なさとともに、観終ったあと、「ケイトの最後の1年間は本当の友だちをもてて、悔いがなかったのでは」とも思われ、爽やかな気分にもさせてくれる映画でした。


ちょっと前のフランス映画「最強のふたり」の女性版ともいえる内容の本作ですが、女性特有の友情関係もうまく表現されており、悲劇のなかにもユーモアも漂っていて、バランスのいい作品だなという印象をもち、少し元気をもらえた映画になりました。

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2015年

11月

15日

グラスホッパー

封切間近に本作をT-Joy東広島にて観てきました。前のブログにも書きましたが、現代を代表する作家ふたりの映画バトルというのは大げさかもしれませんが、ちょうどいいタイミングの鑑賞になりました。


グラスホッパーというのは殿様バッタという意味で、「殿様バッタはあまりにもごみごみした密集のなかで育つと体が黒くなる」という性質をモチーフに、人間を虫に例えて、人が密集して生きる東京には心も体も黒くなったバッタのような人間が社会の裏側に蠢き生きており、そんな悪人たちが繰り広げる物語。


映画自体は平凡な中学校の理科教師であった生田斗真演ずる「鈴木」が、ハロウィンの夜の婚約者の不幸な死をきっかけにそんな闇社会に引きずられ、命を狙われるはめに陥り、逃げて逃げて逃げまくりながら、結果的に裏社会のドンを破滅に追いやり、恋人の仇をうつという展開を軸に、自殺や「鯨」とナイフ使い「蝉」との運命的な対決がからみ、スピード感豊かに映像が展開されていきます。「鯨」と「蝉」の活躍を大画面で堪能できるのは、映画的悦楽を十分に満たしており、わたしもドキドキハラハラする時間をしっかり過ごさせてもらいました。


東野圭吾さんの「天空の蜂」と比べると、東野作品は社会的かつ情緒的で物語を味わったあとに少し考えさせられたり、ほろりとする部分はあるのですが、伊坂さんの本作はいつものとおり情緒や社会性などくそくらえで、不条理な動機、異常な能力をもつ登場人物たちがナンセンスに縦横無尽に活躍し、まさに伊坂作品の面目躍如の作品になっていました。これは「鴨とアヒルのコインロッカー」「フィッシュストーリー」の時代からまったく変わっておらず、本作は間違いなく伊坂印の作品です。


映画の物語的にはなかなか親切な展開で、主人公「鈴木」の動静が何者かにじつは操られているというムードを劇中しっかり漂わせながら、最後にしっかりそのことを登場人物に解説させるというのは、ややベタな展開かな?と思ったりしました。


こうしたナンセンスストーリーに因果性を求めてはいけないのでしょうが、最後のエピソードとして提示される、「恋人が死をもって助けていた子どもが実はもうひとつの闇社会の家族の一員だった」というのは映像でみると、うーん・・??この偶然はちょっとできすぎなのでは?と思ったりしました。いずれにせよ、映像的にスピード感あふれ、一瞬一瞬にドキドキするような物語を、しっかり文章として表現できる伊坂幸太郎という作家の筆力はたいしたものだな~と感嘆し、原作小説を読んでみたくなったりもしました。


そしておそらく本作の隠れたテーマ「人はあまりに密集して生きると黒くなってしまうから田舎に住むことも悪くないよ・・」。

作者の伊坂さんは仙台在住の方ですが、わたしも田園都市であるここ東広島に住んでいますが、人と人との空間がゆったりあり、自然に恵まれている環境というのは普段の生活の場としては適切だと思ったりしており、このテーマには共感を覚えます。しかし一方で、密集した都会も刺激的で、人が密集していないと存在できない生業や輝きが確かにそこにはあり、ときどきは蛾のようにそこに魅かれて往来している自分(来週も友達に会いに上京する予定だったりします)もいたりして、人生というのはそれらのバランスがとても重要なのかな・・と感じつつ季節が過ぎていく今日この頃です。


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2015年

11月

07日

天空の蜂

遅ればせながらやっと話題作の本作を観てきました。原作は東野圭吾。押しも押される現代の売れっ子ミステリー作家です。伊坂幸太郎と並んで二大巨頭と呼んでも申し分ないのでしょうか。そんな原作をもち、原発破壊のテロをテーマとした本作。これはなかなか興味をそそります。最近はいろいろと忙しく、もう本作は一日一回の上映状態となってしまったT-Joy東広島にて鑑賞してきました。

 

江口洋介と本木雅弘のダブル主演。ふたりともわたしと同世代の働き盛りの俳優であり、妙に親近感がわいてきたりします。本木さんはともかく江口さんは最近映画ではあまりお会いしていなかったので、結構うれしかったです。ふたりともいまも素敵にかっこいいです。

 

観終わって思ったのは、適度なアクションと社会的にひねりのある物語の重いテーマの融合がもたらすカタルシス。爽快とはいかないまでも、悩みや葛藤、ドタバタの果てに、大事なことに気づくという物語のゴールデンスタンダード。

いい年になるとこうした展開は概ねわかっていたりするものですが、でも退屈かというと全然そんなことはなくて、物語の展開と結末に辿り着いたことを確認したあとに、なにかここちよくて、ゆったりと安心できるのだから、わたしも年をとったものです。

 

本作はもうひとりの才人・伊坂幸太郎原作の近日公開の「グラスホッパー」と並べて比較するとなかなか粋なのでは・・・?なんて思いながらの帰路となりました。

 

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2015年

11月

02日

バクマン。

漫画好きとしては気になる本作を地元T-Joy東広島にて鑑賞してきました。いつの世にもある、ビッグになることを夢みた若者の奮闘を描く青春作品です。少年ジャンプのモットーである「友情・努力・勝利」にくわえて「恋」のエッセンスを加味し、音楽にはやはりスピード感のあるサカナクションが彩りを添えてキレのいい作品です。

 

わたしのようないい年をしたおやじにも、小学時代からの親友で、現在東京在住のアッチラとコンビ漫画家になろうという気持ちをもったことがありました。Gペンやかぶらペン、ケント紙を使って、へたな漫画を描いたものです。まさに藤子不二雄先生になりたいという気持ちをもって、幼い時間を過ごしたものでした。

 

そんなこんなで本作はかつての藤子不二雄先生が自伝的に描いた「まんが道」の現代版といえるのですが、いやはや実際に映画館でこの音楽、映像、スピード感をぶつけられると、まったくもう別物に感じてしまうわけで、わたしが子ども時代に静かに熱狂した「まんが道」の世界は漫画好きのマイナーで静かな暗い世界だったものなのですが、本作はもう時代を超えて、明るくメジャーな作品であることを宣言しており、作り手側の体制は整っており、あとはそれを受け取る受け手側がどうしたアンテナをたてて、受け取っていくかどうかにかかっているわけで、いい時代が来たものだという感慨をもって映画館をあとにしました。


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2015年

10月

26日

進撃の巨人 エンドオブザワールド

地元T-Joy東広島の月曜日の夜に、待望の実写版「進撃の巨人」後編を鑑賞してきました。前篇の壮大な世界観にたつ人類の未来という大風呂敷をどううまく解決するかが楽しみな本作の鑑賞となりました。もちろん大迫力で鑑賞するために、1番シアターでの鑑賞を狙ってのの修行です。

 

いやはや観終わっての感想は前篇ほどの迫力はないものの、物語全体の重要な種明かしもされていたりして、「進撃の巨人」ファンならばチェックせざるを得ない内容となっております。原作と同じ内容になるかどうかは不明ですが、とりあえずあの忌まわしき「巨人」がどこから来たかがびっくりするほど明確に提示されていた点にはとまどいとともに、確かにこれが一番納得のいく結論だよね・・・というものでした。

 

本作を観終えて少し思ったのは、これって小学時代に熱中した手塚治虫先生の「ビッグX」をモチーフにしているのではないだろうか?という素朴な感慨を持ったりしました。もちろん「ビッグX」は本作ほどリアルで精巧な世界観を構築しておらず、ややコミカルな面もあるのですが、巨人の成り立ちの点ではほぼシンクロを形成しています。「進撃の巨人」のファンの方がいましたら、一度手塚治虫原作「ビッグX」を読んでみることをおすすめします。

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2015年

10月

17日

キングスマン

先日、サロンシネマにて本作を観てきました。あの隠れた痛快作、「キック・アス」の監督マシュー・ヴォーンの最新作です。期待しないわけにはいきません。あっという間の2時間の鑑賞を終えて、大満足の心で帰路に着くひとりの映画ファンがいました。

 

アクションはいうまでもなく、自分のためにかつて命を落とした友人の子どもを一人前にしようとするひとりの男が、その成就を前にあっという間に殺されるくだりなど、シュールでスリルにあふれる展開にはもう理屈抜きで称賛を送るよりないというほどの素敵な映画でした。

例えれば、英国伝統の痛快映画「トレイン・スポッティング」の系譜にある、音楽よし、ストーリーよし、アクションよしの痛快娯楽佳作となっております。

 

この素晴らしい作品の評判を聞きつけてか、後追いながら地元東広島唯一の映画館T-Joy東広島にても現在上映が開始され、細々と現在も上映されています。この痛快作をぜひとも映画館にて鑑賞してみてください。

 

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2015年

10月

05日

進撃の巨人後編 自由の翼

実写版の後編が待ちきれず、先日、T-Joy東広島にて遅ればせながら公開されたアニメ版後編を鑑賞してきました。


本作はかなり原作に忠実のようで、登場人物もみなドイツの人名でした。物語はテンポよくそこそこ面白かったのですが、後編というわりには物語は完結しておらず、やや肩すかしをくった印象です。


いよいよ今週末は実写版後編が封切られます。ぜひとも実写版でも巨人誕生の謎など物語の真実を解明してほしいものです。

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2015年

9月

28日

雪の轍

9月のとある木曜日クリニックの休診日に、本作をサロンシネマ1にて上映最終日になんとか鑑賞できました。3時間16分と長い作品のせいか、さすがのサロンシネマにおいても上映期間はたったの2週間でなんとか滑り込みセーフでの鑑賞になりました。

 

なんといっても昨年2014年のカンヌ国際映画祭の最高作品賞であるパルムドール受賞作です。観ないわけにはいきません。アメリカのアカデミー作品賞より、カンヌのパルムドールのほうがわたしにとっては価値が高く貴重であり、大きな期待を持っての鑑賞となりました。

 

さてさて作品ですが、これがまた文学的でほぼ全編会話で成り立っているような物語でした。監督自身が打ち明けているように、チェーホフの物語世界をトルコの至宝カッパドキアにて、裕福で恵まれた家族と貧乏でアル中の男とその息子家族というまったく対照的な背景をもつ家族を中心に、恵まれた家族の内部にくすぶる夫婦の葛藤、兄妹の確執がまるでドストエフスキの小説の会話のごとく、カッパドキアの大自然のなかにひそやかに佇むホテルのなかにて、物語は進行していきます。

 

いったいなにが幸せであり、なにが人生の達成なのだろうか?という人類にとっての永遠の哲学的課題がトルコの片田舎の厳しい自然を背景に滲んでくるがごとくに観る者のこころに陰影を伴って、時間を費やし沈殿していきます。

 

本作はとにかく対照と陰影の映画です。家族の対照的な陰影もですが、風景や部屋のなかの蝋燭のともしびのなかでの議論の場でも映像的に陰影が協調され、これが会話の内容を哲学的な内容に引きたてます。陰影の強い、映画的魔法の空間がしっかり湧き出ていました。

 

そしてなにより素晴らしいのは、カッパドキアという世界的にもまれで不思議な風景を背にした映像的な美しさです。冬になるとほとんど雪にとざされる地方に、こころまでシンクロしていく人々の生活。そこでのささやかな善意とそれを受け入れまいとする狂気にも近い信念。友人たちとのかたらいのなかで、大切なことに気づいていく主人公。

まるで本作は「カラマーゾフの兄弟」のようにさまざまなテーマがあり、複合的魅力にあふれ、観るたびに気づきがあるような作品になっていました。

ロシア文学や哲学的思考が好きな方にはもってこいの作品。文学を愛し映画も好きな方にはぜひおすすめの作品です。

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2015年

9月

23日

ラブ&マーシー

期待の本作を秋の気配が漂ってきた夏の終わりにサロンシネマ1にて鑑賞してきました。アメリカの生んだ最高のサウンド・クリエイター・バンド「ビーチ・ボーイズ」の音楽的リーダー、ブライアン・ウィルソンの半生記です。

 

ビートルズやバーズ、ボブ・ディランを音楽世界の源流とするわたしからするとビーチ・ボーイズはロックというよりはポップ・コーラスグループだなんて若いころは思っていたものですが、20代後半になってくると「ペット・サウンド」の美しさ&崇高さが理解できるようになり、グループとしては幻の作品となった「スマイル」周辺の物語を知るにつけ、村上春樹さんや山下達郎さんほどではないにせよ、ビーチ・ボーイズに興味を持ち、気づけばほぼ全アルバムを収集してしまい、今ではその音楽を心地よい風のようにドライブ中に流しているわたしからすれば本作は必見の作品でした。

 

当時の「ペット・サウンド」に対するバンドのメンバー(とくにマイク・ラブ)やレコード会社の無理解は頭では理解していましたが、本作で映像として表現されると、これまた辛辣で、ブライアンの苦悩が徐々に深まっていった様子が実感をもって迫ります。

 

ブライアンにとって満を持した自信作「スマイル」も、ビートルズの「サージェント」とほぼ同時期にひとり獅子奮迅の制作が進行したものの、葛藤や焦燥、喧噪の末の疲労感のなかで結果挫折することになった経緯もよく表現されていました。

 

そして時はたち、80年代にはもう音楽的に過去の人として、悪徳精神科医に管理されていたブライアン。でも彼に訪れる愛する人の来訪が彼を再び音楽的創造の世界への復帰へと導いていく。素敵な愛と慈悲の物語となっていました。

 

本作ではブライアンについて今まで知らなかった重要エピソードもちりばめられていました。第一は、父親の激しい暴力(現代なら完全にDV)により片耳がほとんど聞こえなかったこと。彼は60年代当時、モノラルサウンドにこだわり続けていたのですが、このエピソードで深くそれが理解できました。次に、その父親への憎悪と恐怖、葛藤の線上にあのはかなく美しいメロディがあったこと。そして当時、彼自身、普段から幻聴体験を感じながら音楽制作にそれを昇華させていたこと。もちろんドラッグの影響は知っていたのですが、常日頃から幻聴体験まであったとは・・。これはさすがに驚きでした。

そんなこんなであげればきりがないのですが、なかなか興味深い事実と映像の連続で、とても勉強になりました。

 

でも本作の正当な楽しみ方はやはり60年代のブライアンを演じたポール・ダノのそっくり熱演ぶりと劇中に流れる彼らの素晴らしいサウンドです。

 

あれこれといった知識よりもビーチ・ボーイズのメロディとサウンドは単純に素敵であり、挫折を乗り越え、聡明なパートナーを得て慈悲深い人生を成就させていくひとりの天才の物語の半生を楽しませてもらいました。わたしのようなポップスやロック好きに限らず、音楽好きには必見の作品だと思いました。

 

 

P.S.本作のメインテーマではないのですが、気づいた点をもうひとつばかり。

メンバーのひとり、マイク・ラブのことです。

本作でもそうですが、ブライアンにとっては生涯の天敵となっています。ビーチ・ボーイズといえば、要はブライアンもしくはウィルソン3兄弟のバンドともいえるはずですが、現在は彼によってその暖簾は強奪されており、アルバム「ペット・サウンド」の制作場面でも、当時ブライアンに対して「今までのビーチ・ボーイらしくない。犬や猫に聞かせるアルバムか?」と激しくしつこく罵倒し、ブライアンの葛藤を深めた張本人です。これは本作のなかでも表現されているとおりです。

 

しかし、これには後日談があります。

「ペット・サウンド」の素晴らしさや評価の定まった80年代になると、なんとあれだけ当時罵声を浴びせた彼自身が「あのアルバムは先進的で素晴らしかった」なんて言っており(このエピソードは映画には出てきません。ビーチ・ボーイズが当時来日したときの特集インタビュー記事で読んだわたしの記憶です)、とんでもないというか、あきれた人物であり、ブライアンにとっては精神的かつ音楽的障害であったことを本作でも確認しました。わたしにとっても彼の言動はこれからのいい反面教師になりそうです。もちろん当のブライアンはそんな確執的世界からすでに距離をとっており、それはそれでさすがブライアンだな~と思うまだまだ解脱しきっていないわたしなのであります。

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2015年

9月

20日

ジュラシック・ワールド

9月に入ったとある月曜日メンズデイにT-Joy東広島において本作を鑑賞してきました。20数年ぶりの前作「ジュラシック・パーク」からの続編です。


迫力満点でおもしろかったということを知り合いから聞いて、やはり観ておこうと馳せ参じました。今回は、前作のジュラシック・パーク閉園後、さらにパワーアップして再開したジュラシック・ワールドを舞台にしています。このパークとワールドの関係は、ディズニー・ランドとディズニー・ワールドの関係と相似形であり、さすがアメリカ娯楽の伝統を踏んでいるな・・なんて思ってみてました。


今作では、人間が怖くて強い恐竜をDNAを操作して人間が実際の恐竜にはいなかった、新たな人工恐竜を創作しているというところがミソで、これをどう受け取るかで評価が分かれるかもしれません。

もちろん、こうした映画は物語がどうのこうのというより、映像そのものの迫力を楽しめればいいわけでわたしもそのように堪能させてもらいました。

そんなわけなので、ひとつ失敗したなと思ったのは、当日は2D鑑賞だったのですが、この映像迫力を100%堪能するには3Dがベストだったかな~と反省しました。


しかし、どうやら本作は物語の筋書き的には、映画終了時にも最強最悪の人工恐竜はまったく退治されておらず元気そのものなので、本作自体、最強最悪恐竜の登場編という構成となっており、この先も続いていくようなので、次回は3Dでいきたいと思います。

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2015年

9月

12日

ミッション・インポシブル ローグ・ネイション

ちょうど上映時間のあった本作をT-Joy東広島にて鑑賞してきました。恒例のトム・クルーズ版スパイシリーズです。

 

かつてのスパイ映画の名作、007シリーズと同様に本シリーズは、つねに毎回その時代の旬な世界の観光地を舞台としており、前作「ゴースト・プロトコル」ではブタペスト、ドバイ(あの有名なドバイのタワーを登るシーンは圧巻でしたね)でしたが、今作ではモロッコ、ウィーンでした。


そして前作のドバイがそうであったように、本作ではとくにウィーンのオペラ会場などが事件の発生現場になると同時にその空間自体がとても魅力的に描かれており、わたしも思わずウィーンに行きたくなってしまいました。素敵な観光案内です。

 

内容的には、映画の前半にポスターにもあるアクションの見せ場が来ており、上映時間への遅刻は許されません(笑)。おそらく本作の最大の見せ場は冒頭のこのシーンと中盤に訪れる街中から崖までスリルいっぱいに繰り広げられる、バイクの追いかけシーンなのではないでしょうか。

 

なんやかんや言ってもトム・クルーズがスタントマンを使わずに演ずる激しいアクションが売り物の本作。こうしたアクションを純粋に楽しめばいいのでしょうが、物語的にはややマンネリズムに入ってるかな?なんて不謹慎にも思ってしまいました。でも観ているときには世界を股にかけるアクションを十分楽しんでいるわけで、わたしも贅沢なことをいう中年になったものです(笑)。

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2015年

9月

05日

日本のいちばん長い日

お盆の映画修行4番勝負の最後の作品が本作となりました。「野火」と同様に夏定番の戦争映画です。

ちょうど物語の日本でいちばん長い日というのは、昭和20年8月14日正午少し前の天皇陛下自身による玉音放送の録音から8月15日正午の玉音放送までの設定となっており、わたしが鑑賞した日はまさに長い一日のなかの8月14日午後で、不思議な因縁だなと思いながらの鑑賞となりました。そのせいか八丁座1はしっかり超満員でした。

 

物語は日本が終戦(敗戦)を選択することは当時としてはそんなに簡単な選択ではなかったということをしっかりと表現していました。それもそのはず、有史以来、敗戦をほとんど知らずに歴史を刻んできた日本。当時はそんな神国日本に敗戦の二文字はあり得ないという空気があったのです。現代の日本とその空気感の違いにまず驚かされます。

 

そんななかで終戦の選択にかかわるさまざまな日本人のこころの葛藤が原田真人監督によって、それぞれの人物のこころや行動が活写されています。GHQ監視下の戦後すぐにはとても表現できなかった世界なのではないでしょうか?この難しい物語を力技で最後まで飽きさせずみさせるあたりはさすがです。

 

物語の内容としては、終戦の間際に玉音放送録音さえ否定しあわよくばそれを奪い放送させず、天皇の意思さえ無視し実質、革命を起こしてでも本土決戦に向かおうとした陸軍将校をはじめとした若手軍人たちが少なからずいたこと。彼らに対抗し「もう終戦を決断するしかない」と悟った天皇をはじめとした国の上層部がいたこと。そのなかで天皇の信頼と若手からの期待を同時に背負った阿南陸軍大臣の葛藤を中心に玉音放送までの分刻みの展開が進行します。

 

物語のクライマックスは終戦宣言当日明け方の阿南の覚悟の切腹。そしてついに達成された終戦宣言となる玉音放送。

 

余談ですが、かつて学生時代の旅行中に友人と訪れた山梨は上田の象山(佐久間象山の生まれ故郷でもあります)において、本土決戦時に東京から移す予定であった大本営&皇居を観ております。それは地下要塞と呼ぶにはあまりにつたなく洞穴というか壕と呼ぶべきか迷うようなもので、広島でいえば比治山ぐらいの小山である象山のなかに、縦横無尽に人の手で掘りつくされていたのです。当時の日本軍の熱い想いを想像しながら観させてもらった記憶があります。本作にてその体験が数十年の時空を隔ててつながったようで感慨深いものがありました。

 

しかし、皮肉にも戦後のWGIP(日本の戦争における罪悪感を、日本人に意図的に刷り込ませようとしたアメリカにより、戦後から数年間にわたり実行された言論統制プログラム)の影響で、終戦間際の日本人の葛藤については、歴史好きの日本人以外はあまり認知されておらず、わたしなどは「このあまり知られていなかった事実を多く含む本作の内容を、超満員の観客のどれだけがしっかり把握できるのだろう?」なんて心配したりしました。「めくるめく事実とは信じがたい、終盤に展開される幾多の人々の死への歩みを創作と思う観客さえいるのでは?」なんて思ったりしたのです。

もしやそれは杞憂であり、わたしより上の世代の方には常識的史実なのかな?という考えも浮かびつつ、いつか聞いてみなければ・・なんて考えています。

 

かくいうわたしも阿南の切腹はよく知っていたものの、畑中陸軍少佐のことは降伏に抵抗した若手将校のひとりとしてぐらいしか認識しておらず、映画のなかで見事に松坂桃李くんが畑中少佐の焦燥と覚悟を鬼気迫る表情(おそらく本作の一番の見せ場でした)で演じており、こういうのをスクリーンで大勢の観客とともに観られること自体が素晴らしく、現在の日本は平和であり、幸せなことなんだな~なんて感じながらの鑑賞となりました。

 

P.S. 役所広司は以前にに「山本五十六」を演じ、本作では「阿南陸軍大臣」。両方とも悲劇の人物ですが、気づけば役所さんは戦争ものには必須の役者になりつつあります。私的には「山本五十六」のほうが似合っていたような気がするのですが、どうでしょうか?この辺も両方の作品を観た方の感想を聞いてみたいところです。

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2015年

9月

01日

あん

今年のお盆休みはどこにも行かずに過ごしたので、広島市内にて映画三昧のお盆を過ごしました。お盆シリーズの3作めが本作です。巨匠・河瀬直美監督によるカンヌ映画祭・ある視点受賞作品です。春ごろから話題になっていたにも関わらず、なかなか機会に恵まれず、やっと遅ればせながらロングラン上映をしているサロンシネマ1にて鑑賞できました。

 

まずびっくりしたのが、もう封切4か月ぐらいたっているのに、観客の多い事、多い事。映画開始ぎりぎりに到着したわたしはエクストラチェアでの鑑賞となり、映画館はもうこれ以上ひとりも入れないという超満員でした。これは当然期待も高まります。

 

前情報も仕入れていなかったので、映画が始まり「あん」というタイトルの意味は食べるあんこの「あん」ということが初めて理解したわたしですが、物語のおもしろさにぐいぐい引き込まれていきました。

 

あんこを通した、さまざまな人間模様が交錯するなかで、突然どこからともなく現れた素性不詳のおばあちゃんの作るあんの素晴らしさ、人々の一瞬の賞賛と行列。それとコントラスをなす世間の非情な偏見、静かに訪れる人々の冷たさ。これらが美しい春の風景のなかで、つかの間咲き誇り、世間という春風に吹かれ散ってゆく桜の花びらのように過ぎ去っていく。そして残された人はある決意をもって人生の転換をゆるやかに切っていく。


こう書くと、なにがなんだかわからない内容に感じられるかもしれませんが、この駄文を読まれた方は騙されたと思って本作をいつかDVDででも観てやってください。上の文章の意味がきっとわかりますから。

観てもらえれば、映画の素晴らしさとその可能性、美しさが同時に感じられること請け合いです。

 

本作により、カンヌ映画祭の審美観も健在なんだと思わされたと同時に、なぜ河瀬監督(カンヌ映画祭の審査委員も務めるほど)がこれだけ世界の映画界で賞賛されるかやっとわからせてくれた作品になりました。わたしにとっては、いまのところ本年の邦画では垂涎の一作です。

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2015年

8月

26日

野火

本作をやはりお盆休みにはしご上映でサロンシネマ2で鑑賞してきました。やはり終戦の夏、また集団的自衛権の法案の論議もあり、ばりばりの反戦&残酷映画です。これはかなり悲惨な気分になるかも・・・と覚悟しても修行となりました。


監督自身が主演を演ずる、元作家の日本兵が東南アジアの片隅で、日本軍は武器も少なく作戦にも乏しく、負け戦につぐ負け戦で撤退を余儀なくされながら、撤退場所へもたどり着けないほど物量豊富な敵アメリカ軍にぼこぼこにされながら、なんとか運よく?生き抜き帰国するという物語。やや自虐的臭いのする戦後日本の文化人的価値観(アメリカによるWGIPは戦後のインテリほど洗脳したのは皮肉です)で画面は覆い尽くされていました。


戦争の残酷さがこれでもかというぐらい画面いっぱいに展開され、人間は限界状況では人肉さえも食らうという戦争の悲惨さ、過酷さを現代の映画技術でリアルに表現されていました。本作を観れば、だれもが二度と戦争だけは避けなければならないという気持ちになるはずです。もちろんわたしもなりました。一方で、当時の日本人だって決して好戦的(WGIPでは日本悪玉論をうまく戦後日本に浸透させました)であったわけではなく、できれば戦争だけは避けたいという想いで必死に外交で努力した日本人も多数おり、開戦に至った経過を歴史的によく検証すれば、石油をはじめとした物資の輸入を封鎖されたり、ハルノートを突きつけられたりと追い詰められた過程の結果であり、日本側からすればやむに止まれずという側面があったわけで、戦争を回避する手段としての外交(今もTPP交渉が大詰めを迎えています)がこれからの日本にはさらに重要だという想いを新たにしました。


本作でひとつ残念だったのが、物語の舞台、背景の説明が少なくかったことです。おそらく監督の狙いは、ストーリーうんぬんより、戦争の悲惨な体験映像を大画面でからだとこころごと観客に受け止めてもらうという意図だったのでしょうが、もう少しストーリーにひねりや展開、おもしろみがあれば、もっと深く楽しめるものになるのに・・・なんて考えたりしたわたしも戦争の本当の悲惨さを知らない「戦争を知らない中年たち」のひとりであるんだろうな・・・とひとり考えながら、平和な広島市内から緑豊かな東広島へ帰りました。

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2015年

8月

23日

ラブ&ピース

本作をお盆休みの間にサロンシネマ1にて鑑賞してきました。

園子温監督の新作です。園子温ファンの友だちはわざわざ東京まで観に行ったという作品で、わたしはさすがに広島を離れてまで観に行くということはなかなかできず、前作「TOKYO TRIBE]と同様にあきらめかけていたのですが、待望の広島上映となりました。さすがサロンシネマ。広島映画界の至宝です。

 

さて本作ですが、久々に園監督の痛快な面が出ていました。最近の作品はこのブログでも紹介していますが、「希望の国」「地獄でなぜ悪い?」など最近はやや硬いというか小さいというか、悪くはないのですが、園監督らしい豪快な世界観が影をひそめており、どうしたのかな?と思っておりました。

 

しかし、本作はやってくれましたね。メジャーデビュー作「愛のむきだし」にも通じる、自由奔放な作品です。なので「愛のむきだし」と同様、好き嫌いが大きく分かれる作品になりそうです。わたしは文句なく好きです。大人のための都会のおとぎ話を笑いと涙で堪能させてもらいました。

 

ストーリーは、拾ったミドリガメ「ぴかドン」がうだつの上がらないダメ青年の夢をどんどんかなえてくれ、その欲望とともに体は大きくなり続け、最後はなんとガメラのような怪獣になってしまい、街を破壊しつくしてしまい(でも人は殺さない)、膨らんだ夢風船は壊れていくという一見はちゃめちゃな話なのですが、これが意外に説得力をもって、観る者に迫ってくるのです。

 

かつてジョンレノンが、ビートルズ解散後、1970年代にヨーコとベッドインしながらよく口にしていた「Love&Peace」。このアイコンワードを使い、リアリティとはかけ離れた現代のおとぎ話をこれでもかというぐらいに大胆に展開させる力技。劇中歌もさすが監督自身がつくっただけあって超B級。

 

こんな一見B級グルメのような作品なのですが、フランス料理やアメリカ料理にはない、いいだしが効いていたりするのですからたまりません。とくに劇中に出てくる、おもちゃであるツクダ製「人生ゲーム」の箱が40歳以上の人間には覚えがあるパッケージで泣けました。

 

なんだかんだと書いてしまいましたが、

「頭や理屈で小難しいことは考えずに、観たままを楽しめばいい。それが映画なんだよ・・・」と園監督が語り掛けてくるような映画でした。こうした点からも本作は映画好きなら観とく作品ではないでしょうか。 おそらく観るたびにいろいろな発見と思考にとらわれることは必至で、わたしも機会があればまた観たいものです。

 

P.S.ラストのヒロインの行動は、男にとってはやや甘すぎるのでは?と思えるほど、夢のような展開であり、この映画は園監督をはじめ、まさにすべての男の夢物語だと思いました。

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2015年

8月

12日

進撃の巨人 ATTACK

以前から漫画やアニメで目にしながら、気になっていた本作を封切間もない時期にいち早くT-Joy東広島で観てきました。

本作は大画面の1番シアターで観たかった作品です。1番シアターはだいたい1週間で次が控えていますから上映まじかにこだわらざるを得なかったのです(笑)。

 

漫画はもちろん、アニメでも大ヒット。全世界に夥しい数のファンを持つ原作の実写化です。残念ながらというべきか、幸運にもというべきか、わたしは今回の映画版が「進撃の巨人」初体験。なので先入観まったくなしで鑑賞することができました。

原作をへたに読んでいるとおそらく原作とはかなり設定を変えてしまった映画版に対する失望と怒りで冷静に観ることができなくなるでしょう。噂によるとネットなどでは、原作に心酔したファンたちから「設定を変えすぎ、原作の良さをなくした」と映画版への批判が大炎上しているらしいですから。

 

映画を観てまず感じたのは、人間がバキッーという音とともに巨人によってまるでシシャモのように喰われていくのを実写で観ることはちょっとした衝撃です。この実写の迫力を大外面で体験できるだけで本作が制作された意義があると思わざるを得ません。今晩、夢に出てきそうな恐ろしさです。

 

夢・・・まさにそうなんです。よく小さいころに見た、なにか異世界のようなところからやってきた者に理不尽にも追われ続けるというという夢を見たことがありませんか?まさに映像でそれが展開しているのです。

くわえて、あまりにも理不尽な設定。人間はどこからともなく湧いてきた巨人にとってはかわいい家畜状態。んっ・・・待てよ。ひょっとして、人間にとって日常的に捕食されている豚や牛などの家畜。彼らの目から見れば、人間こそがこの「進撃の巨人」の巨人に見えているのではないか?うーーん、こうした無意識の層に存在する夢や人間自身の潜在的罪悪感を本作は執拗にノックし続けます。そしてこれらの人間の心的内面は全世界おおむね似たようなものなのです。だからこそ世界中でこんなに支持されているのでは?・・・なんていう私的妄想も芽生えたりしました。

 

つっこみどころ満載の本作映画版なのですが、せっかくここまで壮大な世界を表現し謎だらけの設定で、映画という上映時間が限られたフォーマットなのだから、あまりチマチマとした登場人物たちの恋愛関係や隊員同志のコンプレックスからくる葛藤やいさかいなどに寄り道する時間はないような気がするのですが、結構描いていましたね。それはそれで楽しめるのですが、後篇でこの世界観のすべての謎が解明される時間が十分残されているのかを老婆心ながら心配しています。

 

最後に本作で特筆すべきことは、上映時間の2時間弱があっという間に感じられたということです。おそらく通算1000本超の映画館体験をしているわたしですが、生涯最短の実感です。ずばり2時間弱がほんの30分ぐらいに感じられました。映画のラスト、エンドロールが始まり、えっもう終わり?という感じ。

おそらく「巨人」の進撃が激しすぎて、リアルに迫ってくる大画面の前で観客として同朋の人類がバキバキと喰われていくのを身もだえしながら、恐怖と驚愕に身を浸していたら気づけば終わってたという感じです。ハラハラドキドキのジェットコースターに乗った気分です。

作品の出来云々は人それぞれですが、怖~い世界に身を浸しあっという間に時を超える、ウラシマ現象を起こしてくれる空想ジェットコースターを楽しみたかったら、ぜひ本作をご覧くださいね。

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2015年

8月

07日

インサイド・ヘッド

今夜は映画修行をしようと決めた夜に本作の上映時間がちょうど都合がよかった作品のうち、本作を選んで観てきました。

なんでも「カールじいさんの空飛ぶ家」の監督が手掛けたピクサーの新作だとか。「カールじいさん」はなかなかの傑作だったので、今作もそれなりの期待をもって修行に入りました。


さて作品ですが、ライリーという11才のアメリカの女の子が、お父さんの仕事の都合で、故郷のミネソタからサンフランシスコへ引っ越しとなり、仲の良かった友達と別れ、新たな学校や級友との出会いという外界の激変状態に陥ります。それに合わせて脳内の5つの感情を5人のキャラクターととらえ、脳内でドタバタ劇が展開し、外界と脳内世界との物語が同時並行に進んでいく物語です。

こう書くと、わたしの敬愛する村上春樹さんの「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」的世界のようですが、もちろんアニメですから、物語そのものはもっと単純です。


「喜び」、「哀しみ」、「怒り」、「ビビり(恐れ)」、「ムカムカ(嫌悪)」という感情を代表する5人のキャラクターが頭のなかの司令塔に陣取り、外界での出来事に合わせて、島という人格を作りながら、成長していき現実と折り合っていくのです。

慣れた環境を離れて、見知らぬ世界に移るということは11才の女の子にはとてもストレスが大きく、これまでのようにはいかず、大きな成長が要求されます。それに合わせて脳内でも、成長の前兆として、「喜び」と「哀しみ」が脳の司令塔から落っこち、「喜び」と「哀しみ」のふたりが脳の司令塔に何とか戻ろうとする形であたまのなかの物語は進行していきます。

観客にはいつもネガティブにふるまうブルーな「哀しみ」にじれったいという想いが当然出てくるのですが、実は「哀しみ」がいなければ「喜び」だって生まれないということがわかっていくという、とても教訓的な展開になり、物語はライリーの人間的な成長で幕を迎えます。


日頃、みなさんのこころと向き合っている心療内科医からすると、この物語を観れば、感情を客観的に捉える、いいレッスンになるな~と感じました。日々の診療では、感情(気分)が不安定な状態となった方を診察する機会が多いのですが、病に陥りかけている人というのは、感情の不安定さがそのまま生活や人生に直接結びついて、まるで世界がすべて悲観的に見えてしまい、世界は感情がすべてで、感情に人の存在自体が支配されているような状態になってしまいがちです。


でも実は、感情や気分というのは、人間の存在全体からみれば、その一部分にすぎなくて、感情は所詮、人間全体からみれば下僕もしくはパーツであり、支配されるものではなくて支配する種のもので、気分的には落ち込んでいても、意志の力を利用して行動や表情を明るくし、笑顔で人と接することはできるし、そうすれば気分も明るい言動についてきやすく好転することもあったりするのです。

本作が感情(気分)という怪物を飼い馴らすいいきっかけになればこんな素敵なことはないと感じてしまったわたしでした。

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2015年

8月

01日

海街diary

先日、診療の終わった、毎度の月曜日(メンズデイなのです)に本作を観てきました。あの吉田秋生原作の映画化です。


吉田秋生さんといえば、わたしが10代から20代のころにさまざまな傑作を発表され、漫画好きだった小生は「カリフォルニア物語」「BANANA FISH」といった長編傑作から「夢見るころを過ぎても」「河よりも長くゆるやかに」といった小編に至るまでずいぶんお世話になってきました。

とくに「カリフォルニア物語」は20回以上は繰り返し読んだものでした。どの作品も主に10代の少年少女の自我の揺れや微妙な心のひだを漫画という形でとらえ、漫画でここまで表現できるんだ・・としきりに感心し、ずいぶん影響を受けていたものでした。それなのに、最近の文化的不摂生がたたり、本作の原作はまったくノーチェックとなっており、映画にて初めての体験となりました。


かつて父親が捨てた3人姉妹。母親も再婚して去り、残された3人は祖父母の手で育てられる。祖父母も他界し、成長した3人の姉妹がさまざまな葛藤を抱えながら、古都・鎌倉の祖父母の残した古民家でともに生きている。父の死後の葬式をきっかけにそこにやってきた腹違いの4人目の姉妹すず。4人の生活にやっと慣れてきたかと思ったら、なぜか久しぶりに札幌からはるばる帰ってきた母親。お互いに知らない世界で、それぞれの姉妹にも微妙な変化が生じつつ、物語は淡々と進んでいきます。


いわゆる悪い人がいないハッピーストーリー。落ち着いてなににも動じないような海を抱える伝統の街に微妙なバランスの上に成り立つ不安定な家族。このコントラストと人間関係の平衡感が絶妙で「こんな家族が実際にあればいいのにな」という気持ちを持ったりしました。さすが対人関係における平衡の妙をスクリーンに展開するのが得意な是枝監督です。本作は傑作「歩いても歩いても」に繋がる作品ではないでしょうか?


映画では微妙な平衡感覚の上に素敵な家族が表現されていますが、現実世界においてはなかなかこうした平衡感覚を保ちながら、平和に暮らしていくのは至難の業であるということも十分に理解できるだけに、せつない気持ちにもなります。この平衡状態がいつまで続くのかを見届けたいという気持ちにも包まれ、いつかこの4人姉妹の5年後という形の続編を観たいと思いながら、映画館を後にしました。

 

P.S.本作の掘り出し物は長澤まさみではないでしょうか?純真もしくシリアスな役を演ずるとどうもぎこちない彼女ですが、映画「モテキ」での主人公の憧れ役や本作次女役のように、おきゃんでややすれた性格の役柄は結構はまりますよね。いずれにせよ素敵な4人姉妹でした。

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2015年

7月

27日

バケモノの子

全国の小中学生が夏休みに入って間もなく、封切まじかの本作を運よく早めに観てきました。「時をかける少女」から「サマーウォーズ」「おおかみこどもの雨と雪」など発表されたメジャー作品にはまったくはずれがない、快進撃中の細田守監督の作品です。個人的には「サマーウォーズ」がもっとも好きな作品であり、それを今作が超えているかという興味もあったりしました。

 

結果ですが、個人的にはまだ「サマーウォーズ」のほうが好きなのですが、本作のほうが万人受けすることは間違いなく、細田監督は、宮崎駿監督がいまや長編を作らなくなったと宣言した現代においては、宮崎監督を継ぐアニメ制作者への階段をまた登ったのだという確信をもって映画館を出たわたしでした。

 

「サマーウォーズ」が「ラピュタ」的なら、本作は「千と千尋」的世界というべきでしょうか。こうして並べると、個々の作品の質はやはりまだ宮崎作品のほうが魅力的ですが、細田監督はまだ若くこれからさらに伸びしろがあるわけで、今後の成長に大いに期待です。


絵自体が素晴らしいのはいうまでもないのですが、物語自体も細田監督オリジナルで、勇気、友情、成長といったまるで少年ジャンプの3原則のような素晴らしいテーマがくさくない形で笑いと涙を通して子どもから大人まで楽しめる作品として明快に表現されており、素晴らしい出来でした。

未来の宮崎監督作品なきいま、日本は細田監督という才能を得たことを全国津々浦々の映画館で実感する夏となりそうですね。

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2015年

7月

14日

予告犯

本作を診療の終わった月曜日の夜に観てきました。戸田恵梨香の絶叫「わたしはあんたなんか絶対に認めないから」というセリフがわたしの地元の本屋にもエンドレスに何回も流れており、作品自体にメディアミックスの匂いを感じさせます。

しかし、エレガントな生田斗真くん主演でよりスタイリッシュな印象の本作ですが、観てみるとこれがなかなか熱いメッセージをもった作品でした。

 

シンブンシを頭にかぶって目だけぎろぎろ光る予告犯が、みずから社会不正の人物たちをネットで予告したのちに粛清していく。その果てにあるものが徐々に明らかになってくるスリリングな物語。話自体もなかなかよくできたものなのですが、登場人物のセリフや個々の場面が妙に頭に残る作品でした。

 

まず、戸田恵梨香演ずる吉野刑事と生田斗真演ずるゲイツとの渋谷川の川底のトンネルを隔てたやりとりはとくに印象的でした。まさに川底のような、互いに恵まれない境遇に育ったふたり。かたや吉野はそんな境遇にもかかわらず歯を食いしばり努力をして東大を出たキャリア刑事、ゲイツはIT企業の社員を目指しながらそんなささやか望みさえもかなえられず、社会の川底をうごめく存在。「あんただってやればなんとかなったはずよ」とののしる吉野に、「おれは頑張る場所さえ与えられなかった」とつぶやくゲイツ。個人的にこのやりとりは結構心にぐさりと刺さりました。わたしも恵まれない境遇?に育った点では人後に落ちないと自負しておりますが、頑張る場所を運よく与えられたわけで、もしそんな場所さえまったくなかったら、ゲイツのように世の中をうらむ存在になったかもしれないわけで、映画を観終ったあとも妙にこのやりとりは残りました。

 

次に、シンブンシ4人組の最後の晩餐のシーンも秀逸です。自分が死んだあとに残る3人への、ゲイツの配慮とやさしさがぐっと来ました。ゲイツの死後、その意図も理解し、しっかりと必死に社会に戻っていく3人のこれからはどうなるのだろう?なんて考えてしまいました。

そして、死への旅路しか残された選択がなかったように見えるゲイツですが、それでも死という方法を選ぶ前にやることはあったろうに・・・、だいたいIT企業の正社員になろうとする目標自体が間違いだろう・・・なんて物語にもかかわらず、まるで実在の人物に対するかのような感慨にふけったことが本作の出来の良さを象徴しているような気がしました。

観れなかった人はDVDでもおすすめの作品だと思いますので、いつかチェックしてみてくださいね。

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【 季節のささやき 】